第4話:2日目
翌朝目が醒めると、おばあちゃんの長男夫婦がちょうど畑から帰ってきたところだった。
「あぁ先生、よく眠れましたか?」
「おはようございます。すいません、なんのお手伝いもしないで」
「いやぁ、お客さんはゆっくりしてて下さい。ああ、だったら孫達の事をお願いしても良いですか?うちの倅共はもう町の方に仕事に出かけたんで、日中少し遊んでやってくれるとありがたいです」
昨日居間にいた子供達は長男夫婦の孫で、息子さんはここから車で40分の所にある町の農協で、その奥さんは同じ町の郵便局で働いているのだそうだ。4世代でこの家に暮らし、畑の面倒は長男夫婦が、家事はおばあちゃんが引き受けている。
長女は近所に嫁いで、この村で暮らしている。その子供が
と、こういう情報は昨夜の宴会で何回も何回も親戚のおじさん達から教えて貰った。だからきっと大竹の個人情報も、今日の昼には村中に伝わっているのだろう。
大竹が起きてきたのに気づいたおばあちゃんが朝ご飯だと声を掛けてきて、長男である伯父さん夫婦と、子供達と一緒に食卓を囲んだ。
「あれ?智一は?」
「あ、まだ寝てるみたいです。起こしてきましょうか」
「ああ、寝かせてとけ寝かせとけ。子供は眠たいもんだ」
もう朝の8時だというのに、大竹の頭はまだすっきりしていなかった。昨日の夜、なかなか寝付けなかったせいだろう。
昨日の夜は、まんじりともしなかった。
お互いキスだけで体が昴まってしまい、大竹は逃げるようにトイレに向かった。その後縁側でうずくまりながらうとうとしていると、いきなり肩を揺さぶられて起こされた。
「あ…設楽……?」
「夏って言ってもこの辺は明け方冷えるから、部屋戻って。おじさんが達が起きてきたとき、こんなとこで寝てたら何事かと思われるよ?」
「……すまん、俺寝てたか……?」
のっそりと起きあがると、設楽は複雑そうな顔で大竹を見下ろしていた。
「……もう何もしないよ。大丈夫だから……」
「いや……そういうつもりじゃなくて……。ちょっと落ち着こうと思っただけだったんだ……」
「うん。分かってる」
大竹を軽く抱きしめて頬に唇を寄せると、設楽は「俺もトイレ」とそそくさと体を離した。
「先生の甚平、すっげぇ目の毒。超ムラムラする」
「う……うるせぇな。夏はいつもこれだよ」
「あー、早く卒業してぇ。そしたら甚平姿の先生、毎日おいしくいただくよ?」
「なんで俺がいただかれるんだよ。良いからさっさとトイレでも何でも行ってこい」
その後、設楽はなかなかトイレから帰ってこなかった。部屋に戻った大竹は、それでも設楽が戻ってくるまでは起きているつもりだったが、いつの間にか眠っていたらしい。
気がつくと、朝の7時半だった。そんなに酒を飲んだわけでも、体力を使ったわけでもないのにこんな時間まで目が醒めないのは、大竹には珍しかった。いつもは6時には自然と目が醒めるのだが、さすがに今日は目が開かなかったらしい。
隣でコアラのように布団に絡みついて眠る設楽に頬を緩めると、大竹は朝の生理現象が変な具合に進展する前に、急いで服を着替えて布団を畳んだ。
「ん…、先生……」
設楽の可愛らしい寝言に、大竹はそっと辺りを見回して、設楽が起きてしまわないか目の前で2、3回手を振ってから、それからそっと設楽の唇にキスをした。
……ということがあって。それで今、6人で食卓を囲んでいるという訳だが。
「先生、今日はどうします?」
伯父さんが苦笑しながら訊いてくる。
そうだ。昨日の宴会も大変だったのだ。
設楽の父から案内を頼まれたという浩司おじさんが山に行こうと言い、遠山が淵に泳ぎに行こうと言い、設楽は明日くらいはゆっくりその辺を散歩するから構うなと言い、そのうち酒の入った3人は(ちゃっかり設楽も飲んでいたらしい)、段々エキサイトして、終いには大ゲンカになったのだ。
何故楽しい遊びの計画でそんなことになるのか、大竹からしたら訳が分からない。5日も時間があるのだから、山にも登って淵でも泳いで散歩もすれば良いではないか。
そう言った大竹の意見はあっさり無視された。「ここで引き下がっちゃ男の沽券に関わる」と、訳の分からないことを言い出し、誰も引こうとしないのだ。この酔っ払い共め!
