第51話 『魔王。薬中に狙われる』


 ソフィアが居なくなってしまった。


 それは俺にとって重大な事件であり、世界を滅ぼしてでもソフィアを取り戻す為に動くのが『俺らしい』とは思うのだが…。


「あ…はぁ♡あなた様ぁ♡ちゅっ♡ちゅっ♡」


 どう頑張っても『準備』に1年は掛かるし、その間に俺に出来る事は何も無い。


 いや。現在進行形で『切り札』の演算中なのだが、それは今までもやってきた事だし普通に生活する分には俺を圧迫しない。


「ねぇ~♡もう1回…しませんかぁ♡」


 そういう訳でソフィアの居ない寂しさを慰めて貰う意味でもオリヴィアに甘えさせて貰っているのが現状だった。


 というか何気にオリヴィアは――怒っていた。


『あなた様の正妻の癖に、あなた様を捨てていくなんてどうかしているとしか思えません!』


 俺を捨てていった事もそうだが、俺を歯牙にもかけない態度が腹に据えかねたらしい。


 俺至上主義のオリヴィアらしい主張だった。


 まぁ大半は――俺と同じでソフィアが居なくなった寂しさを慰めて欲しいという事に集約するのだけど。


「愛しています♡あなた様ぁ♡」


 傷の舐めあいは不毛?


 どの道、1年は不毛な時間を過ごす必要があるのだから、少しくらいは不毛な事をしたって良いじゃないか。


「ああ、愛しているよ。オリヴィア」


「~♡」


 とりあえず慰めあえる恋人が居るという事は幸せな事だと思う。




「要らないのなら…『正妻』の座は貰ってしまいますからね。ソフィア様」




 チロッとオリヴィアの本音が顔を見せた気がしたが――気のせいという事にしておいた。




 ★




 実際の話、俺の心情というものを除けばソフィアの失踪は俺の抱える『戦力』という意味では大きな影響を与えなかった。


 ソフィアは超1流の製薬技術を持つ薬師なので病気などの際には本来居なくてはならない存在なのだが…。


「余程面倒な症状でなければ、あなた様が治してしまえますからねぇ」


「…だなぁ」


『火の最上級回復魔法』には浄化や再生が含まれるのでオリヴィアのように精霊王に無理矢理強化されたといった症状で無い限り俺が単独で治せてしまう。


 ソフィアの魔法薬?


 既に1年では使いきれない数の『最上級魔法薬』が『魔法の鞄』の中にストックされていますが何か?


