第13話:山登り-1

 朝4時に目覚ましが鳴り、眠い目と重たい下腹を宥めながら山登りの支度をして朝ご飯を済ませると、浩司おじさんは5時きっかりに縁側から顔を出した。

「よく眠れたか?」

「うん!」

「今日はよろしくお願いします」

 設楽と大竹が揃って挨拶すると、「おはよう!」と浩司の後ろから声が聞こえた。


 ────え?────


 浩司の後ろには、案の定というか何というか、遠山と美智が山装備をして立っていた。


「……優兄も行くの?」

「おう。暇なんだって言ったじゃん。美智のことはもう良いよ。悪かったな。でもほら、せっかく従兄弟同士揃ったんだしさ、一緒に山登るくらい良いじゃん?」

 昨日あんな別れ方をしたのに全く悪びれていない遠山の顔が、設楽の気持ちにザリザリと爪を立てた。


 そんな設楽を目の端に捉えながら、大竹は表情を変えずに昨日貰っておいた登山地図を取り出した。

「浩司さん、もう一度ルートの確認良いですか?」

 浩司はすぐに頷くと、2人は地図をつきあわせ始めた。


「一応ルートは昨日言ったとおりだけど、休憩ポイントはこことこの辺を考えてるんだ。まぁ、それは実際登ってみたペース次第だけど」

「危険箇所は?」

「穏やかなルートだから普通に登ってれば大丈夫。ただ、この辺は落石があるかもしれないな。先生は大分登り馴れてそうだけど、足速い方?」

「いや、合わせます」


 遠山も一応一緒に地図を覗き込んでいるがその手に地図はなかった。浩司の話にも生返事を返している。

「あれ?優兄、地図は?」

「見てもどうせ分かんないし、浩おじさんいるならついてきゃ良いんだろ?」

「うわ…、地図くらい持ちなよ。はぐれたらどうする気?あ、それとも、登り馴れてるルート?」

 嫌味ではなく本気で心配している設楽に向かって、遠山は憮然とした顔で反論した。


「まさか。こんな田舎で育って、何でわざわざ山なんかに登りたいと思うんだよ。どうせ皆で登るんだろ?遅れないから大丈夫だよ」

 これには設楽もイラっとしたが、浩司もさすがに苦笑いした。


「まぁ、山育ちだからついて来られない筈はないだろうけど、もしアレなら智一達は先登っちゃって良いからね。こいつらの面倒は俺が見るから」

 浩司が設楽の頭をポンポンと叩くと、遠山は憤慨して2人に詰め寄った。


「何だよ!皆で登るんだろ!?山育ち舐めんなよ!」

「ハイハイ、遅れんなよ」


 何となくそれをきっかけに、5人は登山口に向かって歩き出した。


 今日もまた美智は設楽に張り付いている。大竹はできるだけ美智を意識から追い出すように、山の稜線に目をやった。


 設楽は眉間に皺を寄せながら、作り笑いを浮かべるものの、それでも美智から視線を外している。自分に彼女がいると思ったときには近寄らずにいたくせに、それが彼女ではないと分かった途端にすり寄ってくる美智を、設楽が心底軽蔑しているのがその目から見て取れた。


 設楽は女にもてる。

 女にもてるし、実際彼女もいたのにゲイになったのは、生まれつきの嗜好のような物もあるのかもしれないが、こうした女の媚びへつらいに嫌気がさしているからなのかもしれない。こういう女の態度を「可愛らしい」と思えない時点で、やはり設楽はゲイになる要素があったんだろうな、と思いながら、それなら全く同じ理由で、やはり自分もこうなるべくしてなったのだと思う。まだ設楽には自分はノンケだノンケだと言われるが、大竹もああいった女に擦り寄られても、それを嬉しいとは思えないのだから。


 登山口に着いた時には、自然と先頭を設楽と大竹が、その後ろを遠山と美智が並んで、最後を浩司が歩くことになっていた。美智は智一と歩きたがったようだが、設楽は笑顔は見せるものの、ことごとく彼女を無視した。


 背の高さに合わせてコンパスの長い大竹は、いつものように、歩調を少し緩めて設楽に合わせて歩く。山育ちの遠山と美智も難なくついてくるが、それでも先頭の2人の歩調は、少しだけ後ろの2人よりも速かった。

