一の十三
「ごめんね、いきなりいなくなっちゃって。きくもツルくんも怒るのもむりないよね」
妹ともなにか約束のようなものがあったのだろう。それを破るかたちになってしまって、仕方がないことだとわかっていても幼いきくは受け入れられなかったのだ。そのことを思い出し、彼女は苦笑いして恥じる。
「しょうがないよ。死んじゃったんだから」
「もう、はっきり死んじゃった死んじゃった言わないでよ」
「でも、こまちゃん死んじゃったもん」
「こまちゃんって呼び方、まだ直しきれてなかったんだね。あんなに子供っぽいからお姉ちゃんに変えるってはりきってたのに」
「う、うるさいなあ……」
姉妹の会話に鶴一はなかなか入られなかった。やはり血縁の力はすごいものだと見せつけられる。仕方がないこととはいえ、ちょっときくに対して羨ましい感情を抱く。男の子であって、もうすぐ十三歳になるのだから、甘えるのは格好悪いという気持ちを持ちながらも。
「ツルくん、ありがと。ツルくんの言葉で元に戻れたよ。お別れの挨拶してくれるって、ちゃんと聞こえたから影に隙ができたんだよ」
「そうなの?」
「うん。それにツルくんを公園で一人ぼっちにしてしまったのがずっと気がかりだったから、それもあるのかも」
「それならよかった」
そっけなく言ってしまってから後悔するのが鶴一だった。でも、きくの前、彼女の妹を押しのけてずいずいと前に出たくはなかった。
「泉ちゃん」
離れて様子を見ていた彼女にこまは声を掛ける。きくは「どこにもいないよ」と言いつつ姉の視線の方向へ付き添えば、そこには彼女にも見える姿で泉が立っていて、「あっ」と驚きの声を上げた。
「こま……」
「泉お姉ちゃん、いつの間に……?」
「あ、いや、なんかすごい物音がしたからの、技を駆使して入ったのじゃ」
どんな技だよ、とあまりに下手でわけのわからない誤魔化しかたに鶴一は心の中で冷静にツッコむ。でもそんなわけのわからない誤魔化しかたでも、彼女が言うことだからと飲み込むきくもきくだった。あり得ないことはあり得ないものだともう少し認識すべきだと、こちらにも毒を吐く。
手招きをされ、気まずそうに泉は友人へと近づいた。
「久しぶり」
「ああ。またこうして会えるとは思っておらんかった」
「元気だった?」
「もちろん。病気などするはずなかろう」
普通ならばいきなり死んだはずのこまが目の前に現れたので、泉は驚くはずだ。きくにはそう感じられるはずだ。けれど何事もなく彼女は二人のやりとりを見ている。感動の再会ぐらいにしか思っていないのだろうか。鶴一は途中彼女が怖がっていて親近感を少し盛ったけれども、この様子を見てやはりどこかねじの飛んだ頭の持ち主であると再認識した。
「さ、色々話し足りんかもしれんが、まずはここから出るぞ。こんな大きく穴を開けてしまって、ここが崩れたりして危ないかもしれんからの」
思いっきり殴って大穴を開けた張本人が言う。
確かに闖入者はいなくなったけれどこの廃校舎は薄暗くて不気味なので、鶴一は出るべきだと思った。それはきくも同じようで、闖入者以外のなにかの存在を考えてしまって少し怯えたように頷いた。
派手に暴れていた。窓ガラスはほぼ全滅し、教室の中も余波で傷が付いたりして痛めつけられている。教室の床がいきなり抜けてもおかしくないくらいに深いひびだらけだ。もしかすれば、泉が全力の一撃を闖入者に放っていれば、それに巻き込まれて二人も大変なことになってしまっていたかもしれない。
そう考えるとぞっとしてしまって、やはりもうちょっと大人になってもらって、周りへの配慮や、上手く加減をして欲しいと願う鶴一だった。でもきっとできないのだろう。彼女は目の前のことにはある意味とても真面目だ。
