第弐拾四話:モシエニキーあるいはシュヴィンドラーども

 夏至を過ぎた最初の満月フォルモーント

 一夜に限り、開かれる扉がある。

 堅牢で重厚な黒檀の扉は、普段は幾ら押そうと引こうとビクともせぬ。

 それは巍巍ぎぎとした尖塔のそびえたつ洋館にあり、年によってはその位置、形状が無間に変じる念の入りよう。去年は怪物の彫刻された雨樋ガーゴイルの乱杭歯を精確に打鍵することで石壁に生じる苦悶の歪みが暗示する潜り戸だった。開錠には正しく星辰を識る計算式と、主のきまぐれに適合した異形の割符を組み合わせること、そして集会に参加するに足る相応しい供物が必要だった。


 なんのためそんな馬鹿に込入った仕組みを?

 ちょっと待って大丈夫。これからのだから慌てない。


 扉が開き、また閉じ、そして扉がまた開く。それの幾度かの繰り返し。

 尖塔から数え切れぬほどの影が月光に群れなす。が、胡蝶の羽ばたきほどバタフライ・エフェクトもなく。

 明晰夢を視る熟達者アデプトが音もなく圧し広げた扉は地下へと続く階段に通じ、階段は舞踏会バルを催されるほどの大広間にまで続いていた。降りゆく時間が物語るほどに天井が高い。

 耳朶に噛みつくかの静寂は、あるいは夜怪のしわぶきだろうか。

 

 そぞろ歩きに一人、二人、三人、四人。そして最初から佇んでいた独り。

 どうやら顔ぶれが揃ったみたいね。

 巧妙な角度に導かれ、設置された反射鏡の連鎖で、幾千条にも収束された月光が地下の大広間に降り注いでいる。影なき影が思うがままに躍る。

 そろそろ幕が上がる頃合いショウ・タイム


 大広間の中心に一枚岩から削り出された混沌模様の巨魁な大理石のテーブルがましまし、囲うように館の主が上座に立つや、四人がおのおの自由な場所を陣取る。

「我々は誰か」黒檀と同じ風合いのシルクの外套をかぶったGMが問う。

拐騙子モシエニキーだ」ティー博士が哄笑する。

「いかにもその通り」

欺着者シュヴィンドラーでしょう」これはいなせに和装を着こなすワイ女史。

「ごもっとも」

「見下げ果てた詐欺師どもだ!」エス氏。若々しい風貌ながら、眼光にたゆみなし。

「大正解! 大当たり」燕尾服の裾を揺るがしながらアール氏。

 彼らはひとしきり笑い声を上げる。

 

 重畳。に聞きなれない言葉が這入寄ってきた。

 拐騙子モシエニキー欺着者シュヴィンドラーですって。何とも奇怪で愉快な連中かしら。

 

「コホン。我輩は前回の会合に宿題を添えた。覚えておるかな」

 皆がニヤリとする。早いことご開帳をしたくてたまらない様子。

「我々は拐騙子であり、欺着者であり、そして蒐集家でもある。そしてそれが我々のメシの種」熱弁を振るうのはティー博士。

 ケルン大学の碩学やミスカトニック大学の隠秘学学者、ゲンマ・インクァノック社の俊英や式王子大学のはみ出し者、そんなかんばせそろい踏み。


「ではそれがしからお見せしよう」

はバミューダ海域に巣食う海魔の腹から発見されたボトルシップに封じられた精緻なマリー・セレスト号をお持ちでしたな」主であるGMが口火を切ったアール氏を挑発するかに吟じる。

 悪鬼の二股に分かれた尾っぽがごとき燕尾服のアール氏が細長い花筏模様の布袋から一本の棒を取り出した。侘び寂びを感じさせる枯れた味わいの、だが風格においてなにか圧倒するような、竹の。

「杖、かしら?」

「然り。

 これはとある骨董屋で入手したもので、かのが全国を突いて歩いたとされる代物だ」

「しかしそれは講談や伝奇映画の話じゃないのかい、くははははは」

「アーカムでも印籠のご老公が登場かね!」

「あふ、我楽多市のそぞろ歩きも楽しくてよ、素敵」

「ドーバーストリートマーケットを侮るではないわ。出所は云えんがの。つまりはニューヨークも魔都なのだ。

 まぁ皆、落ち着きたまえ。

 『大日本史』編纂のために家臣の儒学者らを日本各地へ派遣したといわれているが、そのほかにも光圀公は水戸藩に代々使える、佐々十竹、佐々介三郎、佐々宗淳らを各地へ派遣していた。素破ニンジャとしてね。そして、善政をもって良しとする、光圀公は彰考舘総裁だった安積覚兵衛カクさん佐々介三郎スケさんの二人を伴い、水隠梅里という俳号で藩政視察、世直しの旅に出たのだよ」

