第28話 2人だけの秘密
僕はまず本校舎の裏庭へ向かった。あそこは普段不良たちのたまり場になっているし、そこにならば村上武がいてもおかしくない。村上がいれば、そこにきっと澄がいる。
裏庭は体育館から近いためすぐに着いたが、そこには誰もいなかった。はずれだ。
早々に裏庭から切り上げ、部室塔、その裏にある空き地、本校舎の周辺……と順に捜索するが村上は見当たらない。もう校舎の外にまで出てしまったかと思い、校門の方に走り、校門付近の駐輪場で澄の後ろ姿を見つけた。
良かった、無事だった! 僕は心の中でガッツポーズをしながら澄の方まで走り、声をかけようとしたが、駐輪場の有様を見て声が出なくなる。
駐輪場は日常から明らかに逸脱した、酷く、惨い荒れ様だった。目に入ってくるのは、倒れた自転車、頭から自転車の山に突っ込む生徒、腰を抜かしてその場に座り込む生徒、左肩を押さえ片膝をつく村上武、そして…………冷ややかな視線で彼らを見下ろす澄の姿だった。
村上が激昂した様子で澄に食らいつこうとするが、澄は彼の伸ばしたナイフを左手で払い、身をかがめて懐に入ると肘を彼の鳩尾にねじ込む。うずくまりかけた彼の髪を鷲掴み、上方へ引っ張りそのまま鼻っ面に頭突きをすると、その流れで左肩へ蹴りを入れた。村上はその威力に吹き飛ばされ体を転がした。起き上がろうとする彼の制服はもう所々穴が開いていた。
これは一体どういうことだ……? 僕はてっきり澄が村上に文句を言いに行って、それで気が立った村上が澄に暴力を、下手したら切り付けられるのではないかと思って澄を探していた。しかし、蓋を開ければ澄の身よりも、村上の身が危険な状態だ。澄は空手やその他武道に精通しているし、力も強いと言っていたが、まさか自分よりも圧倒的に体格のいい村上をここまで圧倒するだなんて。
僕は、心配して損したと一瞬安堵を浮かべそうになるが、それは間違いだと直ぐに気付く。澄の今の状況、確かに身は大丈夫かもしれない。しかし、それと同じくらい大切な物を彼女は失おうとしているのだ。
曇った瞳をした澄はこちらに気付くと口角を微妙に上げる。目の周りの筋肉は動いておらず、妙な気味悪さを感じた。
「颯太さん、来てたのですか。安心してください。もうすぐ終わります」
「……終わるって、何がだ?」
「勿論、彼の始末が…………ですよ?」
澄はそう言うと、頭突きの返り血を浴びた顔を村上の方に向け、一歩踏み出した。まずい。澄は本当に村上武を…………村上武の命を終わらせようとしている。それが出来るだけの力を澄は持っていた。
「澄、待て!」
「何ですか、颯太さん? 私は今、かなり余裕がありません。たとえ颯太さんでも何をするか分かりませんよ」
「何だよ、脅しなんて澄らしくないよ。一旦落ち着いて」
「それは出来ません。こんなに怒ったのは初めてです。友達を殺したこの男を、そして軽率な行動で友達を危険に晒した私自身を、私は許せない」
唇を噛みながら澄がそう答える。一筋の血が流れた。
発言を聞くに澄はいくつか勘違いをしている。昌平のこと、そして澄が我を忘れるほど自分を憎んでしまっていること。少しずつ話を逸らして冷静さを取り戻してもらうんだ。
「澄は勘違いをしてるよ。まず昌平は死んでない。確かに刺されたけど肩に一か所、命に別状はない」
「そうだったのですか……それは良かったです。本当に良かった……しかし、私は止まれません」
「それと澄は自分を責めているけど、それも間違ってる。詳しく話すと長くなるから、今はしないけど、今回昌平が刺されたのは村上武が過去を重ねて勘違いした所為だよ。澄は今回ブローチ以外にも、色々選挙のために画策してたみたいだから責任を感じるかもしれないけど、関係ない」
「知っていたのですか……やはり颯太さんには気付かれてしまいましたか」
そこまで話したところで澄の瞳の色が戻る。今度は顔全体で苦笑いをしていて、気味悪さは感じない。
澄は今回、昌平を選挙で勝たせるために本当に色々と頑張ってくれていた。澄が最初から握っている切り札は一つだけ。僕もお爺さんから直接聞いた『生徒会長は面白い人がなる』と言うことだ。澄はそれに『球技祭の優勝』というフェイクの秘策を重ね、それを対立候補にも教える。恐らく僕らが最初に部室で話し合った際、盗み聞きされているのを分かってこのフェイクを持ち出しているのだと思う。昌平の口調がいつもと違かったのを注意したのは、盗み聞きする相手にきちんと誰が話しているかを分かってもらうためだったのだろう。
