第5話(終)

良く晴れた昼。デーゲームの始まりだ。


場所はニートのよく知る場所である。暇なニートは、指定の時間よりも三十分早い二時半に自らが十年以上前に通っていた小学校に辿り着いてしまった。思っていたよりも通学路が短いとかそういうノスタルジーなど今はどうでもいい。バッジは胸には着けず、ポケットの中に入れた。足を踏み入れると、大学生が待っていた。


「よく来たな。グラウンドにみんないるよ」


大学生は、青いTシャツを着ていた。その表面には「子供塾2012」と書かれていた。胸元には、「動くより動け」。大学生は、これまでに無く強気だ。後ろ盾のいる人間は強い。ニートはこれまでで最も強い吐き気を覚えた。足が立ちすくんだ。これが本当の無力感。持たざるものが抱く恐怖。しかしニートには、前に進む以外の選択肢は無かった。三歩先を歩く大学生の背中には、子供塾のメンバーの全員の名前と「日本全国の子供に感謝!!」というメッセージが手書きされていた。


グラウンドでは、お揃いのTシャツ姿の大学生と小学生がドッジボールをしていた。もちろん、運動能力の差では大学生が圧倒的に勝るから、大学生たちは、わざとボールにあたったり、ナメられないように時々本気を出したりした。それはわざとらしいプロレスのようだった。一方、小学生たちは、スポーツ選手の物真似をしたり、アニメや特撮の技の名前を叫んだりしながらボールを投げた。


ニートは色々な事を思い出していた。懐かしいな。小学生時代、今と殆ど変わらないこのグラウンドの上で、同じ砂を踏んで、自分もドッジボールをしていた。みんな仲良く。


いや、待てよ、仲良かったか? もっと記憶を辿れば、生々しい記憶が山のように出てくる。陰で先生の事をハゲだデブだと馬鹿にしたり、備品を壊したり、鈍臭い同級生を仲間外れにしたり、しかもそれを悪い事だという自覚も無く行っていた。その時一緒にいる人が楽しんでいるんだからいいだろう、そう思っていた。自分たちは何をしても許されるんじゃないかという甘い考えがあった。思い出したくない記憶が引き出されていく。中学に進学するころには、色んな生徒が近所のスーパーで万引きしていた。そしてそのスーパーは俺が中三の時に潰れたじゃないか。子供は純粋なんかじゃない。もっといえば、純粋に不純だった。お前たちはそんな光景を見る事もなく、まして自分が参加することも無く大人になれたというのか? 忘れたのか? 記憶から消したのか? 大体二時半スタートって。何やってんだ。授業はどうしたんだよお前ら。


でも、その事くらい、子供塾のメンバーは把握できるんじゃないか。だとしたら大学生が勘違いしているだけか? そうか、多分大学生は新しい組織に入って全能感が湧き出ているだけだ。自分だってそうだ。高校入学した時、コンビニのバイトを始めた時、ニートを始めた時、人生相談を始めた時……いつだって全能感に溢れていた。自分の未来が祝福されているような気持ちになった。大学生は、今その時期にいるのだ。俺は、大学生を許そう。子供塾を許そう。この勝負、俺の負けでもいい。そうニートは思っていた。ニートは、相談した大学生が何処にいるかすっかり分からなくなってしまった。皆同じような見た目をしていて、ニートには個々の区別が付かなかった。


ドッジボールの決着が着き、みんなが疲れたら休憩して、塾長など年長者からのメッセージを聞く。それはニートには、取り立てて耳を傾ける価値のある内容でも無かった。予想通りの綺麗な単語の羅列である。これまでに何度も周囲から言い聞かされてきた事だ。子供塾のメンバーは「はい、はい」と相槌を打ちながら、メモ帳やスマートフォンにその内容を書き取っていた。小学生は真剣に聞いていた。塾長には逆らってはいけない。子供たちは子供塾内の力関係を把握していた。ニートは話を聞く代わりに考えていた。疲れて回らなくなった頭にメッセージを擦り込んでマインドコントロール……? いや、それは考え過ぎだろう。


