第27話:帰り道

「お前!こないだの事から何も学んでないのかよ!お前の口は水素より軽いって、良い加減気づけ!」

「だって!」

「だってじゃねーよ!皆いる前で何言うつもりだったんだ!ゲイばれしちゃまずいって、自分で言ったんだろうが!!」

「だってあいつ絶対先生のこと狙ってるよ!!昨日だって二人で何話してたんだよ!!」

「アホかぁ!!」


 大竹は頭がギリギリと痛むのを感じた。

 バカだバカだとは思っていたが、設楽がここまでバカだとは!


「あんなシスコンが俺のこと狙ってる訳ないだろ!俺男だぞ!」

「先生こそいい加減に自覚してよ!あんた男と付き合ってんだよ!?はっきり言って、あんたは女より男の方にもてるんだってば!女子からは嫌われてるかもしれないけど、男子の中には隠れたファンがいるの、知らないの!?」

「そんな変態はお前くらいだよ!」

 2人で顕現囂々けんげんごうごうやりあっていると、ミシッと表の廊下が音を立て、2人ははっとして口を噤んだ。


 外を窺うと、だがそこにいたのは遠山ではなくおばあちゃんだった。


「あー、ばあちゃん……」

「智一、そろそろ出ないと帰り遅くなるよ?」

「あ、うん。ごめん、すぐ行くから」

 慌てて荷物を掴み、2人は表に出た。


 設楽が車に荷物を詰め込んでいる間、大竹は素早く遠山と赤外線でメアドを交換しながら、「ごめんな」と今度はこちらが謝った。


「設楽、今ちょっとあんたのやることなすこと気に障るみたいで……。いつもはこんなんじゃねぇんだけどさ」

「いやぁ…、それは俺が悪いよ。気にしないでくれ」

 そう言いながらも、遠山の顔はまだ疑問符をちらつかせている。


「先生、もう行くよ?」

「おう。それじゃあ遠山、皆さんによろしく」

「あぁ。本当にごめんな」

 2人はおばあちゃんや家の人たちに挨拶をして、「来年もまた来て下さいね」とか「智一をどうかよろしくお願いします」とか「また泳ぎに連れてってね」とか言われながら、大量のお土産と共に車に乗り込んだ。


「おばあちゃん、伯父さん、本当、色々迷惑かけてごめんね!お世話になりました!」

「帰り道、疲れたらすぐ休んで下さいよ。智一も最後まで先生にご迷惑かけないようにね」

「うん、じゃあね!」

 大竹は車の中から「お世話になりました」と深々と頭を下げて、設楽は窓から身を乗り出して大きく手を振って、車はおばあちゃんの家を後にした。


 2人を乗せた車はカーブを切りながら、山道をひたすら走っていく。先日車を停めたポイントを通過する時には、2人とも何となくそわそわとした気持ちになった。


「先生、色々あったけど……大丈夫だった?疲れてない?」

「あぁ。多少疲れたけど、来て良かったよ」

「そう?先生がそう思うんなら良かった。俺としては、1回くらい先生とエッチなこと出来ないかなと思ってたんだけどさ。何にも出来なくて、残念」

「あんだけ散々しといてか」

「あれっぽっちで!?俺としてはせめてさぁ、せめて先生の扱かせてもらうくらいはさぁ」

「だから、それはない」

 大竹が喉の奥で笑うと、設楽もちょっとむくれてから、それから自分も一緒に笑った。


 暫くそのまま車は快調に走っていたが、設楽は窓を過ぎる景色を見ながら、ふと大竹を見た。

 目には、不安を湛えている。


「先生、本当に来て良かったって思ってる?俺……俺たくさん先生にもみんなにも迷惑かけたのに……」

「……そんな顔すんな。イヤ、確かに色々あったけどさ。でも俺は今回のことで、考えずにいたことをイヤって程考えることができて、良かったと思ってる」

「考えずにいたこと?」

 不思議そうに設楽が大竹を見つめた。相変わらず、大竹の表情は読みづらい。


「ああ……。あの子みたいにお前に思いを寄せてくる女ってのは、この先も出てくるよな、とか」

「俺、ゲイだけど?」

 間髪入れずに返されて、大竹は苦笑した。


「ああ、ゲイなのは分かってる。いや、女じゃなくてもさ。やっぱ俺、お前と一回りも年離れてるから、色々考えたよ」

「……そーゆー奴が出てきたら、どうするのさ」

 急に設楽の眉間に皺が寄る。不機嫌そうな設楽に、大竹は「どうしたモンかなぁ」と小さく呟いた。


 設楽の田舎にいる間中考えていたことではあるが、すぐに結論が出る物ではなかった。「どうすべきか」と「どうしたいか」は、相変わらず自分の中で反対のベクトルを示しているのだ。

「……お前が他に好きな奴ができたら、身を引くべきだろうとは思うよ。だってお前の気持ちはお前のモンだから、誰に義理立てする必要もないと思うんだ。でも、なんべん考えても、俺の方は諦め切れそうにねぇや。綺麗に身を引くことはできても、いつまでも鬱陶しくお前のこと好きでいるんだろうな……。まぁ、その位は勘弁してくれ」


 大竹が少し寂しそうにそう言うと、設楽が怒ったような顔で「それ、つまり逆の時もそうしろって事?」と睨みつけてきた。


「え?」


 逆の時?

