第3話

それまで昂っていた大学生の気持ちは、一気に萎えた。急に、今まで時間の無駄だった、と大学生は感じた。夜の駅で出会った謎の熱い男、なんでドラマチックな出会い、しかしその正体はただのニートだった、という悲しすぎる現実。そしてそんな人間の言葉を有難がっていた自分。自分の秘めたる思いを語った事、それら全てを、受け入れ難いものと拒絶したくなった。


「お前、急に何なんだよ」


「この人生相談を始めたのも、誰かを救うことで自分も救われる、という算段ですか?」


大学生は、今まで上から目線で言われた分、全部返してやろうと考えた。こいつになら全部論破できる、と思ったのだ。


「なんでもいいだろ、理由は一個じゃねえよ」


「どうですか。僕の相談に乗ることで、救われましたか?」


大学生はニートに対し憐憫の念を抱いた。これが敗者の末路か。自分はこつこつ努力して全うな社会人にならなければ。


「その目はやめろ!」


お、急に弱気になり始めた。しめた、と大学生は思った。ニートの本音を引き摺り出してやれ。


「いつから働いてないんですか」


「三年前だよ」


「時間がいっぱいあって楽しいですか?」


「楽しくなんかねえよ」


大学生は、ニートに会ったら聞いてみたかったことを根掘り葉掘り聞き始めた。


「死にたくなりませんか?」


「ああ、明日死のうと毎日思ってるよ」


「同世代が年に何百万も稼ぎ、どんどん家庭を築いていくことについてどう思いますか?」


「置いて行かれてる気分になるよ」


大学生は、家庭を築いているか否かを、人間として一人前かどうかの一つの指標として見ているタイプであった。


「そんな自分を変えたいと思わないんですか? ヤバイとか思わないんですか?」


「思うけど! いつも起きたらもう夕方だしさ、第一不可抗力が凄いんだよ。たまに職安行けば冷やかな目を向けられるし、奴らは働かない人間を心底馬鹿にしているんだよ。見下してんだよ。それにあいつら、職に困ってる人間にはわざと劣悪な環境ばかり薦めてきやがるんだ。それに乗っかったら最後、もうマトモな職には付けねえ。職員がカモを見つけたとばかりにロクな仕事紹介してくれなくなるからな」


「言い訳ばかりじゃないですか。全部人のせいじゃないですか、今までそうやって色んな事から逃げてきたんですよね」


「お前はさっきから何なんだよ!」


「誰かがあなたに言わなければならなかった事、それを今僕は言っているんです」


「余計なお世話だな」


「現実から目をそらしちゃいけませんよ。はっきり言います。あなた、僕より『下』じゃないですか」


その言葉が発せられた時、夜の街の一角が水を打ったように静かになった。 子供塾入塾前、大学生はニート体験をしてみたい、ニートと友達になってみたいといった旨の発言をしていた。しかし、入塾後のメンバーの話を聞くと「友達は多くなくても良いからしっかり選ぼう」「困った時に助けたいと本気で思えない友達は作るべきではない」「世界を救うより、大切な一人を救おう」という意見が大多数であった。今や大学生はその意見にすっかり同調し、ニートと友人になりたいという気持ちはすっかり薄れてしまっていた。それよりは、ニートに仕事を与える立場に立ちたかった。ニートを救いたい。それが最終的にはニートの為にもなるからだ。


大学生は、子供塾の現塾長などから「本音で話すことの重要性」を説かれ、心打たれたのだ。また、これはニートから学んだことでもある。問題解決の鍵を握るのは本音で話すことだと考えていた。そして何よりも、大学生は啓蒙をしてみたかったのだ。いつまでも自分が教わる、説かれる、怒られるという受動的な立場に立たされていることに苛立ちを覚えていた。もう自分は小さな子供ではない。自分だって、誰かに影響を与えたい、誰かに教えを説きたい、何かに怒りたいとかねてより思っていた。大学生はその不満をここで爆発させた。自分はニートを啓蒙し、救い出すのだ。ここはさしずめ、救難・ニート相談室だ。