「うむ。講談ではありそうな話じゃん、俺好きだヨ」

「せっかちではイカンなぁ。

 それがしはまず水戸シティに隠棲していた五代目佐々介三郎氏を探し出し、幸運にもこの和綴を拝借することが出来た。『朝野素破群載帖』という。初代佐々木介三郎が光圀公と諸国を検分した際に書き記したいわば日記さ。しゃしほこばった金釘文字で、読みづらいことこの上無いが、問題はそこじゃあない。初代介三郎氏の日記なので光圀公の筆跡は見当たらなかった。が」

 アール氏が小瓶を取り出す。銀色の粉末が入っている。

「それは?」

「これは、アルミニウムの金属粉を吸着しやすいように特殊加工したもの。紙に振り掛けて吹き飛ばす。さすれば、御覧じろ」

 和綴の紙面の隅に汗滲みの如き指紋が浮かび上がっていた。

「まぁ、大抵は介三郎しょだいのものさな。ただ、数箇所明らかに異なる指紋が検出された。見たまえ、右手人差し指と親指の指紋だ。

 この作業を竹の杖にも施した。そして三次元化された情報を平面図へと変換」

 アール氏がレントゲン写真のようなものと、『朝野素破群載帖』の該当ページを複写したものを重ね合わせた。

 ぴたり。杖に残った親指と人差し指の指紋が照合する。

「さて、いかがか。諸説はともかく、水戸のご老公が突いて歩いた杖には違いなかろうと吾輩は断言できるが、異論はあるかな」

 皆がうむむと額を突き合わせて考えた。科学的に論ずるには充分に値する。

「ああ、それとだね、分かりにくいけど目釘があって」

 アール氏の指が蠢いた。杖の握り手を尺八の音階を探るかのように。竹材の目釘はよほど本体と馴染んでいたのか常人には気づけぬのだろう。そして竹の杖の柄を引っ張ってみれば、存外に大きな目釘孔。

 ずるりと現れ出る細身の刃。くだんの骨董屋は仕掛けに気付かなかったようで刃金が黒錆で荒んでいる。

 仕込み杖であったのだ。

「そこから、血液の残滓が検出された。史実ではなく、講談のほうには、

『天晴れかな、ご老公、抜き身を放っていざいざと、背信極まる悪政の、藤井紋大夫に真っ赤に染め上げた血の花を咲かすもの也』

 とある。さて、DNA鑑定では藤井紋大夫のものと一致。つまり史実に見落とし、あるいは埋もれた行間がある。探るは隠秘学エゾテリスムの骨頂よ、余談だがね」

「確かに。その探究心、我らが欲する資質の第一、天晴れ」

 理詰めの得意な禿頭のティー博士が頷く。  

「ふふ、歴史の闇に埋もれた遺物に光を照らす。素敵ですわ」ワイ女史。


「なんの、ロジカルなら私もアール氏に負けてはおらんよ」

「憶えておるぞ、博士。妄執のハインリヒ・クラーメルがでっち上げた悪名高き『魔女への鉄槌』出版のあと、六万とも数えられる虐殺された魔女達の復讐のため隠し伝えられた『魔女達からの破城槌ハンマーオブウィッチクラフト』をお持ちになられてましたな。一等佳かった。ジョン・ディーの『死霊秘法ネクロノミコン』なんぞより」    

 ティー博士が、苦労して搬入したのだろう、一メートル五〇センチほどの高さがあるクレート梱包の錠前を解いた。耐火、耐水、耐衝撃、耐加圧のアクリルのケースが柔らかに月光の波打つ天鵞絨ベルベットの覆いの下から現れる。ご丁寧なことだ。

「ご覧あれかし」ティー博士が優雅に一礼する。

 中には、


 コビトカバが直立歩行しているかのようにみえる、骨格標本。


「なんだあ、そりゃあ」エス氏が目を剥いた。

「ムーミネイア・ペイックスと私は呼んでおるがね。その復元標本だよ」

トロールどもか」アール氏。

「さよう。

 スウェーデン地方ではムーミペイッコと呼ばれるもので、山に住むという恐ろしい怪物のことだ。言い伝えがあるからには根拠がなければならん。そこで私はムーミペイッコを実在すると仮定したのさ。およそ六五五〇万年前、白亜紀の終焉、恐竜の絶滅と共に哺乳類が進化した。要は恐竜がいなくなった隙間ニッチに入り込んで多様化したわけだの。コビトカバは現在では、水棲の動物として認識されておるが、ムーミネイア・ペイックスは水棲になる前の段階で餌を求め地峡を渡り、プレートテクトニクスによって、大陸は隆起する。スカンジナヴィア山脈の隆起に伴い、外界と隔絶された環境に。そして」

