第24話:黒い川-1
その日の夕飯は予告通り、伯父さんの息子夫婦が帰ってきてから庭でバーベキューだった。おばあちゃんと伯父さん夫婦、息子さん夫婦とのその子供達、大竹と設楽というこじんまりとした、だが内輪だけの楽しい会となった。
設楽の従兄に当たる息子さんは明日から3日ほどお休みを取るので、今日は飲むぞと張り切っている。設楽の噂を色々聞いているだろうに、何も言わずに買ってきた肉を旨い旨いと食べている従兄に、設楽はありがたくて切なくなった。
「おい、魚も今朝釣りたてだ。旨いから食べてくれ」
伯父さんが山女魚や岩魚、鮎を串焼きにして渡してくれると、大竹はそれを設楽に手渡しながら「ほら、お前肉は脂身しか喰えないんだから、魚喰っとけ」とニヤニヤ笑う。
「も~!良いよ~だ!俺川魚好きだから!先生は逆に肉だけ喰ってろよ!」
「イヤ、俺2位だから肉も魚もいただくよ?」
「何だよそれ!調子良いなぁ!」
2人がいつもの調子でやっていると、息子夫婦がゲラゲラ笑った。
「あははは、先生と智一って、なんか漫才コンビみたいだなぁ!」
「先生がボケで、俺がツッコミでしょ?」
「何で俺がボケなんだよ。お前がボケろ。俺がハリセンでド突いてやるから」
「ほらほら、お口がお留守になってるよ。智一も先生もちゃんと食べなさい」
「は~い」
食事も中盤まで進み、そろそろ肉よりも酒がメインになってきた頃、大竹はふと視線を感じて庭の外に目を向けた。昼間は明るく拓けている辺りだが、夜はうっそうと暗くて、遠近感もよく分からない。
「先生、どうしたの?」
「いや……ちょっと出てくるわ」
「え?どこ行くの?一緒に行こうか?」
「イヤ、お前は最後の接待しててくれ」
「え?ちょっと待ってよ!」
引き留める設楽を残して、大竹は庭と道の境目にある生け垣を抜けて外に出た。
暗い茂みの辺りに、人影がある。大竹はその人影に近づくと、「よう」と声を掛けた。
「そんなとこいると蚊に喰われるぞ。バーベキュー喰ってけよ」
「……よくあそこから俺がいるって分かったな」
「何となく?」
大竹が素っ気なく言うと、遠山は小さく「どんな眼力よ?」と笑った。
「あんたが火消しに回ってくれたって?礼を言いたかったんだ」
「……それは、俺達が悪かったんだから。美智があんな風に追いつめなければ、智は言いたくないことを言わずに済んだのに。あんな事、わざわざ言う必要はなかったんだ。ごめんな。俺、今日は謝りたくて来たんだ」
「だったら中入ってくりゃ良いじゃねぇか」
「イヤ、やっぱちょっと入りづらくて……」
「子供か」
ばっさりと切り捨てると、遠山は情けない顔をした。
「設楽がこっち気にしてるから、ちょっと移動しようぜ」
「あぁ…」
2人は携帯の灯りをライト代わりにして、家のそばを流れる川の岸に降りていった。
川の音が、低く腹に響く。昼間はあれほどのどかな姿をしている川が、夜は真っ黒いうねりになって、迫ってくるようだった。
「……情けないって思うだろ?いい年した大人が、ジョシコーコーセーの妹相手に言いなりになっててさ」
「まぁ、年の離れた兄貴ってそういうもんじゃねぇの?」
「何?大竹にも妹とかいるの?」
「逆だ。うちは兄貴に育てられたクチだから」
「あぁ…。何か、意外」
「そうか?」
遠山は川岸に腰を下ろすと、目の前の黒い川の流れを見つめた。月が暗い。こんな夜は、自分の過去に向き合うには丁度良いのかもしれない。
「……あのさ、美智、こないだ淵に行ったとき、ずっとパーカー着てて脱がなかっただろ?」
「そうだったか?」
いきなりの台詞に、大竹はその時を振り返ってみた。たった5日前のことだが、美智をあまり見ないようにしていたせいか、着ている物などろくに覚えいていない。
「美智の背中の下の方……腰の辺りにさ、子供の掌くらいの傷跡があるんだよ」
言われてみると、確か美智はセパレートの水着の上にパーカーを羽織っていた様な気がする。大竹は彼女の傍には近寄らなかったので、遠目からではそんな傷があったようには全く見えなかったが。
