7 なめくじ男となめくじ女 その3

 勢いよく立ち上がると、今まで座っていたイスが倒れる音が背後から聞こえた。それは今まで背負っていた大きな荷物が転げ落ちる音に似ていた。

 よぉし、行くぞ。目指すはとなりの教室。熱川のいる場所へ。

 颯爽と足を踏み出した瞬間、それまでの勢いが急速にしぼみ、ちぢむ。

 今さら四年も前の告白をどうやって切り出せばいいんだ? 

 急に話し出したら、まるでオレが熱川に今でも未練があるみたいに見えるだろうが。その誤解だけはどうしても避けたい。

 どうするべきか逡巡していたところ、なんと熱川の方からこっちにやってきた。教室の入り口から熱川の姿が見える。

「いったいこのクラスになんの用なんだよ、熱川」声をかけると熱川がオレの近くまで来て、立ち止まる。

「江久保に訊きたいことがある。ホームルームまでまだ時間があるからいいでしょ、こっちに来て」

 まさかとは思ったが、オレに用があるみたいだった。教室の入り口に向かう熱川のうしろを追う。

「ちょっと待ってくれよ。ここでは話しにくい内容なのか?」

「ここにはシロくんがいるから」オレにだけに聞こえるように小さな声で答える。

 どうやら話の内容は間城に関することのようだった。

 廊下の奥を突き進み、たどりついたのは屋上につづく階段。

 屋上は立ち入り禁止にされてるから、そこにはだれもいなかった。屋上の扉に腰を預けたまま熱川が話し始める。オレにとんでもなく鋭い視線を放ちながら。

「江久保、シロくんになにしたの?」

「ど、どういうことかな? オレはな、なにも知らないけど」熱川の怒りの形相に怖じ気づいて、ろれつが思うようにまわらない。

「しらばっくれないでよ。この前までは二人とも仲良かったくせに、今日はシロくんと一言も口を聞いてないじゃない。それにシロくんがさっき江久保と会ったとき、あいさつをしなかったわよ。もしかして二人ともケンカでもしてるの?」

「ケンカじゃない、絶交だ」

 さっきは反射的に怖じ気づいてしまったが、別にかくす必要はないだろう。遅かれ早かれみんなには知られることにはなるのだ。なにしろ、同じ教室のとなりの席にいて、まったく話を交わさないのは、これまでの間城との仲において不自然だからな。

「絶交ねえ。ケンカとどうちがうのかしら。正直に言ってくれたお礼に、釈明の余地を与えといてあげる。なぜシロくんと絶交したの?」

「それは言えない。熱川には関係のないことだから」思い切って言ってやった。だれになんと言われようと、間城と仲直りするのはごめんだからな。

 大げさにため息をつく熱川。てっきり「私とシロくんに関係のないことなんてないッ!」と叫んで怒り出すかと思ったのに。

「どうせ原因は江久保なんでしょ。シロくんには江久保みたいな友達なんてふさわしくないから、これ以上、理由は訊かないであげる」

 それを聞いて拍子抜けしたとたん、胸ぐらつかまれ、信じられない力で手押しされた。もう少しで階段から、たたき落とされるところだった。

「そう言いたいところだけど、早くシロくんと仲直りしなさいよ。私はだれかとケンカして不機嫌になってるシロくんなんて見たくないの。シロくんにはもっと純粋でいてもらわないといけないのよ」胸ぐらを持ち上げられ首がきつく絞まる。邪悪にゆがんだ熱川の口元だけが、痛みに細めた目に映る。

「イヤだね。間城と仲良くなるくらいなら、お前に殴られた方がマシだ。そんなに純粋な間城がかわいいのかよ」さっきから震えっぱなしのオレの足を落ち着かせるために絞り出した、精一杯の虚勢だった。

「シロくんは純粋でないと、いけないのよ。なぜなら、シロくん自身がそう望んでるから」

 さらに高く胸ぐらを持ち上げられる。ますます呼吸が困難になる。

「まるで間城が純粋じゃないみたいな言い方だな。安心しろよ。オレと絶交したくらいで、あの間城が純粋でなくなるわけがない。だって間城は自分がかわいいと周りから思われてるなんて、本気で気づいてないんだから」

 最後に間城と交わした言葉を思い出す。あのときオレは「鏡をよく見ろよ。そんなにかわいいブサイクがどこにいる」と言った。それなのに間城は「ウソだぁ?」と問い返したんだ。

