第18話・想いは何時も




 ──爽やかな風が吹く中、屋外でシーツを干す手がある。

「こんなものかね」

 ふぅ、と息を吐いたセラは、額に浮かぶ汗を手の甲で拭った。

 そして、大切な者達が生活していた建物を振り返る。

(カイル、しょうこ。何時でもここに戻っておいでね。命ある限り、私がずっと護っているからね)



 異なる世界。

 けれども大切に想い、待つ人がいる──。




・*・*・*・*・*・




「──ぱぱ、まま!」

征也ゆきや

 日曜の朝。

 大きく育ったウメモドキの下で、飛び込んで来た小さく愛しい存在を、晶子は抱き留めた。

 征也とは、帰還から約七ヶ月後に晶子が生んだ命。

「征也様、ちゃんと泥を落とされないと」

 後を追って駆ける今年四十三となる尚之は、元気に走り回る子供の体力に幾らか疲れた様子を見せていた。

「尚之さん」

「ぁぁっ、晶子様のお洋服が……!」

 呼び掛けた晶子が身に纏う、淡い色合いのワンピースに視線をやった尚之は頭を抱えた。

 泥に塗れた手で触られたため、美しいそれはあちこち汚れてしまっている。

「晶子の事となると大袈裟だな。服なら洗えば良いだろう?」

 晶子の傍らに立つ、着崩したワイシャツと濃い色のジーンズに身を包んだカイルはくすくすと笑みを溢し、穏やかな表情で妻と息子、そして尚之に視線を滑らせた。

「……それはカイル様にだけは言われたくありませんね」

 片眉を上げた尚之は、不満顔でカイルに視線をくれる。

 その言葉に、確かに、と晶子は笑った。


 カイルは、三年前、尚之らの尽力によって日本の戸籍を取得。晶子とこちらでも婚姻を結んだ。

 それは征也が生まれる僅か二週間前の事。

 当時二人は、連日メディアに取り上げられた。

 真実を知る者は、僅か。

 世間には、行方不明であった期間、晶子は心因性の全生活史健忘(記憶喪失)であったとされ、発見したカイルに戻るまでの間ずっと保護されていたと発表された。

 無論、何故直ぐに届け出なかったのか、という声も上がった。

 しかしそれを想定して医師を含む協力者らが動いていたため、批難の声は極一部に留まり。

 けれども日を重ねても二人を追う記者は減る事はなく常に追われる生活。

 戸籍を得たカイルが誠夫妻の養子となり、その後間を置かずに晶子と籍を入れた事で、更に賑わう事となった。


 ──騒々しい日々。

 しかし、過ぎればそれもまた思い出となり。多くの人に護られ、支えられて、こうして今、幸せの中にある。


「まま」

「なあに?」

「ぱぱと、なおゆきおじちゃん、らいばる??」

 小首を傾げた晶子は、小さな宝物から発せられた言葉に幾度も瞬いた。

「そうだな。ママを巡ってのライバルだな」

 一体どこで覚えて来たのかと驚く妻を余所に、答えたのはカイルで。

 尚之にこちらの世界の事を短期間で叩き込まれた彼は、日本での生活にすっかり馴染んでいた。

「らいばるー!」

 父の発言に、意味も分からず無邪気に喜ぶ征也を抱き上げたカイルはその柔らかな頬に自身の頬を摺り寄せ、呆れたように小さく嘆息した尚之と苦笑する晶子は互いに顔を見合わせ、そして同時に吹き出した。

 楽しげな声が、空気を揺らす。

 征也を生んでから専門学校に通い、取得した調理師免許。

 半年前に、曾て両親が洋菓子店を営んでいた場所に開いた飲食店は、過去の事件を乗り越えて、ありがたい事に客で賑わっている。

 カイルも直ぐ傍で支えてくれ、大切な家族と客の笑顔で溢れる店は、昔の幸せな記憶と重なって。

 ──これからもずっと、みんなで生きて行きたい。

 晶子は、彼らの笑顔を見る度に、想いを強くした。




 きっと、胸許に揺れる三つの指輪が光を放つ事は、もうないだろう。






【三つの指輪・完結】

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三つの指輪【完結】 永才頌乃 @nagakata-utano

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