一の十四(終)

 

 これで闖入者による一連の事件は終わった。あれからまた影が鶴一と泉の前に現れることはなかったし、泉以外が起こすいたずらも起こらなくなった(そして落ち着くまで彼女はいたずらを我慢することにした)。須藤も無事に退院して学校に復帰した。

 戦いのせいでよりひどくぼろぼろになってしまった廃校舎を先生たちに発見され、もうさすがに危ないからと取り壊すことになった。生徒が中に入っていく様子も目撃されていたこともある。

 作業がちゃんと行われるよう、泉が見守り続けるらしい。

 取り壊した後は更地のままにはせず、縁起の良い場所であるとのことで、なんとか記念館などを建てたいとよく校長が朝礼で言っている。人気取りを考えているのかもしれないけれど、それについては泉も喜ぶだろうし、鶴一は心の中で頑張ってほしいとエールを送った。

 こまは見えないし聞こえないけれども、ケガをさせてしまったことを須藤に謝った。それから妹と一緒に家に帰ってしばらく生活をし(両親には見えなかった)、みんなに軽いノリの挨拶を残して消えていった。未練がなくなったのだろう。

「またねー」

 などと本当に軽い感じだったのは、きっと強がりだろう。そう鶴一には感じられた。強くて頼もしい姉という自分を、ここでは貫きたかったのかもしれない。

 きくが別れを惜しんで泣いていたから、鶴一は泣けるに泣けなかった。でもきくがいなくなったあとに泉が優しく撫でてくれたので、もうそれでだめだった。また彼女の胸をひどく涙で濡らすことになってしまった。

 とてもみっともないことのように思えて必死に抑えようとしたけれど、泉はそんな彼に、

「それで良いのじゃ」

 と肯定したのだった。

 しばらく経ったある学校の休みの日、鶴一はきくと一緒に出掛けた。デートではない。彼にはやるべきことがあった。

 こまの墓参りだ。電車とバスを乗り継いで一時間と少し。海の見える丘の上の公園墓地に彼女の墓はあった。きれいな水平線が見える。

墓参りにあまり慣れていなかった鶴一はあれこれときくに指示され、その通りにこなした。供える花を買ったり、桶に水を入れたり、墓の掃除をしたり。

「オレと墓参りに行くって聞いて、ご両親は驚かなかった?」

「最初はすごく驚いてたけど、相手がお姉ちゃんの言ってたツルくんだって知ったら大丈夫だったよ。『小毬、喜ぶだろうなあ』なんて言ったりして。へへへ、それでね……」

 彼女は自分の財布の中身を鶴一に見せた。そこには多めの千円札が入っていて、いたずらな笑みを浮かべた。

「ちょっと多めのお小遣い貰っちゃった。なにか美味しいものでも食べちゃおう」

 墓の掃除が終われば、水鉢にきれいな水を入れ、花立に買った花を挿し、香炉に線香を供える。そうしてしゃがんで鶴一は手を合わせて祈ろうとした。

「まだだよ」

 ちょんちょんと彼の肩を指で突き、芝に落ちた葉っぱなどのごみを指差す。鶴一はこまの墓の周辺のものをぱぱっと拾い、持ってきていたビニール袋に入れた。そうしてまた祈ろうとしたところ、彼女が、

「ご近所さんのもやらなくちゃ」

 と言って近くの墓のものも拾い始めた。鶴一もその言葉通りに周囲のものを拾った。

「こんなことまでするんだね」

「ちゃんとしなきゃ、お姉ちゃんが笑われるかもしれないから。それに、もしかすれば話し相手になってくれてるかもしれないし」

 こういう気配りは素直に感心し、勉強になる。妙にずれていたりすることも多いけれど、想像力が豊かだ。だからこういうことも思い浮かぶのかもしれない。鶴一は少し冷めているから、彼女のような想像はできなかった。

 それらが終わればようやく手を合わせて二人でこまに祈りを捧げた。向こうの世界があるのならば、楽しくやれているのだろうか。長年現世に留まったということで、なにか大変な目に会っていないだろうか。そんなことを考えていると、祈りが長くなってしまう。

 だからもう彼は短く彼女に言葉を掛けて終えることにした。

「こまちゃん。また参りに来るからね」

 ぴゅっと海からの潮風が身体を通り過ぎていった。見えないだけで、実はたまに下りてきて見守ってくれているのかもしれない。そんなことはあり得ないだろうけれど、鶴一は泉や闖入者、そしてこまを見てそういう想像もありかもしれないと思った。