 世界中を探したって、こんな純粋なバカはどこにもいない。

「ブサイクは知らないわよね。どうしてシロくんが世界一かわいい自分を認めないのか」

 この場に似つかわしくない笑みが熱川の顔に浮かぶ。

「どういう意味だよ?」

 ふいに苦痛から解放された。オレの胸ぐらをつかんでいた手が熱川の腰に戻っていた。

「シロくんはね、自分をかわいいと認めることが怖いんだよ。それを認めると、顔しか取り柄のないバカってことを自分で認めることになるから」

 おい、どういうことだ? それじゃあ、まるで間城が自分のかわいさに気づいてるみたいじゃないか? それどころか、自分がバカだと言うことにも間城は気づいてることになる。

「シロくんは顔がかわいいから、みんなにやさしくしてもらってると思ってる。じゃなきゃ、自分みたいなバカなお人好し、今頃みんなにだまされていいように使われてるはずだって。そうならないのは自分がかわいいからだってね」

 知らなかった。間城がそんな風に自覚していたなんて。みんなが間城にやさしくする理由は、顔がかわいいからというのもある。けれど、間城の性格がけがれてないという理由もあったのに、それじゃあ、キレイなイメージが台無しじゃないか。

「シロくんは本当はかわいいと言われることがイヤなの。身長が低くて女の子みたいって言われてるみたいで。シロくんは江久保が思ってるような、純粋な性格じゃない。だから、周りからいい人だと思われてることもプレッシャーに感じてるのよ」

 間城に対するオレの見方を根本からくつがえすような話の内容だった。熱川に言われて初めて心当たりに気がつく。

 初めてオレが間城にさかさまホンを渡したときのことだ。「お前にだってみんなに知られたらまずいことのひとつやふたつ……ないか」とオレが言うと、間城は「あるよ」と答えた。

 みんなに知られたらまずいことというのは、自分の性格がみんなが思ってるよりも純粋じゃないということなのだろう。

 あのとき「てっきりみんなと同じようにいい人だと思われていると思ったのに、江久保はちがうんだね」とも間城は言った。

 間城は周りからいいイメージで見られてたことを知っていたんだ。でも、間城にとってそれは好ましくないことだった。

 もしかして、さかさまホンのせいで自分がブサイクだと簡単に思いこんだのも、間城が自分のルックスをコンプレックスに感じてたからなのだろうか。

 周りから、かわいいと思われることがイヤだったから、自分がブサイクだというウソを信じた方が心が楽だった。熱川の話が本当なら、すべてそうなる。

「でも、どうして熱川がそんなこと知ってるんだよ?」

「ふふっ、私のシロくんに対する愛を甘く見ないでよ。私はシロくんのことなら、なんでも知ってるんだから」

 恐るべき熱川のストーキング能力の成せる技だった。ぜったいこいつ、間城の日記とかこっそりと読んでるにちがいない。

 でも、間城とオレの間になにがあったのか知らないのだから、完璧とは言えないか。

「私はみんなの期待に応えようとがんばるシロくんが好きなの。シロくんが江久保と絶交してることはみんなのイメージダウンになるから、早く仲直りしなさい」

「どうやって調べたのかは知らないけど、お前、本当に間城のことが好きなんだな」

 熱川の要求をはぐらかすための話題転換のつもりだった。

「当たり前よ。江久保みたいに一度も人を好きになったことがない人にはわからないだろうけどね」

「オレにだって人を好きになったことくらいあるよ。オレが中一のとき、お前に告白したこと忘れたのか?」

 よし、いいぞ。なんとか昔の告白の話題にシフトすることができた。これで「ブサイクにだって恋愛する資格がある」と熱川に言うことができる。

「あら、めずらしい。いつもなら私に告白したことなんて、なにもなかったことのように振る舞うのに、いったいどういう風の吹き回し?」

 よし、言うんだ。ここで四年前に告白したときに言われた熱川の返事を否定するんだ。

「……ええと、その……なんだ……お前がオレとのコンビを解消したせいで『患者よりもブサイクな整形外科医』のコントをひとりでやる羽目になったんだぞッ!」

「はぁッ!? なに言ってるのよ? 私がブサイクじゃなくなったから、コントの設定に無理がでてくるからオレ一人でやるって、昔、言ったのはどこのだれよッ!!」

 ホントなに言ってるんだろう、オレは。こんなことが言いたいはずじゃなかったのに。

「とにかく、オレが言いたかったのは……ブサイクにだって恋愛する資格が……」

「ブサイクのはしかみたいな恋と私のシロくんへの愛を一緒にしないでよ。どうして私が江久保に告白されてあんなこと言ったのか、まだわかってないみたいね」

「どういう意味だよ?」

 あんな返事、ブサイクなオレに対する当てつけ以外のなんでもないだろうが。

「頭の鈍いブサイクに特別に教えてあげる。世の中には好かれてうれしい相手と、好かれると迷惑なだけのブサイクがいるの。そして江久保は後者。そんな簡単な事実も知らないの?」

