第2話
それから一週間後、再び大学生が現れた。
「お久し振りです」
大学生を見た途端、ニートはなんとなく気恥ずかしくなっていた。あの日、綺麗なままでこの大学生と別れられていたらどれだけ幸せだったか。怒鳴ったり、感謝されたり、誰かの人生を変えたり、そんな事は今までの自分を考えると奇跡であった。そんな奇跡的な事を連続して起こせるとは思えない。ニートはここにきて緊張していた。人生相談室はあの日を持って閉鎖にすれば良かったと感じた。正体不明の責任感から吐き気を催していた。大学生は椅子に座る。ニートも座る。
「サークルには入ったのか」
ニートは話題を相手に丸投げした。しかしそれは正解であった。大学生はそれを話したくてウズウズしていたのだ。ニートにとっても、これ以上のアドバイスを大学生から求められるのは苦痛であった。これで聞き役に徹することができるのだ。
「ふふふ、入りましたよ」
大学生は笑みを零さずにはいられないようだった。成功者の笑いだ。ニートは直感した。
「何ていうサークル?」
「『子供とつながり子供から学ぶ塾』、略して子供塾というサークルです。保育園や児童館や小学校でイベントを催したり、一緒に遊んだりして回るサークルなんですよ。このサークルのキモは『子供から学ぶ』ということ。確かに僕達は子供たちより長く生きていますが、それが何だというのでしょう。何十年生きてもうだつの上がらない大人もいるし、まだ幼いのに良く出来た人もいっぱいいる。子供塾では先生も生徒も無い。むしろ僕たちが子供から人生を学ぶんです。子供には、大人の常識は通用しないですからね」
「それは良かったな」
ニートは、この大学生は喋らすと長いタイプだな、と思った。
「何より、子供と接するのって楽しい。子供は嘘を吐かないし、素直だし、目が輝いているし、感情が豊か。子供のまま身体が大きくなることって、バカにされたりもするけれど、素晴らしいことだと思う。まあこれは子供塾の創設者である橋本先生のお言葉を引用してるんですけれどね」
「橋本先生?」
「はい、今年で三十歳になるのですが、世界を飛び回って各地で子供を手助けして回っているんです。時々日本に戻ってきては子供塾の様子を見に来るそうなんです。僕も早く見てみたいなあ」
「ふうん。楽しい人がいるね」
「でも橋本先生は、『俺が楽しいんじゃなくて、子供が楽しいんだ』って言っています。子供の遊びって楽しいですよ。子供は遊びの天才ですね。子供の仕事は勉強じゃなくて、遊ぶ事だとつくづく思います。大人の仕事も、ひょっとしたら遊ぶことなのかも」
「へえ」
ニートは大学生との距離を感じながら相槌を打った。仕事が遊びの訳ねえだろ! と思いながら。
「男子とか女子とか関係無く遊びます。おにごっことか色んなバリエーションがあるんですよ。子供たちと遊んで、子供が帰る時間になってもサークルの学生はまだまだ遊び足りないから、更に遊ぶんです」
「みんなで活動するっていう目標が達成出来て良かったな」
「はい、以前では考えられませんでした」
「じゃあ、今の大学生活には満足してるんだ」
「八十点くらいですかね。以前は五十点でしたから一気に上がりましたよ」
「意外だな、まだまだ百点は遠いのか。何が足りない?」
「むしろ、サークルに入ってみて、今まではなんとなく我慢出来ていた色んなことが気になって仕方なくなってきたりするんですよ。例えば友人のこととか」
「まあ、悩み事の定番は人間関係だよな」
「サークルのメンバーは子供たちと触れ合うことでみんな素直になるんですよ。まあ元々子供の感性が分かっている人達が集まっているから、レベルが高いっていうのもあるんですけど。みんなで夜の公園のベンチに座って酒を交わしながらお互いに素直な自分の気持ちとか、将来の夢とかを話し合うんです。中にはサークル内で愛の告白をする人もいるんですよ。それは部の伝統らしいです。そういうことだから、学科の友達と話していても、なんか下らない話ばかりしてるなー、って思う事が増えてきてしまって。昨日見たテレビの話とか、バイトの愚痴とか……。子供塾で話す内容とは濃さが全然違うんですよ。学科の人と話していると、ああ、これは上っ面だけの友情だなー、って思ってしまう。僕はみんなの何を知っているんだろう? みんなは僕の何を知っているんだろう? って考えてしまう」
「つまり心のうちを曝け出すような友人が欲しいってわけね」
「そうなんです。でもそういう友達ってなかなかいないんですよね。大学生って、ただ遊びたいだけの人が多すぎる。そういう人と話してもつまんないですよ。単に時間を潰すだけの関係性ですからね。はっきり言って理解出来ない。なんでそんな友情で満足出来るのか。僕は一生付き合えるような友人が欲しいんです。困った時に手を差し伸べられるような友人。もし誰かが大怪我をした時、車椅子を押してあげられるような友人が欲しいんです。ピンチになったら見捨てる、そんなの友情でもなんでもない」
「一生の友人かー、俺にいい仕事紹介してくれる奴がいれば、俺はソイツを一生の友達だと思うだろうなぁ」