「泉お姉ちゃんも来たかっただろうなあ」

「用事だから仕方がないよ」

「うん……そうだね」

 結局彼女には泉の正体を明かすことはなかった。泉はここまで関わったのだし、普段は見えないけれど彼女ならばと言いかけた。でもそれを姉が止めた。知ってしまえばまたなにかに巻き込まれるかもしれないと、きくはそういう経験があるから遠ざけたかったのだ。

「泉ちゃんのことは、見える人だけが知っているほうがいいよ」

「ツルはどう思う?」

「神崎さんのお姉ちゃんなんですから。でも、神崎さんは突っ走るところがあるから……」

「そういうこと。きくちゃんは怒るかもしれないけど……」

「そうじゃな。見える者だけに正体を明かすのが、わしなりのルールだ。それをこまの妹だからといって崩すわけにはいかんか」

 でもきっと彼女はもうわかっている。あんな到底人ではできないことを目の前でやられたのだから。今になってあの妙にずれた反応も、非現実を上手く受け入れられなかったからなのかもしれないと鶴一は考えられるようになった。

 オカルト好きなのも、そういうものが見えているとこまが言っていたためかもしれない。死んでしまった姉をずっと追いかけるように。

彼女は泉についてなにも訊かなかった。そして彼女が泉について話すときは寂しそうにしているものだから、罪悪感を鶴一は覚えていた。泉とこまとの約束を破って言ってしまおうかと思ったこともある。でも必死に我慢する。

今度またなにかあったとしても、絶対に今回の闖入者騒ぎのように巻き込みたくなかった。須藤もそうだけれど、クラスメートが大変な目に会う姿を彼は見たくなかった。

「ツルもわしと距離を置いてくれて良いのじゃぞ」

 その時の会話の流れで彼女は言った。ずるい気持ちはなく、ただ本心に彼女は友人を心配した。

「オレは泉さんの友達ですよ。それに、またお酒に酔ったらオレしか対処できないじゃないですか」

「そうか……。じゃがな、もう絶対に酒なんか飲まんからな! ひどい目に会うわ、毎度毎度……」

「泉さん、やっぱり普段は言葉遣いとか作ってるんですね」

「う、うるさい! あっちが作りものじゃ! これが自然なわしなのじゃ!」

 格好のからかい材料になったので、なにかがあれば積極的に使っていきたいと、武器を手に入れた。少し前までならば報復を恐れていたのに、今でももうそんなことを考えもしなかった。だって鶴一と泉は友達なのだから。

 こまの墓参りはこのあと、きくと戻った街で昼食を食べて終わった。ご馳走してもらうのに気が引けたけれど、神崎家の気持ちだからと押し切られて食べた。いつもよりほんのちょっと高いものを食べることができて、それは素直に嬉しかった。

 そして私服でもきくの胸の具合は学校のときと変わらず、まだ鶴一の中で謎として残るのだった。

 

 ある晴れた日のこと。鶴一が午前中の授業も終わり、須藤と昼食を取ろうとしていた時のことだった。教室の戸から手だけが出ていて、彼を手招いているのが見えた。

 誰であるかすぐにわかるので、彼は友人に謝ってそちらへ向かうことにした。教室を出るとやはり泉がいて、無言で歩き始める。ついてこいということのだろうから、彼女の後ろを歩き始める。

 いつものようにそのまま階段を上がって屋上へ。まだ十分に春の陽気だけれど、徐々に日差しが強くなっている。外へ出ると眩しくて、少し目を細くした。

「どうしたんですか。昼休みなんて久しぶりですけど」

「いやー、ちょっとのう」

 いつもの通り配管を踏まないよう避けて、受水槽のそばの小さなテントへと向かう。

 もしかしてなにかお礼があるのではと、鶴一は思う。今回の闖入者騒ぎの件で、彼女からなにかが。しかし品物ならば、それは学校のどこかから手に入れてきたものだし、それはそれで受け取るのに気が引ける。

 そんなことを考えていると、なんだか前方のテントの様子がおかしいことに気づく。揺れているのだ。風だと思ったけれど吹いていないし、目を凝らしてよく観察すれば、のそのそと中に人がいるように見えた。

 鶴一は慌てて前を進む泉に言う。

「せ、泉さん。あれっ、あれっ」

「あれ?」

「て、テントに誰かいますよ」

「ん?」

 やはりテントは中から動かされているように揺れている。屋上の扉はいつも鍵が掛けられていて、鶴一が入るときにだけ泉が開けている。けれどなにかしらのうわさを聞き、探りにきたのかもしれない。針金やらで鍵を開けて。

