山原燕の事情-Ⅱ
有無を言わさず、連れ回された。
晴海――美春は、物腰や口調こそ紳士的なくせに、その実やることなすこと強引で休む間も反論の余地も与えてくれない。
博物館や動物園、映画館に川原沿い――選ぶのは絶妙に警察に見つかり辛いスポットばかりなせいか、外部から中断を強いられることなくイベントが過ぎていく。
気がつけばもう夕方で、もう堂々と公園にいても誰に咎められるような時間でもなくて、私はぐったりとした疲労感と共に強い焦燥を感じている。
「どうしました、燕さん?」
「――どう考えても、それはこっちの台詞でしょう、晴海」
円芭高校は厳しい進学校だ。
無断欠席、なんてことになれば、今後どのように影響するかわかったものではないし、家族にも連絡が行くだろう。
……家族、
「その服、椿から借りたんでしょう」
「へえ、わかりますか?」
「あたりまえよ。あなたが急にこんな無茶をしたことまで考えられれば、私が黙っていたことを、ごく近しい人間から聞いたとしか思えないんだから」
弟とは、別々に引き取られた後にも時折に連絡を取っている。
あの子はとても私に懐いていて――関係を断ち切るのは、忍びない。
「話したわよね。私がある程度の自由を認められているのは、【ちゃんとした学生】をやっているからだって」
「嫌ですか?」
「もしかして、馬鹿にしてる?」
それとも、
「四年越しの、復讐――という、わけかしら」
単純に、【男装趣味】を周囲に明かすより、もっと酷薄に。
ゆっくり、じっくり、追い詰める。
「まだるっこしいわ。回りくどい。あの時も言ったでしょう。ばらしたいなら抵抗はしない。あなたには端から、私を台無しにする権利があるって」
「僕は、感謝しかしていませんよ、燕さん」
限りなく、本音に聞こえる響き。
或いは――私がそれを望むからこそ、そう聞こえるのか。
……誰に対する期待なんて、持ってもしょうがないと思った、私が?
……そう思っていることを、望む?
「あの頃の事を、見捨てられたなんて、絶対に思わない。むしろ、あれこそ僕の誇りだ。一番の親友を守ることが出来たんだから」
「――ふざけないで」
沸くのは怒りだ。
心の底から、不本意だった。
「何が誇りよ。馬鹿にしないで。は、私にとって、あれこそが汚点だった。結局人は、自分のことしか考えないのだと、突きつけられた最初だった。あなたは――あなたは、自分が満足すればそれでいいんだと、あなたの力になれなかった、あなたが悪し様に言われることを傍観するしかなかった私の気持ちなんて、全部全部無視したくせに……!」
「だから、じゃあ、君こそが――僕の為に力を貸した動機こそ、自分の為の交換条件なんかじゃあなく、罪滅ぼしだと?」
「誰がそんなこと!」
やろうなどと思うのか。
あの罪悪感を、帳消しに出来る何かがあると、思い上がれようものか。
私は、
私は、
私は、
ただ、
「嬉しかったのよ」
別れ。
帰り道。
鞄にしまった変装道具を、掻き抱きながら、あの日。
私は、泣いた。
「あなたと会えたことが嬉しかった。あなたが私に――気付いてくれたことが、見つけてくれたことが、罪悪感より、気まずさより、ただ、自分勝手に喜ばしかった」
破滅までの、一時でもいい。
利用されて使い潰されるまでの、ほんの繋ぎで構わない。
どうなったって、
どうされたって、
あの瞬間に感じたものは、あらゆる結果に見合っている。
「罪滅ぼしなんて、笑わせる。だけど私――恩返しなら、信じているの」
尽くしたい人が居る。
そう感じる心が在る。
その一瞬だけはきっと、
本条文弥でも、
山原燕でもない、
私は私として本物になれた。
――思えば。
誰とも関わらない、無責任の象徴としての【本条文弥】は、この一月。
確かに誰かに影響を及ぼし、役割を担う立場だった。
だからだろう。
これまでとは、全く意味が違った。感触が違った。感覚が違った。
平気な顔をしていながら、ずっと、鼓動が早かった。
そうだ。
私は
