第一章 六話

 破裂音が聞こえてくる。昨日の夜に聞いた花火の低い音ではなく、軽い乾いた音。きっとどこかで悪ガキが、爆竹を鳴らしているのだ。

 今日は夏祭り。本来はお盆の辺りに毎年あるのだが、大きな台風が襲来し当日は中止になった。だから今年はないと思われていたが、どうしても夏祭りをやりたいという声が大きかったらしく、この夏の終わりに催されたのだ。

 爆竹の音が、もう一度鳴り渡る。間髪を入れずに誰かの怒号も。そういえば小さな頃に、派手に鳴らしまくって姉貴と一緒にこっぴどく怒られた記憶がよみがえる。こういう日に限ってはいつだって心が躍らざるを得ないのは、精神があの悪ガキのころから成長していないせいだろうか。

(――それにしても、みんな遅いな)

 待ち合わせの時間になっても俺は一人、薄暗い神社(失礼だけど、夜渡神社より立派だ)の短い石段に座っていた。心細いわけではないが、時間や場所を間違えているんじゃないかと不安になる。携帯電話で再度時間を確認。莉子と秋泉から遅れるかも、とメールが来ている。数分前だ。が、夜渡は分からない。何をやっているんだあいつは。人が遅れるの文句を垂れるくせに、自分が遅れたときはいけしゃあしゃあと屁理屈を述べる。

  画面に浮かぶ友人の名前を選んで、通話を試みる。が、夜渡は電話に出ることはなく、また出る必要もなかったようだ。

「よ、光樹」

「近くにいたなら言えよ!」

 呼び出した瞬間に着信音がすぐ近くで鳴り、やしろの裏から夜渡が現れる。どうやらずっと隠れていたらしい。

「もしかして、光樹を一人で待たせていたら変なことを始めるんじゃないかってな。二、三分前からスタンバイしてた」

「しねーよそんなの」

 夜渡は録画モードにしている携帯電話をちらつかせている。危なかった。もしも何かやらかしていたら、弱みを握られるところだった。

「お前、その格好――」

「ああ、親父の甚平だ。俺にサイズがぴったりだったから、着てきた。いかにも夏祭りっぽくて、風流だろ?」

 腰に手を当てて自慢げな顔をしている。夜渡の親父さんだってそこそこ背が高いのに、中学二年生にしてサイズが合っているのはすごい。下駄と手に持った巾着袋もよく似合っている。妬ましいほどに羨ましい限りだ。

 そのまま夜渡は隣に座り込み、巾着袋から何かを取り出す。

「それと、こいつは差し入れ。二本しかないから、二人が来る前に飲もうぜ」

「お、ラムネ! サンキュー」

 早速フィルムをはがして、ビンを石段の一段下に置く。キャップでビー玉を押し込むと、小気味いい音が鳴るとともにじわじわと炭酸があふれ出して石段を濡らした。

「よし! 乾杯しようぜ!」

「何にだよ。まあいいか。乾杯」

 彼は苦笑しながらもビンを掲げてくれた。透き通ったガラス同士がぶつかり合って、涼しい音を打ち鳴らす。ビー玉の転がるそれを口に当て傾けると、きつい炭酸が舌を刺激するとともに甘く冷たいラムネが爽快にのどを潤していく。夏祭りのラムネは、どうしてこんなに美味しいのだろうか。多少割高でも全くかまわない。まあ、お金は払っていないけど。


「にしても。まさか、宿題がまるで全然終わってないとはな。さすが光樹」

「今はお祭りだろ? 嫌なことは忘れさせてくれ」

 夜渡の家で神社にお参りした後、市立図書館の一室で勉強会を催したものの、五科目全ての宿題が手つかずの状態から終わるはずもなかった。夜渡は当然のように全て終わっていて、秋泉は残っていた数学の、莉子は国語のテキストを終わらせるだけだったので、事実上俺が一人で宿題をしているだけだった。

 手が空いているなら手伝ってくれてもいいのに「それじゃ光樹のためにならないから」と口をそろえて三人は笑うだけ。この恨み、俺は忘れない。

「忘れさせてくれ、とか言うけど、どうせ夏休みの最後まで忘れるつもりだろ?」

「まあな。去年だって課題の提出、少し待ってくれたし」

 俺のように課題が終わっていない生徒は必ず他にもいる。よほど厳しい先生でない限り、二日、三日なら待ってくれる。特に天間先生が受け持っている理科は後回しでも大丈夫のはずだ。

