第12話 『S級魔法士。お姉ちゃん(?)』


 王都冒険者ギルド所属、職員のレイラは『お姉ちゃん』である。


 実際には彼女は1人っ子で弟も妹も居た試しがないが、それでも彼女は間違いなく『お姉ちゃん』だった。


 例え年上だろうと年下だろうと、男だろうと女だろうと『駄目な子』の面倒を見るのが彼女の生き甲斐で、まさしく生まれながらの『お姉ちゃん』だった。


 そんな彼女の所属する冒険者ギルドに特別『駄目な子』が入ってきた。


 口だけは回るくせに、ろくに仕事もせずに、しかも女にだらしない。


 そんな彼を見て彼女は確信した。


「(駄目。この子には普通の『お姉ちゃん』じゃ全然足りない。この子には『一生面倒を見る気のお姉ちゃん』じゃないと対処出来ない)」


 勿論、彼女には自分の行動が『駄目人間を量産する行為』だという事に自覚はない。


 しかし例え自覚があったとしても何も変わらなかっただろう。


「(その程度で自制出来るような『お姉ちゃん』は『本物のお姉ちゃん』じゃない!)」


 と意味不明な根拠で突っ走るのが彼女のいう『本物のお姉ちゃん』として正しい姿だったからだ。


 もう1度言っておくが彼女は正真正銘の『1人っ子』である。






 駄目な弟(血の繋がりはないし本人に無許可)の教育は熾烈を極めた。


 全く仕事をしないのにこちらの言う事は全然聞いてくれないし、何を言おうと右から左に抜けていってしまう。


 おまけに相変わらず口だけは回り、こちらが言い負かされる事もしばしばだ。


「(このままだと将来は詐欺師になって夜道で女に刺される未来しかない)」


 彼女の中で駄目な弟(無許可)の未来がありありと浮んでくる。


 通常なら普通に見捨てるようなレベルの駄目な弟(暫定)だけど、勿論『お姉ちゃん』が弟(確定)を見捨てるなんてありえない。


 否。寧ろ駄目な弟(決定)だからこそお姉ちゃんが頑張って矯正しなくてはいけないのだという使命感に燃えた。






 その駄目な弟(真理)が『お姉ちゃん』である自分に重大な秘密を隠していた。


 頭の中が真っ白になった。


 彼女の中に明確に、それこそ殺意に限りなく近い『怒り』が燃え上がる。


 しかし、それは決して駄目な弟(もう思いつかない)に裏切られたから湧き起こった怒りではなく…。




「(お姉ちゃんに隠し事なんて…100年早い!!)」




 弟に秘密を打ち明けて貰えなかった事に対する、純粋な『お姉ちゃん』としての怒りだった。


 例え、その駄目な弟(屈服)がS級魔法士だったとして、SS級の冒険者だったとして、そんな事は『お姉ちゃん』の前では些細な事だった。


 重要なのは秘密を打ち明けてくれなかったという事実のみ。


「(なんて…水臭い!)」


 世間でどんなに優秀と賛美されようと『お姉ちゃん』からすれば『駄目な弟』以外の何者でもない訳で、彼女の中では既に彼は『駄目な弟』以外の者として見る事は不可能になっていた。


 そう。『お姉ちゃん』の弟に対する『無償の愛』は無限であると同時に――限りなく『盲目』なのである。


「(私は甘かった。外側からだけ干渉して矯正しようなんて砂糖にハチミツを掛けて食べるくらい甘い。今後、駄目な弟の外側だけじゃなく内側、仕事も私生活も全て含めて私が面倒を見てあげないと!)」


 勿論、優秀な彼女は自分が暴走しているという事をちゃんと自覚出来ていた。


 しかし自覚出来て尚、お姉ちゃんとしての自分が内側から囁くのだ。


「(暴走の手綱くらい握れないでなにが『お姉ちゃん』か!それに暴走くらいしてないと、あの駄目な弟を矯正なんて出来っこない!)」


 彼女の中で『お姉ちゃん』の定義が意味不明になっているが、そんな事は勿論彼女の中では些細な事なのであった。


「(急接近したら駄目な弟のお嫁さんを警戒させて動きにくくなる。ここは『お姉ちゃん』として徐々に接近して不自然じゃない感じに懐に入って入念に準備してから矯正していくのがベスト)」


