第16話 『S級魔法士。子守と撒き餌』


 現状、俺は無駄に高性能で厄介な呪いを掛けられているという事以外、特に問題らしい問題は浮上していなかった。


 していなかった筈なのだが…。


「で?」


「っ!」


 何故か再び俺の前で綺麗な土下座をしているレギニアが俺の尋ねる声に反応してビクッと身体を震わせる。


「俺がお前への対処として実行したのは『保留』であって『許した』訳でも『和解』した訳でもない」


「そ、それは…分かっている」


「分かっていて何故、俺に接触してくる?」


 俺とこいつの関係を考慮するなら同じ冒険者ギルドに所属しているとしてもお互いスルーし合うのが最善というものだろう。


「じ、実は…」


 レギニアの『言い訳』を纏めると大体次のようになる。




 1つ。レギニアが以前までに冒険者として稼いだ金は泊まっていた宿に預けてあったのだが宿泊期間の料金が超過した時点で従業員の1人が金を持って逃げたらしい。


 当然、苦情は出したものの保証期間を過ぎても戻らなかったレギニアが悪いと言われれば文句も言えないし、そもそも逃げた従業員の分損失になるので宿を責めるのはお門違いだろう。


 2つ。金が無いのだから再び冒険者として稼ごうという事になったのだが冒険者として仕事をする以上、連れの少女――エレンの面倒を見る事が出来ない。


 冒険者仲間に面倒を頼もうにも彼らは子育てなど出来ないし、それ以前に彼らも暇という訳ではない。


 最悪、1日くらいなら我慢して面倒を見てくれるかもしれないが彼らも働かなければ生活が出来ない訳でエレンをある程度の期間預けられる人が居ないという事。




 以上2つがレギニアの陥っている現状な訳なのだが、そこで俺に土下座してくる意味が分からない。


「こ、困り果ててレイラさんに相談したんだが…」


「『お姉ちゃん』は『お姉ちゃん属性』であって『お母さん属性』は持っていないから子育てなんか手伝ってくれんだろう」


「…お姉ちゃん?」


「黙れ。聞くな。殺すぞ」


「は、はひぃっ…!」


 この厄介な呪いは本気で――本気で厄介なんだよぉっ!


「で?」


「は、はい。その…レイラさんに相談したら冒険者ギルドの中にろくに仕事をせずに1日中ダラダラしている夫婦が居るから、その人達に面倒を頼めって言われて…」


「へぇ~。世の中には怠惰な夫婦も居るもんだなぁ~」


「本当ですねぇ~」


 俺が笑って話し掛けるとソフィアも同意して笑ってくれた。


「お願いしますっ!お願いしますっ!」


「ちっ」


 折角惚けたのに大声で土下座しながら頭を下げられて誰が『怠惰な夫婦』なのか浮き彫りにされてしまった。


「俺に女を預けて無事に返って来ると思っているのか?」


「…レイラさんが『あの子はお嫁さんの尻に敷かれているのが幸せだから、お嫁さん以外の女には絶対に手を出さない』って保証してくれた」


「……」


 あの『お姉ちゃん』めがぁっ!


 本当に俺の事を良くわかってんじゃねぇか!畜生がぁっ!


「最悪それが本当だとして俺が対価も無しに面倒を引き受けるとでも思っているのか?」


「れ、レイラさんが『これ』を渡せって…」


 レギニアが俺に差し出してきたのは長方形のチケットのような大きさの紙切れ。


 そこに書いてあってのは『お姉ちゃん用肩叩き券・1日分』の文字。


「……」


 あ、はい。この間『お姉ちゃん』が誕生日だから何かプレゼントを寄越せと言うので『肩叩き券』をやったら、いつの間にかこういう形に変貌していました。


 マジで券を使われて仕方なく肩を叩いたら『おふぅっ♡』とか気持ち悪い声を上げられてドン引きして肩叩きを断固拒否したら物凄く恨めしい目で睨まれた。


「(あの『お姉ちゃん』めぇっ!マジで根に持ってやがったのかぁっ!)」


 なんでレギニアに協力的なのかと思ったら、そういう事かよ!