四人そろって場所を移動するために、歩き始める。その前にこまが鶴一ときくの服についていた砂やほこりの汚れを払った。ぽんぽんと。やはりあの空き教室の汚れと同じようにそう簡単には取れなかった。
「これは母さんに怒られるな」
「わたしもお母さんに怒られる……」
そんな心配をしつつ、四人そろって教室の外へと出ようとした時だった。
「むっ!?」
怪しげな気配を感じて一番後ろにいた泉が振り返る。それにつられて三人も同じ方向へと。
床に散らばった影がぎゅっと固まっていた。こまを失くしたのにもかかわらず、自立して動き始めたのだ。泉が三人に急いで廃校舎から出るように指示すれば、素直に走って脱出する。玄関を出てもしばらく走り、それから旧三年四組の場所を見る。窓ガラスの割れ具合でどこであるかすぐにわかった。
三人脚を止めて眺める。すればすぐに教室の中が発光したかと思えば、窓側の壁を壊して影が外へ出てきた。泉が一撃を放ったことは間違いない。影はそのまま地面へと落下するに思えたけれど、途中で意識(があるのかどうかはさて置いて)を取り戻したかのように動き、宙に舞って廃校舎の屋根の高さを超えた。そして廃校舎を斜め下に置きつつ、屋根から20mくらいの所で止まった。
それに遅れてふっと泉が三人のすぐそばに姿を現す。教室の中から飛んできたのだ。きくが見られる姿のままなのに、もうそんなことどうでも良いようだ。そしてきくもやはりまったく気にしていない。自分が気づいていないうちに来たのだと、勝手に想像しているのだろうか。
「くう、あんなに飛んでしまうとは」
「どういうことです?」
「ツルくん、泉ちゃんは空を自由に飛べないの」
「恩島くんなに言ってるの。泉お姉ちゃんがそんなことできるわけないじゃない」
常識的に考えればなんらおかしくないきくの発言だったけれど、そこだけ妙にまともなので鶴一を少し苛立たせる。蔑んだような瞳が刺さりに刺さる。けれど今はそんなことを気にしている場合ではない。
影からなにかが放たれて、四人の立っている場所のすぐそばへと落ちた。一瞬なにが起きたのかわからず呆然とする。
しかし時間が経つにつれ、あまりの速さと威力であることは空気を裂いた響きと、地面に当たった時の衝撃、そして残った跡から理解させられる。あんなのが直撃すれば、身体がばらばらに吹き飛ぶ想像が浮かび、鶴一は腰を抜かした。それはきくも同じで、ぺたんと尻もちをついてしまっていた。
驚きながらも立っていられたのは泉とこま。そして落下地点を見る。そこにはすでに放たれたものはなく、落ちた跡だけがある。でも球状のものであることはなんとなくわかる。そしてこまがなにやら彼女に話している。
「泉ちゃん、あれしかないよ。あれ」
それを聞くと、泉はすぐに「あれ」がなにであるかを察し、渋い顔をする。なるべくやりたくないという表明だ。
「ううむ、しかしなあ……」
「渋ってる場合じゃないよ。もっと落としてくるかもしれないんだから!」
「くう、わかった。その通りじゃ。じゃが、あとの面倒は頼むぞ」
ふっと彼女の姿が消え、そしてすぐに戻ってきた。幸いにも影はまったく動かず、廃校舎を見下ろしたままに次の攻撃をしてこなかった。
泉の左手には金属バットが握られていて、そして右手には水のような透明な液体の入った小さめの広口瓶が握られていた。それには青いラベルが貼られていて、大きく太い白いアルファベットが載っていた。そこで鶴一はそれがなにであるかを悟る。
「なんでそんなものが出てくるんですか!?」
鶴一が疑問を抑えきれずに彼女に訊いた。だってそれはそうだ。彼女が握っているものは、紛れもないあの有名なカップ酒だったのだ。