「友情は難しいです。傷付きながらも育んでいくもの。夢も同じです」
「そういえばさっき、公園で将来の夢を話すって言ってたな。お前にも夢があるのか」
大学生が猛烈にサークルで見た事聞いた事考えた事を喋りたいようだったので、ニートは引き続き喋らせるようにした。
「もちろんやりたいことはいっぱいあるんですよ。ただ、あくまで、すぐには叶わないこと、でも必ず叶えてみせることを夢と呼ぶのなら。やはりひとつしか無いでしょう」
「勿体ぶってないで教えてくれよ」
「えっとですね、大人が熱くなれるものって、一つが仕事、もう一つが恋愛だと思うんです。だから、その両方を真剣にやりたい。その為には、それを実現させるパートナーが必要だと思う」
要するにさ。「彼女が欲しいわけ?」
「はい。彼女、欲しいですよねえ。いや、彼女が欲しいというよりは、本気の恋愛がしたいと言った方が正確か」
「本気の恋愛? ってどんな恋愛?」
「これは本当の友情の話にも通じるところがありますが、なんとなくで付き合うんじゃなくて、お互いがお互いを尊敬しあい、激しく求め合って、それ以外のすべての物を捨て去ったとしても愛を貫けるような関係が理想です。それこそが本気の恋愛です」
大学生は、恋愛論を語り始めた。
「なんとなくじゃダメなの?」
「ダメです。愛の言葉を恥ずかしがらずに毎日伝え合うことと、お互いの両親に挨拶しに行くのを嫌がらないことが、遊びの恋愛と本気の恋愛の境界線だと思うんです」
大学生は喋りながらどんどん興奮してきて、更に舌が回る。普段は言えないようなことを次々と口にしてしまっている。
「で、そういう相手はいるの?」
「なかなかいません。やっぱり世間ではこういう考え方は受け入れられないというか……。今は遊びの恋愛が流行りみたいです。でもいいんです。真剣な交際ができないようであれば、僕は交際をする気はありませんから」
「うーん、それはお前が悪いんじゃないの。相手に求め過ぎじゃん」
時には相手の意見を否定し、自分の意見をはっきりと言うのが人生相談の基本らしい。だんだんニートは本調子を取り戻していっている様子だった。
「僕は、自分が正しいと思った事を貫きたいだけです。本当の愛を知りたいんです。本当の愛だけが、幸せの扉を開く為の鍵となり得るのだから。それに僕は女性に尽くす準備があります。そういう女性がいれば、自分の命を捨ててでも守りぬく自信があります」
「へえ、じゃあ彼女のために死ぬんだ」
「その通りですが、それはあくまでもしもの話です。実際は、彼女の為に生き抜きたいと思います。彼女より一秒でも長く生きてみせます」
「それを相手に伝えればいいんだと思うけど」
「でも、それは軽い男のやる事ですよね。これだという相手を見つけてから思いを伝える、という順ですよね。軽い男は順序が逆なんですよ。現実問題、なかなか僕の理想とする女性には出会えない」
「言っちゃ悪いけどさ、結局、君ってモテないんじゃないの?」
「そうかもしれません。今まで沢山の相談を受けてきたあなたが言うのであれば、尚更そうなのだと思います。モテたいなあ。あ、僕がモテたいというのは、単純に彼女が欲しい、という事ではないんですよ。モテない男である、という事は、営業が下手ということじゃないですか。自分を相手に売り込めない。また、社会の半分を占める女性に必要とされていないという事でもある。これから社会に出るというのに、それじゃあダメだなって思うんですよ。それに女性経験が少ないとナメられるじゃないですか。いい歳して経験が無い男ってどうなんだろう。そんな大人にはなりたくないなあと思って」
大学生は勘違いしているようだが、ニートが相談に乗ったのは、彼で三人目である。
「モテる男になりたいのか、一人の女と愛し合いたいのかどっちなんだよ?」
「いつでも女性と関係を持てる状態にありながらも、一人の女性を愛し抜くのが、一番カッコいい男なんじゃないかなあと思う訳です」
「で、実際サークルでは関係持てそうなわけ?」
「子供塾でも、元々入っていたサークルでも、あ、これは夏場はテニス、冬場はスノーボードをやっているサークルなんですが、どちらも明るくて魅力的な女性がいますので、彼女らとたくさん遊んでみてから決めていこうと思います」
「なんかまるで、大学にサークルやりに行ってるみたいだな」
「大学って勉強するところではないじゃないですか。大学の授業システムとは、いかに仲間と協力して単位を稼ぐかを競う社会的ゲームだと思っています。チームワークこそ、社会で必要とされるものじゃないですか。まあ、時々は刺激を受ける授業もありますけどね」
ニートは大学に行ってないのでその意見に一瞬ピンと来なかったが、高校でしっかり職業訓練をしていれば正社員になれたのかもしれない、と思うと、その意見に同調した。大学生は、自分の意見を好き勝手表明することで気持ち良くなり、恍惚の表情を浮かべていた。