「ま、まぁ…ちょっとくらいなら手伝ってやっても良いけどな」


 俺はレギニアから『お姉ちゃん用肩叩き券・1日分』を受け取ってビリビリに引き裂いて更に火の魔法で燃やし尽くして灰にする。


「あ、ありがとうございます!」


「…今回だけだからな」


「はいっ!」


 俺の記憶が確かなら『お姉ちゃん』にやった『肩叩き券』は10枚セットだった筈。


 その内、最初の1枚で例の気持ち悪い声を出されて断固拒否したので残り9枚。


 それを今1枚処分したので残りは8枚の筈だ。


 俺の勘――というか本能的な部分が激しく警鐘を鳴らしている。


 この『俺の不注意によって生まれてしまった危険物』は早めに処分しないと、きっと後々で取り返しの付かない事なる。


 レギニアの頼みを聞くなんて屈辱に極みだが――それで『お姉ちゃん』から『危険物』を排除出来るなら安いものだ。




 ★




 という訳で俺は仕方なくエレンとかいう少女の面倒を見る破目になってしまったのだが…。


「あ~。う~?」


「行動は本当に赤ん坊そのものだな」


「…小さくない赤ちゃんは可愛くないです」


 俺は特に感慨もなかったがソフィアは何故か不満そうだった。


「小さな子供だったら予行演習も出来ましたのに」


「……」


 子供、か。


 毎晩可愛がっているソフィアに仕込んでも良いのだが正直な話をすれば、もう少しだけソフィアとの『2人だけのラブラブな生活』を楽しみたかった。


 それにはソフィアも同意してくれて、ある程度満足出来てから子供を作ろうという約束になっていたのだ。


 幸いソフィアが作る避妊薬は優秀で副作用がなく、更にソフィアが本気で俺の子供が欲しいと思ったらいつでも服用を辞めて良いとも言ってある。


 未だに子供が出来る兆しが無いという事はソフィアももう少し2人っきりが良いと思っているという事だ。


 そんな事を考えつつ俺はボンヤリとエレンを観察していたのだが…。


「(そういやレギニアの話では人間と同じなのに『魔法生物』とか変な説明していたな)」


 気まぐれ――というにはかなり慎重にエレンに向けて『スキャン』を発動して診察をしてみる。


「(あ~。やっぱそういう事か。な~んとなく管理者がレギニアに『コンティニュー』を許可した理由が分かった気がするわ)」


 そもそも俺は最初からレギニアの話なんぞ端から信じていなかった。


 レギニア自身は『都合の悪い話を誤魔化す』程度が精々で『嘘を交えた駆け引き』なんて高度な事は出来ない。


 けれどレギニア自身が嘘を吐いていなくてもレギニア自身が得た情報が操作されているとすれば信じるに値しないのだ。




 で。話を整理すると…。


 1つ。レギニアが死んだら『地球に転生してしまう』という話が嘘くさい。


 そもそも管理者サイドが言っているだけで信憑性が皆無だし、もし本当だとしても奴らの言うように地球に転生してからもう1度こっちに転生させれば良いだけの話だ。


 奴らの言う通りレギニアなら記憶さえ引き継がせなければ何度でも騙して連れて来られるだろうし、わざわざ壊れかけた――否、壊れたレギニアを修理して『コンティニュー』させるよりは簡単な話だ。


 何十年、何百年、下手をすれば何千年単位の計画なのに今更十数年を惜しいと思うような奴らでもあるまいし。


 2つ。エレンがレギニアの『ストッパー』だという話が怪しい。


 確かにエレンをレギニアに預ける事で奴の無謀さのようなものは消えて『保守的』な性格になったかもしれないが、それだけの為に『こんなもの』を生み出すか?


 レギニアの好きにして構わないと言われたらしいが俺から言わせればレギニアの性格を把握している管理者なら奴がどういう行動を取るのかなど手に取るように分かるだろう。


 レギニアにエレンを預けた場合『必死に育てようとする』『女として手は出さない』『保守的な性格になる』という経緯を取る事など誰にでも予想出来る上に――『誇りを捨ててもエレンを育てる為に王都に戻ろうとする』まで予想出来てしまう。




