第16話:サテライト-2

「それでサテライト講座ってどう?」


 東栄ゼミナールは超が付くほど有名な大手予備校だ。日本全国に校舎を構えているが、もちろん時勢に乗って、衛星放送を使った講義も取り入れている。東栄ゼミのサテライト講座は、サテライト用の講義を別撮りするのではなく、本校の講義を直接生放送で全国のサテライト校に流し、その1部はネットでも配信されている。


「はい、その場で一緒に授業を受けてるような臨場感があって良いです。ただ……」

「ただ?」

 本校の講義をそのまま流しているので、問題を解く時間も同じように与えられてとてもやりがいがあるし、受講生がその場で挙げる質問や、講師の補足も同じように聞くことが出来るので助かる。だが。


「こっちからは、直接講師の先生には質問できないじゃないですか。チューターの先生に質問しても、結局放送が終わってから質問しなきゃいけないから、なんかイマイチピントがずれている事もあって、それがどうしても……」

 俊彦は困ったように眉を顰めた。


「でもサテライト生は質問をファックスやメールで直接本校に送れただろう?そういう質問は俺も一緒に目を通すぜ?おかげさんで次のテキスト作成に役立たせて貰ってる」

 大竹がそう言うと、俊彦は何故かぱぁっと顔を輝かせた。


「はいっ!ありがとうございます!あー、俺いつもサテライトだから、何か緊張する……!」

 俊彦の妙にキラキラした目が、大竹には痛い。ただの下働きの自分に対して、何故そんな目をするのか。これが大手予備校のネームバリューという物か。恐ろしい……。


「……いや、講師は宮嶋で、すごいのも偉いのも宮嶋だから。俺はテキストを手伝ってるだけだって……」

「え?何?大竹先生って、そんな有名な先生なの?」

 急に目の色を変えて美智が大竹を見た。「有名」というのは美智にとっては偉大なキーワードらしい。


「そんな訳ないだろ。有名なのは宮嶋で、あいつは色々と忙しいから、俺はテキスト作成をちょっと手伝ってるだけだっつーの」

「でも宮嶋先生のテキストや模擬問題は本番の入試問題とそっくりだって有名です!そのテキストを作ってるのは大竹先生だって、宮嶋先生もいつも言ってますよ!?」

「だからそれはあいつの講義用ネタトークだろ!自分を落として受講生に親近感を抱かせる、ありきたりなネタトークだ!テキストに関しては宮嶋の分析がすごいだけで、俺は言われた通り文章に起こしてるだけなんだって」


 妙にキラキラした目で見られると本当に困る。これはアレだ。たまたま仲良くもないクラスメイトが卒業後にアイドルになったら、それだけで自分まですごいすごいとファンに囲まれるような気まずさだ。あぁ!設楽が微妙な顔でこっち見てる!もうなんだこの居たたまれなさは!!


「で、本題は?俺をヨイショするために来た訳じゃないんだろ?」

「あ、そうでした!!」

 慌てて俊彦はテキストを広げた。


「質問はメールでやりとりできるんですが、回答をいただけるのが宮嶋先生本人ではないことも多いし、やっぱりなかなかこっちの分からないツボが伝わっていないときがあって、せっかく先生がこちらにいらっしゃってるなら、夏休み中の所申し訳ないんですが、直接教えていただきたい点が何点かありまして……」

「宮嶋ほど巧く解説できねーぞ?」

 俺ただのテキスト担だから、と大竹が言うと、これには設楽がムキになって言い返した。

「何言ってんの!?先生の授業はメチャクチャ分かりやすいよ!!」

「あーくそ、良いな智一藤光生で!!」

 何が良いのか、すっかり2人で盛り上がってしまっている。これではもう今日の予定は決まってしまったようなものだ。


 まぁ、確かに大竹自身も進学校と名高い藤光の教師ではある。それに自身の作ったテキストで充分な理解が得られなかったと言われれば、とことんつきあってやる義務もある。仕事上の相方である宮嶋の受講生なら自分の生徒も同然だし、第一、勉強したいとやってくる奴には、例えそれが自分の生徒でなくても面倒を見てやりたいと思うのは、教師の性のようなものだ。


「分かった。受験生の頼みは断れねぇ。その質問点はまとめてあるのか?」

「ありがとうございます!あ、それで先生、実は家に、ネット配信の授業を落とした奴があるんです」

「ん?このテキストの奴か?あれ、ネット配信してたっけ?」

「いえ、それは去年の奴なんですけど、一応そっちも取ってるんです。良かったら、一緒に放送を見ながら教えてもらえたらと思って」

「え、マジ?」

 今度、目を輝かせたのは大竹の方だった。


「俺配信授業見たことねぇんだよ。良いのか?」

「はい!ぜひお願いします!」

「ちょっと待ってよ!先生行くの!?」

 すっかりその気になっている大竹を、設楽が慌てて呼び止めた。

 前々から思っていたが、仕事バカにも程がある!彼氏である俺をほっぽり出して、こんなとこでまで仕事優先ですか!?

