第壱拾伍話:デーモンの憂鬱
我輩は惡魔である。
旧旧しきアッカドで
とある
いくとせ、
かつて峡谷の底ごときうるみ肉たりし我が体表で垢じみたフジツボが浅ましく蔓状の蔓脚を、あるいは鞭状の長い凌辱器官をうねらせている。耳目においては河を遡行してきた錆銀に潜めく
殻を脱ぎさったといっても石化の呪いから解放されるわけではない。表面を研磨した程度のものだ。それでもずいぶんすっきりする。こうして身体の自由は不便なりしも海洋循環に乗って気ままな旅をした。
そうしてまた、いくとせ。
風の頼りに聞いた。とある都市があらゆる不可識を引き寄せていると。
そうして、海流に乗り、その都市にまんまと侵入果たせり。実存するために肉を削り、最低限の様相で我輩はそのときを待った。
口寄せ、引き寄せられたその
その者は白衣の上から胴長靴を装着して水路を闊歩していた。鼻歌なんぞに痴れながら手元の羅針盤らしきものを一心に見つめ、そして我輩を見つけ、無造作に鷲掴んだ。むんずとばかりに。
「この陰霊子のゆがみは君だな」
外科的な処置とばかりに魔術の剣が刺さっている。磨かれた銀に刻まれた
霊液にぶちこまれ呆けた魔眼を恨めしそうに向ける
甲殻類の鋏のように固くこわばった指と、ぶよぶよとした護謨状にだらしなく萎びた指の間で脂蝋燭が炎をともしている。かつて女性であった華奢に
きにいらん。
まさか、やつばらの戦利品であるまい……。
ああはならんぞ。
アブレシブジェット加工における水流の
正気じゃない。この白衣の女はのほほんと楚々な外見だが、中身は外道にも劣る性質の悪い小娘だ。
「霧の竜殺し」なんて酒をおちょこでちびりちびり飲みながらおからを摘まみつつ、我輩の身をいとも容易くなますぎりしようとする。「うう、マッドサイエンティストの血が騒ぐわ」なんて言っている。そんな血など覚醒して欲しいものか。
「お名前教えてちょーだい」
娘の目が据わっている。だからどうした!? 主の邪視は尖っておったわ。
くたばるがいい。尻に殻付けた嘴の黄色い糞餓鬼が!
「ふーん」
阿呆が。
忌まわしい小童めが。
アイソレータ内部に延びるグローブに握られたトラペゾヘドロンハンマーを振り下ろす、容赦ない爆撃めいた重厚なる打突の衝撃が実験室内を伝播した。
処せるものか、物理的な死など
「好きに呼べばよかろう」
小娘、どうにも手馴れすぎておる。
真霧間科学研究所。
吾輩は縦横に線が奔り抽象化したラッパの意匠の上、二重丸の内円に置かれていた。外円と内円の間には
R
E O
V N
O
紋章に呪縛され人語を話せるのが三秒で露呈した。
処してやるぞっ! 愚物がァ!!
ロノヴェの天頂に災いあれかし!!
「あたしは、ヒエロニムスのおむつを交換したことだってあるし、バビロンでとんまな脱出作戦で一柱の惡魔が犠牲になったことも知っている」
「うっそ」きゃらきゃら哂っている。
赦しを乞わねば。
一瞬でも
目の前の酒瓶が空になっている。せつなに干したのだ。
酒瓶の山の隣に、
「この町は特別な作りでね。時折あんたみたいなのがくる」
「我輩はまだ死ぬわけにはいかん」
「地獄の宰相の真名でも教えてくれるの?」無理難題だ。それを分かって玩弄しおるわ。
いや、まさか、
まさか。
「
「
何度も何度も、何度も何度も、何度も何度も、何度も何度も!!
高密に吾輩を圧搾しながら食む食むと咀嚼。小娘の喉のうわばりが上下し嚥下される。いったいなんの肉だ?
三日月に紅唇の双端を吊り上げ、
「どーんとあたしに任せなさいって」
「ふむふむ。これが、異常陰霊子γの成れの果てですか」
青年の目の前に小さなフィギュアがある。卵状の透明な強殻の中にソレが膝を抱えて入っている。凍りついたままだ。心底情けなさそうな痴呆然とした表情で。
娘は青年が土産にと持ち寄った銘酒「河童の溺れ水」を早速手酌でやっている。
「陰霊子と陽霊子、同じ波長のものをぶつけると対衝突で大爆発する可能性があってね。そこで、波長の相反する霊子をDHMO、ジハイドロジェン・モノオキサイドをいじってカプセルを作ったのだ」
「それに紐を通してストラップにしたんですか。なんとゆーか」
「エレガントに根付と言って欲しいところね」
「そもそもこういう事項は
「おねーさんはアフターファイブの水路歩きが趣味なのよ、新人君」
「アラトです!」
「今夜、おねーさんの生体研究材料に成るなら、ソレあげるけど?」
「結構です!」甘言に身を任せて不幸な目にあった人物をトロ箱で量り売りするほど知っている身としてはごめん被りたいとこである。始末書が増えるな、名取はため息をついた。
我輩の力はこれまでだ。酔いつぶれた娘の腕を支配して自動書記している。もうこれよりの歩みを進めることができない。
この魔地の名前はKIRYUGAYA。霧生ヶ谷……。
「中々文才あるわよね」
「起きてたんですか、この時」
「もちろん、「付喪神百年午睡」級の酒でもないと酔わない体質だから。あっはっは」
「じゃあなぜこんなこと」
「悪質なウィルスコードは除去したし、一見只の手記。今時の都市伝説はインターネットを通じて広がるって言うけど、こいつの
「もし、本当に
「世は並べて平々凡々なり。研究材料になるなら金星蟹とだって会話するわよ」
その会話を聞いた惡魔がカナダライで頭を殴られたかのように撃沈したかどうかは定かではない。
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