 そういう訳で俺の心情を除けば問題らしい問題は発生していなかった。




 そう。俺の心情を除けば。




「ソフィアが居ないと超寂しい!」


 結局のところ『それ』が俺の本音だった。


「わたくしでは…ソフィア様の代わりにはなれませんか?」


「なれない」


 必死に俺を慰めようとするオリヴィアだが、そういう事ではないのだ。


「俺がソフィアにして欲しい事はソフィアにしか出来ない」


「……」


「そして俺がオリヴィアにして欲しい事はオリヴィアにしか出来ない事だ」


「あ♡」


 俺はオリヴィアにはソフィアの代わりではなく、オリヴィア自身として俺を慰めて欲しいと思っている。


 その思いを伝えてオリヴィアを抱き締めるとオリヴィアは歓喜して俺にしがみついてきて――翼で拘束して愛情を示してくれる。


 要するに、どうやっても1年はソフィアに会えないのなら、その間はオリヴィアとの蜜月を楽しもうじゃないかって話だ。




 ☆調停者ソフィア




「彼…意外に元気みたいだね」


「…覗きなんぞしておらんで手を動かせ。仕事が終わらん」


 20年という年月で溜まりに溜まった仕事を片付ける傍ら、呑気に『覗き』を楽しむ『調停者・男』に注意を促すが、聞く耳持たぬのか肩を竦めただけだった。


「僕の仕事はあくまで地球にいる『魂の質』の高い人間と契約して転生させる事だよ。そっちは君の仕事だろう?」


「2人の方が早く終わる。その方が合理的というものだ」


「ははっ」


 我は当たり前の事を言ったのに何故か笑われる。


「何がおかしい?」


「いや。だって君…『思い出』を無くしても立派に『彼』に引きずられているじゃないか。その考えは『前の君』には無かった物だよ」


「……」


「前の君は『管理者』が定めた区分という奴を頑なに遵守する事を優先して『合理的』なんて行動を取る柔軟性は無かった筈だ」


「…溜まった仕事を片付ける為の効率を考えただけだ」


「はいはい。そういう事にしておくよ」


「……」


「それと…その『眉間の皺』はどうにかしてくれよ。見ているこっちが怖いよ」


「何?」


「それも自覚なしかい?『彼』が恋人と仲良くやっていると僕が言った瞬間からずっと眉間に皺を寄せて不機嫌になっていたじゃないか」


「…知らん。気のせいだ」


 そう。少なくとも我にそんな自覚はない。


『何処で』『誰が』『誰と』仲良くしようと我には関係のない話だ。


「ほらほら。また眉間の皺が濃くなっているよ」


「…気のせいだ」


 休暇中の『記録』は全て消去した筈だ。


 消去した筈なのに――何故か我の行動の節々に『何か』がこびりついているような気がする。


「そもそも、何故我は娼婦などに落とされねばならなかったのだ?」


 話の流れを変える意味でも話題を変えてみる。


「あれ?そこは覚えているのかい?」


「『管理者』が保存している『記録』を読んだだけだ。我自身の『記録』は完全に消去されている」


「ふぅ~ん」


 何故か疑惑の視線で我を見てくる『調停者・男』。


 我とは違い『対外用』に調整されているので高いコミュニケーション能力を有しているのが厄介だと思う。


「休暇中の君は完全に人間種に偽装してあったからね。僕達が仕事でやるように『あの世界』に転生したのと同じようなものさ。だから君が娼婦に落ちたのは君に運が無かっただけの話。僕に文句を言われても困るよ」


「…ふん」


 それは予想していた返答だった。


 唯、話題を変えようとしただけなので答えにはなんの期待もしていない。


 期待していなかった筈なのに…。


「(転生…か)」


 今の我の肉体は『ソフィア』と呼ばれていた者であると『管理者』の記録には残っている。


『調停者』として覚醒した時点で色々と変質してしまった筈だが、それでもベースは『ソフィア』という人間種として生まれた女の物だ。


「お腹…どうかしたのかい?」


「何?」


 言われて気付く。


 我はいつの間にか自身の腹――下腹部を撫でていた。


 その理由は――思い当たらない。


「それも無意識の行動って奴なのかい?」


「……」


 我が撫でていたのは人間種だった頃は――丁度『子宮』があった場所だった。


「(記録では…『最後の日』以外には子供が出来ないように『避妊薬』を服用していた筈だ。だから我は妊娠などしていない…筈だ)」


 そもそも『調停者』として覚醒した我には生殖能力などないのだから子供を身篭る筈が無い。


 無いのに…。


「…重症だね」


「あ」


 気付けば無意識に下腹部を撫でている。


 まるで――失ってしまった『宝物』を捜し求めているような手付きで。




 ★




 大魔王から式紙を通して呼び出しを受けた。


 ソフィアが居なくなって意気消沈していても仕事とあれば呼び出しに応じなくてはならないのが辛いところだ。


「あなた様。例の『通信石』はお使いになられないのですか?」


 俺が未だに式紙を使って連絡を取っている事に疑問を覚えたのかオリヴィアは困惑顔で質問してくる。


「ああ。あれって元は精霊王の持ち物だっただけあって純粋な『通信石』って訳じゃなかったんだよなぁ」


「???」


「猜疑心の強い精霊王がオリヴィアを監視する為に持たせた『監視装置』っていう方が正しい代物だった。あの石の中にオリヴィアの行動を記録して、通信機能で記録を送信していたんだ」