 以上2つの『仮定』を踏まえた上で管理者サイドがレギニアを修理してエレンを預けた理由を推察してみると…。


「(俺へと『メッセンジャー』ってのが1番『ありえる』可能性だな)」


 管理者達に『俺に直接接触出来ない』という制約があると仮定すれば尚信憑性が高まる。


 俺に直接接触出来ないから利用しやすそうなレギニアが『ゲームオーバー』になったところで『コンティニィー』させて『エレンを俺に』届けさせる。


 正体不明で、しかも『魔法生物』という断片情報を漏らしておけば確実に『スキャン』で調査するのは分かりきっているので『スキャン』で診査する事でエレンの中に隠された『管理者サイドからのメッセージ』を俺に伝えるのが目的だったと思われる。


「(これで何が1番性質悪いのかって言うとレギニアに対して『一切嘘を吐いていない』事になる事実が最低に性質悪ぃ)」


 レギニアが本当に『地球へ転生するのか?』などという問いは俺やレギニアには確かめようがないし、エレンが実際にレギニアに譲渡されているのも事実だ。


 そして『メッセンジャー』としての役割が終わったエレンをレギニアがどう扱おうと管理者にとっては知った事ではない。


 彼女の役割は俺に『メッセージ』を伝えた時点で終わっているので後はどう生きようと管理者には関心がないのだ。


 この事実はつまり――『レギニアは管理者に利用されただけなのに、レギニア本人としてはエレンをくれた管理者に感謝して、何かあった場合は恩によって管理者の駒として動く便利屋になる』という事だ。


「(マジで性質悪ぃなぁ)」


 利用しつつ恩義を売り必要な時には再利用する。


 これが管理者の行動方針って事らしい。


 まぁ、俺も人の事は言えないが管理者も相当って事だ。






 で。肝心のエレンを『スキャン』した結果なのだが…。


「(なるほどねぇ。確かに人間でもあるし『魔法生物』って言っても間違いじゃないわなぁ)」


 基本的な身体の構造は完全に人間と同じだ。


 これなら確かに『子供を産む』事も出来るだろう。


 しかし普通の人間とは違ってエレンの中には赤い宝石――魔法石が仕込まれている。


 その魔法石がエレンの『動力源』として作動していた。


「(今は良いけど、いずれ魔法石の中に蓄積された魔法力が尽きれば動けなく…生命活動が維持出来なくなって死ぬな)」


 エレンのエネルギーは基本的に魔法石に蓄えられた魔法力で補われている。


 ぶっちゃけ口から摂取した食べ物は全く身体に吸収される事なく体を通過しただけで排泄物として排出されるだけで意味がない。


 エレンにとって食事など意味が無いという事だ。


 流石に運動エネルギーとして消費された水分は補給する必要があるだろうが言い換えれば水さえあれば魔法力が尽きない限り何も食べなくてもずっと生きていけるという事。


 魔法力が尽きた時点で死ぬ事になるが、そこはレギニアにでも魔法力を精製する術を習得させて定期的に補充してやれば済む話だ。


「(俺が『スキャン』して調べなかったらいずれ死んでいた…って仮定は意味が無いな。俺に『スキャン』させる為のエサをばら撒きまくっている訳だから俺が調べない可能性とか皆無だと思っているだろうしな)」


 何より俺は実際にエレンを『スキャン』で調べた訳だし。


 そんな感じにエレンに対する考察をしていると当のエレンが俺をジッと見ている事に気付いた。


 考察していたと言っても俺の思考速度は常人とは比べ物にならないくらい速いので僅か数秒程度だ。


 その数秒間エレンは俺の事をジッと見つめていたらしい。


「ふむ。こいつってまだ喋れないんだっけ?」


「生まれてからまだ1ヶ月も経っていないので喋るのは難しいかもしれませんね」


「…暇だし何か芸でも仕込んでみるか」


「それ。犬猫と違う」


 不穏な事を口走ったら『お姉ちゃん』に止められた。


 とても俺に対して呪いを掛けたのと同一人物とは思えないくらい『まとも』な発言だ。


 とりあえず3人でエレンを喋れるように教育する事になった。


 え?エレンに仕込まれていた『メッセージ』はなんだったのかって?


