第15話:サテライト-1

 唇に、何かが触れた。それは柔らかくて暖かく、心地良い物だった。その何かは暫く唇の上を彷徨っていたが、そのうち首筋を辿って、耳の付け根に移動した。

「ん……」

 くすぐったいような、焦れったいような感触に、大竹は小さく声を漏らした。その感触が段々強くなり、じれったさはもっと強い感覚に―――ぶっちゃけて言えば下腹を疼かせるような直接的な感覚になり、大竹はやっと意識を覚醒させた。


「ちょ、設楽!何してる!!」

 そこには案の定大竹の体をまさぐる設楽がいる。

「いや、このまま先生の扱いて勃たせて俺ん中に挿れちゃおうかと……」

「ば……っ!!」

 大竹は小さく叫ぶと足の裏を設楽の顔面にめり込ませた。

「本人の同意のない性行為をレイプって言うって知ってるか!?」

「だって先生が俺の布団で一緒に寝てるなんて、これは犯っちゃっても良いってことじゃないの!?高校生の性欲ナメんのも大概にしろよ!?」

 体を起こすと、確かに隣の布団は使った形跡が見えない。


 え?じゃあ俺、昨日あれからこいつの隣で寝ちゃったのか?

 それだけで俺こいつに犯られそうになってるって事!?


「と……思ったんだけど、さすがに先生に断らずに勝手に挿れちゃったら絶交されそうな気がしたから、必死に我慢してたの。褒めてよ」

「お……おう、よく我慢したな……って、それもどうよ、設楽……。何これ。何のコントなんだこれは……」

 撫でろと催促する設楽の頭を何となく撫でながら、大竹はちょっとゲンナリと起きあがった。


「先生、ちなみに、勝手に先生のを俺に挿れちゃうのと、勝手に俺のを先生に挿れちゃうんだったら、どっちが良い?」

 真面目な顔で二択を迫る設楽の頭に、今度は拳骨をめり込ませる。

「ってー!体罰禁止でしょ!?」

「うるせぇ!不純同性交友も禁止だ!」

 さっさと甚平を脱いで着替え始めた大竹に、設楽は盛大な溜息を吐きかけた。


「あーあ。喉から手が出るくらい大好きな先生と同じ部屋で寝起きして、お預け喰らっても我慢する、この俺の海より深い愛を、先生ちゃんと理解してくれてんの?」

 軽い口調の割にどこか切羽詰まった色を滲ませたその台詞に、大竹は赤くなった顔を歪めて、小さく口の中で「それはこっちの台詞だ!」と吐き捨てた。


「え!?今先生なんて言った!?」

「何も言ってない!」

「言った!いっそもうお互い我慢するの止めちゃおうとかいう選択肢は!?」

「だから、俺は何も言ってない!」

 後ろから覆い被さるように抱きついてくる設楽を振り払って、大竹は立ち上がった。


「飯!もう朝食の時間だろう!?」

「うわっ、先生!顔真っ赤!!」

「うるせぇ!」

「もー!素直になれよー!!」

「うるせぇっつってんだろ!!」


 設楽を何とか振り切って居間に行くと、朝食を並べているおばあちゃんから声を掛けられた。


「おはようございます、先生。あのね、今朝方一本松の所の俊彦くんから先生にお電話があって、今日お時間いただけませんかって」

「……は?」


 一本松の所の俊彦くん……?


 当然だが、大竹はその名前に全く覚えがない。慌てて追いかけてきた設楽に「一本松の所の俊彦くんって知ってるか?」と話を振ってみると、設楽も不思議そうに暫く考えていたが、そのうち思い出したように「あぁ!」と頷いた。