生まれ変わったように、生きられた。
あなたを見ると、
どきどきした。
「ありがとう、晴海。私、今度こそ、あなたのためになれてよかった。逃げ場所に、追い出されなくて、よかった」
「ああ、思った通りだ」
「、」
「やっぱさ、笑ったほうが可愛いね、燕」
そっと。
それは、自然な動作で。
そうすることが、当然のように。
「…………、っ!?」
晴海は、私に、キスをしていた。
お互いの、心の幕を、ほんの一瞬掠れさせるような――淡く、切なく、あっさりとした、刹那の触れ合い。
「……あ、…………え?」
しびれている。
自分が何をされたのかを把握できず、ぼんやりとした感覚の中にいる私に、
「ん」
晴海は、横に指を指して見せた。
操られるようにそっちを向いて、
一瞬で、目が覚めた。
見覚えのある制服。
【見てはならないものを見た】というような表情。
あれは確か、
同じクラスの、
「~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!!」
彼女は取り落としていたらしい鞄を拾い上げると、一目散に走り去った。
「あっはっは。うぶだな、あの子」
向き直る。
アクションの原因はといえばまず間違いなく、こいつが手を振ったかららしい。
「さて、これで明日には情報が行き渡るだろうね。何てったって、有名進学校不動の首席、中学時代から浮ついた話の一つも見当たらない優等生が、年下彼氏と熱愛と来たもんだ」
「な、は、え、あ、つ、み、……は、る、み?」
「先手を打っておかないとな。この後、もう一度お宅にお邪魔させてもらうよ。ご両親に清い交際をさせて頂いていますという報告だけはしておけば、土台としては十分だ。既成事実ってのは、そりゃあもう
わからない。
わからない。
彼が、彼女が、何を言っているのか――私にはよく、わからない。
「【罪滅ぼし】は笑い飛ばすが、【恩返し】は信じている。そう言ったよね、燕」
言った。
確かに言ったけど、言ってしまったけれど、それは、
「嬉しいな。ならば是非、僕のことも信じてくれ」
「し、」
「僕は君に、【青春】を与える。達観顔してる余裕なんかすぐに吹き飛ぶ、激動の日々をプレゼントする。どれだけ泣いても叫んでも否も応も聞かないで――全力を出すしかない、絶対に逃げ場なんて無い、人との関わり合い、
知らない。
私は知らない。
そういえば、何も知らない。
彼女が。
私の知らない、四年間。
中学で、高校一年で、どんな日々を過ごしてきたのか。
私が面と向かわず目を逸らしている間――伏魔殿とも称される女子校時代を、どのように生き抜いたのか。
一方的に。
昔のことばかり、気に病んで。
“今”を見ず、早合点に軟弱だと決め付けていた、かつていじめられっ子だった友達が――
――どんなふうに成長を遂げていたのかを、まず私は、考えなければいけないようだった。
「さあ。悟った振りして諦めるより、ずっとずっと辛くて厳しくて苦しくてしんどくて――何より楽しい高校生活へ、今こそようこそ、山原燕。挑み甲斐だけは、最初に保障しておいてあげるよ」」
紛うことなき、サディスティック。
ぞっとするほどときめくほど、意地の悪い顔で晴海――否、新海美春は笑い、
「――あ、そうだ! 今度、またお勉強教えて欲しいって頼まれたからさ! 日曜の九時、図書館に集合ね、文也くん!」
返す刀の女子の顔で、あっけらかんと笑う。
そうして私は、これからの自分に待つ、逃れるべくもない過酷な日常と、そして役割を終えたはずなのに別の意味を与えられてしまった趣味に対して、背筋に伝う冷や汗を感じながら、理解する。
そう。
この世あらゆる場所、あらゆる時に措いて例外が無いように。
もちろん。どんな
――ああ。
なんだかすごく、ぞくぞくする。
もちろん、世界には序列がある。 殻半ひよこ @Racca
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