他に、演説の時のチャイムが早く鳴ったことも澄の仕業だ。今に思えば、風子と共に図書室に祭神奈さんに会いに行った日の二回鳴ったチャイム、あれは故障などではなく澄の練習だったのだと分かる。チャイムが早く鳴ることを先生が知らないというのもおかしいし、澄が渡した昌平の原稿、昌平が最後の一言で大馬鹿する可能性もあったのにあんな原稿になったのは、鼻から最後の一言なんて言わせるつもりがなく、そんな締まらない終わり方が『面白い』と澄は思ったからだ。実際会場のウケも悪くなかった。上手くチャイムを最後の一言に重ねるため盗聴器をブローチに仕込むのは勘弁してって思ったけどね。
少し澄が落ち着いてきたのを見計らい、僕は澄に近付いて行く。
「ちょっとは頭が冷めた? こんな奴のことは一旦置いておいて、昌平を見に行こうよ」
「そうですね…………しかし、それは出来ません」
「そうしてだ?」
「たとえ昌平さんが死んでいないとしても、この男が昌平さんを刺したことには違いがないからです」
再び澄の瞳が陰りを見せる。もう彼女の瞳は僕を見ていない。
「それに、この男は日頃から悪さを働いているようじゃないですか。それなのに警察は一向に彼を捕まえない。今は彼を裁くチャンスなんですよ」
「澄、何を言って……それは今関係……」
「関係あります!!」
身震いするほどの殺意のこもった叫び。動物的な本能か僕の足は動かなくなる。今すぐこの場から逃げ出したくなる気持ちを、歯を食いしばりぐっと抑えた。
「兎に角、私はこの男を許さない」
彼女の言葉を聞き僕は絶望する。一度冷静さを取り戻したかと思ったが、それは僕の勘違いだった。昌平が刺されたというのは確かに澄が村上を殺す理由になるかもしれないが、その後のものは全く関係ない。今の彼女はもう『村上を殺す』と言う目的が間違いなく固まってしまって、それに後から理由を付けている。情理にそぐわない。感情が、澄の心を支配していた。
彼女を助けるためには、僕も僕自身の感情をぶつけるしかない。
*
澄は再び傷だらけの村上を見下ろすと一歩踏み出す。
「颯太さん、離れていてください。見たら、きっと颯太さんは私のことを嫌いになってしまうでしょう」
「離れないし、嫌いにならないよ。それに澄はあいつを殺さないし、殺しちゃいけない」
「どうしてですか? この男は殺されるべきです」
澄はこちらを向かずにそう答える。冷え切った口調の彼女が今どんな表情で話しているのか想像もできなかった。
「良いですか、颯太さん。世の中にはいくら悪くても裁かれない者はいます。特に子供はその最たる例ですよ」
「でもな……」
「私たちを裁くのは憲法法律その他諸々の決まり事です。人が勝手に人を裁いていたら世界が回らなくなってしまいますからね。一見すると当たり前に思えるこの仕組みですが、大きな落とし穴があります。それは責任能力が乏しい者たち、先程言った通り……」
「それが子供と言うわけか」
ご名答と小さく呟き澄は続ける。
「そうです。まあ、他にもありますが。兎に角、この世界は子供に甘すぎます。こんな男がまだ学校に通えているということ、それ自体が証拠になっていると思えませんか?」
「それは僕も澄に同意するよ。でもそれが、澄が村上を殺して良い理由にはならない」
僕は澄に同意しつつも強い口調で抵抗する。澄は僕の言葉にほとんどノータイムで返してくる。興奮しているようで、澄の頭の回転は速すぎる。
「いいえ、理由になります。この男は完全に悪人です。しかし、ちょっとやそっとの暴力事件じゃ彼を退学させることすらできない。だから、私が法律や決まりを無視して殺します。私ならば、まだ子供ですからそこまでの罪になりません」
「それはダメだ」
頑張れ、僕。
「どうしてですか? 私を正義の味方にさせてくださいよ。きっと世界中の人々はそれを願っているはずです」
「澄はどうなるんだ? 人殺しなんてしたら、いくら子供でもただでは済まないはずだ」
大切な友達を救うんだ。
「そうでしょうね。しかし、高が知れています。相手が相手ですし、どうせ退学になる程度でしょう。この男には何か決定的な罰を与えて欲しいところですが、そうなっていない今、私が彼を裁き、この世界が私を裁く。これが最善策ですよ」
「ダメだ。そんなの最善策じゃない」
僕にしか言えない、僕の本心で!