「お酒ですよっ!?」
「わ、わかっておるわっ! わしが置いてあったものなんじゃから!」
「泉お姉ちゃん、まだ未成年じゃないの?」
実年齢は百歳近いし、さらに人ではない。だからお酒は二十歳からという法律が適用される存在ではない。でもここでもまともさを発揮したきくが止めさせようと言う。
「う、わしは大丈夫なのじゃ」
「そんなわけないよ。だめだよ、未成年なのに」
「ええい、実はこまより年上なのじゃ。だからもうとっくに二十歳を超えているのじゃ!」
「それなのに中学校の制服?」
「しゅ、趣味じゃ」
「なぁーんだ、そっかー。それなら大丈夫だね」
腰が抜けるくらいの恐怖を味わったのに、変に緊張感のないきくだった。そんなことは鶴一にとってどうでも良くて、とにかくなぜカップ酒が出てきたのかということだ。
泉は指を引っかけ、ぺりぺりとふたを剥した。ばっちり飲める状態になり、恐る恐る口を近づけていく。隣のこまが手拍子をし、囃し立てる。
「良いか二人とも! 良い子はぁっ!」
こまが囃し立てる中、泉は未成年二人に忠告する。
「こんな風に囃し立ててはならんしっ――」
口をカップのふちにつけ、意を決してぐいっと傾けて酒を口の中へ入れていく。味を感じる間もないくらいにどんどんと喉を通っていくのがわかる。あのカップ酒は一合ある。度数だってビールよりある。なのにまるで水のようにすべてをあっという間に飲み干して、
「一気に飲んでもならんっ!」
その忠告からしばらく間があった。空いたカップをこまに渡せば、もう顔を赤めて目をとろんとさせている。ひどくだらしない表情だった。しかし可愛らしさを保っているのがすごい。そして左手に持った金属バットの先を地面にこすりながら廃校舎へと歩き始め、右肩をぐりぐりと大きく回す。
変わってしまった泉に、鶴一もきくも口をぽかんと開けるしかなかった。
「ぷぁーっ。ひっさしぶりのお酒ぇーっ。美味しいーかったぁー」
なんという下戸。すでに出来上がってしまっていて、舌の回りが甘くなって口調が崩れていた。鶴一は少し前のことを思い出す。彼女に酒は飲まないのか訊いた時のことだ。
「ただ……そう、味じゃな、味が苦手なのじゃ」
違う、彼女がお酒を飲まないのはそういう理由ではなかった。これのせいだ。飲んでしまうとすぐに酔ってしまって、普段のキャラが崩壊して恥ずかしい思いをするからだ。
でもそれでもなぜこんな状況で飲んだのか、まだ鶴一はわからなかった。
「よっ、よっこいしょういちぃー。ははは、すんごく古いー、おばちゃんみたいー」
そんなことを大声で言いながら、屋上へとよじ登る。普段なら跳躍で登れるはずだろうに、わざわざ外から手足を駆使して壁を登っていった。まるでトカゲのように。
「さぁーっ、泉が相手だぁーっ。どっからでもかかってこぉーいっ!」
屋上に立った彼女は金属バットの先を影に向け、宣戦布告する。それからなにもないのにがっがっと地面を蹴り、ぎゅっとグリップを握った。右手の底をグリップエンドにつけ、長く持って左打者の構えをした。
彼女の宣戦布告に反応し、影はまた球を放った。鶴一にはもう速すぎてなんだかわからないけれど、泉の瞳にはしっかりとそれは捉えられていて。
曇天の空を突き破る彼女の星のまたたきがあった。
金属バットのきいんとした金属の響きが一面に広がった。あまりにきれいに真芯に当てたのと、彼女の星纏う力のおかげで、普段校庭の野球部が響かせるものとは格段に鋭さと広がりが違った。
「当たらなかったかー。へーいピッチャーびびってるー? そんな球じゃ泉を打ち取れないよぉーっ。えへっ☆」
