第2話:おばあちゃんのおうち
「まぁまぁ、遠いところ良くいらしてくれました。ず~っと山道で、大変だったでしょう?不便なところですが、どうぞ自分の家だと思ってゆっくりして下さいね」
木の柱が飴色に光る居間に通され、大竹は「お世話になります」と、まだキツネに摘まれたような顔をしながら頭を下げた。目の前のおばあちゃんは顔中を笑い皺でいっぱいにして、
「すいか!」
「おじちゃんだれ~?とも兄ちゃんのおともだち~?」
「これ、お客さんはお疲れなんだから、お前達、
この家の子供達だろうか、まだ幼稚園に上がるか上がらないかという小さな子供達が、好奇心丸出しの顔で大竹と設楽の足下に絡みついてくる。聞けば、おばあちゃんと同居している長男夫婦の孫、つまり、設楽の従兄の子供で、おばあちゃんからはひ孫に当たるのだという。
「ありがとう、ばあちゃん」
設楽が嬉しそうに西瓜に手を伸ばすと、おばあちゃんはニコニコ笑いながら、大竹にもう1度西瓜を勧めた。
何で自分はここにいるのか。
そもそもの事の起こりは写真部の撮影旅行だった筈だ。だがその後の展開が、未だに大竹には納得がいかない。
とにかく、撮影旅行に俺も連れて行けと顔を合わせるたびにブーブー言われ、適当にやり過ごしていたとある土曜日のこと。「デイキャンプをしよう」と誘われ、いつもの通りに二つ返事で引き受けて、朝迎えに行ったら何故かその日は設楽の両親が2人して大竹を待っていて、あれよあれよと四人で奥多摩のキャンプ場に行く羽目になったのだ。
「ね、先生。話は聞きましたよ?うちの智一がまた先生に我が儘を言ってご迷惑をおかけしているそうですね?」
「写真部の撮影旅行なんて、一緒に行けるはずないのに、もうこの子ったら困った子で、本当にすいません」
「……はぁ」
奥多摩湖畔のキャンプ場は、土曜日のせいか人が多く、あちこちから楽しそうなさざめきが聞こえてくる。
このステキ空間で、大竹はやたらと冷や汗をかきながら、居心地の悪い思いをしていた。
何故設楽の両親が一緒に来るんだ。
つうか、お母さんマジ若いな……。お父さんはそれ相応なのに、お母さんなんべん見ても40行ってるか行ってないかだよな……。むっちゃ仲良いんだけど。目のやり場に困るんだけど。
で、何でその2人が絶妙のコンビネーションで俺に攻撃を仕掛けてくるんだ……。
攻撃?
イヤこれ攻撃……だよな?
「先生、とも君にはよ~っく言っておきますからね!写真部の撮影旅行の邪魔はさせませんから!」
「で、聞いた話によると、その写真旅行のせいで、夏休みの計画が進んでいないんですって?あ、先生、ビール召し上がりませんか?」
ニコニコと笑いながら、設楽の父親がビールを勧めてくる。
「いや、帰りの車があるんで」
「あ、大丈夫ですよ。私飲めないんで、帰りの運転は任せてください!」
夫婦揃って満面の笑顔で水滴のついた缶ビールを目の前に差し出されると、大竹も「じゃあ……」と受けとらざるをえなかった。
「でね、先生。お願いがあるんですけど」
……キタゾ……。
内心で大竹は身構えた。
こんな接待、普通でやられる訳がない。
「イヤ、大したお願いじゃありません。毎年僕の田舎に家族で行くんですけど、今年はどうしても仕事のやりくりがつかないで、どうしようかと思ってたんですよ。で、先生お盆の辺り、予定が空いてるって聞いたものですから」
「え?」
「先生、僕たちの代わりに、智一を連れて行ってくれませんか?」
「は?」
「智一も、何もない田舎で毎年やることもなくて、最近では行きたがらないんですよ。でも先生がご一緒してくれれば、きっと行ってくれると思うんですよね」
「ちょっ」
「本当に何もないような田舎なんですけどね、先生ご出身新宿だって言ってたから、そういう田舎暮らしも面白いんじゃないかと思って」
「待っ」