「もしかして、私の将来を心配してくれているのですか? 颯太さんは本当に優しいですね。そう言うところ大好きでしたよ。でも心配ありません。将来は旅館を継ぐことになっていますし、報道などで私の名前が出ることはありませんから店に悪い評判が立つことも……」
「ダメだって言っているだろ!!!!!!」
澄の言葉を遮って僕は力の限り声が掠れるほどに叫んだ。慣れない喉の使い方に嗚咽感がやってくるが無視する。突然の音量に澄は歩みを止めて振り返る。澄は涙を流していた。
そうだ、こっちを向いて僕の気持ちを感じ取ってくれ。澄の正解に対抗する僕の正解を聞いてくれ!
「澄! 君は村上を殺しちゃいけない!」
「ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだ! って、私は颯太さんの言ってることは全然納得できない!」
「あいつを殺したら、澄と学校に行けなくなっちゃうだろ!! そんなのダメに決まってるじゃないか!!!!!!」
流石に二度目の叫びは喉に来たらしく、言ったそばから咳き込んだ。僕の言葉を聞いた澄は、棒立ちで呆気に取られている。
澄の思考回路はフリーズしている。その隙に畳みかけるんだ。
「澄は自分のことは心配無いって言うけどね、それは嘘だよ」
「そんなことありません。私は平気です。将来のことなら……」
「違う! そうじゃない! 僕は『温泉部』の浅間澄に聞いてるんだ! 『あさま荘』の浅間澄は引っ込んでろ!!!!」
僕は叫び、ゆっくりと歩きだす。僕の一歩一歩に合わせて澄は後ずさりをした。しかし、彼女が下がるよりも速く僕は彼女に詰めていく。
「確かに澄が言う通り『あさま荘』の澄は無事かもしれないよ。でも村上を殺したら『温泉部』の澄まで一緒に殺しちゃうだろ?」
「それは……」
「自分で書いた原稿を思い出して。昌平が生徒会長になって、僕はこれから楽しい高校生活の思い出を作るんだ。そこに澄がいないだなんて僕は絶対許さないからね」
「で、でも…………でも! それではあの男を裁くことが出来ません!」
涙を流し崩れ落ちそうになる澄を僕は正面から抱きかかえる。強張った体から力が段々と抜けていくのが分かった。
僕は澄を抱いたまま、耳元で続ける。
「澄はちょっとやそっとの暴力事件じゃ彼を退学させる事すらできないって言ったよね。逆に言えば、余程のことがあれば彼は裁かれる。それはきっと今だよ」
遠くからサイレンの音が鳴り響く。僕が呼んだ警察の人たちはすぐに学校に到着し、村上武たちと澄を拘束した。
*
あれから一週間が経った。
村上と澄が警察に連れていかれた後、昌平はすぐに近くの病院に搬送されて、僕は初めて救急車というものに乗らせてもらった。緊張感に欠けていたと少し後悔しているが、興味本位で保健室の先生に「救急車の中ってこんな感じになってたんですね」と言うと、先生は「あれ? あなたこの間救急車で運ばれたじゃない」と返され、僕は文化祭の終わりに救急車に乗っていたことが発覚した。割とショックだ。
肩を刺された昌平だが、運がいいことに傷口は深くなく、次の日には肩に包帯を巻いて学校に登校してきた。それでも怪我人であるのは間違いないため体育の時間は見学のはずが、卓球ならできるだろうと昌平は先生の目を盗んで授業に参加していた。まあ、勿論見つかってめちゃくちゃに怒られたわけだけど。本人曰く、体育出来ないのは刺された時より辛いだそうだ。村上武に殴られて頭がおかしくなった説があるかと思ったけど、昌平はもとからそんな奴だった。
