エピローグ
7 なめくじ男となめくじ宇宙人と
「たくっ、どんだけひねくれてるんだ?」
「ま、なんていうか。この姿で会うのひさしぶりだったから、恥ずかしいじゃない?」
「だからと言って、昼休みになる今になっても、星野と一言も交わさないとはどういうことなんだ!?」
「だって、休み時間になると、みんな集まって質問してくるんだもん」
まれに見る美人の容姿をしていた乙音は、休み時間のたび質問攻めにあっていた。それは、もう他の学年のクラスの人も見学にやってくるほどの人気ぶりだった。
星野はというと、その間ずっと横目で人垣を眺めてるだけ。
「質問なんか適当に答えればいいのに、相手が聞かないことまでぺらぺらとしゃべるからだろう」
「しかたないじゃない。正直に身元を明かすわけにはいかないんだから。相手の知らないような、難しい言葉をいっぱい並べて、相手の思考を麻痺させるしかないのよ」
そのせいで密入国者から一国のお姫様まで、乙音の正体について、さまざまな噂がいたるところで飛び交った。
「だいたいお前、変わり過ぎなんだよ。男のときは地味な顔をしていたのに、どうして今はこうもおしゃべり好きでキレイな顔してるんだよ?」
「男の顔があまりにも地味だったので、飽き飽きしてたの。おしゃべり好きは少しでも女らしくするため。あのトークは疲れるから、今はやってないでしょ」
まったく、あれでは、星野が乙音と黒井が同一人物だと気づかなかったはずだ。乙音と黒井じゃ、話し方が全然ちがうからな。
「それで昼休みにこんなところへ呼び出して、どうしたんだよ?」
辺りを見渡すまでもなく、ひとけのない場所だった。
「えー、コホン。きみにだけには言っておくね。実は……私、地球の人間じゃないの」
「ふ~ん。そうなんだ」
「理解するのは難しいと思うけど、要するに私はきみたちの言葉でいう異星人、親しみやすい言葉でいうなら、宇宙人になるの」
「はいはい。それがどうした?」
「……驚かないの?」
「知ってたよッ!」
また昼休みの体育館裏、ふたりっきりで告白された。
黒井と最初に会った日が思い出される。
「いや、一応セールスマンのときのセリフもあるんだけど、聞く?」
どうせ踊乙音という名前からして『踊ルせぇるすまん』とか言うんだろう。四代目のタイトルまで知ってる、宇宙人の知識量が怖い。
「あ、こんなところにいた!」
声のした方に振り向くと、猪突猛進の勢いで星野がこちらまで走ってくるところだった。
「こんにちは、一后さん」しれっとした笑顔で挨拶する乙音。
「名字で呼ぶなッ!」乙音の前で立ち止まる星野。
「こんちは、星野」
「そうじゃないそうじゃない」星野の髪が激しく左右に揺れる。
「どうしたの?」笑顔で星野に問いかける乙音。わざとらしい。
「気づいてるんでしょ?」
「なんのこと?」
「……ほしいちごと呼んでよッ!」
「ほしいちご? なに、それ? 干したいちごのこと? それっておいしいの? どんな味なの? どんな色をしてるの? 形は? それってホントに食べられるの? ね、ね、どんな料理に使ったりするの?」
おい、そこらへんでもうやめてやれよ。
「乙音なんでしょ?」
「ひとちがいじゃないですか?」
いや、今朝そう自己紹介したじゃん。
「ううん、ひとちがいなんかじゃない。だって、あれから三年も経つのに全然変わってないんだから」
「どちらさまですか?」いっこうに笑みを絶やさず、問い返すことをやめようともしない乙音だった。
「……覚えてないの?」星野の顔が曇る。
ふたりの間に重い沈黙がよこたわる。
いい加減にしないと、星野の代わりにオレが怒るよ、なめくじ宇宙人。女だからと言って容赦しないからね。
抗議の声でもあげようとしたところ、沈黙を先に打ち破ったのは、乙音の方だった。
「あたしが知ってるほしいちごはそんなに大きくない。もっと小さくてかわいかったんだから」
乙音がそう言ういなや、星野が乙音の体に抱きついた。
「やっぱり、やっぱりそうだったんだ」星野の瞳からひとしずくの涙がこぼれ落ちる。
「ちょっ、ちょっと苦しいよ」
星野の手がゆるめられる。でも抱きつくのをやめようとはしなかった。
「あれから背が伸びて変わったけど、あたしなんだよ、ほしいちごなんだよ」
「どうやったら、そんなに背が伸びるのよッ! 昔は私がなでなでできるくらい小さかったのに」そう言って、乙音は星野の頭に手をかけようとする。
「おかえり、乙音」
「ただいま、ほしいちご」乙音の顔にやさしく笑みが広がる。
背伸びをした乙音におとなしく頭をなでられる星野だった。
「あ、やっと、ほしいちごと呼んでくれた」その顔に浮ぶ満面の笑みが涙にぬれて輝く。
それは、今まで見た中で一番美しい星野の顔だった。
本当によかったな、星野。
「でも、どうして?」涙をぬぐいながら星野は質問する。
「う~ん、それはまあ、いろいろあったのよ。とりあえず、となりにいる江久保のおかげにしといて」
おい、やっかいごとをこっちに押しつけるなッ!