 無駄に優秀な『お姉ちゃん』はヤンデレ気味のお嫁さん並に厄介なのだった。






 そういう訳で今は平静を装って駄目な弟と和解しつつ、駄目な弟のお嫁さんを懐柔して内側に入っていく作戦中である。


 作戦期間は『一生』を予定しているので焦る必要も無いし、そもそも弟の懐に入るまでに10年くらいを予定しているので怪しまれる心配も無い。


 事あるごとに『面倒臭い』を連発する『怠惰な弟』に対して思わず『お姉ちゃん』としての本能が表に出そうになるが鋼の精神力で自制した。


 まだ早い。


 駄目な弟に『お姉ちゃん』を見せるのは懐に入って十分な信頼を得た後で。




 ★




 ゾクッと背筋に寒気が走り俺は思わずキョロキョロと周囲を見渡す。


「どうしました?旦那様」


「いや。なんか…急に寒気が」


「風邪ですか?今日は早めにお家に帰ってお休みしましょうか?」


「いや。うん…そうしよう…かな?」


 風邪ではない気がするが、何故か『ここ』に居たら危険な気がしてソフィアの提案に乗って冒険者ギルドを出て家に帰ろうかと思う。


「お茶」


 そうして席を立とうとした絶妙なタイミングでレイラがお茶を持ってきてテーブルに置いて、そのまま去っていく。


「…タイミング悪」


 席と立っていたなら兎も角、席を立つ前に――しかも淹れたてのお茶を目の前に出されては流石に俺も勿体無いと思う。


「これだけ飲んで帰ろうか」


「そうですね」


 結局、なし崩し的に腰を落ち着けて居座ってしまう。


 そこで『はて?』と思う。


「(そういえば、なんで俺は冒険者ギルドに居座ろうなんて思ってたんだっけ?)


 俺の立場を考えればソフィアをGETした時点で冒険者に拘る必要など皆無だった筈。


 ソフィアとイチャイチャしてダラダラ出来る場所があれば良かった訳だし、その居場所に冒険者ギルドを選ぶ理由は――なんだったのだろう?


 その理由は――思い当たらない。


 思い出せない。


 唯、何故か冒険者ギルドを出て行ってはいけない――という気がしたのだ。


 本当に理由は全く思いあたらないのだが。




 ――計画通り




「?」


 何かが聞こえた気がして振り返るが、俺の視線の先に居たのはいつものすまし顔のレイラだけ。


「(…疲れてんのかな?)」


 やっぱりお茶を飲んだら早々家に引き上げるかと思いなおす。


「お茶菓子」


 と。何故か『また』絶妙なタイミングでレイラがお茶請けを持ってくる。


 こんなの別に食べる義理はないのだが――何故か妙に美味そうに見える。


「美味しそうですね♪」


「ああ。夕食の妨げにならない程度に摘んでいこうか」


 そして結局ソフィアと一緒に『それ』を摘みつつ『3人』で談笑して過ごす事になった。




 ――『お姉ちゃん』に逆らえる『駄目な弟』なんてこの世に居ない




「?…何か言ったか?」


「いいえ?」


「…早くカードを引く」


 俺は『3人』でカードゲームをして遊びながら首を傾げた。


「(あれ?俺…なんで遊んでんだっけ?)」


「早く引かないと君の負けにする」


「待て。たかがゲームだろうとお前に負けるのは御免だ」


 一瞬、頭に疑問が浮んだ気がしたが、直ぐにゲームに集中して疑問は消えた。






 俺は自分が冒険者ギルドに居座って居る事も、『3人』で遊ぶ事にも疑問を持たなくなっていた。




 ★




「…という感じに誘導する計画だった」


「怖っ!」


「大丈夫。さり気無く誘導するから本人には気付かれない」


「いや。本人目の前に居るんだけど。計画の全容話しているんですけど」


「…『駄目な弟』にせがまれたら『お姉ちゃん』は断れない法則」


「凄いけどダメダメじゃねぇかっ!」


 あぶねぇっ!


