弍ノ四、ハイ頂きましたッこの真下からのアオリ構図

 しっぽりと濡れそぼつ指先から、糸を引いて、赤い雫が滴る。

 女は尖った爪の先を唇へと運んだ。

 れろり、と。太くくねる真紅の舌先が伸びて、執拗に指を舐める。

「ねえ、お兄さん……アタシとんない……?」


 蜜に濡れ、みだれた姿態は、さながら軟体の魔性にも似てしどけなくよじれ。

 厚ぼったい口の端に、凄艶な悪の色影がこぼれる。

 豹を思わせる青と金の刺青が、胸元から肩へ狂い咲いて。

 ほつれひろがるぬばたまの黒髪。妖美な流し目。満々とみなぎり揺れる乳房の肉芽の色。

 あまりにも狂おしく、なまめかしく、嗜虐、痴態、堕落の芳香を放つ。

 いぎたなく誘うはだけた着物の裾から、とろける白い色がのぞいた。吸盤が見える。

「一滴残らず……出したもの全部、綺麗に吸い尽くしてあげるから……さァ……?」

 女の手が、触腕となって恋町の首に絡みつく。ヌルリ、ヌラリ。肌の上を滑る。


「……いいねェ」

 恋町は眼をカミソリのようにほそめ、笑った。舌で唇を湿す。

「そういうのゾクゾクするわ」


 ぬめる手が、喉元に巻きついた。指先が耳朶を弄る。首筋に赤く、吸い付いた跡が残った。

 丹前をはだけて、胸元へとチロチロとくねり入ってゆく。

 

 恋町は、水の魔性の正体を現しかけた女に抱きつかれたまま、酒徳利を逆さまにして揺らした。小さな水音がする。

「まだ残ってるな。良かった」

 言いながら、懐へ手を突っ込み、紙を取り出す。


「何やってんの」

「絵を描くんだよ」


 竹筆に泥酒をつけて、やおら絵を描き始める。

「今からイイところなのに?」

 巨大な吸盤で吸い付こうとした女が、興ざめの顔をする。


 恋町はせわしなく竹筆を走らせる。

「まあそう言うなよ、マジもんの本物を前にして描かないとかねえだろ? そうそう、髪はできるだけ振り乱した感じで。この、腰から触手につながる線が堪らんね……目線はこっち。姐さんイイねえ、その挑みかかる目つき! すごくイイ! 着物の下をすこしはだけて、ちらっと見せ……オイオイけしからん太ももだなこの野郎、吸盤つきの乳とか八本足とか、うはぁ……えっろ……クッソ興奮するわ!」


 あっという間に一枚を描きあげ、続いてもう一枚、と描き始めたところで。

「寝言言ってんじゃないよ!」

 女は恋町の横っ面を張り飛ばした。足首を掴んで引きずり倒す。

 触腕がニュルリと首に、腰に、足にそれぞれ巻きついた。

 女は、斑点紋様が浮かび上がる半裸の身体をくねらせ、けたたましく嘲笑った。馬乗りの体勢で首を絞めにかかる。


「アンタも酔狂だねェ……大人しくアタシの言う通りにしてりゃァ、最高に気持ちよくぶっ放した瞬間にあの世へかせてやったのにさァ……?」

「ハイ頂きましたッこの真下からのアオリ構図! 新作黄表紙はこれで行くわ! もう我慢ならん、姐さん、あと一枚だけ! な? な? あと一枚だけ描かせて! 頼む! なんまんだぶなんまんだぶ、これが描けたらもう俺、このまま死んでもいいわー……ってことで、最期にあんたの名前をぜひ、冥土の土産に聞かせてくれ」

 なかば顔の上にのしかかられ、鼻先まで喰われかけながら、恋町は恍惚と絵を描き続ける。


 女は、姿を写し取った墨絵を掠め取った。

「ふうん、これがあたしかい……?」

 ためつすがめつ、妖婉の絵姿を微光に透かして眺めたあと。まんざらでもなさげに薄笑う。


 恋町は女に組み伏せられたまま、竹筆を揺らした。

名題なだいを入れるにゃ、墨色が足りねえ。悪いが姐さん、ちょいとそこの壺に墨吐いてくれ」

「失礼なやつだねアンタは」

 言いつつも、女は徳利に向かって墨を吐いた。

「ほらよ。男千人ゴロシの磯姫いそひめ様とお書き」

「あんがとよ。ええと、男千人殺しの磯姫さまね。これで命なきに魂を込められる。まさに画竜点睛ってなもんだ」


 恋町は、くろぐろと濃い闇色の墨で、画に名代みょうだいを書き入れた。筆文字から、匂い立つような隠微の霧が流れ出る。

 女は、黒髪を振り乱して舌なめずりした。

「さあ、辞世の句は書き終わったかい? それじゃァ……心ゆくまでかせてあげようかねェ……!」


「ああ、ヤレるもんならやってみな」

 黒い霧の漂う竹筆を手に、恋町はへらりと不埒に笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る