「取り敢えず設楽がまだ寝てるから、山は無理でしょうね。あいつも疲れてるみたいだし、今日はゆっくりさせて────」
「おはよーございまーす!!」
大竹の台詞が終わらないうちに、縁側から遠山兄妹が現れた。後ろには小学生らしい子供が3人と、中学生とおぼしき子供が4人程立っている。
「おう、
遠山兄妹と子供達は、皆口々に伯父さんやおばあちゃん達と挨拶を交わした後、大竹を気にするようにチラチラと視線を送ってきた。大竹も一応、誰に言うともなく「おはようございます」と口に出してから、山菜のたっぷり入った味噌汁をずずっと啜った。
「ねぇ、智くんは?」
「あぁ、まだ寝てますよ」
大竹がぼそっと応えると、美智は露骨にがっかりした顔をした。分かりやすい子だ。それとも、隠す気がないのか。
「ったく、智は~!夏休みだからって、だらしなさ過ぎだっつうの!」
遠山はぽいぽいと靴を脱ぎ捨てて、縁側から家の中に入ってきて、大竹の隣りにどっかりと座り込んだ。美智と子供達はまだ縁側の辺りでこちらを覗き込んでいる。
「あの子達は皆従兄弟ですか?」
「いや、半分従兄弟で、半分は近所のガキ。今日淵に行くって言ったらこうなった。それと、タメ口って言っただろ」
どうやらこの男は、こちらの都合はお構いなしらしい。まともに取り合うのもバカバカしい気がして、大竹は最後の米粒を綺麗に掻き集めながら素っ気なく敬語で返した。
「設楽まだ寝てますから、今から起こして飯喰わせても、出かけるのは遅くなりますよ?子供達待ってるんでしょう?」
「だからぁ、待ってるから大丈夫だって。ばーちゃん、あいつらに麦茶かなんか出してやってよ」
子供達は麦茶を貰うと、全員縁側に座り込んだ。美智はまだ部屋の入り口の辺りに座って、もじもじと所在無さげにしている。時々チラチラと奥を気にしているのは、早く設楽に会いたいからだろうか。
「俺、智起こしてこようか」
妹の様子に気づいた遠山が腰を上げるより早く、大竹が立ち上がった。
「いや、俺が行ってきます。ご馳走様でした」
食器を台所に運んでからそのまま奥の部屋に行くと、設楽はまだよく眠っていた。時計はもうじき9時を指す。よく眠っていられるものだ。
「おい、設楽」
設楽の脇に膝をついて肩を揺すると、設楽はゆっくりと目を開き、大竹の姿をそこに認めてゆっくりと笑った。
「ふふ、先生だ」
「おう、早く起きろ。台所が片付かなくて、おばあさんが困るぞ」
「うん」
そのまま設楽の腕が大竹の首に廻り、ゆっくりと自分に引き寄せる。
「おはよう、先生」
「ああ」
そのまま唇が重なると思ったその時、ギシギシと廊下の軋む音がした。
どちらからともなく2人は溜息をついて、体を離した。それと同時に襖がカラリと開いて、案の定遠山が顔を出す。
「遅いぞ、智!目が溶けてバターになるぜ?」
「もー、今日は疲れてるからゆっくりするって言ったじゃん!!」
「そんなこと言ってると、何も出来ないまま東京に帰る羽目になるぞ!ほら、起きた起きた!布団は俺達が畳んどいてやるから、さっさと朝飯食って来いよ!」
遠山に追い立てられるように、設楽は1人で居間に向かった。後ろ姿がどうにも納得できないと怒っている。
後には、遠山と大竹が二人で残された。
設楽と妹を少しでも長く2人でいさせてやりたい兄心なのだろうか。遠山はうまくいったとばかりにニッカリと笑って、今迄設楽が眠っていた布団の上に横になった。
「大竹くんは、よく眠れた?」
「ええ、まぁ」
素っ気ない返事に苦笑しながら、遠山がいたずらっぽく目を光らせた。
「ね、皆気にしてるんだけどさ。聞いて良い?」
「何です?」
遠山は寝そべりながら、大竹を見上げた。思ったよりも真面目な顔をしている。
「何で大竹くんは、智と一緒にここに来たの?教師が一生徒と二人きりでって少しおかしいよね?」
「……」
大竹は何と言った物か、少しだけ考えた。
教師と生徒ではあるが自分たちは友人で、いつも2人で出歩いているから、その延長線ででここに来た、と?