 危うくレイラに洗脳されて『駄目な弟』として魔改造されるところだった。


 つか。こいつマジで真性の『お姉ちゃん属性』だった。


「むぅ。折角の壮大な計画が一時の欲望によって費えてしまった」


「マジ危なかったぁ。危うく『お姉ちゃんルート』に入るところだったぜ」


「……」


「…なんだよ?」


「全てを正直に話したのだから対価を要求」


「あ~」


 この女に企みを話させる為にソフィアに許可を貰って1つの対価を支払う事になった。


「君は私の企みを聞きだす対価として『私の事を私の望む呼び方で呼ぶ』という契約書にサインした」


「この時点で既に俺になんと呼ばせたいのか予想出来るのが悲しい」


「今後、私の事は『お姉ちゃん』と呼ぶように」


「おうふ。やっぱりだよ」


 要するに『これ』が『一時の欲望』いう奴だ。


 俺に自分の事を『お姉ちゃん』と呼ばせる為に壮大過ぎる計画を諦めやがったのだ。


「さ。早速呼ぶ。りぴーとあふたみー『お姉ちゃん』」


「むぅ」


『なんで英語?』とかツッコミどころ満載だが、それでも契約書まで書いた以上、何回かは呼んでおかないとまずい気がする。


「お…」


「お?」


「お…ねぇ…ちゃん」


「おふぅっ♡」


 まるで胸を何かに『ズギュゥゥゥゥンッ』っと貫かれたように仰け反る『お姉ちゃん』。


「ハァハァ…も、もう1回呼ぶ」


「ちょっと気持ち悪いよ『お姉ちゃん』」


「はぐぅっ♡」


 恍惚とした表情がマジで気持ち悪い。


「だ、『駄目な弟』に『お姉ちゃん』と呼ばれる事がこれほどの威力を持っているとは…予想外♡」


「駄目だ。この『お姉ちゃん』早く何とかしないと」


「はふぅっ♡」


「…あれ?」


 もう何回か呼んだし、こんな契約さっさと終わりにしようと思っていたのに何故か『お姉ちゃん』の事を『お姉ちゃん』と呼んでしまったぞ。


「あれぇっ!どういうこった?『お姉ちゃん』の事を『お姉ちゃん』としか呼べなくなっているぞ!」


「はぐぅっ♡はわぁっ♡」


「おいっ!どういうこった『お姉ちゃん』!俺に何しやがった!」


「ひぎぃっ♡」


 っていうか良く考えたら心の中でも『お姉ちゃん』の事を『お姉ちゃん』としか呼べなくなってんぞ!


「って!『お姉ちゃん』の事を代名詞ですら『お姉ちゃん』としか呼べなくなっとるぅっ!」


「おほぉっっ♡」


 歓喜に仰け反ってビクビクっと痙攣する『お姉ちゃん』がマジキモい。


「ちょ、ちょっと待つ。これ以上呼ばれたら…流石に私も嬉しすぎて…失禁してしまう」


「『お姉ちゃん』マジキモい」


「あふぅっっっっ♡」


 別に呼ぶつもりもなかったのに俺の口から勝手に『お姉ちゃん』の言葉が飛び出して『お姉ちゃん』の言葉通り職員用の制服のスカートの下からジョバジョバと容赦なく液体が床に零れ落ちていく。