 管理者サイドがやる事だし俺にとっては余り嬉しくない事だったよ。




 ★




 時間が中途半端だったのでレギニアが依頼を終えて帰ってくるまでエレンに仕込めたのは『おか~』とかいう半端な言葉だけだった。


 そこから『おか~さん』に発展するのか『おかえり』に発展するのかは不明だが、それを言われたレギニアは猛烈に感動して泣いていた。


「言っておくが言っている本人はまるで意味を理解していないからな」


 と一応忠告はしておいたが何故か俺に対しても猛烈に感謝された。


 駄目だ、こりゃ。


「ああ。それと…」


 ついでにエレンの中にある魔法石と魔法力を定期的に補充してやらないといけない事を説明してやる。


「そ、そんなの、どうやって補充すれば良いんだ?」


「魔法は『法』で師弟の関係じゃないと教えて貰えないが魔力を制御して練り上げて魔法力を精製する事は『法』に触れない。親切な人に頼めば教えて貰えるんじゃね?」


「……」


「甘えるな。俺やソフィアに頼むのはお門違いだ。街中を駆け回って教えを請え」


「うぅ。わかった」


 まぁ魔法とは違って、こっちは金さえ出せば教えてくれる奴も現れるだろう。






 エレンを預かっていた数日、俺とソフィアは夜の生活がご無沙汰――とかにはなっていない。


 ぶっちゃけ夜には我が家の空き部屋に放り込んでソフィア特性の『副作用のないっぽい睡眠薬』を仕込んで眠らせてから『お楽しみ』をしていた。


 乱暴?


 俺らに頼んだ時点でこうなるのは自明の理だったし文句を言われる筋合いも無い。


 つか。半分魔法生物みたいなものだし一晩強制睡眠させるくらいなら特に支障はない。


 という感じでレギニアとエレンに関して問題らしい問題は浮上しなかった。


 問題が浮上していたのは別の場所でだ。


「む?」


「旦那様?」


「…獲物が餌に食いついたっぽい」


「あら。やっとですか」


 レギニアに俺は特に『○○するな』というような制約を掛けていない。


 奴の頭の出来では何を言っても無駄だろうし下手に制約を掛ければ逆に頭の良い奴に利用されかねない。


 だから俺はレギニアに『監視の式紙』を1体付けただけで特に何かを制限するような事は何もしていない。


 蜘蛛型の『監視用式紙』を付けると奴に言って実際に身体に張り付かせているが逆に言えばそれだけ。


 それだけで――レギニアは必死に考える。


 監視されているという事は俺にとってなんらかの『不利は行動』『不利な発言』をした瞬間にエレンに危害が及ぶという事。


 実際には俺はレギニアの奴を『常時監視』とか『エレンを人質』とか面倒な事をやるつもりはないがレギニアが勝手にそう思っている分には支障はないので否定などしてやらない。


 だから、まぁレギニアは常に俺の監視を意識しているので俺の不利になりそうな事は基本的にやらないと思って良い。


 それなら『餌』とは何かというと――もう1人居るじゃないか。




 ☆




「ふぅ」


 エリュス=コーラルは1つ嘆息してから工房を見渡して少し休憩する事にした。


 ここは王都に存在する大手の商店の1つ。


 そこで彼女は『お菓子作り』を担当して販売する責任者という立場に立っていた。


「やっと。やっとここまで来られた」


 エリュス=コーラルは転生者である。


 現在の年齢は22歳。女性ではあるが――あまりお洒落に気を使う性分でも無いし仕事柄清潔さは保っているが髪や肌の手入れは余り意識してこなかったので『見た目麗しい』という訳でもない。


 そんな彼女は10歳の時から下働きとして今の商会に入り始め、15歳で正式に入社、19歳の時にお菓子作りを上司に提案し、22歳でやっと形になって責任者という立場まで上り詰めた。