 何を言われたのか分からなくて、大竹は前方から目を離して、設楽を見た。


「逆の時だよ。あんたに俺より好きな奴ができたら、俺にも綺麗に身を引けって言ってんの?」

「俺に?」

 俺に、設楽より好きな人が?

 大竹は、何か初めて聞く言葉を聞くような気持ちで設楽のきつい目を見つめ返した。


 昔から、恋愛に関しては人より疎かった。今まで付き合ってきた女は何人かいたが、どれも向こうから告白されて付き合い始め、真面目に誠実に付き合っているつもりなのにすぐに振られた。まぁ、この性格だから仕方がないと思うが、何度か同じパターンを繰り返していくうちに、もう人を好きになるのが面倒になってしまったのかもしれない。誰を見ても、自分の心は動かない。ずっとそう思ってきた。


 だが、設楽は違った。

 設楽だけが自分の心を揺すぶり、自分の気持ちを奮い立たせるのだ。


 例え設楽と別れたとしても、設楽を前にしたときのような気持ちが、他の人間を相手に起こるとは思えなかった。正解を知ってしまったのだから、もう偽物で満足ができるとは思えない。

 だから、設楽以外の人を好きになるなんて、大竹には考えられなかった。


 それなのに────。


 大竹の驚いたような顔に、設楽はイラっとして声を荒げた。


「何その顔。何であんた、自分ばっかり俺のこと好きとか思ってんの?何で俺が心変わりすること前提なの!?」

「だってお前……」


 まだこれからたくさんの出会いを繰り返す設楽に、年の合わない自分がいつまでも好いてもらえると思えるほど、自分は厚かましくはないつもりだ。まだ自分は何とか20代だが、設楽が卒業する頃には30になる。10年20年経った先のことを考えれば、男盛りの設楽と比べ、自分の衰えは隠しようもない。

 それを抜きにしたって、設楽はあんなにもてるし、実際良い男だ。周りの奴が設楽を放っておく訳がない。


 きっと、いつか設楽に似合いの奴が現れる。設楽の隣りに立っても遜色なく、年回りも丁度で、設楽に我慢させるばっかりじゃない、優しい相手が。


 大竹の途惑ったような、哀しそうな顔を見て、設楽は悔しそうに歯ぎしりをした。


「あのさぁ!もっと俺を信用しろよ!!あんたが思ってるより、俺はあんたが好きなんだよ!俺はあんたみたいにこうするべきだとか、ああするべきだとか綺麗事なんか言わないからな!絶対にあんたから離れないし、例えあんたに好きな奴ができたとしても、誰が別れてなんかやるもんか!つーかあんたが他の奴好きになるなんて許さないよ!?あんたが俺以外見ないように、死に物狂いでまとわりつくからな!忘れたの?俺、ストーカーなんだよ?」

 設楽のあまりの勢いに、思わず大竹は設楽を見つめ、山側に車をぶつけそうになり、慌ててハンドルを握り直した。


「はは…、そっか。ストーカーか……」

「そうだよ!俺はあんたを絶対に諦めないから、あんたも俺を諦めるなよ!!みっともなく足掻いてくれよ!簡単に身を引くとか言うなよ……っ!それって結局、俺のことなんかすぐ諦められちゃうってことじゃんかよ……っ!」

 ぎゅっとシャツの裾を握ってくる設楽の目に、涙が浮かんでいる。設楽の涙は、いつも大竹の心をグラグラに揺さぶるのだ。


 素直で幼い設楽の愛情が、嬉しくて切なかった。


 今までに、自分を好きだと言った女達は、みんなすぐに離れていった。気持ちは変わる物なのだ。

 だが、それを跳ね飛ばす設楽の勢いが、大竹には嬉しかった。


「そうだな。お前がストーカーだって忘れてた」

「そうでしょう?言っとくけど、俺相当しつこいよ?」

「あぁ、そうしてくれ」

 大竹が笑うと、設楽もやっと安心したように笑った。


 設楽は知らない。自分は臆病で、いつだって別れの予感に怯えている。 

 だから設楽の強い力で、自分の弱さを砕いて欲しい。

 その強さで、自分を繋ぎ止めて欲しい。

 あの緑の木々の中で、設楽は自分を道しるべだと言った。


 いいや、そうじゃない。


 設楽が。

 自分がグラグラと揺れ動いたとき、設楽という存在こそが、俺に道を示してくれるのだ。


「先生、大好きだよ」

「ごめん。俺情けないな」

「ううん。先生が俺のこと信じてないのはむかつくけど、でもそんなに俺のこと好きだって分かって、嬉しかった」

 設楽は照れくさそうに笑って、シフトチェンジのためにギアに置いた大竹の手に、自分の手を重ねた。


「先生はさ、もっと俺の前でそうやって、思ってることちゃんと言ってよ。いつも何にも言ってくれないから、まさかそんな事考えてるなんて思わなかった。愚痴とか弱音とかだって、言われたら嬉しいんだよ?俺さ、そういうの受け止められるくらいの男にちゃんとなるからさ」

「お前それ以上良い男になってどうするんだよ。これ以上もてるな」

「だから、先生以外の人にもててもしょうがないでしょ!特に女子とか!マジ勘弁だし!」

 美智のことを思い出したらしい。設楽はイヤそうに顔を顰めた。その顔を見て、大竹は思わず笑い声を上げた。


「うん。ごめんな、設楽」


 重ねた手が暖かい。

 その手の暖かさが、泣きたくなるほど幸せだと思った。

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