「…最低ですね」


「同感だ」


 日本だったら映像流出なんて取り返しが付かない犯罪だ。


「まぁ、でもあれはあれで使い道があるし別の用途に使わせて貰う予定だよ」


「別の事…ですか?」


「その内ベッドの中で教えてやるよ」


「まぁ♡」


 ポッと頬を染めるオリヴィアが可愛い。


「マスター。準備完了致しました」


「ああ。ご苦労さん」


 まぁ準備と言っても家の施錠をするくらいなのだけれど、報告をしてきた輝夜の頭を撫でて褒めておく。


「~♪」


 輝夜は嬉しそうに目を細めてされるがままになっていた。


「それじゃ…行くか」


「はい。あなた様」


「イエス、マスター」


 2人を連れて転移石を起動した。






「ふむ?嫁はどうしたのだ?ラルフよ」


「…ちょっと実家に帰っております」


 謁見の間に1人で現れた俺を見て尋ねて来た大魔王に自嘲気味に返す。


「喧嘩か?原因は知らぬが早めに解決しておくが良い。貴様の『やる気』は嫁が居ると居ないとでは雲泥の差だからのぉ」


「無論、全力で対処中です」


 実際、今も俺の頭の中では止まる事無く演算が続いている。


「ふむ。私は天使どもに対しては譲歩するつもりはないが、天翼種に含むところは無い。次からは貴様の元カノを同行する事を許可してやろう」


「ありがとうございます」


 ソフィアが居ない現状、とりあえずオリヴィアを連れてくる事を許可してくれた大魔王の采配はありがたいのだが――1つだけ容認出来ない事がある。


「ですが『彼女』は既に『元カノ』ではなく『恋人』である事は報告させていただきます」


「ほぉ。完全によりを戻したという事か」


「はい」


「結構な事だ。それで貴様のやる気が上がるのであれば言う事は無い」


「ははっ」


 余計なお世話だ。


「さて。本題だが…貴様は『これ』を知っているか?」


 大魔王が懐から取り出したのはガラス製のアンプルの中に入った液体だった。


「私の記憶が正しければ『魔力増幅薬マジカル・ブースター・ドラッグ』…ですね」


 ちょっと前から世界規模で流布された危険指定されていないのが不思議なくらいの危険で中毒性のある薬品だ。


「当然知っておるか。解析は済んでおるな?」


「勿論です」


 既にサンプル品は手に入れて『スキャン』で解析した上に、ソフィアが居なくなる前に調薬で再現するところまで終わっている。


 ソフィアが居なくなる前にしていた最後の仕事が『これ』だった。


「この薬の効果は服用者の魔力を爆発的に増幅させるというものですが、当然のように副作用があります」


「『心核コア』…だな?」


「はい。魔力を生み出す『心核コア』…心臓を無理矢理活性化させて魔力を搾り出している訳ですから服用者の心臓には強い負担が掛かります。おまけに効果は一時的で使用後の数日は魔力は空になって生み出す事が出来なくなります」


「死亡率も高そうだのぉ」


「はい。私が確認したところでは服用者の約5%が死亡、生き残った者でも重い後遺症を残す者が多数です」


 この手の薬にありがちな服用中は脳内から快楽物質が分泌される為、薬の効果も相まって麻薬以上に依存性が高いのも厄介だ。


「薬を広めておる輩の調査はどうなっておる?」


「売人は何人かを捕らえて拷問してみましたが首謀者の情報は持っていませんでした。私の調査で絞り込めない相手という情報から逆算して可能性が高いのは…『天使』かと思われます」


「同感だのぉ。奴らは私の地上への未練を断ち切るのが目的のようだからのぉ」


「……」


 それは今初めて聞いたぞ。


 しかし大魔王の力を奪っただけで何がしたいのかと思ったら『大魔王の地上への未練を断って天界に呼び戻す』のが目的だったのか。


 仮定の話ではあるが俺が居なければ100万の大軍相手に護衛に徹するサミエルでは逃げる事しか出来なかった筈…。


「凄く嫌な予感がします!」


「くっくくく。相変わらず勘の良い奴よ」


 そう。『俺が居なければ』天使達の策略が成功した可能性が高い以上、逆に言えば次の天使達の標的となるのは高い確率で俺――『魔王ラルフ』という事になる。


「そ、そういえば教会で天使が1匹襲ってきたので返り討ちにしたのでした」


「確定のようだのぉ」


「う…うぅ」


 天使達の計画の邪魔をした上に、尖兵となる天使を1匹排除した俺を危険視した天使族が俺を狙ってくるのは確定したようだ。


「その上で、こんな薬が世間に出回っておるとなると…」


「次の相手は薬で魔力を増幅させて強化された『一般人』の可能性が高い…という事ですね」


「薬の生産状況は知らんが『使い捨て』にするならそれが最も効率が良いであろうな」


「いつ、何処で、何人に襲われるか分からない上に、いつまで襲撃の可能性があるかわからない…というのが非常に厄介です」


「少なくとも期限は『私の力が戻るまで』は嫌がらせレベルでちょっかいを掛けられるであろうのぉ」


 天使からしてみても『大魔王の力を奪う』なんて事は大仕事だろうから2度も成功するとは思えない。


 その為、大魔王の力が戻る前に邪魔な俺を排除するか、嫌がらせで行動を抑制する気なのだ。


「現状、貴様にしてやれる事はないが…精々気張って生き残る事だ」


「ご忠告…ありがとうございます」


 面倒臭ぇっ!