「そして?」

「猿がヒトとなったように、コビトカバからムーミネイア・ペイックスへと、つまり知的文化を持つ直立歩行カバへと進化したのだ。一億年に及ぶ環境の変化、氷河期、温暖化の繰り返しの中、悲運多数死をからくも免れたとシミュレートした。体毛の発達により、環境適応のどのニッチにも入り込め、前肢の親指が進化したことで物をつかめる様になり、直立歩行することで、四足歩行では得られない果実や昆虫を捕らえ、そして最終的には道具を用いる。頭部が安定し、脳肥大化が進む。それがご覧の通り」

 ふほぉぉ、と感歎の声が挙がる。皆が仔細を調べようと標本に群がる。その様をティー博士が大いに満たされた表情で眺めていた。

「ティー博士の手腕、欺着者として歓迎しよう」GMが宣言する。


「前回の会合にはおらなんだ新しい顔といこうじゃないか」

「ふてぶてしい男だの、初めてにしてはな」

「なんの、若造さ。ほれ、くちばしが黄色い。さえずってみせい」

「扉を抜けた時点で年齢は関係なくて?」

「んじゃあ、次は俺の秘宝をみせるとしますか」

 エス氏がぞんざいに着崩れているフロックコートを翻し、ポケットから懐紙に包まれたものを取り出した。

 梨地に浮く茶色の

 その梨地が至極繊細で、光の当たる加減によってはまるで暁霧が夜霧に移ろうように色相が様々に変化してゆく。さながら虹色の集積体のごとし。

「かつて徳川将軍十五代の御刀に砥ぎを命ぜられた本阿弥家の研師には、こんな口承が残っててさ……


 霧中に遊ぶ蓮華と謳われた稀石――“霧蓮宝燈むれんぽうとう”を当てたりし刀は人ならぬものさえ圧切へしきる、と」


 エス氏が手術用手袋の吸着した指先で慎重に摘まんで砥石を光にかざす。玄妙な、集う者達の瞳を吸いつけて已まない妖しの輝きが放たれる。 

「これはちょいと、依頼者のレディから頂戴、いやしたものでネ。拐騙子として充分にこの会に提出に値する代物だと俺は思うヨ?」

霧蓮宝燈アザトライト……はっ、無窮の魔王だと。このインクァノック社は異界のやつばらめ。邪妖神の拐騙子として実に優秀だろうて。だが本物とは限らん。偽物やもしれん」アール氏がミスカトニック大学の出自らしい毒煙を吐く。

「社訓からして輝ける陽焔の人造宝石クオリティ・トラペゾヘドロンを生もうと豪語する会社なのだ、若造の減らず口も分からんではないさ」

「悪名は有名に勝りますもの」

「ホーリーカウ! ではどなたか、紙切れでも何でも薄いものアリマスか」

「これはどうかな」ティー博士がカードを取り出す。漆黒の強化プラスチック。クレジットカードにおける最高位のブラックカードだ。厚みは三ミリほどで、しかし何かが切れるようなものではない。

「当てたる刃斬れざるを断ちたり、斬らるるを結びたり。

 数打物そあくひんでさえひと撫でするや七つ胴斬りを成したとか。

 お借りできませんかネ、どなたぞ斬っても構わんものを」

「お使いなさいまし」

 ワイ女史は蛾眉をゆるませるや、典雅な造作で懐に呑んでいた、鞘が翡翠や漆で装われた守り刀を取り出して抜き身を差し出す。正真正銘の真剣である。濤乱刃のように波打つ刃文はなく、刃文が鎬筋にまで達さず焼きの高さが押さえてある。粘りがありなまなかには折れにくい強靭な証左。女史も意地がお悪いこと。