大学生はそれまで冴えない人生を送っていた。スポーツも勉強も得意でなく、ルックスもイマイチで、笑いのセンスも存在感も無く、異性にも同性にもモテない。そんな生活を大学に入っても続けるのは御免だった。自分を変える為、大学では、オシャレな人のいるサークルに入学時のテンションで即入部希望届を提出した。オシャレな人と一緒にいれば、自分もオシャレになれるはずだ、と。そしてそのサークルの高額の部費を工面する為にバイトを始めた。バイトやサークルに汗を流す日々。これはまさに光り輝く大学生活なのでは? そうして多少は自分に自信を取り戻すことができた。しかし、大学生の積年の鬱憤はそれだけではまだ満たされなかった。より高みを目指す為、大学生は眠らない街で一つの相談室のドアを叩いた。そして自分より上の人間から厳しい言葉をもらい、自分より下の人間には、高みを目指してもらうよう指導をできるというスタンスの子供塾は、至高だった。ついに自分の居場所を見つけたのだ。


ニートはずっと黙っていた。大学生が声色を変えて話し始めた。


「腹を割って話しましょうよ。僕があなたの本気を受け止めます。本気と本気をぶつけ合いましょう」


「モテない人間同士話して何になると言うんだっての」


ニートは不貞腐れ始めていた。その言葉にカチンと来た大学生は、少しの間を置き、しっかり反論をした。


「いや、さっきはモテないって言ったかもしれないですけど、実際微妙なところですよ。告られたことありますし。こないだ女子と二人で遊びましたし。まあ中の中くらいですかね、実際」


そう言った途端、大学生の怒りは収まった。おっと、いけない。相手を受容すること。それが世界平和への第一歩だったはずだ。子供塾の先輩たちからそういうお言葉を頂いた。俺ということが基本を忘れそうになった。怒っちゃダメだ。冷静を取り戻さなければ。


「まあ、ともかくさ」大学生の口調が変わった。ニートが椅子に尻込みした。「今度は俺が相談に乗るよ。ニートから抜け出して、仕事を見つけるためにはどうすればいいか、考えよう」


大学生は敬語を捨てた。生徒の口調から先生の口調へと変化していった。大学生の中の無意識がそうさせたのだ。教育に年齢は関係無い――これも大学生が子供塾で学んだことだ。


結局、ニートはいつもと同じように、仕事探しの説教を受けることになってしまった。しかし、反発心の中でニートは、自分が言い包められてしまったことで一つの事を学んだ。自分がニートでいる限り、他人を救うことも、自分が救われることも出来ないのかもしれない、と。これは大海原を漂う自分を引き上げてくれるきっかけになるかもしれない。


「お、おう」


「でも、近道は無いよ。まずは、やっぱりハローワークに行くことだよね。毎日、一日中行こう。就活している大学生は、大学に行きながら一日何社も回ってるんだよ?」


日本の就職事情は依然として厳しく、これからも良い方へ向かっていくことは恐らく無いであろう、と大学生は四年生の先輩から聞かされていた。それはテレビのワイドショーや学校の先生が言っていたことから薄々と気付いていたが、畏敬の対象である先輩から聞かされていると、真実味も臨場感も異なる。就活は他人事ではない、と考えるようになったのだ。


「あと、朝起きれないなんて言ってちゃダメだよ。人間は昼型の動物。太陽とともに生きるのが身体のリズムに一番合っているんだから」


ニートは昼型の動物に夜のバイトを強いた店長をますます恨んだ。働いても働かなくても夜型にされるのだ。


「それに単純にハローワークは夜やってないじゃないか。さっき君は、自分にあった仕事を紹介してくれないと言っていたけれど、いい仕事は午前中で締め切られているかもしれないよ? 善は急げだよ」


大学生は、成功した人間は皆朝型であることを聞かされていた。それは大学生でも腑に落ちた。それ以降大学生は、授業が毎日一限からあることにある種の優越感を抱けるようになった。一方ニートはお前にハローワークの何が分かる、と思っていたが黙っていた。沈黙を決め込んでいた。