塾長のありがたい話が終わったらまた遊ぶ。遊ぶのに飽きてきたと感じるタイミングで、大学生が一発芸をしたり、サークル内カップルがキスをしたりして皆を楽しませた。なるほどね。ああやって羞恥心を捨てれば、歯の浮くことが言えるようになる訳か。大学生はみんなバッジを着けている。


「努力は力。子供は光」


「好きな人には好きって言おう」


「I love Shiori」


そのあとのニートには、子供塾の悪い所ばかりが目に付くようになった。ニートは、子供塾のメンバーは爽やかな大学生を演じるのに必死なように感じた。それどころか、子供相手に威張っている情けない人ら。モチベーションを維持する為に群れるのに精一杯な人ら。そんなダサい集団にすら見えてきた。団体って、遠目に見ると、こうも滑稽なんだ。お前らが考えていることなんて手を取るように分かる。楽しいのかな。ニートはドッジボールには参加せず、ただそれをじっと見ていた。


その時、大学生はニートに見せつけるように、ニートの目の前で女子部員にお喋りをし出した。俺はモテる、そう言いたいかのように。大学生は、ニートにお前はモテないというニュアンスの内容を言われた事を未だに根に持っていた。


幼稚だ。極めて幼稚だ。なんだこの幼稚さは。俺はこんな人間に迷わされていたのか。そりゃ子供から学ばなきゃダメだろ、どいつもこいつも……。ニートは、さっきまで許すと言った大学生にまた怒り始めた。そして皮肉にもニートは、その瞬間、相談相手がニートだと判明した途端に手の平を返した大学生の気持ちを理解した。期待を裏切られた。ヒーローだと思ってたものが、何でも無かった。


ニートは思った。昨日までのお前の方が格好良かったよ。今認めるよ。お前は凄い奴だった。俺の言葉一つで人生変えたんだもんな。だけど、今のお前はただの凡庸な一大学生じゃないか。こんな風に、お前も俺と同じ絶望を味わったんだろうな……。


一方、憤りの矛先は自分にも向いた。また自分が一つの社会に適応できずに逃げ出そうとしていること。これじゃ同じ事の繰り返しじゃないか。ニートは何もかも嫌になっていた。もはや戦意も無くなっていた。心拍数も平常に戻っていた。吐き気も収まった。ああ、これこそが本当の絶望だ。このままここに残っても、家に帰っても、俺に光は無い。闇も無い。あるのは、クソみたいな毎日だけだ。こうして人生は続いていく。


ニートは大学生を無視し、更にドッジボールを見続ける。上級生の男子部員が、さり気無く下級生らしき女子部員の胸を触っているのに気付いた。


ボールが遠くの方へ行くと、上級生は、下級生に「ほら、取って来い!」と言う。それを真似して子供が「取ってこーい!」「ハッハッハ」などと言う。それにつられて大学生たちも笑う。


ニートはついに帰ることを決めた。ここにいたら、病気になる。下級生が遠くへ逸れるボールを拾いに行く。それに対してさらに先輩は罵声を浴びせる。


「ほら、全力で走れ! 追わないと夢は逃げていくぞ!」


「すみません! 塾長!」


ニートは、静かにその場を去った。




それからニートが消えたことに気付いたのは、ドッジボールが終わってしばらくしてからであった。


「あれ、あの人何処行った?(住所不定無職なんでしょ?)」


「え、何何?(面白い人がいたの? 見てみたかったな)」


「えー、残念(なんか俺らとは空気合わないかもだよな)」


「ちょっと探してくるわ(輪に入れないで帰ってやんの、ハハハニートめ)」


「ほら、さっさとラインマーカー引けよ一年!」


子供塾では悪口を言う事は禁止だから、一同は目で会話した。


グラウンドに転がったバッジには、「ニートナメんな!」と上書きされていた。

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