「……うちの両親はさ、女の子がずっと欲しかったんだよ。俺が高校ん時に念願の女の子がやっと生まれて、2人はすごい喜んで……。とにかく可愛がってさ。俺にしてみたら、あんな多感な時期に親が子供作るなんて、なんか生々しい気がしちゃってさ。周りの友達もお前の親いまだにえっちしてんのかよとかからかってくるし。そのくせ何かにつけ俺があいつの面倒みなきゃいけなくて。何でもかんでも美智中心に回ってく家の中が厭になってさ」
「あぁ…」
大竹は、兄のことを思い出した。
喫茶店を営んでいた両親に替わって、自分と姉の面倒を見てくれていたのは、同じビルに住んでいる国籍の違う大人達と、8つ年の離れた兄だった。兄は部活にも入らずに、いつでも自分達の世話を焼いてくれた。東京でも有数の繁華街に近い国道沿いで育ったせいか、兄はいつでも自分達の心配ばかりしていて、特に門限と、誰とどこにいるのかの確認には余念がなかった。
親より口やかましい兄のことを、うるさく思っていた時期もあった。
自分にハッカのキャンディーばかりを寄こしてきた兄にも、遠山の様な気持ちがあったのだろうか。
「うちもさ、昔は家族で山登りとかしたんだよ。あん時も夏休みだった。まだヨチヨチ歩きだった美智がすぐ疲れて泣き出して、お前は若くて体力あるんだから負ぶってけって言われてさ。俺は受験生なのに、なんで妹負ぶって山なんか登らないといけないんだって腹立って」
「……なかなか豪快な親だな」
「そ。俺の事情より、美智が大事なんだよ。だって、いくらピクニック程度の軽い山って言ったって、赤ん坊に毛が生えた程度のガキが登れるわけ無いじゃん。そんなに山登りたいなら2人で行けば良いんだよ。俺の受験より、美智が大事かよって俺苛々してさ」
「そりゃそうなるだろ」
受験生にとって夏休みは特別だ。
特別に大切で、特別に辛い。
天下分け目の関ヶ原。どれだけ勉強しても何かが足りない気がして、気持ちばかりが焦る。
他の奴はもっとやってるのではないか。俺の勉強方法は間違っていないのか。
1日に勉強できる時間は限られていて、睡眠時間を削れば逆に効率が下がる。たまに会った友達は、「全く何にもしてないよ、俺」と、嘘だか本当だか分からない事ばかり言い、苛々と不安ばかりが募る。
上手に気分転換できる奴は良い。だが、たった1年の────数年になる奴もいるが────受験シーズンが永遠に続くような錯覚に陥り、息苦しさに叫び出したくなる奴もいるのだ。
毎年この時期に体調を崩す生徒が何人か出てくる。自分を袋小路に追い込んで、身動きが取れなくなるのだろう。そんな時に気持ちをほぐしてくれる人間が周りにいてくれれば良いのだが、良かれと思ってやることが、裏目に出る親の何と多いことか。
「親御さんからしてみりゃお前に息抜きさせてやろうとしたんだろうけど、かなりピントがずれてるな。自分達にとっての息抜きが本人にとっても息抜きになるとは限らないってのに。まぁ、受験生特有の精神状態が全く分かってなかったんだろうな」
大竹が冷静に分析すると、遠山が「さすが受験のプロ」と笑った。
「うん。まぁ、その受験生特有の精神状態?べつに受験ノイローゼって訳じゃ無かったと思うんだけどさ……」
こんな山になど登ってる間に、家で勉強をしていれば何問の問題を解けただろうか。他の奴らは俺が妹を負ぶってちんたら歩いている間に、過去問をやっているに違いない。
何で俺ばかりが。
そんなに美智が大切か。
もう厭だ。
誰か助けて……!!
やっと昼飯の時間になって、背中から妹という名の重荷を下ろす。両親はシートを広げて昼飯の準備をしていた。自分は草の上に寝ころんで、大きく伸びをして目を閉じる。風が気持ち良い。
視界の端に、妹が歩いているのが見える。
お前だって俺の背中にくくりつけられて、厭だったんだろう?やっと自由になれたんだ。どこにでも行けば良い。
そうだ。
こいつさえいなければ────。
その時、ザザザッと何かが滑り落ちていく音がして、一瞬遅れて甲高い泣き声が聞こえた。
その場の空気が凍り付く。
両親の、信じられない物を見るような目が自分を捉える。
それから、母親の引きつったような悲鳴が。
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