第14話:山登り-2
「え~?でもそれじゃ、頂上見れないじゃん!俺頂上からの眺めが見たいのに~!」
設楽がもう一押しする。
「いやでも今日は女子もいるからさぁ!」
遠山も引かない。例え今の状態では一緒に登っているとは言えないとしても、美智と智一を一緒に歩かせてやりたいのだろう。だが遠山にしても美智にしても、この状況が余計に設楽の印象を悪くしているとは何故考えないのか、不思議すぎて逆に不気味だ。
しかし可哀想なのは間に挟まれた浩司だ。先程から設楽と遠山、双方からプレッシャーを掛けられ、オロオロしている。
浩司は、設楽の父親から2人の登山ガイドを頼まれた時、「東京で色々あったから、智一を先生と2人で気兼ねなく好きなようにさせてやって欲しい」と頼まれていた。そして今日設楽を山に連れて行くと言った時、遠山からは美智への援護射撃も頼まれたのだ。
最初は別に美智への援護射撃ぐらいなんて事ないだろうと思っていた。美智は身贔屓を抜きにしても可愛い子だ。あんな可愛い子に言い寄られて、いやな気持ちがする男子がいるだろうか。
だが、今朝からのやりとりを見ていると、智一の態度がとにかく美智によそよそしい。道々に聞いた話では、どうやら智一には東京に好きな女の子がいるらしいのだ。
「でも、まだ彼女っていう訳じゃないんだって。だから、頑張ろうと思って」
美智はそう言うが、正直、惚れた女が地元にいて、帰省先の親戚の女の子に言い寄られて、鬱陶しいと思う智一の気持ちも分かるのだ。いや、自分が美智みたいな可愛い子に言い寄られたら、正直彼女がいたって悪い気はしないだろうし、片思いくらいならさっさと乗り換えてしまうかもしれない。でもそれを鬱陶しいと思うのだから、智一は東京の彼女が本気で好きなのだろう。まだ一方通行だからこそ、他の女に目がいかないのかもしれないし。
智一の父親が言っていた、「東京で色々」というのも気になる。わざわざ教師と一緒に帰省させるほどの「色々」が何だったのかによっては、美智の存在を苦痛に感じることもあるだろう。
登山のルートの話の筈なのに、浩司はとんでもない難問を突きつけられたように、うーんと唸った。
その時。
「でも設楽、確かにもう今からじゃ頂上は無理だろ」
まるで浩司に助け船を出すように、大竹が地図を見ながらルートを指さす。
「そうですよね、先生!!」
美智が嬉しそうに大竹を見る。逆に浩司はどこか腑に落ちない顔をした。
あれ?この先生、美智の味方なのか?
だが大竹は地図を丹念に指で辿りながら、「あ」と、ある一点を指さした。
「設楽、お前、頂上じゃなきゃダメか?」
「え?」
大竹が指さしたポイントは、視界の開けた見晴台だった。
浩司が示した引き返しポイントと頂上の中程にあり、そこからの迂回ルートも確保できる。
「ああ、そこは景色良いよ。高度は低くなるけど、ちゃんとこの辺の山が見渡せるし、今日なら富士山も綺麗に見えると思うよ?」
浩司は頷いて、今度は遠山を見た。
「俺、今日は智一に登山をさせて欲しいって
「でも美智は!?」
なおも食い下がる遠山に、さすがに浩司は溜息をついた。
「美智はまたいつでも来れるだろ?」
「ちょ……待ってくれよ、浩おじさん!」
「
珍しい浩司の大声に、遠山と美智がびくりと肩を震わせた。
「お前達は山になんて興味ないんだろ?智一は山に登りたくてここに来たんだぞ?こんな事は言いたくないが、美智が足引っ張って智一に迷惑かけてるって、いい加減気付けよ!」
そのきつい一言に、即座に美智が目に涙を溜める。
「言い過ぎだ、浩おじさん!」