「とにかく、僕は生活の全てを『熱くなれること』で固めたいんですよ。二十四時間・三百六十五日、熱くなっていたい。その為に障害になっていることはいっぱいある。それと戦っていきたいんです。そうしたら熱い人間になれる気がする。無気力・無関心社会と全力で戦い続けるんだ」
「生活の全てって言ったら、住む家とかも考えなきゃいけないな」
「そうですよね」
「思い切ってホームレス体験するっていう手もあるよな」
「僕はルームシェアをしようと思っています。刺激が沢山ありそうな予感がします」
「誰とシェアするかにもよるけどな」
「シェアハウスに住めば、大勢の同志がいますからきっと楽しくなれると思うんですよ」
「泥棒がいないことを願うばかりだな」
「あと知ってますか? 最近のルームシェア事情って進歩してて、シェアハウスに住むみんなで、家庭菜園を作って野菜を育てたり、家畜を育てたりするんですよ。命の大切さを知れるし、この世で最も大切な仕事は農家なんだってことに気付かされるそうなんですよ。子供塾のメンバーにそういうシェアハウスに住んでいる知り合いがいる人がいるのですが、そうすると、『いただきます』『ごちそうさま』という、簡単な言葉がどれだけ大切なものであるか、思い知らされるって言ってました。素敵な話ですよね」
「そ、そうだな」
ニートは大学生の話の速度について行けなくなってきていた。大学生はそんなニートを置き去りにするかの如く政治に斬り込んで行った。
「だから、農家に対する待遇が悪いこの国は、ちょっとマズいんじゃないかなあ、って思うんです。食物自給率も低いですし、自分の食べるものは自分で作る、という、遥か昔の人間に出来たことが今の人達には出来ない。それで何が先進国だ。機械で腹が膨れるのかよって思いますよね」
「うーん、機械を作って売って、その金で食べ物を買ってるわけだし、一概にダメとは言えないんじゃないかな」
経済とか労働の話は耳が痛いニートである。
「でも、パソコンを作ると、環境は汚染されるし、社会の在り方もパソコン依存に代わって行く。これも日本のヤバいところですよ」
「そうは言ってもパソコンやネットで得た事はいっぱいあるだろ」
「これまでの人生、インターネットにはあまり触れてこなかったのですが、噂通りの酷いところですね。こんなものに生身のコミュニケーションが脅かされているのだと思うと、僕は人間を信じられなくなってしまいそうになる」
一体どのサイトを見たのだろうと思ったが、どのサイトも確かに悪口と罵声の山であることは確かだ。人間のあるところには否定がある。
「インターネットはいいことばかりじゃないですよね。情報の信憑性が低いですし、それに一番の問題は利用者のレベルが低すぎる事。インターネットを悪口を言う場としてしか利用しないのは、得か損かという言う以前に人間として間違っていると思います。インターネットを使うときは、インターネットの負の部分も見ないと」
「だけど正の部分も見ないと、いつまでもインターネットを嫌うままでいるのも良くない」
「そうですね。まだインターネットを始めたばかりで異質だから、偏見を持ってしまっているのかもしれません。インターネットに可能性があるとすれば、子供塾や、橋本先生の考え方を知ってもらう場を設ける、ということにあります」
「ホームページを開くのか。むしろ今まで無かったのか」
「そうなんです。だからこないだ部会でそれを発案したらみんなから『いいね!』って言われたんですよ。ですから子供塾インターネット隊の隊長を務めることになりました。これは一大プロジェクトです」
「隊員はお前一人?」
「いえ、インターネットのやり方は子供たちに教わっているので、子供みんなが隊員です。外で元気に遊ぶ事も、インターネットを使う事も出来ている。案外今の子供の方が器用に社会を渡っていけるのかもしれませんね。でも嬉しいのは、入ったばかりの僕にこんな大きなプロジェクトを任せてくれたことです。しかも、サークル内で一番インターネットに疎い僕に……。責任感を持たせて急成長を期待する。日々の雑用も大事だけれど、それではいつまでも成長は望めないと思いませんか? いいシステムですよね。就職するなら子供塾みたいな所が良いな……」
「責任を負うと人間として成長する訳ね、ふーん」
「インターネット空間を好きになれないのなら、好きになれるように変えてやればいい。やがてはインターネットを、みんなの夢や汗水が飛び交うようなポジティブな空間にしたいと思っています。これもまた僕の夢の一つです」
「頑張って全国の俺たちニートに夢を与えてやってくれ」
「え、あなたはニートなんですか?」
「そういえば言ってなかったな」
しまった、口が滑った、とニートは思った。大学生の目の色が変わったように感じたからだ。
「……働くことは、自分を成人するまで育ててくれた社会への恩返しなんですよ。そんなんじゃダメじゃないですか」
やっぱり直感は間違っていなかった。言うべきじゃなかった。隠しておけば良かった。ニートはそう思った。
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