 テント、そしてその中にある物を一体どう誤魔化せば良いのか鶴一にはわからない。

 それよりももっと嫌なことが思いついた。闖入者だ。また別の闖入者がやって来たのかもしれない。最近解決したばかりなのに、またもや大変な事件が起こる。嫌な汗が流れ始める。

「泉さん、ど、どうしましょ?」

 しかし彼女はそんな彼の言葉に耳を傾けず、迷いなくテントの前にまで脚を運んだ。恐る恐る鶴一は彼女の背中のすぐ後ろにつく。テントの入り口は閉められていて、がさごそと中から音がしている。

「泉さぁん……っ」

 恐れを知らない彼女が、入り口のファスナーを開けていく。すればそこの布がぺらんとめくれ、中の様子が見えるようになった。鶴一がちらりと見れば、そこにはグレーに黒のチェックが入った布が揺れていた。そしてプリーツがついていることから、それはスカードではないかと鶴一は推測した。

 でも泉中の制服にこんなスカートはない。泉が着ているように、昔から濃紺のセーラーだけだ。だからやはり外部からの侵入者であることは間違いなかった。唾を飲み込み、緊張が高まる。

「おい」

 泉ががそごそとしている存在に声を掛けた。

「こら、こっちを向かんか」

 ようやく二人の存在に気づき、スカートは揺れなくなった。そしてゆっくりと頭をこちらのほうに向けてきた。闖入者は常識を軽く超えてくる。もしかすればこのまま不意打ちに目からビームでも出してくるのではないかと、思わず泉を盾に身構えてしまう鶴一。臆病であるという元来の気性はなかなかなくなるものではない。

「ん?」

「まったく。ツルを呼ぶと言っておったのに。なにを探しておったんじゃ」

 親しさを含んだ声に、鶴一はゆっくりと正体を確かめる。するとそこには、こまの姿があった。高校の制服を着、四つ這いになっている、別れたはずの彼女の姿が。

「えっ、こ、こまちゃん……?」

「いかにも。紛れもなくこやつはこまだ」

 信じられないことに自分の頬をつねる鶴一。その様子に、

「夢幻ではないぞ」

「そう、あたし本物。あたしっぽいものでもないよ、あたしだよ」

 身体の向きを反転させ、彼女はテントの中から出てきた。確かに鶴一より背が高く、長めの陽に当たれば茶色く見える髪を一本に結び、妹よりも大人っぽい顔立ちの美人なこまがこの世で立っていた。泉中よりも濃くないブレザーの上着を着、これは前と同じで高校の制服だ。

「な、なんで?」

「いやー、ははは」

 照れくさそうに頭をかき、彼女は説明を泉に任せた。それに対して面倒な表情を少し浮かべつつも、泉は鶴一に言う。

「三年だけ、ここにいたいそうじゃ」

「え?」

「別れたあとこやつ、そのまま消えずにこの近所をまだまたうろうろしておってな。それをたまたま見つけたのじゃ。正門の前の電柱からこちらをばればれで覗いておった」

「ええー」

「それでなにをしているのか訊くと、気になるから二人が卒業するまでここにいようと決めたそうでな。じゃがいわゆる幽霊のままでは、あの世に行ったときの査定に響く。そこで、わしがこまをここに縛りつけることにしたのじゃ。すれば問題なくなるからの」

 つまりそういうことだった。別れたものの、新しい未練を作ってしまって消えることができなかったのだ。

 そこから泉が言うに、小毬という彼女の真名を握ることによって、お付きの者という扱いにしたそうだ。だから今現在の彼女は「小毬」という名前ではなく、「こま」というのが正しいらしい。