「では仕上げをごろうじろ」

 エス氏がカードの側面をスッと霧蓮宝燈でひと砥ぎ。そして……。

「ティー博士にブラックカードをご返却、ついでにも委ねましょう。俺がすると仕掛けがあると思ったりするでしょ? さささあ、それでと」  

 頷くティー博士。

 一枚岩の磨きこまれた大理石テーブル上に置かれた抜き身の中心に向け、ブラックカードを、

 無造作に振り上げ、そして振り下ろした。

 すとん。

 テーブルにブラックカードがこつりと当たる。

 どころか、ティー博士がつんのめってたたらを踏んだ。

 すなわち、真剣を圧切った。あまつさえテーブルまで溶断してしまったのだ。

「ハイ、ご覧の通り。ついでにサ」エス氏が柄がある方の抜き身を霧蓮宝燈で数度砥ぎ、ひゅっひゅっと大広間の何もない空間を裂いてみせる。

 刹那。

 地下であるがゆえ、どうしても完璧には入れ替わらない空気の質感が一気に清新なものとなった。澱んだおりが浚渫された河のように透き通ったのだ。心なしか舞い飛ぶ壁際の無影すらも気配が墜ちた。

「俺らが集まると余計なものを溜め込むだろうから。これ、サービス」  

「ふふ、『霧蓮宝燈”を当てた刀は人ならぬものさえ斬る』確かに本物ですわね」

「邪妖神の排泄物、夜怪の祖石アザトライト。その神威疑うまい」

 ティー博士の発言にアール氏は忌々し気に、とはいえ無言なのは同意なのだろう。驚嘆の色も隠さぬ。邪神狩人の矜持などこの会合では馬糞の価値もあらずや。 

「恐悦至極」

 手術用手袋をはめた皆が光にかざし質感を、砥石の班を眺め、嘆息した。

 アザトースの胆石アザトライト、そんなものが実在するかどうかは肝要ではないのだ。いかように世界を拐騙し欺着させることが出来るか。それはムーミネイア・ペイックスの骨格標本にしても然り。光圀公の杖も然り。


「さて、残るはわたくしだけですわね」ワイ女史がつい、と歩み出る。艶やかな和装に負けず劣らずの彼女はたおやかな微笑を浮かべ、いつの間にか運び込まれていたアイアンメイデン、中世ヨーロッパで「鉄の処女」と恐れられた殺戮の柩の横に立つ。

「それでは、天上の世界を感じていただきましょう」と留め金を外した。

 真横にギギと開かれた柩内から、白金のゴシックメイルに一分の隙もなくよろわれた人物が歩を踏み出す。

 両腕のガントレットが頭部のアーメットに伸び、白金の拘束を解く。ワイ女史が胴鎧の留め金を外す手伝いをし、繭をほどいていく。そして腰まで伸びた流れるような黒髪に埋もれるように白い肌が仄見える薄衣の少女が姿を現し、

 途端、先ほど入れ替わったばかりの清新な空気に甘い香りが混じりはじめた。

 まだ硬い、恥じ入るかにあわく膨らんだ双丘の尖端に実る薄紅色した野苺のような乳首をワイ女史が指の腹で転がす。

 くひ、と少女が鳴くや、あんずに乳を混ぜたかの、と云った吐息が漏れ。

「皆さん、香りに気付かれたかしら」  

 大広間に芳しい、何とも例えようのない魅了魅惑、まさに天上の香りが起つ。

 少女のおとがいをついっと反らせた女史の赤く蠢く舌先が乳房の谷間を這うように犯していく。また少女が鳴いた。乳香が滲む。熟れた紅唇が耳朶をみ……。

「その辺でおきたまえ。凌辱を見せたいわけではあるまい」GMが水を差す。ワイ女史の瞳は色慾に濡れていたが、忘我から語るべきを思い出したようだった。

「この娘は肌香佩薫きこうはいくんなのです。十年前から肉食を一切断ち、その代わりに隋・唐時代の医学書「医心方」に記されている、「芳気法」、すなわち、香料を食べて体から芳香を発する法を身につけさせました。丁子、麝香、霊陵香、桂皮などをもとに香薬を作り、それを毎日の菜食に十二粒添えて服用させてきました。

 よろしいかしら、折角なのでティー博士のカードを拝借して……。

 ここに瑞々しい玉葱が一玉。すとんと。

 つぶらかな瞳に玉葱の断面を近づけてみます。慈しみ愛するこの娘に残酷な真似、わたくしには心苦しく、お若いエス氏、お願いできますかしら」

 さんざ嬲ったどの口が云うか、と思わぬでもない気障キザなエス氏が半切りにされた玉葱の断面を近づけてみる。勿論、結果は記すまでもない、たちまち気化した硫化アリルが少女の涙腺を嬲って涙を零させた。女性には優しくをモットーとするエス氏がハンカチで拭おうと……そして、

 仰向けにひっくり返ってしまった。

 産毛を逆立たせたその顔は忘我の境地、夢見心地、地上にいながら極楽をさ迷っているかの如く恍惚感に溢れた表情が浮かんでいる。半開きの薄い口唇からは唾液がだらしなく垂れており、乱れたフロックコートから覗くスラックスの股座またぐらがはち切れんばかりに上反って膨張していた。