 いつもそうだ。オレが告白した相手は全員、オレに好かれるのがイヤで泣き出した。熱川も泣きながら「ブサイクは恋愛する資格はない」と言い放ちやがった。

「そんなにオレに好かれるのがイヤなのかよ? ブサイクのどこが悪いんだよッ!?」

「顔がブサイクなだけならまだいいわよ。江久保は心も意地が悪くてみにくいブサイクなのだから」

「オレがお前になにしたって言うんだよッ!!?」

「忘れたなんて言わせないわよ。小学校のとき、同じクラスになってからの四年間、私は江久保にいじめられたんだから」

「いじめられたってなんのことだよ?」

「まだ気がついてないの? 小学生の頃、私の顔の悪口を何度もみんなの前で言ってたじゃない」

「悪口って、あれはただ、クラスのみんなを笑わせるために熱川のことをネタにしていじってただけで……」

「私がイヤがっていなかったと思ったの? 江久保に告白されたとき『ブサイクは恋愛する資格はない』と言ったのは、四年間ずっと笑い者にされた仕返しのためなのよッ!!」

 それじゃあ、オレが告白したときに流した涙は悲しみじゃなかったのか。四年間ずっとオレに笑い者にされた憎しみの涙だったのか。

 あのときの熱川が流した涙に、そんな意味があったなんて知らなかった。

 なんだったんだ。オレの四年間は。熱川の言っていた四年間とはまったく、ちがう。

 熱川と同類だと心の奥底では思い、同じコンプレックスを抱える仲間のような存在だと思っていた。四年間ずっと熱川の身近にいた。

 それなのに、熱川の気持ちにも気づかず好きだと言っていたオレの気持ちは、いったい、なんだったんだ?

「その顔は本当に気づいてなかったの? 勝手にいじめて勝手に好きになったくせに都合の悪いことには気づかないんだから、まったく最低ね」

 熱川の言うとおりだ。オレは身勝手にもほどがある。

 これじゃあ、フラれたのも自業自得じゃないか。

 オレは最低だ。

 だれかを好きになる資格なんてない。

「……じゃない」

 そのとき、ここにいないはずの人の声が聞こえた。たとえ、いたとしても、ぜったい口にしないような言葉。

 幻聴だ。自分に都合のいい妄想を働かせてるだけだ。こんな都合よくオレが落ちこんでるところに救世主が現れるはずがない。

 自分が苦しいときに、だれかが助けてくれるなんて、ファンタジーもいいところ。

 だって、自分が一番苦しいのは、だれも助けてくれない、ひとりのときだから。

 オレには星野のように、助けてくれる親友なんていない。

 人間は、いやオレはひとりだ。

「最低じゃないよ。縁はあたしに勇気をくれたんだから」

 今度は、はっきりと幻聴が聞こえた。いよいよ頭がおかしくなったらしい。オレの横で熱川と口論する星野の姿が見えるのだから。

 ああ、星野が熱川に激しく言い返されてる。「江久保がそんなことするはずがない」とか、「江久保はだれかのために、なにもしない」とか。

 まったくもって、その通りだ。熱川の言うように、オレは星野に対してなにもできなかった。

 これでオレの妄想も終わりか。

「うるさいッ! そんなの知るかッ!!」

 耳をつんざくような大声だった。幻聴でもなんでもない、星野のバカでかい声。今、現実に星野が存在して、熱川に向かって怒鳴っていた。

 どうしてここに星野がいるんだ?