村上武はと言えば、常習的に法に触れる行為を繰り返し、ついに越えてはいけない一線を越えたといった感じで、親も学校も彼に見切りをつけたらしく高校は中退することになった。今は警察の拘置所に拘留されている。澄が言うように順調に村上は処罰を受け、それだけなら問題が無かったのだが、問題は僕らのよく知る前生徒会長が引き起こした。村上武が昌平を刺したと知り綾菜先輩は、放課後僕に事件の現場についての説明を聞きに来た警察官に猫なで声で頼み込み村上武との面会をこじつけたのだ。何故か僕も一緒に面会に行くことになったんだけど、あの時の綾菜先輩はすさまじく怖かった。別に僕が怒られている訳じゃないのに、耳を塞ぎたくなるほどに怒鳴り散らし、最後に「そこから出たら高校認定取れ。そんなに勝負がしたけりゃ続きは○○大学でしてやる。合格できなかったらお前の不戦敗だ!」と締めくくった。綾菜先輩がこんなことを言ったのは、彼が今回昌平を刺すに至った理由に自分が関与していると知って、少し責任を感じているからかもしれない。
最後に澄。あんなに派手にやらかした澄なわけだけど、処罰はそこまで重いものではなく一週間の自宅謹慎をくらうだけだった。通学路の途中に澄の家がある僕と兎莉は、自宅謹慎中に解いてくるように先生が用意したプリントを澄の家に届けたりもした。プリントを渡しに行った時には、澄のお婆ちゃんが出てきて「これからも友達でいてやってくれ」と頭を下げられたが、そんなの言われるまでもない。
一週間が経った今日、澄の謹慎が解け、久しぶりに学校で会えることになっていた。
放課後、温泉部の部室で部員一同勢ぞろいで彼女の到着を待つ。久しぶりに会えるとあって皆浮足立っているように思える。風子なんて部室の中をずっと歩き回っている。兎莉は相変わらず表情は乏しいが内心ドキドキしているに違いない。かく言う僕も中々に興奮していた。
そして、ガラガラと音を立て部室のドアが開く。一週間経ったが何も変わらない、和服を着こんだ澄がそこには立っていた。
「皆さん、お久しぶりです。浅間澄、只今戻ってきました」
「おー! スミスミ、見違えたね! もう何年ぶりの再会なのか……」
「先輩、一週間しかたってませんよ」
「あ、浅間澄! 別に風子は心配なんてしてなかったのですよっ!」
「……澄ちゃん、久しぶり…………!」
「姉御っ! お勤めご苦労様ですっ!」
「昌平さんは私を怒らせたいのですか?」
「ひえっ!」
昌平が身を翻し僕の背中に隠れる。澄は冗談ですよと軽く笑い、和服の袖から五枚のチケットを取り出した。
一枚一枚、丁寧に僕らにそれを配る。
「一週間遅れてしまいましたが、昌平さんのお祝い会をしましょうか。あさま荘でもう準備は出来ています。家の旅館で一番高い料理をご馳走しますよ!」
澄のその言葉に一同感嘆の声を上げる。昌平なんて「カニか? カニか!?」などと言いながら横歩きし始めている。他の人たちも昌平ほどオーバーではないが期待を高めていた。
「よっ! スミスミ太っ腹~!」
「流石、澄。用意周到だな」
「当たり前です。私を誰だと思っているのですか? 私は…………」
澄は部室を見回し、一呼吸おいて最高の笑顔で締めくくる。
「『温泉部』の浅間澄ですよ? 部員の祝賀会をするのは当たり前のことです!」
温泉部の頼れるまとめ役が、また一段と輝きを強め帰って来た。
早速あさま荘に向かおうと、綾菜先輩を先頭に部室を出る。綾菜先輩、昌平、兎莉、風子は先にあさま荘に行ってもらい、僕と澄は部室の鍵を返しに行くこととなった。
職員室に向かう途中に澄に問いかける。
「そう言えば、澄。球技祭と生徒会選挙でしたこと皆には話さなくていいの? たぶん皆、驚くと思うよ」
「そうですね…………話さないでおきましょう。颯太さんがどうしても、と言うのであれば…………駐輪場で颯太さんに抱きしめられたことも話さなければなりませんね」
「あはは……それは勘弁してくれ」
そう答えると、澄は僕の耳に口を寄せる。
「二人だけの秘密ですよ?」
小さくそう囁き、彼女は僕の唇を人差し指で蓋をする。
どっちのこと? と聞きたくなるがそれは野暮ってものだろう。
全く、女の子はズルい。
最高の笑顔は二度目が存在した。
ボクらの世界、湯けむりのセカイ 長雪ぺちか @pechka_nove
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