 エリュスが地球からこの世界への転生を受け入れた理由として彼女が地球でOLとして働いていたという事が原因として挙げられる。


 遣り甲斐のない仕事。同僚の愚痴を聞かされるだけの休憩時間。鳥肌の立つ上司からのセクハラ。


 OLとは名ばかりの雑用係としての毎日に彼女は辟易していた。


 そこで持ちかけられたのが『異世界転生』だ。


 正確にはそういう方向へと誘導された訳だが、それでも彼女にとっては『ここじゃない別の世界でやり直せる』という機会を逃すつもりはなかった。


 転生したのは想像以上に過酷な世界ではあったけれど、それでも彼女は自分の財産である『地球の知識』を有効に使って成り上がろうと野望に燃えた。


「まさか私に出来る事が唯一の趣味だった『お菓子作り』だけとは思わなかったなぁ」


 曲がりなりにも地球ではOLとして働いていた訳だから商会に入れれば最前線でトップを張れると思っていた。


 直ぐに『唯の雑用係』には過ぎた夢だったと挫折する事になった。


「(考えてみたら仕事らしい仕事なんて全然やらせて貰えなかったのよねぇ)」


 やっていた事といえば『お茶汲み』『書類のコピー』『連絡事項の伝達』くらいで他の時間は同僚のOL達と給仕室で愚痴を聞くだけの毎日だった。


「(あの時間はまさに地獄だった)」


 同僚のOLが漏らす愚痴は会社の人間の悪口、悪口、悪口――延々と繰り返される悪意の吐露だ。


 エリュス自身から言わせて貰えば『お前らに他人の悪口を言う資格はない』と思っていた。


 口には出さなかったが悪口を言う同僚のOL達の悪いところならレポートにして100枚でも書ける自信があったのだから。


 そういう訳で会社に勤めていた筈なのにたいした技能もなかったエリュスは唯一の技能である『お菓子作り』で成り上がってきたのだ。


「(折角『剣と魔法の世界』に来たのに、どうして私はお菓子を作っているんだろう?)」


 異世界からの転生者であるエリュスは当然と言えば当然の事を思う。


「(こういう場合って普通魔法とか覚えて勇者のお供とかして魔王を倒すんじゃないの?)」


 エリュスの考えは王道的な思考としては正しいが、この世界で魔法を学ぶ事が困難であるという事は22年の経験から十分に分かっていた。


「(魔法を使えるのは貴族か選ばれた一握りの天才だけ。人生諦めが肝心)」


 ともあれ休憩を終えた彼女は商品であるお菓子作りを再開しようとして…。


「あ」


 最近、良く見かける『小鳥』を見つけた。


「おいでおいで~」


 手招きして呼べば警戒心も無くエリュスの手の上に飛び乗ってくる小鳥。


 最初に見かけた時は不気味に思ったが構ってやれば意外に人懐っこくて直ぐに彼女のお気に入りになった。


「…でも御飯は食べてくれない」


 何度か余ったお菓子を与えようと思ったが一向に食べてくれる気配は無く流石に彼女も小鳥に餌を与えるのは諦めた。


「(こんなに人懐っこいという事は誰かに飼われているのかも)」


 そう考えれば彼女の手から餌を食べないのも納得する。


 人懐っこく見えてもキチンと躾をされているのだろう。


 そうやって小鳥と戯れて和んでいた彼女は…。


「呑気なもんだな」


「っ!」


 背後から聞こえてきた聞き覚えの無い声にビックリして振り返っていた。


 彼女の視界に入ってきたのは彼女よりも少し年下くらいの二十歳くらいの青年。


「だ、誰ですか?」


「ちっ。わざわざ確認に来たってのに『こいつ』は外れかもな」


「…え?」


 意味不明な青年の言動に彼女は困惑する。


「ふん、まぁ良いか。少しばかり『期待外れ』だったが餌としてなら使えるかもしれんしな」


「っ!」


 良く分からなかったけれど何故か悪寒を感じて後ずさるエリュス。


 逃げる。悲鳴を上げる。助けを呼ぶ。


 そのいずれの行動を起こす事も出来ずエリュスが混乱の極みで硬直している時に――それは起こった。


「…は?」


「え?」


 お菓子作りの工房に居たと言ってもエリュスが休憩していたのは正確には商店の『裏庭』だった。


 そして青年が立っていたのも裏庭の『土』の上で――その『土の中』から大きな気味の悪い蟲が何匹も飛び出して青年の身体を拘束した。


「な…んだこりゃぁっ!!」


 青年の叫びはもっともで、しかし肝心の青年を拘束した蟲達は容赦なく青年の動きを封じて…。


「や…めぇっ…!」


「…あ」


 エリュスの目の前で土の中に引きずり込まれて――姿も声を消えた。


「え~と…」


 勿論エリュスには何が起こったのか理解出来なかった。


 何が起こったのか理解は出来なかったが――肩をチョンチョンと突かれて我に返る。


「あ」


 例の小鳥が彼女を慰めるように彼女の肩に乗っていた。


「うん、そうだね。仕事に戻らなきゃ」


 とんでもない事が起こった気がするが、それでも働かないと生活していけない。


 エリュスは今起こった事に後ろ髪を引かれつつも――真面目に仕事を再開した。




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