第12話 物書き志望ながら本を読まない人たち
社会がどうとか、教育がどうこうとか、世代がどうとかではなく、自分の実体験として。
ライターや小説家志望の方と話すことがある。
彼らは日々、脚本や小説を書いてコンクールに応募しているという。
私は文章を書く人には無条件で親近感を持つ。プロであれアマであれ、同士であり仲間であると思う。書く喜びが分かち合えるし、きっと同じ悩みを持ち、愚痴を言えばわかってくれるだろうと思う。
実際、話は盛り上がる。様々な情報も聞けてありがたい。
ところが、こちらが軽い世間話のつもりで「最近読んで面白かった本は何ですか」と尋ねるとはっきり「本は読みません」と言われることが多い。
書籍だけでなく、新聞や雑誌も、紙媒体ではない電子書籍や、無料で読めるネット小説の類も見ないという。
「読まされた」経験はあっても、自発的に読書はしないらしい。
読まないときっぱり言われてしまうと、こちらも話題を変えざるを得ない。
そして、内心では不思議でならない。
えっ、物書き志望なのに読まないの?
脚本を書いたり、本を出したいと思っているのに読まないの?
自分は読まないのに、人には自分の書いたものを読んで欲しいの?
「時間がなくて読めない」「好きな作家しか読まない」のはわかる。
自分も大体そうだ。
けれど「読まない」というのは、ちょっとよくわからない。勿体ないとも思う。
ごく一握りの天才は、本を読んでも読まなくても天性の才能があるのでいいとして、自分も含めて殆どが凡才な中、他者の作品を読まずして書くことは無謀ではないのか。
文章が上手くなるためにはとにかく書き続けるしかないが、それでも独力では限界がある。ジャンルはなんであれ人の書いた文章を読み、参考にして、好きなら真似て、書いて、書き直して、批評されて、落ち込んでもめげずに書いて、自分の作風を探っていくものではないのだろうか。
読まなければ、読者の気持ちがわからないだろうとも思う。何が面白かったのか、どこに燃えたのかハラハラしたのか、何が気に入らなくて途中で読むのをやめてしまったのか、文章力や構成の問題なのか、それとも単なる好みか。
好みの場合はどうしようもないけれど、他の原因なら改善できる余地があるかもしれない。
自分が、まず自分に愛されるために、己の作品に同じことをしなければいい。
……とはいっても、私自身も偉そうなことは言えない。
毎日毎日、本にかじりついているわけではない。
熱烈に本を愛する友人たちの足下にも及ばないし、活字中毒であったこともない。
しかし全く読んでないわけでもないので、最近読んだ本については次回にでも。
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