打球はピッチャー強襲とならず、どこか遥か彼方の空へと飛んで行ってしまったようだ。ぱちんと指を鳴らし、彼女は悔しがり、それからまた構えて挑発する。
「あ、あれ……」
あまりにばからしいことに鶴一が声を漏らすと、こまが説明をしてくれた。
「あれが泉ちゃんの本気だよ。戦争の時、学校を空襲から守った話、知ってる?」
こくりと頷き返す。
「あれもね、お酒を飲んだからなの。本当に守りきれるかどうか不安で堪らなくなった泉ちゃんは、お酒の力で乗り越えようとしたの」
次の球が放たれようとしている。しかしそれは一球前と違い、地面にいる三人を狙っていた。鶴一はそれに気づいて身体をすくめるも、こまは不安を吹き飛ばすような笑顔を二人に向けた。
「するとね、いつも不思議なことにいつも以上の星が出るようになって――」
影から繰り出された容赦ない真っ直ぐが落ちてきて、避けなければ直撃を受ける。しかしふっと三人の前に泉の構えたままの姿が現れ、星を纏ってきらめかせてバットを振り抜いた。また金属バットのきれいな響きがして、球は影のすぐそばを過ぎていって鉛雲を貫き彼方へと消えた。
「もっとすごくとてつもない力が使えたの。空襲で落ちてくる無数の爆弾をほとんど打ち返せるくらいに……あんなキャラになっちゃうけど」
ふう、とゆっくり泉が息を吐き、肩を落として影に言う。
「それが限界? もしそうならがっかりなんだけど。これなら空襲の爆弾のほうが圧倒的な難易度だったよ。雨みたいな数に、下手に打つと爆発するからねー」
すごい余裕を見せている。影はその挑発に腹を立ててしまったのか、間隔を短くしてどんどんと球数を増やし始める。さらにすべて廃校舎の敷地内だけれど、それでも方向はばらばらにして。
それでも泉は問題にしなかった。あちこちに散らばったすべてを的確に被害が出ない方向へと打ち返していく。彼女はとても楽しそうだった。不謹慎で緊張感がないと言われてもおかしくないけれど、そんな彼女の様子に鶴一もつられて高揚感を覚える。
彼はスポーツ観戦をしない。けれど、この感覚はその時のものに近いだろうとなんとなく感じた。手に汗を握り、彼女に声援を送りたくなった。ピンチを救い、チャンスをものにする、本当のスター選手に見えたのだ。
「そらよっ!」
ある打ち返した一球が、影の身体にクリーンヒットした。鋭い打球に影も反応できなかったのだ。
「あはっ、当たった当たった。久しぶりだったからねえ、ちょっと取り戻すのに時間掛かっちゃった。でも暖まったし、もう容赦しないから」
屋上に戻って予告ピッチャー返しを、予告ホームランのように彼女は宣言した。試合終了の宣告も兼ねている。はったりなどではない。彼女の類い稀なるバットコントロールならば、どんな球であろうと影に当てられるコースに打ち返す。
「ほらー、びびってちゃ最高の投球できないよ。どちらにせよ、打ち返してお前に当てちゃうけどね。球と一緒に空の彼方へ吹き飛ばして消し飛ばしてあげる」
球が直撃してしまって、影にも痛覚というものがあるらしい。痛そうにふるふる震え、伸びた腕で当たった所を撫でている。そしてわざわざわかるような目を作り、きっと彼女を睨む。ムキになっている。
「いらっしゃーい」
六代目桂文枝師匠の物まねをし、にやりといやらしく、いたずらを仕掛けるときのような笑みを浮かべる。ぐっとグリップを握る力が増した。
しかしそれはやり過ぎたようだ。影はさらに天高く上ると、これまでと段違いな大きさの影の球を作りだし、そしてさらにもっともっとと大きくしていった。クレーン車の鉄球よりも大きくなり、最終的には廃校舎の屋上より少し小さいくらいのものになった。
「あ、あんなの……」