 超面倒臭ぇ事になった!


 サミエルが居なかったらマジで大魔王を見捨てて速攻逃げているレベルの厄介事だよ!




 ★




「その薬を使うと具体的にどういう事が起きるのでしょうか?」


「そうだな。例えるなら人間種の一般人が服用した場合、英雄種並みの魔力を一時的にだが得る事が出来る」


「そこまで…ですか」


魔力増幅薬マジカル・ブースター・ドラッグ』の効果は致命的な魔力差がある相手であっても簡単に状況を引っくり返せるくらい強力なものだ。


「おまけに極度の興奮状態に陥って、あらゆる刺激が『快楽』に変換される。肉体的に感じる『痛み』もだが、精神的に感じる『罪悪感』すらも」


「地球にあった麻薬よりも圧倒的に性質が悪いですね」


「…同感だ」


 魔力を増幅するだけの作用だったのなら心臓に掛かる洒落にならない負担の為に想像を絶する苦しみを味わう事になるのだが、その『苦しみ』すらも『快楽』に変えてしまうのが厄介なところだ。


「これからはそんな物を服用した集団に襲われる訳ですか。何処かに隠れておいた方が良いのではありませんか?」


「天使の索敵能力の性能を把握しておかないと、下手に隠れて逃げ道を塞がれる方が厄介だよ」


 天使達がどうやって俺達を『見ているのか』を知っておかないと下手に隠れるのは愚策となってしまう。


「大魔王にはお聞きにならなかったのですか?」


「大魔王が天界に居たのは何千年も前だからなぁ。大魔王本人も千里眼は持っていなかったし、分からないって」


「大魔王が天界を去ってから開発された新しい技術という事でしょうか?」


「かもなぁ」


 自宅のソファに座る俺に正面から抱きついているオリヴィアを抱き返して背中や頭、偶に翼なんかも撫でる。


「贅沢な話かもしれませんが…」


「ん?」


「ソフィア様が居た時の方が…こうしている時間は幸せでした」


「…俺もそう思うよ」


 ソフィアという正当に妨害してくる相手が居たからこそ、こうして『いけない事』をしている時間がとても大切に思えたのだ。


 誰にも妨害されない時間は確かに落ち着くけれど――前より幸せかと問われたら困ってしまう。


「~~~っ!」


 そう思ったら猛烈に人恋しくなって腕の中のオリヴィアを強く抱きしめる。


「あなた様?」


「居なくならないでくれよ。お前は…絶対に手放さないからな!」


「…はい♡」


 オリヴィアも強く、強く俺を抱き返してくれた。


 ソフィアが居なくなった事は俺にとって想像していた以上に、ずっと大きな負担だった。


 あの時――去っていくソフィアを無理矢理にでも引き止めるべきだったと今更ながらに後悔する。


 確かに準備が出来ていない現状、勝ち目は無かったが――頭で割り切れないのが男女の関係という奴なのだ。


 その日の晩、俺は幾度もオリヴィアを求め、そしてオリヴィアも幾度も俺を求めた。




 ★




 翌朝。


「おはよう…オリヴィア」


「おはよう…ございます。あなた様♡」


 俺とオリヴィアは当然のように寝不足だったけれど、それでもかなりスッキリした。


 寝不足で頭はぼやけていたけれど、それでも昨日まで沈み込んでいた気分は持ち直して…。


「あ」


 2人で部屋を出たらドアの外で輝夜が座り込んでいた。


「何…してるんだ?」


「こほん。も、勿論マスターの事が心配だったので、いつでも駆けつける事が出来るようにとドアの前で待機していました!」


「……」


 嘘臭ぇ。


 どう考えても壁より薄いドアに耳を張り付けて出歯亀していたようにしか見えない。


 普段なら、ある程度はお茶目として見逃しても良かったのだが…。


「お仕置き…だな」


「え?エッチなお仕置きですか…!」


「なんで嬉しそうなんだよ」


「どんな罰でもお与えください!マスター♡」


「……」


『ドールズ』って結構Mなのかな。


 朝っぱらから少し苦悩する羽目になった。




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