第4話

それからニートは相談室を閉鎖しようと何度も思ったが、すんでのところで踏み止まった。大学生の事が気になっていたのだ。言われっ放しではいられない。もう一度ガツンと攻めてやらなければ。そして幾度の夜を超えて、奴はやって来た。胸に一つのバッジを添えて。ニートはその異質なバッジに目を引き寄せられた。


「動くより動け」


そのバッジには、マジックでそう書かれていた。


「あ、気になる?」


大学生は、今回は最初からタメ口だ。


「これは座右の銘! 入部から二週間が経過したら先輩に着けてもらえるんだよ。これで僕も正式に子供塾の塾生になったわけ。子供たちも面白がって見てくれてるんだよ」


よくやるなあ、それがニートの率直な感想だった。しかし同時に、こんな事が平気で出来る精神の強さにも感心せざるを得なかった。


「そしてニート、君に最も必要な言葉でもある」


早速大学生はニートに手痛い先制攻撃を繰り出した。『考えるより動け』とは、出不精なニートが最も嫌う言葉だった。応用編のつもりか。こいつは完全に俺の敵だ、とニートは感じ出した。怒りが沸々と燃えだしてくるのが分かる。感心など吹き飛んだ。


「特別に、君にもバッジを持ってきてあげたから、これを着けてみてよ」


何が悲しくて教訓の書かれたバッジを胸に着けなきゃいけねえんだよ。バッジを手にとって、恐る恐る教訓を読み上げてみた。


「行動する人が好き。行動しない人が嫌い」


「そう。これは俺が書いたんだよ。胸に着けておけば、いつでも、行動する事が大事だと忘れないでいられる。凄いと思わないか?」


「こんなの着けられないよ。よくやるよな」


ニートはついに開き直った態度に出た。しかし、大学生は動じない。


「恥ずかしいのは分かるけど、全部飲み込まないと」


大学生も強気だ。


「馬鹿じゃねえの」


ニートは完全に大学生と決裂した。大学生は、飼い犬に手を噛まれたような顔をした。こいつは立場が分かってない、という顔をした。


「これ着けてハロワ行くくらいの行動力見せなきゃ、仕事見つからないよ? 大体この一週間何してたの? 仕事は見つかったの?」


「うるせえな。今はどうだっていいだろ。就活した事ねえガキが偉そうな事言ってんじゃねえよ」


ハローワークには昼から通った。しかし、まだ職は見つからない。そして一日一回ありがとうキャンペーンは最初の一日で挫折した。


「はは、言うに事欠いてガキですか。年齢以外に僕に勝ってる事なんですか? 体重ですか? 無駄な知識ですか? プライドの高さですか?」


大学生も本性をどんどん露わにしていった。口調が丁寧語に戻ったのは、ニートを年長者として敬ったからではない。年下の人間に言い負かされる年上の人間、という構図を作り上げて精神的に攻撃してやろう、と直感で考え付いたからである。


「後ろ盾が無いと何にも出来ねえ雑魚が」


「後ろ盾も無い人に言われたくないです」


ニートは自分の形勢が不利である事を認識していた。クソ。どう考えてもこいつの言ってることはおかしい。しかし、ニートである自分と、大学のサークルに所属している大学生ではなにぶん世間体で自分が劣る。


それにニートは、間違っているのは大学生や子供塾やハローワークの職員ではなく自分の方ではないかとも思い始めた。いや、元々そうは思っていたのだが、ここに来て迷いが生じた。そう、その精神的ゆらぎこそが、ニートの弱い部分であった。一方大学生は、元々の立場でニートに負けるわけがないのだからと、この場での口論には絶対的な自信があった。


「もういいですか。バッジ着けてください。着けないんだったら帰りますよ。僕も忙しいんで。塾のホームページも作らなきゃいけないし」


押してダメなら引いてみる。さあ、俺を追わずにいれるか? このまま帰られたら君は完全に負け犬だぞ、ニート。


「待てよ」


ニートはバッジを握りしめながら大学生を呼び止めた。


掛かった。ざまあみろ。ハハハ、やっぱニートなんてチョロいもんだ。


「お前だってな、こないだまで核心から逃げまくってたじゃねえか!」


この期に及んでまだ噛み付くか、と大学生は思ったが、彼の怒りを刺激して暴言を吐かれても不快なので去勢してやることにした。


「……そうです。こないだまでの僕は色んなことを恐れていた。だけど、そういう自分を恥じたんです。あなたからの言葉を受けて。僕はもう逃げないと!」


大学生は、全てが自分の味方をしている今の状況に心底気持ち良くなっていた。


「声がでけえんだよ」


「やっぱり、一人一人が元気になることが大事だと思う! そしてその一歩目が、大きな声で喋るということだと思う。なあ、面白いことをしないか?」


「は?」


「大学生という枠に捕われる事も無く、もっと広い視野を持ちたい。そのためには君が必要だ」


「面白い事って、まさか」


「子供塾に来ないか?」


そのまさかだった。


「子供がどうやって生きてるか、は君にとって大きな勉強になるはずだよ。今の世の中には、平気で他人をいじめたり、よく考えずにゲームで敵を殺したり、ネットで悪口を言う人間ばかりがいる。それを重ねて歳を取ると、人間は大切な心を失っていく。君の心は荒んでいるんだと思う。荒んだ人間、荒んだ社会、荒んだ食事の中で、荒んだ心が育った。それは君が悪いんじゃない。悪いのは君を愛さなかった周囲の人間や社会の方だ」


大学生は発言中でイジメを批判してみせたが、今自分がやっている事は、苛めではなく、啓蒙だと思っている。人間なんてそんなものだ。


ニートは子供塾へ行く事になった。こうなったら堕ちる所まで堕ちてやる。どうせ俺はニートだ。失う物は何も無い。マイナスは無い。


「明日の午後三時、第五小学校に来いよ」


それはニートの母校だった。また、大学生の母校でもある。

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