「マジで漏らしやがった『お姉ちゃん』」


「おふぅっっ♡」


 漏らした事に対してなんら感想を述べる間もなく更に大量に漏らし続ける『お姉ちゃん』。


「旦那様…コレを見てください」


「ん?」


 頭を抱えて蹲りたい現状でソフィアに呼ばれて机の上を見ると、さっき『お姉ちゃん』に書かされた契約書が乗っていた。


「これがどうした?」


「これ…一見唯の契約書にしか見えませんが…」


「?」


 ソフィアの言う通り俺の目には唯の羊皮紙で作られた契約書にしか見えなかったのだが…。


「んぅっ?」


 しかし良く見てみると俺がサインさせられた部分が少しだけ他の部分と色が違うような気が――しないでも無い。


 本当に極々小さな、注意して見ても普通は見逃してしまうようなほんの小さな違和感。


「これ…まさか…」


 俺は恐る恐る契約書を爪で引っかくようにしてカリカリ削ると――契約書の表面に張られていた薄い皮がサインをした部分を除いて綺麗に剥がれていく。


 そうして現れたのはドス黒くなるほど濃密に様々な文様が描かれた、どう見ても普通じゃない契約書。


「…どう見ても呪いの契約書にしか見えねぇ」


「はい。契約内容を強制的に守らせる呪いの契約書…ですね」


「おうふ。マジかよ」


 道理で『お姉ちゃん』の事を『お姉ちゃん』としか呼べない訳だよ。


「どんだけ俺に『お姉ちゃん』って呼んで欲しかったんだよ」


「これ…普通に買ったらかなりの値段がしますのに…物凄い執念ですね」


「『お姉ちゃん』マジ怖い」


 既に白目を剥いて失禁しながら歓喜の末に失神した『お姉ちゃん』は俺が『お姉ちゃん』と呼ぶたびにビクビク痙攣して反応している。


 職場でこんな姿を晒して、今後の『お姉ちゃん』の仕事に支障が出ないか心配だよ。


「というか心の中でも『お姉ちゃん』としか呼べないんだけど」


「単純な内容だけに、それだけに強力な呪いとなったようですね」


「これ…解呪出来るんだろうな」


 俺は改めて契約書の内容を読み取ってみる。


 契約書の効果は単純にサインをした者に契約書に書かれた内容を強制的に遵守させるというものだ。


 書かれた内容は『お姉ちゃん』を『お姉ちゃん』と呼ぶ事と力強く書かれて…。


「う~む。名前すら呼べなくなっているぞ。良いのか?これ」


「旦那様がレイラさんの事を認識する全ての言葉が『お姉ちゃん』に強制的に変換されているようですね」


「性質悪ぃ呪いだなぁ」


 で。この呪いは単純ゆえに強力、強力故に解呪も困難という面倒な呪いだった。


「契約の内容が複雑になればなるほど効果が薄くなって気休め程度の効果になるので本来の契約書としてはそう強い物ではないようですが、単純な内容になると強力な呪いになるようですね」


「うへぇ。契約書を破ったら呪いの強さが100倍になるように作られてる」


 俺もソフィアも魔法使いなので契約書の効果を読み取るのはお手の物だ。


 しかし、その俺とソフィアですらこの呪いを解呪するのは大変そうだ。


「とりあえず、この契約書は大事にとっておきましょう。下手に破ってしまうと取り返しの付かない事になりそうですし」


「そうだな。気が進まないが『魔法の鞄』に入れて…っ!」


 契約書を『魔法の鞄』に入れようとしたところで横から手が伸びてきて…。


「手が滑っちゃったぁ♪」


「ちょっ!」


 いつの間にか目を覚ましていた『お姉ちゃん』が――契約書をビリッと引き裂く。


「おぃぃいっ!なにしてくれてんだ『お姉ちゃん』っ!!」


「はふぅ♡大分呼ばれるのに慣れてきた」


「『お姉ちゃん』と違ってこっちは全然慣れてねぇんだよっ!」


「あんっ♡着替えてくる」


「スルーかよっ!」


 畜生めぇっっっ!あの『お姉ちゃん』がぁっっ!






 こうして俺は『お姉ちゃん』の事を『お姉ちゃん』としか呼べなくなってしまったのだった。




 ★




 数日後。


 俺は俺に掛けられた厄介な呪いの解呪を諦めた。


「こりゃ無理だわ」


「はい。契約書が残っていれば解呪出来たのですが、破られた上に効果が100倍になっているので解呪は現実的ではありませんね」


「向こうが用意した契約書を向こうが破り捨てて効果が永続になるとか普通に考えたらありえなくね?」


「普通なら契約内容と呪いの効果は別で、契約を破れば呪いの効果を100倍にするから契約を破るな…という使い方をするのでは?」


「契約内容と呪いの内容が同じで、しかも用意した方が破ったら望み通りの効果が発揮されるって裏技過ぎる」


 俺の想像よりも『お姉ちゃん』は狡猾で優秀だった。


「しかし呪いは限りなく単純だから、解呪は出来なくても呪いの効果を限りなく薄くする方法も簡単なんだよな」


「ええ。レイラさんを呼ばないで済む環境に移動すれば良い訳ですから。単純にレイラさんの居ない場所に引っ越せば済みますね。副作用もペナルティも無いようですし」


 そう。要するに『お姉ちゃん』の居ない土地に引っ越せば『お姉ちゃん』を呼ぶ必要もない訳で、呪いの効果は消えなくても効果を発揮しなくなる。



「『お姉ちゃん』の特殊能力、その1。お姉ちゃんは弟の考えている事など全てお見通し」



「ひっ!」


 背後から聞こえてきた『お姉ちゃん』の声に全身に鳥肌が立ち無意識に悲鳴を上げていた。



「『お姉ちゃん』の特殊能力、その2。お姉ちゃんは弟が何処に居ようと全ての感覚を総動員して見つけ出す事が出来る」



「……」



「『お姉ちゃん』の特殊能力、その3。弟はお姉ちゃんから逃げられない」



「それは…『お姉ちゃん』というより大魔王の特殊能力じゃないのか?」


 まぁ俺の主観では『お姉ちゃん』は大魔王より性質が悪いんですが。


 しかし『逃げられない』という事は良く理解出来てしまった。


 この『お姉ちゃん』冗談抜きで地の果てまで追いかけてきそうです。




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