遠山の台詞に、美智は大袈裟に顔を手で覆ってみせた。
「ひどい、浩おじさん!私、頑張って歩いてるもん!智くんと一緒に歩きたいだけなのに、何でそんなひどい事言うの!?」
「何でも泣けば良いんだから、女は簡単で良いよな」
ぼそっと呟いた設楽の声は小さく、さすがに大竹にしか聞こえなかったようだが、そう思ったのは設楽だけではなかったようだ。
「美智…、お前さぁ、そう言う態度が智一にウザがられてるって分かんないわけ?」
「ひ…、ひどい、浩おじさん!」
「あぁもう、ケンカはやめ!!」
大竹が大きく手を打つと、美智と浩司はまるで急にそこに大竹が現れたかのように、不思議そうな顔で大竹を見た。
「それじゃあ昼の休憩までは設楽もペースを落として周りに合わせること!せっかくの山なんだから、君も泣かないこと!浩司さん、俺が最後尾を歩きます。設楽は彼女と仲直りしてこい」
「えー!?」
今度は速攻で設楽が厭そうな顔をしたが、大竹が睨むと渋々設楽は美智に「ごめん」と謝った。
「ううん、私こそごめんなさい」
美智もすぐ機嫌を直して2人で先頭を歩き始める。
後列に回った大人3人は、自然と太い溜息をついた。
「しかし智一は、本当に大竹先生の言うことなら聞くんだなぁ」
遠山が少し嫌味っぽく言うが、大竹は気づかないふりをした。
「生徒が教師の言うことを聞くのは、条件反射みたいなもんさ」
それには「ふぅん」と曖昧に答え、遠山はチラリと大竹の顔色を窺った。
「なぁ、東京で智一、何があった訳?」
「守秘義務がありますので、黙秘します」
何度話を振られても、大竹の返事は変わらない。
実際、生徒が何か問題を起こしたからといって、夏休みの外出に教師が同行することなどある訳がない。そんなこと、それこそ生徒の人権問題に繋がる。何故設楽の父親がここの連中にそんな言い方をしたのか分からないが、それでも皆がそう思っているのならそう思わせておけば良い。
大竹は先を歩く2人の姿を見つめていた。あんなやりとりがあった後だというのに、もう嬉しそうに頬を染めている美智が不思議だった。女は強いというか何というか……。うちの学園にもいるな、あぁいう異様に恋愛体質な女子。恋に貪欲で、自分の欲望に忠実だ。羨ましいとは思わないが、少しは見習わねば……とは思う。ハンターのように獲りに行くのは自分の性格上無理なのだが、もう少し自分の欲望に正直になった方が良いのか……。
いや、ダメだ。今正直になったら、設楽が爆発する……。
少々悶々としながら歩いていると、いきなり当の設楽が振り返った。
「先生!あそこ!鳥の巣がある!」
「どこだ?」
近くの木を指さして、設楽が嬉しそうに笑う。大竹もつられて設楽の隣まで行くと、設楽の指の先を目で追った。
「こんな高いとこにも鳥って巣を作るんだね」
「ゴジュウカラですか?」
大竹が浩司を振り返ると、浩司は双眼鏡を取り出して確認した。
「ああ、そうですね。智一、よく見つけたな」
「へへ!先生、俺すごい!?」
「ああすごいすごい」
大竹がなおざりにポンポンと頭を叩くと、智一は即座に頬をぷーっと膨らませた。
「え?智くん、どこ?」
美智が訊いてくると、智一は一応1本の木の上を指さした。
「あの辺の木の洞から顔出してるよ」
「え?どこ?どこ、智くん?」
わざとらしく顔を寄せてくる美智をスルーして、智一はさっさと先を歩き始めた。
「あ、待ってよ智くん!」
美智が可愛らしく設楽に駆け寄ってシャツの裾を握っても、設楽は振り返りもしなかった。