まるで夜空に浮かぶ月のように見えた鶴一は、さすがの泉でも厳しいのではと疑う。隣のきくも隠されていた影の真の力に唖然としている。しかしこまは彼女を信じきっているので、まったく動じない。
「ほう、やる気になってくれたようじゃの……ならば」
ふっと屋上から消えてそして戻り、バットを変えていた。金属バットではなく、木製のバットだ。手入れはされているけれど、かなり年季の入っているもの。鶴一は直感的にあれこそが爆弾を打ち返したバットなのだと理解する。市販のバットとは違う、凄まじい安心感を放つものだ。
「泉のとっておき、見せて食らわせてあげる」
構えを作り、そして相手のタイミングに合わせようと右足をとんとんとさせて待つ。この一球が最後の勝負になる。影も泉もそれをしっかりと認識しているから、とびっきり最大の力を込める。
影が背負う辺り一面の鉛雲はその色をより暗く重くし、雷が鳴って強い風と、霧のような雨を降らせた。影の力に呼応したようだ。でもそんな環境でも集中力を高めている泉はただ投球を待っている。
地面の三人がぴりぴりとした緊張感で唾を飲む。三人も雷と雨風に興味を持たなかった。
ぐおおっと大きな投球フォームから影が球を投げた。大きいぶん、さっきに比べて速さはないけれどかなりの質量を感じさせる。まるで月が落ちてくるようだ。あんなものが落ちてしまえば廃校舎だけではなく、この一帯が吹き飛ぶかもしれない。
すっとタイミングに合わせて右足を上げて地面に下ろし、それからふっと息を短く吐き、歯を砕いてしまうかもしれないくらい噛みしめて彼女は鋭く腰を入れてバットを振った。
球とバットの真芯が当たる。しかし泉でも簡単に振りぬくことはできず、当てたままの状態で押したり押されたりの状態になってしまう。眩い星をあちこちに散らばしながら、彼女は球の球威を超えようとしている。
二人の力と力のせめぎ合いが自然の風だけではないとてつもない突風を生み出した。廃校舎を揺らし、雑草を薙ぐように倒し、三人も気を抜けば身体を吹き飛ばされそうになる。雨が容赦なく風に乗って痛いくらいに襲ってもくる。
「くうっ!」
あまりの球威で徐々に泉が圧され始めた。屋上の床も踏ん張った脚を中心にひびが入って破片が飛ぶ。その破片がぴっと頬をかすめ、血をうっすらと流させる。
勝利を確信した影がざわりざわりと音を立て、彼女を笑うようだった。
瞳に映る彼女のぎりぎりの様子に、鶴一は抜かしていた腰を忘れて立ち上がり、叫んだ。
「泉さんっ!」
その激励の言葉に二人も同じく、
「泉ちゃん!」
「泉お姉ちゃん!」
激励の叫びが届いたのか、泉は再びゆっくりとバットを前に出し始めた。じりじりと球を前に押し込んでいく。まだ心が折れていない彼女に驚いたか、影は熊のような咆哮をあげる。雷が何本も落ちれば、球は気合いをつけられてバットを折ろうとする。また泉が圧される。
しかし、
「やあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
どんな流星群よりも彼女から星が流れ、それらは廃校舎の敷地をナイターゲームのように一気に明るくした。ぼろぼろだったはずの廃校舎がその星たちによって、建てられた当時の姿を取り戻す。
けれどそれは一瞬の出来事で、星たちはすぐにバットへと集合した。すべての力がバットに集約され、泉が光り輝くそれを踏み込みと腰を使って押し込んで、ついに球を、
「こらぁぁぁぁぁぁっ!!」
打ち返したのだった。