「ん? そういえば、なんで縁がここにいるの?」
今頃気づいたかのように、星野はこちらを見る。
「あんたたちって、どんな関係なの?」星野がオレと乙音の両方の顔を見比べる。
すると、乙音の口から例のマシンガントークが飛び出した。
「どんな関係もなにも私たち今日初めて会ったばかりの無関係! だったはずなんだけど、さっき江久保を一目見た瞬間、まるで雷に打たれたようなショックを受けちゃったわけ!そりゃ、もう、驚いたわよ。いや、驚いたなんてもんじゃないわよッ!! それまで私の中で蓄えてきた知識や常識といった、その他もろもろの一切合切が音を立てて崩れてゆくのを肌で感じたの! それをきっかけに私の世界が一変しちゃって、目に映るすべてが新鮮な輝きに包まれるようになった。つまり、それほどまでに江久保の顔はブサイクだったわけッ!!! 私の世界の見え方を返させちゃうくらいにッ! もう、これほどまでの実験体じゃなくて、逸材はいないと、確信した私は、彼に近づいて友達という名のかりそめの関係を結ぶことにしたの。ま、いずれは彼を私の意の赴くままにあやつって、たっぷりとデータを取るつもり。だから、私から見た彼は、迷路の中のマウスやシャレ―の中のピロリ菌といった観察対象と変わらない……」
「ただの友達だよ」いつまで経っても、終わりそうになかったので、オレが代わりに答えた。
「ええぇぇ――――ッ!? 乙音、もっと友達は選んだ方がいいわよ」
「お前が言うかっ! 今オレと友達のお前がぁッ!!」
「あたしはあんたが頼むからしかたなく友達になってあげてるのっ!」
「よく言うぜ、オレが友達を解消しようとしたら、すごい目で睨んだくせに……って、おい、待てッ! 殴るなら怪力シートをつけないでくれッ!!」
星野の手から怪力シートが取り出される。
「殴らないわよ!」
「へっ?」
「はい、これ返すわ。もうあたしには必要ないから」
星野は怪力シートを乙音に差し出した。
「そうね。もうこれがなくても、ほしいちごはさびしくないもんね」
星野の手から受け取った怪力シートを乙音の手のひらがやさしく包みこむ。
「だって、私以外にもお友達ができたんだからね」
乙音がオレの方を振り向く。友達って、まさかオレのこと?
そうか。オレは星野の友達だったんだ。そのことをオレは今さらのように、実感した。
「そういえば、オレは乙音に言い忘れてたことがあったんだ」
「なになに? そういえば、私も江久保に言わなければいけないことがあったんだけど、江久保から先に言って」
「おかえり、なめくじ宇宙人」
乙音がオレを見てほほ笑んだ。女になっても、憎たらしい笑みは変わらない。
「ただいま、なめくじ男。ところで、また使ってもらいたい新商品があるんだけど。実はここに戻ってきたのも、そのためなの」
「ね~、ね~、なめくじナントカってなに? ふたりしてなに話してるの? あたしにもわかるように話しなさいよねッ!」
右から、乙音がぶきみな笑顔で近づく。
左から、星野が拳をつくりながら差し迫る。
それらをオレは、どちらにも受け流せない。
ああ、平和な日常がなつかしい。
ふたりにはさまれてうんざりしてると、とんとんとオレの左肩をたたく指があった。
「ねえ、縁。あんたが昔、好きだった人ってだれなのよ?」
オレが横に振り向いたせいで、星野の顔がぎょっとするくらいドアップになる。
視界の隅でオレを見る乙音の顔が不気味なほど、にやついている。
「なんだ、星野。まさか気になるのか?」
「そ、そんなんじゃないわよッ!!」なぜか頬を薄くピンク色に染めながら、強く否定する星野だった。
なにをそんなに恥ずかしがっているのだろう。
「悪いけど、今は言えないよ。でも、いつか星野に言える日が来ると思う」
四年間、ずっとこびりついていた心の古傷が癒えるには、まだ時間がかかりそうだ。
でも、すべてを話せる日が来るのも、そう遠くないと思えた。これも、だれかを好きになる気持ちを思い出させてくれた星野のおかげだ。
「……それっていつ?」星野がものわかりの悪い子供のような疑問を投げかけてくる。
「そうだな、たとえばオレがもう一度、だれかを好きになったときとか」 (了)
このラブコメの主人公の顔と心がすごいブサイク @hawkin
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