 設楽は今までアホ扱いしていた「私と仕事、どっちが大事!?」と詰め寄るバカ女の気持ちが、初めて分かったような気がした。


 だが、振り返った大竹は、「おう!お前も来るだろ?」と、さも当然と言った顔をしている。


「え!?良いの!?」

 自分も一緒にと言われれば話は別だ。

 こんな所まできて勉強するというのもナンだが、大竹と別行動するのもいやだし、有名予備校のトップ講師の講義をただで聴けるというのも何かすごくお得な気がするし、何より大竹が俊彦と2人きりになるなんて、そんなの見過ごせるはずがない。あんなキラキラした目で大竹を見ている俊彦と大竹が2人きりだなんて……!!!


「あぁ。あいつの授業、俺なんかよりよっぽど分かりやすいから、お前の勉強にもなるぜ?なぁ、俊彦くん、構わないか?」

「本当は受講生以外に見せちゃいけないんだけど、智一はテキストの内容ももう知ってるみたいだし、大竹先生が良いなら良いんじゃないですか?」

 俊彦が笑顔で頷くと、設楽は小さくガッツポーズをした。

「やった!そう来なくっちゃ!じゃあ筆記用具持ってくるから待ってて!」

 設楽が笑顔で部屋に戻りかけたとき、いきなり「おい」と呼び止められた。


 遠山だ。


 今の今まで遠山達が来ていることも忘れていた。これから出かけようというのに、何だというのだ。


「智、大竹は仕事だろ?仕事に付いてったらまずいんじゃないの?なぁ、智は俺らが預かるからさ、大竹は気兼ねなく仕事して来いよ」

 いかにも大竹を気遣うような台詞を吐きながら、遠山が何を狙っているのかは明白だ。何なんだ、この男は。どれだけ迷惑だと言ったら理解するのか。


「いえ、優さん。智一も受験生だし、一緒でも全然問題ないですよ。な、智一。配信授業受けてみたいだろ?」

 俊彦がさりげなく助け船を出してくれると、設楽は当然その船に乗った。

「うん。配信授業って興味ある。ちょっと行ってくるね」

 それに大竹の友達だという講師のことも気になる。毎週毎週火曜日に一緒に仕事をしているというその講師がどんな奴なのか、前から気になっていたのだ。こんなチャンスは滅多にない。


「待って!それなら私も行く!」

「はぁ!?」

 無理矢理ついて来ようとする美智に目が点になる。何だこいつ!一体何様なんだ!!


「何、美智?化学の授業に興味でもあるの?理数系?」

「まさか!でもすごく有名な先生なんでしょ?それなら私も見てみたいし」

「受講生じゃないのにそれはまずいよ!」

 俊彦がまっとうな返しをしたが、「それなら智くんだって受講生じゃないでしょ!」と美智も引かない。ここでケンカが始まってしまうと受験生の貴重な時間を無駄にさせることになるし、こないだのことがあるから、美智を振り切って行くのはばあちゃんの手前がある。設楽はギリギリしながら美智をギロリと睨みつけた。


「分かったよ!お前がダメなら俺もダメだって理屈は間違ってない。先生、俺は気にしないで俊くんち行ってきて」

「え?でも……」

 そのあまりの設楽の剣幕に、俊彦がオロオロして大竹と設楽、それから美智を見比べた。


「いや、設楽、それなら」

「良いから!受験生なんだからこんなとこで無駄話してたら時間が勿体ないでしょ!その代わり、授業終わったら続きの質問はこっちに戻ってきてからにして!」


 自分のために「なら行かない」と今にも言い出しそうな大竹に、その台詞を言わせないようにする。今ここで大竹が俊彦の頼みを無碍にするのは、学校での大竹を見ていればあり得ない行為だ。そのあり得ない行為を自分のために取らせる訳にはいかない。


「設楽…」

「良いから。先生が受験生放っておけないのは知ってるから、行ってきて」

 何かを堪えているように足下を睨みつけている設楽の頭に、大竹はぽんと手を置いた。


「分かった。終わったらすぐ戻ってくる」

「うん、行ってらっしゃい」


 大竹が素早く靴を履き、まだオロオロしている俊彦を連れて足早に出かけていくと、設楽はムカムカした気持ちを抱えたまま、全く空気を読むつもりのない遠山と美智を睨みつけた。

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