結局、設楽は美智と一緒に並んで歩いても、最後までそんな調子だった。美智の隣を歩いている筈なのに、何かにつけ「先生」「先生」と大竹を呼びつけ、昼食を食べる時など、「すげー良い景色!」と叫ぶなり、大竹の隣りに立って自撮りで景色を入れたツーショット写真を撮って、皆を呆れさせた。
当然のように美智が「私も一緒に写真を撮りたい!」と言ったら、「じゃあ皆も入って入って」と集合写真を撮って美智をむくれさせたりもした。
「2人で写真くらい良いじゃない!」
「だから!俺、東京の彼女に操立ててるんだよ」
「写真くらい良いでしょ!?」
「何かの時に目に入って、勘違いされたら困るから」
2人が言い争いを始めると、大竹が大きく溜息をついた。
「おい、設楽」
大竹の厳しい目つきに気づくと、設楽は下唇を突きだして、「はぁい」と返事をした。
その様子はいかにも学校の生徒が教師にいたずらを見つかったときのようで、今更ながら大竹は設楽に付き添っている教師なのだという印象を皆に与えた。
「じゃあ俺達ここで下山するけど、2人で大丈夫だな?」
昼食が終わって分かれ道まで来たとき、浩が最後に確認してきた。
「そんなに難しい山でもないから、先生なら大丈夫そうだけど」
もう1度大竹と地図の確認をしてから、浩司はまだ不服そうな遠山と美智を連れて、山を降りていった。
「あー、やっといなくなったー!!」
2人の姿が見えなくなるなり、設楽が即座に伸びをして叫んだ。それからはっとして大竹の顔色を伺ったが、大竹も設楽を嗜めるどころか肩をコキコキと鳴らし、「あー、ゆっくり歩くと疲れるわ……」とぼそっと漏らした。
「何だ、先生も疲れた?」
「そりゃ疲れんだろ。気だって遣うし」
その仏頂面が嬉しくて、設楽は満面の笑みを浮かべた。
「じゃ、先生。今度こそ登山を楽しみますか!」
「おう」
2人は互いに笑い合うと、見晴台を目指して歩き出した。
◇◇◇ ◇◇◇
その日の夜はとても良い気分だった。夕飯を食べながら設楽は二人で登った山の話を延々し続け、その様子に苦笑しながら大竹はおじさんや息子夫婦と酒を飲んでいた。
設楽の楽しそうな様子におばあちゃんもニコニコと笑い、子供達も「今度は一緒に連れてって」と設楽にねだったりした。
食事の後は、先に設楽を風呂に入らせ、大竹は部屋で少しだけ仕事の電話をした。予備校に勤めている仕事の相方から「ふふ、お前のそんな声、久しぶりに聞くな」とからかわれるほど、大竹の声は満ち足りていた。
設楽が風呂から上がってきて、風呂上がりのほかほかした設楽と軽くキスをしてから大竹は風呂場に向かった。
逆の立場になって初めて、風呂上がりの自分に設楽がいたずらをしようとする気持ちが分かった。成る程、これはちょっといたずらをしたくなるような色っぽさだ。
濡れた髪。上気した頬。汗ばんだ首筋……。
キスをねだって目を瞑る設楽の腰に軽く手を回しながら、そのまま押し倒してしまいたい衝動に駆られて、大竹は逃げるように風呂場に向かった。。
久しぶりの山登りでほどよく疲れた体を風呂の中で伸ばし、大竹は少しだけニマニマと頬を緩めた。
「うー、やべぇ。俺、大分酒回ってんのかも……」
風呂を上がって部屋に戻ると、疲れたのか設楽はもう眠っていた。いつも大竹が眠っている、左側の布団の上に寝そべって、気持ち良さそうな寝息を立てている。
「罪のない顔しやがって……」
大竹は設楽の隣りに横になると、その頬をちょっとつついてみた。
何だかひどく気持ち良かった。
大竹は眠る設楽にちょっかいを出しながら、暫くそうして寝顔を見つめていた。
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