「待ってよ智く~ん!」

 美智が声を掛けても、設楽は歩調を緩めることはしないで、敢えて距離を取ってから、止まって2人を待っていた。

「やっと追いついた~」

 美智が笑顔で追いつくと、休憩タイム終了とばかりにまた先程の歩調でさっさと歩き出す。休みなく歩かなければならない美智の息は、勾配が急になってきた辺りから乱れ始めた。


「……設楽、さすがに意地が悪いぞ」

「美智が泣き言言ったら、あいつ置いて2人で登ろう」

「おい」

 大竹が呆れた顔をしても、設楽は素知らぬ顔をしていた。ストレスが溜まっているのは分かるが、その態度はいかがなものか。

 どう言い聞かせたものか。だが、設楽の気持ちは分からないではない。大竹だって、美智は正直うざいのだ。


 勾配が急だろうと、でかい岩が道をふさいでいようと、設楽の足は緩まない。むしろこの時ばかりは美智に邪魔されないのだからと、嬉しそうにひょこひょこ歩いている。

 設楽と山を登る時、大竹はいつもヤギの子供に懐かれたような、微笑ましい気持ちになる。時々大きな岩場に来ると、大竹は後ろに向かって「落石注意してくれ」と声を掛け、大きな岩を乗り越える時は設楽の腕を引っ張ってやる。大竹のでかい掌で設楽の腕を掴むと、設楽は少しだけ照れくさそうな顔をして笑った。

 もうその頃には後続の姿はかなり後ろにあったから、さすがに大竹は「少し待とう」と設楽を止めた。


「もう少し眺めの良いところまで先に行こうよ」

「おい。いくら何でも、グループ登山なんだから団体行動だ」

「だってあいつらが勝手に……!」

 駄々をこねようとする設楽に、大竹は「設楽」と少しきつめの声を出した。その声に、設楽の顔はすぐにシュンとする。なんて可愛い顔をするんだ。設楽の膨れ面が愛しくて、大竹は思わず笑った。


「俺も気持ちは一緒だ。もう少ししたら浩司さんに声かけて、別行動にさせてもらうか」

 途端に設楽の顔が、花が咲いたような笑顔に変わる。

 結局自分は設楽に甘いと、大竹はその顔を見て小さく苦笑した。


 2人で後続を待ちながら、辺りの景色を見回した。爽やかな風が心地良い。

「すげー良い風だね」

「あぁ」 

 大竹が水を取り出して口を湿らせると、設楽もそれに倣ってザックから水を出した。


「あ、先生、この黄色い花、何?」

「ニッコウキスゲだろ。よく見る花だろうが」

「うん。よく見るけど、でも俺、あんまり花の名前とか今まで興味なかったから」

「まぁ、名前は知らなくても、綺麗なものは綺麗だよな」

「うん」

 暫くそうして2人でいると、ようやく遠山達の姿が見えた。


「もー智くん、速いよ~!少しはこっちに合わせてよね~!」

 美智が拗ねた声を出すと、浩司が「ゆっくり歩くのって疲れるもんなんだよ。智一足長いから、速く歩きたいんだろ?」とフォローした。

「だって、せっかく一緒に登ってるのに……」

「だったら、別行動にする?」

 設楽がさらっと言うと、美智は慌てたように「しないもん!」と叫んだ。

 その台詞に設楽は舌打ちしたくなったが、何とかそれを表に出さずに大竹の脇をつつく。大竹も小さく頷くと、地図を広げて浩司に見せた。


「今のペースだと、このルートは無理じゃありませんか?」

 最初に示されたルートは、浩司と大竹、設楽の3人で登ることを前提にしたルートだ。美智のペースに合わせていては、確実に登り切ることは出来ない。

「うーん、そうなんだよね。このペースだと、ここのポイントからこっちの迂回ルートで帰るようかな」


 大竹が黙って口を曲げた。大竹は、自分が顰めつらして無言になることが、相手にプレッシャーを与えることを重々承知しているのだ。案の定浩司が地図と大竹を見比べ始めた。浩司の顔が、あからさまに焦っている。

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