打ち返された弾は完璧に影を捉えるコースへと入り、そしてそれは避けられそうもないくらいに弾丸ライナー。影は自分の作り出した球にぶつかり、そしてそのまま球と一緒に雲を突き抜けて遥か彼方へと飛んでいった。もしかすれば地球の重力を振り切って宇宙まで行ってしまったと思えるくらいの、特大のホームランだった。
打球の衝撃によって上空でたむろしていた雲たちも追い出されてしまい、辺り一帯が青空を取り戻した。久しぶりの太陽の光は朗らかな暖かさを降り注ぐ。それによって終わったことが実感でき、鶴一は大きく安堵の息を漏らした。
泉は屋上で飛ばした方向をじっと見つめていて、顔を三人の方へ向けないまま動かなかった。声を掛けようかと思った鶴一だったけれど、それはこまに止められる。酔っているとはまた違う雰囲気が、彼女の背中からあった。
でも次の瞬間、ぼごっと崩れるような音がして泉の姿が屋上から消えた。そしてその下辺りの教室の窓ガラスからぼわっと砂と埃が舞い散る。もしかすればまだ影のなにかが教室内に残っていて、それが彼女を引きずり込んだのかもしれない。
三人が慌てて彼女の名前を呼びながら走って廃校舎へと近づいていく。あれだけ星を使ったのだ、とても消耗しているに違いない。もしそれを狙っていたのだとしたら、影は恐ろしくキレる存在だ。
最悪のことを想像していると、ふっと三人の目の前に全身が砂埃まみれになった泉が現れた。
「うわっ」
あんまりにも汚くて、一瞬ものの怪の類だと思ってしまった鶴一は驚きの声を上げる。そして泉は地面になんの抵抗もなく座り、駄々っ子のように文句を言い始めた。
「あーんもう嫌ぁー。服も身体もどろどろー。疲れたぁーきれいにしたいー寝たいー」
酔いはまだ覚めていないようだ。じたばたと手足をばたつかせている。大きく動かすので、下手すればスカートの中が見えてしまうかと思って鶴一は視線を逸らす。こまときくが頑張ってなんとかあやしている。
「おんぶー、もう歩きたくなぁーい」
それならばとこまが背中を差し出すけれど、泉は首を振って拒否を示した。ならばきくが立候補したけれど、彼女は身体が小さ過ぎて頼りないという理由でこれもまた拒否。すると残るは鶴一だけになる。彼女はにへらと瞳の焦点を合わさずだらしない笑みを浮かべた。
女の子をおんぶしたことなんてなかった。でも指名を受けたのだから恥ずかしさを抑え込んで鶴一が背中を差し出す。すると泉は、
「おじゃましまーす、へへへー」
と言いながら乗った。どのくらいの重さかわからないので、かなりの力を込めて立ち上がるも、思ったより軽くてすぐに上がれた。背中に彼女の胸の感触があって、それが柔らかくて思春期少年には刺激が強い。
鶴一はしかし、この手を使えばきくの胸がどうなっているのか確かめることができるのではないかと浮かんだ。かなりの確率で胸が当たるのだから、いくら押さえ込んでいたとしてもわかる気がした。
そんなよこしまな考えが無意識に出てしまって、視線がいつの間にかきくの胸元へとい行ってしまっていた。見ている方はばれていない、ばれないようにしていると思っていても、視線というものは嫌でも気づくものだ。彼女はいぶかしげな表情を彼に向け、隣の姉の服の袖を引っ張った。
「ツルくんも年頃の男の子になっちゃったのね……」
憧れていた彼女にそんなことを言われてしまって、鶴一はひどくショックを受けてしまう。二人の中で現在の鶴一のキャラというものが組み上げられつつあった。
痛々しい視線から逃れたくて、ある種この件の張本人である泉に助けを求めるけれど、すでにすうすうと寝息を立てていた。逃げ場がなくなった彼はもう堪らず、二人から走り去った。門があることを忘れて。
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