第11話 恋はみな、私の上になだれおちた
「恋はみな、私の上になだれおちた」
最近知って、一目惚れ(一読み惚れ)した文章である。
声にも出して読んでみたが、あまりの美しい響きにうっとりしてしまった。
好きな文章は大抵丸暗記してしまうが、これもちょっとやそっとでは忘れられそうにない。恋がまるで一つの生き物のように、超然の意思をもって、「私」になだれてくるさま。
「なだれおちる」という圧倒の表現。理性では制御できない嵐のような感情に、なすすべもなく押し潰されるしかない。
いっそ恋に死ぬのか、殺されるのかという切迫すら感じる。
知ったのは、作品も作家としての生き方も敬愛してやまない田辺聖子さんの著書「文車日記 ―私の古典散歩」から。
平安時代初期に書かれた仏教説話集「日本霊異記」からの引用である。
現代小説で使われていても全く違和感がないのに、まさかの平安時代。
さらに仏教説話集とは驚いた。
その日本霊異記の中に、人がきつねと婚姻する元祖・異類婚姻譚のような話がある。
男が広野で出会った美少女と結婚し、子までなして仲睦まじく暮らすのだが、ある日妻の正体がきつねであることが露見する。
正体がばれてもきつねは夫の元から去りがたく、夫も恋女房と暮らした日々を懐かしんで歌を詠む。
「恋はみな 我が上に落ちぬ たまかぎる はろかに見えて去にし子ゆゑに」と。
日本でも、千年前から恋は落ちてくるものだったのだなあ……と思うと感慨深い。
明治以降に、「fall in love」の翻訳で使われ出したという「恋に落ちる」の、語源を見たような気がした。
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