「そういうわけでお前たちが卒業するまで、色々と手伝ってもらうことになった。これで少しは楽になるわ、ひひひ」

「あんまりこき使わないでね。まあ、そういうことだから、これから三年間、よろしくねツルくん」

「は、はあ……」

 いきなりのことについていけていない鶴一は、そんな風なそっけない反応を返すことしかできなかった。だから泉が片眉を上げる。

「おいおい、なんじゃ嬉しくないのか? こまが帰ってきたのじゃぞ。別れたあとあんなに泣いておったくせに」

「わあーっ! わあーっ!」

 恥ずかしい暴露を大声でかき消そうとする。けれどそんなことをしてもむだで、ちゃんとこまの耳に届いてしまった。彼女は嬉しそうににっこりと笑いながら、彼の頭を撫でた。

「そんなに惜しんでくれるなんて、幽霊冥利に尽きますなあー」

「なっ、泣いてなんかいませんよ。そりゃちょっとは寂しくなるのありましたけど……中学一年なんです、泣くわけないです」

 強がりの態度が実におかしかったらしく、泉もこまもくすくすと笑った。ばかにされているような気持ちになったので、ぷいっと視線を逸らして抗議の意を示した。

 茶の用意をするためか、泉がにやにやとしながらテントに入っていった。それを見計らってこまが鶴一の耳のすぐそばに口を近づけた。息が当たって、妙にくすぐったい気持ちを彼女の声に集中して彼は抑える。こんな近くで彼女の声を聴くのは初めてのことだ。心臓がせわしなく早くなる。

「ごめんね。じゃあ、これからの挨拶とお詫びを兼ねて一つだけ耳寄りな情報を」

 これはもしかすれば、泉の秘密かもしれない。彼女へやり返すための武器を授けてくれるのかもしれないと、鶴一は悪い顔をして聞き耳を立てる。

 彼女は言った。

「きく、もうあたしより胸が大きいんだよ」

「は?」

 彼の耳から離れると、ひどくからかうような笑みを浮かべていた。こまの胸は小さいわけではない。平均よりはあるように見える。しかしわけがわからなくて、彼はもうぽかんとして彼女の顔を見るしかできなかった。

「泉ちゃんから気にしてるって聞いていたから、特別だよ。いやあ、びっくりした。背はまだまだ小さいのに、まさかねえ。こんなところで妹の成長見ちゃうとは思わなかったよ。でも本人は恥ずかしがっているから、あんまり気にしないであげてね」

 できるわけがない。実の姉からも証言されてしまって、そんなことできるわけが、鶴一はできるわけがないのだ。もう頭の中はそのことでいっぱいになってしまって、くらりと来てしまう。頭を振って気をしっかり持たなければならなくなった。でなければ倒れる。

 わざとだ。彼女は彼をこうさせるためにわざと言ったのだ。

 そして鶴一は悟る。泉と仲良くなれるのだから、彼女に近い性格の持ち主であるということを。思い出す。幼い頃、彼女に仕掛けられたいたずらを。彼女も人が驚くさまを見るのが好きなのだった。

「ん? なにをしておるんじゃツルは」

 とうとう耐え切れなくなってうずくまっているところを、不審そうに泉が言った。持ったお盆には三人分の湯呑があった。

「ああ、ちょっと色々あるみたい」

「ほうそうか。思春期というものは大変なんじゃのう」

 これからの三年間、鶴一はとても大変なものになると覚悟しなければならなくなった。二人はずずっと椅子に腰掛けてマイペースに茶をすすっている。彼の気も知らず、

「早く飲まんと冷めるぞ」

「そうそう」

 などと言う。

 背に受ける陽の熱さに耐えきれなくなって起き上がり、上着の袖をまくって二人から少し離れて椅子に腰を下ろした。そして茶を飲み始める。しかし一口含んで喉に通すと、もうひどく肩を落としてため息を吐いた。二口目になかなか行けない。

 悪い気がしたけれど、二人に頭を下げて教室に戻ることにした。そして自分の席に戻っても食欲がなく、持ってきていた弁当を須藤にあげた。最初、断られたけれど、鶴一が強く圧すと折れる形で彼あ受け取った。意外と大食いなので、なんのことなくぺろりと平らげた。

 昼休みが終わって午後の授業の時間になる。けれど鶴一の頭の中はきくの胸とあの屋上の二人のことだけでいっぱいになり、まったく先生の話に集中できなかった。たまにちらりと彼女に視線を移してもしまう。

「わあぁっ!」

 突然、近くのクラスが騒がしくなった。鶴一のクラスも一体なんだとざわつき始める。きくは瞳を輝かせていた。またまた鶴一は深く、それはもう深くため息を吐いて落ち着かなくなったクラスメートたちを眺めた。

「まったく、なにやってんのや」

 面白く楽しいこともあるだろうけれど、あの二人のノリについていけば疲れてしまうことは確かだ。これから三年間、きっとまだまだ騒動は尽きないのだと頭を抱える鶴一だった。

 泉原中学校そのものであり、守り神である泉のお話は、この学校がなくなってしまうその日までずっと続くのだ。色んな生徒たちと出会いながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ツルセン!~学校が友達だった少年~ 武石こう @takeishikou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