「縁があたしにプライドを捨てる技を教えてくれたから、あたしは素直になれた。縁がどういう人かなんて関係ない。あのとき縁がそうしなかったら、あたしは自分に自信が持てないままだったんだから」

 目が覚めた。だれもオレを助けてくれる人なんていない、という妄想から。

 まったく、こんなところでなにやってるんだ、あいつは。

 当の本人をよそに星野は熱川と言い争っていた。その間に割りこみ、熱川に襲いかかろうとする星野を押しとどめる。

「もうやめてくれ、星野。全部、熱川の言うとおりなんだから」

 それを聞いて星野は、オレを殴った。思わず殴られた腹に両手を押さえつける。

「最低じゃない。……あんたはあたしの友達をなんだから」星野の瞳からにじみ出た涙が、しずくの形を作る。

「いいんだよ。お前がそう言ってくれるだけで」

 星野の両肩を押して熱川から離れさせようとする。オレを殴って少し気が晴れたのか、星野は抵抗らしい抵抗はしなかった。

 眉間にしわを寄せながら潤んだ瞳でオレを責め立ててくるだけ。

「ちょっと、そこのふたり、私を忘れないでよ」熱川のとげとげしい声が背後から聞こえてくる。いや、別に忘れてるつもりは全然なかったんだけれど、なにをかんちがいしてるんだ?

「言いたいことだけ言って逃げる気? 口なし女……そこまでしゃべったら、もう口なしじゃないかもしれないけど、名前なんて覚えてないからいいわ」

「あたしの名前は星野。名字はない。あたしだって、あんたの名前は知らない」オレの両手を振り払って、星野が熱川の前に飛び出た。

「私は熱川みこと。よろしくね、一后さん」

「わざわざ名字で呼ぶなッ!!」

 いくらキライだからと言って名字をなかったことにするのは、少し苦しいと思うぞ、星野。

「わかったわ、星野さん。どうしても江久保を最低じゃないと言い張るみたいだけど、これだけは言わせてもらうわよ。だれがなんと言っても、私にとって江久保は最低な人間。それはぜったいゆずらない」

「最低じゃない。あたしにとってはね!」

「いいわ。それは認めてあげる。私の気持ちは変わらないから」

 なんかよくわからないが、それでこの話は落ち着いたらしい。

「江久保にシロくんと仲直りしろ、とまだ言いたいところだけど、そこの星野さんに免じてゆるしてあげる」オレたちの前から立ち去ろうとして熱川は背を向けた。

「待てよ、熱川。オレはお前に謝らなければいけない」

「謝る必要なんてないわ。私だって江久保にひどいことしたんだから、それで帳消しよ」

「オレがいくら謝ってもお前の気持ちは変わらないか。でも、これだけは信じてくれ。四年前のオレの告白は本気だったんだ」

「そんなことわかってるわよ。じゃないと、私が仕返しした意味がないでしょ。ブサイクの本気の告白を踏みにじった時点で私の恨みは晴れたの。もう終わった話よ」

 そのまま一度もオレを振り向かず熱川は去っていく。

 熱川の姿が消えたとたん、今まで沈黙していた星野が口火を切った。

「告白がどうかとか言ってたけど、いったいどういうことなのよ?」

「ええと、星野はオレと熱川の話、どこまで聞いてたんだ?」

「みことが『江久保は最低ね』って言った部分しか覚えてないわ。その前にも、なにか言ってたみたいだけど、あたしにはよくわからなかったから」

 なんだ、ほとんど聞いてなかったのか。

「そんなことよりさ、星野はどうやってここまで来たんだ?」

「なによ、ごまかすつもり? 言いたくないなら、もう訊かないけど。あたしはもうすぐホームルームが始まるから、あんたを探しに来ただけ」

「星野がそんなことするなんて、めずらしいな」

「だって……縁があの女と一緒に出て行くのも見えたから……」

「へー、オレの身でも案じてくれたのか。熱川とは間城のことでちょっと話してただけだよ。なにせオレと間城は現在、絶縁希望中の絶交状態だから」

「なにが、絶賛発売中の絶好調なの?」

「いや、絶縁したいけど、同じクラスだから絶交に甘んじてるっていう意味なんだけど」

「わかりにくい言い方。……ねえ、縁がシロと絶交したのは、もしかして、あたしが原因だったりする?」

 神妙な態度を取る星野。ますますめずらしい。

「ちがうよ。この前、言っただろう。間城とは仲のよいフリをしてただけで、ホントは大キライだって。オレもお前を見習って、素直になっただけ」

「そう……。別にどうだっていいけど、訊いてみただけだからね!」急にいつもの態度に戻る星野。どうなってるんだ、今日の星野は?