「だけどそれじゃ月並みなアドバイスだね。それぐらいのアドバイスは、誰にでもできること。だから僕は敢えてもう一つ言いたい。とても大事な事」


「なんだよ」


ニートはひたすら無気力な生徒を演じた。先生のエネルギーを全て透過するかのように。プライドを守るために。その仏頂面とは裏腹に、ニートの心の中では壮絶なせめぎ合いが行われていた。大学生の言う通りにして真っ当な人生を歩みたいという気持ちと、気味の悪い事ばかり言ういけすかない大学生に反発し、大学生が言うものとも別の茨の道を歩んでいきたいという気持ちの戦いである。


「それは、挨拶すること」


「挨拶……?」


そんなニートをよそに、大学生は、さらにニートにとって耳の痛い話をする。引きこもりにも近いニートには挨拶をする習慣が殆ど無かった。


大学生は保育園や小学校へ遊びに行くとき、まず挨拶する。保育園は園児のもの。小学校は小学生のもの。あくまで自分たちはそこを訪れる部外者であるという自覚を持て、と教えられた。子供塾では、そこで会った小学生や近辺の住民などにも挨拶をすることになっているが、挨拶が返ってくる可能性はせいぜい五割だ。大学生は、日本人のシャイな人間性に絶望した。なんということだ。子供ならともかく、いい大人が挨拶一つ出来ないのか。それどころか目を合わせようとすらしてくれない。一体子供の頃何を学んだんだ。漢字の読み書き? 九九? 英単語? もっと先に学ぶべきことがあるだろう……。そのような苦い経験から、大学生は挨拶を重視するようになった。


「例えば、『ありがとう』って一日一回言うとか」


「ありがとう?」


「人間の生み出した綺麗な言葉だよ。コミュニケーションの一番根っこにあるもの。たったこれだけでみんな幸せな気分になれるのに、何故かみんな言わない。幸せになる為に何故かみんな遠回りしようする。僕はいいことをしてもらったらお礼を言うのは当たり前だと思っているのになあ。人として当たり前の事を出来てない人は多いよ。だから、それを言うだけで、ある意味一人前になれる」


「はあ」


「あとこの習慣にはもう一つ意味があってね。一日一回ありがとうということは、一日一回世の中に借りを作るということでもある。何回もありがとうと言っているうち、自然と恩返しをしたくなる」


「今度はありがとうと言った相手に恩返しをする。最初は上手く恩返しできないかもしれないけど、頑張って色んな形で恩返しする。その為に頭も使おう。それを繰り返していれば、いつかきっと、ありがとうと言われる日が来る。そしたらついに世の中とのコミュニケーションは成立だ! 君は今まで、世の中とコミュニケーションが取れていなかっただけ。コミュニケーションが成立したとき、人間らしくなれる。優しくなれる。明るくなれる」


「そんな簡単に行くもんじゃないと思うけど」


「やってみなくちゃ分からないよ。さあ、世の中に恩返しをしよう。『ありがとう』と言い、『ありがとう』と言われる人になろう。そうすれば、人を愛し愛される人になれる。それはつまり、社会に必要とされる人という意味でもある。社会人としてあるべき姿に成長できる。そうすればすぐに仕事は見つかるはずさ!」


「むしろそんなにしないと仕事貰えないのか。社会人は大変だな」


と皮肉を言うのが今のニートには精いっぱいだった。


「そうすれば、景色は変わる。毎日は変わる。『一日一回ありがとう』を続ければ、人への感謝も生まれ、また、無職だった頃には忘れていた働く喜びも分かるはずだよ。今のつまらない生活から抜け出せるはずだよ。今まで育ててくれた君のご両親にも感謝できるはずだよ!」


もはや大学生はニートの相槌すら必要としていなかった。完全なる独壇場。この場の支配者。その気分に酔いしれていた。俺の言う事は正しい。脚本俺、演出俺、監督俺、主演俺。全てが自分の中で完結していた。自分の正しさと懇意があれば、今は魚の目をしているニートをもきっと変えられると信じきっているかのように、大学生の目は輝き、体温が上昇していた。


「さあ、そろそろ終電の時間だ。今日はここでお開きにしよう」


大学生はまたいちだんと豊かな顔をして、駅へ向かって行った。


ニートは立ちすくんでいた。俺は何をしているんだ……。何も言い返せなかった。情けなさで泣きそうになっていた。

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