 びくりとエス氏の腰が跳ねる。

 硬く勃起したペニスが下着で擦れて射精してしまったらしい。首をすくめた鳩のように収縮したのち、すぐさままた剛直しはじめた。間を置かずまた背中が跳ねる。股座に誰の目にも明らかな染みが浮く。下着を濡らしスラックスの布地を湿らすほどに達したのだ。

 梅雨を迎えた栗の花の匂い、あるいは頭足類が死後に放つ臭気。牡獣のエキススペルマ。またしても逸物が猛り始める。精通を導かれた幼年期の終わりに迎えたとめどない強制的な痛みを伴うほどの快感に浅いピッチで何度も何度も狂おしい喘ぎ声をあげ、ついには泣きながら失禁してしまったエス氏。虚ろな目がから逃げ場を求めて宙をさ迷う。うわ言で逝きたい逝きたくないと煩悶している。


(けしからん。もっと聞かせなさいって淫声を)


「あらあら、この殿方にはかしらね。この娘は完全なる体身香の持ち主。生きた媚薬なの。

 一粒の涙、一滴の唾液、一筋の汗。

 快楽に狂わせ、理性を消し飛ばしてしまう。終いには殺してと乞い願うほどに。 

 殺して殺して殺して。くふふふ、容易には死なせやしない。

 死んだって問題ない。この娘の愛液を一嗅ぎさせれば干からびた屍者の陽物すら勃たせることは実験済み。

 閨房の妙薬ラヴポーションにもなり、拷問時に真実の血清ベラドンナとして用いるも良し、調香次第では蘇生薬エリクシルさえ凌駕しようもの。もっともわたくしなりの工夫があってこそ。それは言わぬが華かしら」

 アール氏もティー博士も、黒フードの主、GMもそわそわしている。涙が一粒零れるたび、空気が媚薬と化していく。言葉はいらぬ。しかし、理性が消し飛ぶ数瞬前にGMが強力無比なエア・コンディショナーを作動させたことが、何よりその強烈さを物語っている。

「ワイ女史の手腕、こんな隠し玉を忍ばせておったとは、我々を欺着した腕前、奸計きわまる女狐に祝福を。そこな少女にもな!」

  

 アール氏、エス氏、ティー博士、ワイ女史、どの貌にも皆を一杯食わせてやったという充足感に満ち溢れている。そしてそのもう一方で、主催者であるGMに視線が集まる。

「GM、あなたの蒐集物コレクションはなんですの?」

「それがしもそれなりに」

「そうだ。俺も知りたい」

「私も興味のあるところである」

 GMが黒い外套を跳ね上げた。たくましい壮年期のかんばせ。手には狐猿レムリア夜雌馬ナイトメアを戯画化したかの浅浮き彫りが施された空っぽの江戸切子。

「この部屋にたどり着くまでに諸君らは智慧を絞り、星辰を計り、そして蒐集したものを持ち込む必要がある。

 夏至の最初の満月フォルモーント。その月光と我輩の作り上げた装置で、拐騙子であり、欺着者である者のみが持つエッセンスを抽出することが可能なのだ。

 見たまえ」

 GMの掲げたグラスが濃密な琥珀色に満たされている。

「これが我輩の蒐集物だ、諸君」

 杯を一息に飲み干す。見る見るうちに壮年期の、しかし引き締まった顔が更に若返り活力、生気に満ちていく。もはや青年期の姿だ。

「拐騙子であり、欺着者である我らが蒐集すべきはその仲間。そしてその仲間の輪は繋ぐことはあっても決して開かれることはないのだ。自分達の息のかからない人材を野放しには出来まい?

 諸君らは才能があるぞ! 自分達の世界の外に。知識の地殻を食い破り、大穴を開けるためのな。我輩の蒐集物とは諸君ら自身だよ」


 

 ふふ、繋がれない輪っかがすぐ傍にある、GMは気付いてるのかしらね。

 わたしは、尖塔から放った調教を施した指向性改良種である月影蝙蝠の羽ばたきにより無影の中へ溶け込むよう秘匿したカメラが太古の遺構とされる驚異の部屋ヴンダーカンマーを映し出す壁いっぱいに設置したモニタの電源を落とし、思考の深遠へと身を委ねることにした。虫食いになっちゃう前に知識の地殻の芯へと彼らより先に齧りつく方法を模索するために。



・・・・・・

ゲンマ・インクァノック社について

関連話:邪神耳袋「骸指輪」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881029941/episodes/1177354054884822843

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