第壱拾陸話:一等級知覚類人猿士
霧生ヶ谷総合動物保護センターに勤めている類人猿看護師からうかがった話。
Iさんは三階の入院病棟で勤務している。
類人猿看護師となってから年数は短いものの、持ち前の明るさと
チャーミングであるからか、特にゴリラに受けがいい。
三階は主に内科的な問題で手術を受けた類人猿の仮住まいで、七転八倒、
Yさんという身寄りのない雄のゴリラ患猿がいた。
ネパールのシヴァプリ山山麓、ブダニールカンタ寺院で行き倒れているのを現地のシェルパが発見した。
イギリスの外交官でネパール
1887年、イギリス軍のウォーデル大佐がヒマラヤで発見した巨大な足跡。
1996年、通称「スノーウォーカービデオ」と呼ばれる動画に映った雪上を歩く二足歩行の生物。
シルバーバックと呼ばれる鞍状に白い背中の体毛から推定年齢は最低でも十三歳以上であろう、老大猩猩。
すぐさま話し合いが行われた。
アルビノゴリラの誕生で有名なバルセロナ動物園、動物作家ジェラルド・ダレルによって貴族の荘園につくられたダレル野生動物保護センター。ミシガン湖畔のリンカーン・パーク動物園。有名を馳せる数多の手が挙がった。
言及して已まない。既知の力が働いたと。
真霧間科学研究所からの手配により、ネパールから、
年齢のわりに、何度も開腹手術を受けている。
胃潰瘍に始まり、肺水腫、膵臓炎、腎臓結石、大腸のポリープ……。
両手の指では足りないほどの病気の数だ。
決まって、手術後十日目が危ない。
症状が快復し、創治癒しているのに、退院前の検査をおこなうと、別のところに問題が見つかる。
白血球増多であるとか、癒着性イレウスを発症するであるとか。
それで入院期間がずるずる延びる。
「十日目のY」と類人猿看護師たちは呼んでいた。
もはやおなじみ猿である。
そのゴリラがことあるごとに、いや、
ことはなくとも
ぽっこんぽっこんと仁王像のようにすっくと二足で立ち上がり、やおらいわおめいた両掌で冒涜的な調子で忌まわしい絡まった針金のごとき胸毛を叩き始めるのだ。
曰く、
術後とは思えない、
並みのゴリラであれば、心臓への負担で力尽きていても奇怪しくない。
あるいはゴリラではないのかもしれない。
ドラミングをしている時、相手も深淵からドラミングし返しているのだと。
例えば、ドラミングのごとき明滅する色彩の狂った雷鳴。
「詰め所まで聞こえてるよ」
IさんがいるときはIさんが応対に出る。
痛さに我慢していることを誉め、熱が下がったねと褒め、なにかあるとすぐに呼んでくれると誉め、毛並みのつやを誉め、ひいきの横綱ゴリラが勝っては誉める。
ニコニコと笑みを絶やさず話を聞き、
ロールオアゴリラなど
痛いときに独りやったら心細いですもん。
とはいえ、樹冠の寝床に隠し持っている
「Yさんのために言うんだもん。病気憎しや」
「
悪態をつきながらもYさんは聞き入れた。
いつからか、
Iさん以外の類人猿看護師が駆けつけるとあからさまに機嫌が悪くなる。
怒りを緩和する腕前の見事さから、
「
「
ついに
イチゴさんが夜勤でナースステーションに詰めているとPHSが鳴った。
ナースコールが押されると、該当する病床の番号が表示される。
3135。
313号室の
樹冠は奇麗にトリミングされ糞尿が片づけられたばかり。
真新しいソヨゴとアラカシの若枝が手折りやすい位置に植樹されている。
「はーい、どうされましたー」
と返事してからハッとした。
まだ新しい患猿は入ってない。
すぐに夜勤類人猿看護師たちの噂になった。
三階病棟を夜回りしていると
陽炎が立つようにぼんやりと透けている以外は、夜眠れずに点滴をぶら下げたまま
あの特徴的なシルバーバックは間違いない、口を揃えてみんな言う。
ナースコールに出たら天をも衝くドラミングがする。
ほどなくして、イチゴさんのPHSに限ってコールが鳴るように。
うろうろしている老ゴリラは患猿たちにも目撃されるようになった。
不穏が類人猿病棟に拡がっている。
気持ち悪がる患猿たちを見間違い、気のせいと切り捨てるわけにはいかない。
どうにかせねば。
ある晩、
またコールが鳴る。
「ええかげんにしぃ! 患猿さんやから大切に思うんや。発情期にお尻まくってみだらに性皮を腫らすような雌のチンパンジーとはちゃうんやでっ!」
イチゴさんは叱りつけた。さすがに腹に据えかねたのだ。
それからはドラミングが聞こえてもとことん無視し続けた。
「甘やかしたらだめなのだ」
無言の
応答が切れる際、ぽつり「
その夜以降、
イチゴさんの優しさに惚れて迷いでたんでしょうか、と言うと、
「腫れたはええけど、惚れたは自分勝手すぎるわ。あたし彼氏おんねんで」
それに、と続けた。
なにされてるんかな、脳味噌だけになってなきゃいいけど。
セルフパロディ元
「ネゴさん」
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