「ほら先生、登山お好きでしょう?すごい良いコースがあるんですよ!僕の従兄弟が案内しますから!」
「いや」
「至る所でトレッキングですよ、先生!むしろ日常がトレッキングです!」
「だからっ」
「とっても綺麗な川もあるんですよ!みんなで飛び込んで遊ぶのは、そりゃあ楽しいですよ!」
「いやあのっ」
設楽の両親はものすごい笑顔を顔全体に貼り付けて、ものすごい迫力で大竹に迫ってくる。
「ね、先生!!」
「いや、えぇと……はぁ……」
その「はぁ」をどう取ったのか。
「良かった!じゃ、ほんの1週間ですから!」
「えっ!?俺まだ行くとは……って、1週間!?そんな長いんですか!?」
「やだなぁ、先生。信州とはいえ、すんごい山奥で、移動だけで1日潰れますから、1週間くらい居ないと何も出来ませんよ!?」
「うふふふ、先生が一緒だと思うと安心です~。じゃ、よろしくお願いしますね!!」
「いやあのちょっ……!!」
そういう訳で、今大竹はここに座っているのである。
あの2人はどういうつもりなんだろう……。全く俺達の関係を疑ってもいないからあんな風に自分の息子を俺に預けちまうんだろうけど、本当のことを知ったら絶対2人っきりで旅行になんか出しちゃダメだろうが!!!
何だろう。目から汗が……。
それでも何とか心の中を整理しようと、大竹は辺りをそっと伺ってみた。
「何もない田舎」と設楽の父親に紹介されたそこは、本当に「何もない田舎」だった。
いや、大竹にとっては「何もない」どころではない。
よしずの掛けられた縁側からは、信州の雄大な山々と、田んぼや畑、ゆったりと流れる川が見える。あの川は、30分も歩くと、飛び込みに適した淵に繋がるのだそうだ。
けば立った畳。古く煤けた欄間。そこだけ新しい薄型のテレビ。
ビルに囲まれた街の中で育った大竹にとっては、夢に描いたような「少年の夏休み」がここにある。
いや、あまりに完璧過ぎて、現実味が感じられない。まるで映画館で3Dのスクリーンを覗いているようだ。
心地良い風が家の中を吹き渡り、大竹がほっとして思わず溜息をこぼすと、設楽が笑顔で大竹に西瓜を手渡した。
「先生、疲れた?これ食べたら奥の部屋で横になると良いよ」
笑顔で設楽が勧めてくれて、大竹は思わず照れくさそうな笑顔を浮かべた。
「せ…先生……」
いつもは見せないような大竹の顔に、設楽がそっと手を伸ばしてきたその時。
「久しぶり~、智一来てるって~!?」
「うひゃ~、相変わらず生っちろ~!」
「あ、誰このイケメン!!」
「まぁまぁ遠い所をわざわざよくおいで下さいました~!」
いきなり縁側からゾロゾロと団体様が現れた。未就学児からお年寄りまでといったところか。
正直奥の部屋でゆっくりしようかと思っていた大竹と、奥の部屋でいちゃこらしようかと思っていた設楽の目が、一斉に点になった。
設楽は一瞬「ちっ」と口の中で小さく吐き捨てたが(そしてそれは大竹の耳にだけはばっちりと聞こえた……。何するつもりだったんだよ、設楽!)、さすがに慣れているのかすぐに顔色を戻し、「久しぶり~!これ東京土産ね!」と大量に運んできた紙袋をみんなに差し出した。
「こっちが東京バナ○。そんでこっちがラスクの詰め合わせ。後、東京の土産じゃないけど、○陽軒のシュウマイもついでに買ってきた。むしろ俺が食べたくて買ってきた!」
「あ!なにこの東京バナ○!ヒョウ柄だよ!?可愛い!」
「俺シュウマイが良い!」
皆がわいわいとお土産を手にして盛り上がっている。聞けば、皆ご近所さんや親戚で、「まぁ、大体みんな親戚なんだけどね」とおじさんが笑った。
ひとしきりお互いの近況を報告し、一段落付くと皆の視線は大竹に集中した。
「……どうも、大竹です。お世話になります……」
元々表情の乏しい大竹だが、呆気にとられて目を白黒し、ますます無表情になっている。