「そうか。とにかく、ありがとな、星野」

「なによ、急に?」

「お前が代わりに言ってくれたんだ。『ブサイクにだって恋愛する資格があるんだ』ってな」

「あたしはそんな言葉、言ってない」

「言ってくれたも同然なんだよ。実はオレにも好き人がいたんだ」

「えっ、あんたでもだれかを好きになったことがあるの!?」星野はひどく驚いた顔をした。

「なんだよ、その反応は。オレにもだれかを好きになった経験があったから、星野の恋に協力したんだぞ」

「そうだったんだ。でも、あたしは別にシロのことが好きというわけじゃなく、ただ友達になりたかっただけなんだから」

「お前もオレも恋には素直じゃないよな。他は似てないけど、そういうところで空回りして失敗するのはよく似てる」

「なんだか全然うれしくない共通点ね」

「同感だ。互いに傷をなめ合うようなタイプでも、互いに支え合うような間柄でもないからな」

「……なんだか全然うれしくない共通点ね」

「ん? さっきと言ってることが同じだぞ」

「ちゃんと聞いてるわよ。言葉のニュアンスが少しちがうだけ」

 そうなのか、日本語って難しい。

「そうだな。星野みたいなヤツには支えてくれるような人が必要だよな」

「なに言ってるのよ!? あたしはただ、だれかに頼ることのできない自分の性格をわずらわしく思っただけで、特定のだれかに支えてほしいって思ったわけじゃないんだから」

 全力で否定する星野だった。心なしか頬がピンク色に染まってるように見えるのは、気のせいだろうか。

「そうなのか?」

「そうよ。あたしのことを支えてくれような人なんて身の回りにはいないんだから」

「そうか。まだ星野は知らないんだったな。安心しろよ。お前を支えてくれる人はもうすぐ現れるから」

「ど、どういう意味よぉ?」顔を真っ赤に染めながら、何度もオレの背中をこづく星野だった。そんなに強くたたかれると、痛いんだけど。

「オレも楽しみに待ってるからな。星野の親友がまた帰ってくるのを」

「ど、どういう意味よぉ?」

 またさっきと言ってることが同じだったな。でも、今度はちがいがわかたったぞ。

 さっきは楽しそうだったけど、今は期待がはずれて落ちこんだようなニュアンスだった。でも言葉のニュアンスがわかったところで、ますます星野の気持ちがわからない。

 踊乙音以外に星野を支えてくれる人なんていないはずなのに、いったいだれを期待してたんだ?

 そのときちょうど、朝のホームルーム開始の鐘が鳴り響いた。

「星野、お先に」オレがスタートダッシュを切ると、うしろから星野が追いかけてきた。そうやって星野と一緒に教室まで競争した。

 なんとか先生が教室に来るまでに自分の席に戻ることができた。オレを追い抜いた星野はすでに自分の席に座っている。全力疾走して、女に負けるとは思わなかった。

 教室の戸が開けられる音がする。呼吸を整えるひまもなく、担任教師が教室に入ってくる。そのうしろに見覚えのある女子生徒が歩いているのが見えた。

 長い黒髪。小さな口と鼻。大きな黒い瞳。そして、その上の縁なしメガネ。

 その姿が目に入った瞬間、男子トイレの個室で初めてなめくじ宇宙人にキスを迫られた記憶がよみがえる。今、教卓の横にいる女子生徒は、そのとき、キスを迫られたなめくじ宇宙人の姿によく似ていた。

 とっさに目を後方に移すと、驚きのあまり硬直した星野の顔が見えた。オレもまったく同じ顔をしていたと思う。

 担任教師が女生徒を転校生として紹介した。そして彼女はオレの方に視線を送る。

「転校生の踊乙音です。みなさんと同じどこにでもいる、ごくごく普通の地球人でーす♪」

「あ――――――――――――――――――――――――――――――――――!」

 奇声とともにイスが蹴り飛ばされる音が辺り一面に響いた。

「どうした、星野? 転校生と知り合いなのか?」

 いきなり立ち上がった星野に向かって、担任教師が尋ねる。

「あ、いや、その……」

 その質問に星野がしどろもどろになっていると、乙音が代わりに答えた。

「いえ、初対面です」

 ズコーッ。ヘコーッ。昭和のテレビアニメさながら派手にずっこける星野とオレだった。

 おい、ここまできて、それはないだろ、なめくじ宇宙人。

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