第26話:最後の朝
頭が痛い。体中がだるい。部屋中が熟柿臭く、汗にアルコールが滲んでいるようだった。
「……あー、くっそ、宿酔かぁ……」
燦々と窓から降り注ぐ日の光に眉を顰めると、大竹は体中の筋肉に叱咤激励をして、何とか体を起こそう……として、体の上に乗っているブツの存在に気がついた。もちろんそのブツは設楽だ。しかもあろう事かそのブツは、服のまま寝ていた大竹のシャツの中に手を突っ込み、胸に頬を押しつけて、足を足にからみつけて眠ってやがった。
「……眠ってる……んで、良いんだよな……?」
この状況で設楽の方が先に起きていたら、相当危機的な状況だということになる。
だが、設楽の口からは、酒臭い寝息がいびき混じりに聞こえてくるばかりで、大竹は小さく安堵の溜息をついた。
「あーくそ……。おい設楽、起きろ。重いって。どんな寝相だよ。しーだーらー、便所行きたいからどいてくれって。お~い」
何とか設楽をどかそうとして、それでも全く起きる気配が無くて、大竹は小さく溜息をつくと、設楽の頭に手をかけ、そのままその唇にキスをしようとして────
「おい」
あらぬ所から声を掛けられ、びくりと顔を向けると、顔を強張らせた遠山と目が合った。
「……遠山……?」
「……今大竹、智にキスしようとした?」
やばい!何でこいつここで寝てんの!?見られた!思いっきり見られた!!
頭の中が一瞬にしてパニックになりかけた。
だが、そこは長年取った杵柄。大竹は何事も顔に出すことがないという特技を持っているのだ。もちろんそういうありがたい特技は、ここでフル活用しなければならない。
「は?どこをどう取ったらそうなるんだ?おい、こいつのこと引っぺがしてーから手伝ってくれよ」
「つーか何で智はあんたに抱きついてんだよ」
「女の夢でも見てんだろ。マジ便所行きてーから、見てないで手伝ってくれって」
まだ疑わしい顔をしているものの、遠山も設楽の手足を解くのを手伝ってくれた。
「なぁ、何で昨日は智を酔い潰さないといけなかったんだ?」
「つーか話は後。飲み過ぎて膀胱がパンパンだ」
大竹は内心では慌てて、だが見た目はゆっくりとトイレに向かうと、中から鍵をかけて「やべー」と頭を抱え込んだ。
「何であいつ一緒の部屋で寝てんだよ。俺、なんか変な寝言とか言ってないだろうな……」
思い出そうとしても、いつ部屋に戻ってきたかも覚えていないのだ。
「うわー……。キスしなくて良かったー……」
ギリギリセーフ……で、済んだか?と朝の行動を思い返してみて冷や汗を拭う。頭の痛みが倍になった気がした。
何とか顔色を取り繕って部屋に戻ると、遠山が入れ替わりトイレに向かった。
設楽はまだ眠っている。
「設楽、起きろ」
「ん…先生……」
いつものように設楽がキスしようとしてくるのを、耳元に小さく「遠山がいる」と言って封じると、設楽はひどく不機嫌そうに体を起こした。
「もー……何でいるの……?最後のチャンスだったのに何も出来なかったぁ……」
「バカ、寝言は寝て言え。ほら、遠山に突っ込まれる前に飯喰いにいくぞ」
「何?突っ込まれる前にって、何かした?」
キョトンとした顔で訊いてくる設楽に、大竹は「あー…」と言いづらそうに言葉を詰まらせてから、「お前にキスしようとしたところ見られたんだよ」と小さく吐き出した。
「え!?マジで!?そういうこと、俺が起きてるときにやってよ!」
「起きてるときにやったら大変なことになるから寝てる間にするんだろ?」
「もー!!ひょっとして、恥ずかしいとか可愛いこと言うの!?それってツンデレって奴!?」
「違うって!何がツンデレだ!俺『ツン』だけで『デレ』ないだろ!も、良いから飯喰いに行こうぜ」
「いや意外と先生デレてるよ?何?デレてないつもりだった?」
「うるさい!」
2人が居間に行くと、すぐに遠山もトイレから戻ってきた。
その場にいたほぼ全員がひどい顔をしている。全員が皆後ろ暗い顔をして、なんとなく額に手を当てている。
「先生、強いですね……」
「いや、俺なんかより伯父さんでしょ……。昨日は久しぶりに飲まされました……」
「やぁ、普段はさすがにあんなに飲まないんだけど、先生も智一も強いから、負けじとついつい飲んじまいましたよ」
昨日、結局どれだけ飲んだのかはっきりしないのだが、おばあちゃんによると一升瓶が3本、大竹が持ってきたバーボンが2本、ビールは1ケースほど消費されたらしい。これが水なら絶対に飲めないというのに、これだけのアルコールが、一体体のどこに入ったというのだろうか。
「……先生、今日帰れます?もう1泊していきますか?」
「……いや、明後日から補習始まるんで、昼まで休ませてもらったら帰ります。何かすいません。最後の最後でとんだ醜態を……」
大竹が申し訳なさそうに笑うと、伯父さんは「いやぁ、また来年来て下さいよ、先生。また飲み比べしましょう」と笑った。
その後、帰る支度をしてから、大竹と設楽、それに遠山は、与えられた奥の部屋でダラダラと横になり、何とか宿酔を追い払おうと唸っていた。
その間、遠山が朝の事を蒸し返すこともなく、昨日のことや美智のことを、直接設楽に言うこともなかった。
お昼ご飯だとおばちゃんが呼びに来て、軽めに蕎麦をいただいてから、さぁ帰るかと腰を浮かしかけたとき、遠山は小さく「ごめんな」と設楽に謝った。
「せっかくの夏休みの思い出がさ、あんま良い物じゃなくなっちゃって、ごめんな」
「もう良いよ。ぶち切れたの俺だし、俺の態度も良くなかったんだよ。それに優兄には最後に世話になったしさ」
「そっか…ごめん」
遠山は泣きそうな顔で笑うと、「あ、そうだ」と、今度は大竹に顔を向けた。
「なぁ、メアド交換して良い?色々聞いてもらって助かったし、良かったらまた東京で飲みにでも行かないか?」
だがそれに返事を寄こしたのは、大竹ではなく設楽だった。
「は?何で優兄が先生と飲みに行くの?」
先程おおらかな態度で遠山の謝罪を受け入れた筈の設楽の顔が、今度は鬼の形相になっている。
「え?な…なんでって、せっかく友達になった訳だし、2人とも東京なんだから別に飲みに行くくらい……」
「何?優兄、先生のことねらっモガッ」
「大丈夫だ設楽!今更遠山も俺からお前の情報聞き出そうとはしないってさ!!」
大竹のでかい手が設楽の口元をガボっと塞ぎこみ、設楽の台詞を掻き消すように、でかい声を張り上げた。
「な!?遠山!?」
「え…?あ、うん……?」
モガモガと口がきけずにいる設楽を無視して、大竹は背中に嫌な汗をかきながら「メアドだな!携帯部屋に置いてきたから、ちょっと取ってくるわ。設楽、来い!」
「ちょ…待ってよ、先生……!!」
大竹が設楽の首根っこを引っ張るようにして奥に連れて行くのを、遠山はポカンとして見送った。
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