だが、それは普通に考えればありえないことだ。
公立校ならば、教師と生徒が個人的に連絡を取り合うことは、教師の信用を失墜させたとして処罰対象になる。私立校では教師の子供が同じ学校の生徒になるような例もあるから、厳密にそこを問われることはないが、それでも個人的なつきあいは決して良しとはされていないのだ。
大竹がすぐに返事をしないことをどう取ったのか、遠山は起きあがって少し真剣な顔をした。
「ひょっとして、あいつ学校で何か問題でもあるの?」
普通に考えればそうなる。実際、自分達の始まりも、学校内での個人的な問題から、大竹がシェルター代わりになったことが発端なのだから、あながち間違ってはいない。設楽の両親が自分に設楽を任せるのも、同じように考えてのことだ。
そう思わせておくのが一番良い。
……自分達の関係は、やはり人に言って理解されるものではないのだから。
「まぁ、細かいことは守秘義務があるんで」
「そっか~。そうだよな、そうじゃなきゃこんなとこ、お目付役付けられて来たりしないよな」
────お目付役を付けられて────
何となく、その言葉にズキリと胸が痛んだ。
「なぁ、何があったの?イジメかなんか?それとも不登校?」
「だから守秘義務って言葉の意味、知ってます?」
じっと自分を見つめてくる遠山に、大竹は肩を竦めて見せた。
「ちぇ~、特命先生かぁ~」
諦めたように遠山は再び布団にごろりと転がった。大竹は小さく溜息をつくと、「まぁ、親戚の方々が心配するほどの事じゃないんで、そう伝えてください」といかにも教師っぽい顔で付け足した。
「何?じゃあ今の状況は、事後処理的な?心のアフターケアとかいう奴?」
「まぁ、そんなところで」
「ふーん。じゃ、何で大竹センセーが?」
遠山は好奇心なのか使命感からなのか、やたらとこの件を突っ込んできた。だが、少々後ろ暗い大竹は、少しだけ喉の奥に何かが張り付いているような気持ちになって、それでもできるだけ不自然にならないように気をつけて言葉を選んだ。
「まぁ、俺が発見して、シェルターになった関係で」
「あぁ」
それで懐いちゃった訳かと、遠山は小さく呟いた。
嘘は言っていない。嘘は。
事のきっかけは確かにそうだったのだから。
だが、この後味の悪さは何だろう。
「あ」
遠山が何か思いついたように声を挙げたので、まだ何かあるのかと大竹は思わず遠山に目をやった。その目が、いつもよりも険を含んでいたことに気づいて、大竹は苦い気持ちになった。
「大竹くん、敬語止める約束だろ。タメ口きけっての」
「……」
「大竹ぇ~」
起きあがった遠山が、大竹を後ろから羽交い締めにする。さすがに186cmという大竹よりは小さいが、遠山は手足が長く、研究者にしては体格が良くて、大竹は絡みつかれた手足をすぐには振りほどけなかった。
「ちょっ、止めろよ!」
「じゃ、タメ口ね」
田舎戻ってきてまでそーゆー堅苦しいのは勘弁な訳よと遠山が笑うので、仕方なく大竹は「しょうがねぇな」と了解した。
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