「俺より1個上の俊くんだよね?あれ?うちと親戚だったっけ?」

「あぁ、この村に住んでりゃ大抵どこかで親戚だけどね。ほら、智一は子供の頃年が近いからよく遊んでもらったでしょ?」

「うん、思い出した。それで俊くんが先生に何の用?」

 当然だが、設楽にも全く思い当たる節が無く、それはおばあちゃんも同様のようだった。


「9時頃ここに来るから、それまで出かけないでくれって話だったよ。さ、それまでにご飯済ませちゃおうね」

「はい」

 何となく落ち着かない思いで食事とった。取り敢えずその俊彦くんの話を聞かないことには、どこかへ出かけることも出来ない。


「先生、今日は何するつもりでしたか」

 気を遣ったのだろう、伯父さんが味噌汁を啜りながら尋ねてきた。

「午前中は町まで行って、バーベキューの準備をしようって言ってたんです」

「バーベキュー?」

 なぜバーベキューなのか、不思議そうに伯父さんが聞き返してきた。


「はい。皆帰ってきたら、夜バーベキューしませんか?」

「俺、こないだバーベキューやって、すごい楽しかったんだよ。伯父さんも一緒にやろうよ」

 設楽の楽しそうな顔を見て、伯父さんはやっと合点がいったように笑った。高校生の旺盛な食欲なら、田舎作りの食事よりも、やはり肉をがっつり食べたいのだろう。伯父はそう納得したようだ。


「そうか。じゃあ誰かに肉でも買いに行かせるよ」

 伯父さんが頷くと、設楽が慌てて首を振った。

「そうじゃなくて!お世話になってるお礼に、大竹先生がご馳走してくれるって!俺も父さんから予算出してもらってるんだよ!」


 東京に帰る前に1度バーベキューをしようというのは、東京にいる時から決めていたことだ。大竹が全部持つと言ったが、さすがにそれは設楽の父親が首を縦に振らず、予算を半分持たせてくれてる。おばあちゃんと伯父さん達家族と自分達で、こぢんまりと楽しもうという計画だが、誰かに買いに行かせて、などとなると、またご馳走されてしまうし、初日のように話が大きくなってしまうかもしれない。


「まぁ先生、遠いところから智一を連れてきて下さっただけでもありがたいのに」

 おばあちゃんが恐縮するが、2人は頑として譲らなかった。

 

 そんな押し問答をしていると、珍しく玄関の呼び鈴が鳴った。時計はは9時丁度を指している。

「あ、俊彦くん、いらっしゃい。ちょっと待っててね。大竹先生~」

 おばあちゃんに呼ばれて玄関先に行くと、そこにいたのはやっぱり知らない子だった。初日の歓迎会にも参加していなかった俊彦は、初対面の大竹を前にして、緊張した顔でこちらを見上げている。


「初めまして。荒井俊彦と言います。藤光学園の大竹慎也先生ですか?」

「ああ」

 大竹が頷くと、俊彦は「良かった」と小さく笑った。


 ひょろりと背が高く、少し神経質そうな銀縁の眼鏡をかけているが、笑うとなかなかの好青年だ。


「あの、僕東栄ゼミナールのサテライト生で、宮嶋先生の夏期特別集中講座を受講しているんです」

「あ、そうかなるほど……」

 そう言われて、やっと大竹は納得したような顔をした。

「先生?」

 分からないのは設楽の方で、それが大竹と何の関係があるのかと、2人の顔を代わる代わる見つめている。


「へぇ、俺サテライトやってる奴初めてだ。どう?どんな感じ?」

「あ、講義はすごく面白いです。でも」

「ちょ!ちょっと待って!」

 そのまま2人だけで話が進んでいきそうになったところを、設楽が強引に割って入る。自分の知らない話を目の前で楽しそうにされるなんて、そんなの我慢できるか!


「何?俊くん、先生と知り合いなの?」

「あ、ごめん」

 俊彦は慌てたように鞄から1冊のテキストを取り出した。


「夏休み中なのにごめんな、智一。俺、このゼミを受講していて」

 取り出したのは予備校のテキストで、奥付を開くと小さく「テキスト作成―宮嶋啓介・大竹慎也(学校法人藤光学園高等部)」とクレジットされている。


「あ!先生が毎週手伝ってるって言ってた、予備校のテキストってこれ?」

「ああ」

 やっと設楽にも納得がいったようだ。パラパラと中を見せて貰うと、確かに大竹の部屋で目にしたことがあるような気がする。


「すげぇ!俊くん、俺、これ紙綴じたり資料の数字読み上げたりするの手伝わされたんだよ!」

「マジか!超すげぇ!」

「あ~、そういう企業秘密は内緒にしてくれ……」


 3人して玄関先で盛り上がっていると、その盛り上がりをぶち壊す声が聞こえた。


「あれー?そんなとこで何してんの?」


 この脳天気な声が誰の声なのかなど、振り返らなくても分かる。遠山と美智がまた性懲りもなく来たのだ。だが今日は俊彦がいるからと二人には軽く挨拶だけして、後はこれ幸いと、いっそ清々しいまでにガン無視だ。

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