「あら~、まあまあホントにイケメンね~!背ぇ高いわ~。布団から足はみ出るんじゃない!?」
「やあ先生、
「えっ、おじさん先生なの!?夏休みの宿題手伝ってよ!!」
「きゃー、先生、彼女は!?うちに丁度年回りの合う娘がいてね~?」
一斉に声を掛けられても、聖徳太子じゃあるまい、さすがの大竹もどうして良いのか分からず、少し涙目になって設楽に助けを求めた。
田舎暮らしをしている連中にとって、東京からの客人は格好の暇潰しだ。設楽は2人で1週間まったりとして、あわよくば「卒業までの禁止事項」を一時解禁に出来ないかと目論んでいたのだが、どうもそれは考えが甘かったと地団駄を踏むしかない。まぁ、大竹にとってはそこだけはほっとしたのだけれど。
散々皆で盛り上がり、夕方過ぎには更に町で仕事を終えた連中も集まってきて、夕飯は親戚一同集まっての宴会となった。
「え~、大竹先生は科学の先生なんだ。どうも、俺は
智一の従兄だという優は、笑顔で大竹と智一の間に座り込んで、大竹のコップにビールを注いだ。
「智は未成年だからビールは無しだろ」
「ひでーな、
「お前はあっちでおじさん達に挨拶して来いよ!そろそろ親戚づきあいも出来るようにならないとな」
年嵩の従兄にそう小突かれれば、設楽も渋々席を立たざるをえない。設楽が上座の親戚にビール瓶を持って近づいていくのを何となく眺めていた大竹に、優が人好きの良い笑顔を向けた。
「俺は親もこっちにいるから毎年戻ってくるんですけどね。でかい従兄弟達はみんな昼間は働いてるし、家で暇してる従兄弟供はみんなガキだし、毎年退屈でしょうがなかったんですよ。いや~、大竹センセーが来てくれて良かった~」
年は大竹よりも上くらいだろうか。がっしりと骨太な体格や大っぴらな笑顔は、スポーツインストラクターか何かのようで、あまり大学の研究員には見えない。
「ということは、遠山さんは大学で研究職を?」
「まぁ、まだ研究助手なんですけどね。ノルマばっかりきつくて」
たはは、と笑いながら、どうぞどうぞとビールを勧めてくる。ビールのコップを空にしながら設楽に目をやると、親戚のおじさん達にビールを注ぎながら話をする設楽の後ろに、同い年くらいの女の子がずっとついて回っていた。
大竹の視線に気づいたのだろう、空になったコップにビールを注ぎ足しながら、優が「ああ」とその女の子を顎で示す。
「あいつは
「高校生ですか?」
「そう。16歳。俺が31だから、結構年離れててさ。も~、遅くに出来た子だから、親父達も甘やかしてね」
甘やかしているのは親だけではないらしい。優は照れくさそうにしながら「まぁ、俺も美智にはついつい逆らえなくてね」と笑った。
「ね、センセ」
「先生は辞めてください。仕事で来てる訳じゃないし、俺の方が若いんで」
「あれ?いくつ?」
「今年28。まだギリ20代なんで」
大竹が真面目に言うと、優はビールを吹き出した。
「あはははは、そういうこと気にするタイプだとは思わなかった!男は30代からでしょ!OK、じゃあ大竹さん?それとも下の名前で呼んだ方が良い?」
「いや、大竹で。呼び捨てで良いですよ。どうせ生徒達に呼ばれ馴れてるし」
「さすがに呼び捨ては何だから、大竹くんで良い?じゃタメ口って事で、俺のことも優で良いよ」
日頃から誰にでもこんなにフレンドリーなのだろうか。ぶっちゃけ大竹の苦手なタイプだ。
その優が、大竹に更に顔を寄せた。
「ね、大竹くん。俺さ、妹に頼まれてんのよ」
その少し困ったようなにやけ顔を見て、大竹は小さく溜息をついた。
これはこの1週間、窮屈で面白くない思いを強いられそうだ。
美智とかいう優の妹が頬を赤らめて設楽の後ろをついて回るのをチラリと見つめて、大竹はコップのビールを一気に飲み干した。
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