「いやいや夏休み中に終わらせろよ。内申点、これ以上下げてどうする」

「じゃあ手伝ってくれよ。俺の内申点のためにさ」

「お前の小指の先ほどもない吹けば飛ぶような内申点のことなんて、俺が知るかよ。自由研究を連名にしてやっただろ? それだけでも感謝するんだな」

 せめてもの救い。それは昨日の栄鳴寺山での天体観測を、四人で一つの自由研究として提出するのが許されたことだ。しつこく天間先生に頼み込んで良かった。

 ちなみにその研究レポートは、図書室の一画で俺が涙を流しながらテキストに取り組んでいる横で三人が和気あいあいと完成させた。ゴーストライターではあるものの、俺の考察(本当に俺が書きそうなレベルの低い内容だった)まで載せてくれたのは本当にありがたい。

「まあ、あれは助かる。完成したの読んだけど、あれ、ほとんど夜渡が作ったんだろう?」

 レポートには金星の動きをまとめたものや夏の星座にまつわる神話、逸話など、粒ぞろいの記事がまとめられていた。中でも目を引いたのは、星の等級をまとめた記事だ。市の中心部からと少し外れた場所、そして栄鳴寺山から見た時の星の明るさの違いが写真として載っていた。人々の明かりが、どれだけ夜空を暗くしているかがよくわかった。

 もっとも、天体に関わるいくつかの小さな記事や観測結果をまとめたレポートなので、自由研究の定義からは外れるのかもしれない。が、読む人を引き込む、魅力的な資料であることは間違いなかった。こういった資料からでも夜渡の優秀さを垣間見ることができる。何をやらせても良い結果だけを残すのだ。

「何でもこなせるっていいよなあ。くやしいけど、さすがだよ、夜渡」

「褒めたって宿題は手伝わないからな」

 そう釘を刺して、夜渡はラムネを一気に飲み干す。ガラスでできたくびれの上で、ビー玉がカランと転がった。そしていつもは得意げに、ニヤリと笑う夜渡が珍しくトーンを落として言う。

「……あと、買いかぶりすぎだ。そんなの周りが思ってるだけで、実際俺自身は苦手なことも多い。出来ないことだってある。例えば……」

 横目でちらりとこちらを見て、すぐに視線を右手に持った空のビンへ移す。かと思えば、急に顔を上げて、遠くを見るように目を凝らした。

「なんだよ? やっぱないんじゃ――」

「静かに。あれ、見ろ」

 ざわめく街の喧騒のほうを夜渡は指さす。何かいるのだろうか。指がさしている辺りを凝視するが、人がたくさんいるだけだ。いや、待て、あれは――。

「野球部の佐野と……二組の悠木さん、か?」

「だな」

 同じクラスの佐野と、浴衣姿に加えいつもと違うロールアップの髪型のせいで一瞬分からなかったけど、隣のクラスの悠木さんだ。二人はぎこちなく手をつなぎ、だが楽しそうに会話しながら通りを歩いている。あれはどう見ても、

「デート……だよな?」

「デートだな。こりゃ、夏休み明けは大ニュースだな」

 驚いた。あんまり接点の見当たらない二人、というのもあるが、なんか、もう、そういうのが、そういうことに驚いた。

「金魚みたいに口をパクパクしてどうしたんだ? お前……まさか、悠木さんのことが?」

「ちがう! なんつーか、驚いただけだ。手、つないでるんだぜ?」

 そりゃ好き合えば手の一つぐらいつなぐだろ、と夜渡は言ってのける。二人が人ごみの中に消えていったのを確認するためか、夜渡は立ち上がって辺りを見渡しながら言う。

「で、光樹は好きな人、いないのか?」

「い、いねーよ」

 急に言われてしどろもどろに答える。

「そうか。てっきり、秋泉のことが好きだと思ってた」

「は? なんで秋泉? そんなわけないだろ。お前はどうなんだよ」

「いる。が、お前には絶対教えない」

 そう言い残して夜渡は神社の石段からすっと飛び降りて、通りのほうへ走り出した。途中で、ラムネの空き瓶を空き瓶用のごみ箱へ静かに入れながら。

「おい、どこ行くんだよ!」

 夜渡の好きな人。飄々としている夜渡にしては珍しい話だからもっと根掘り葉掘り聞こうと俺も追いかけると、全て計算して奴が話しているのが分かった。こういうところ、本当に卑怯だ。

「おーいみっくん!」

 神社の鳥居の辺りで、浴衣を身にまとった莉子が手を振っている。横には秋泉も。追いかけられても、これでは追及するに追及できない。逃げ足の速さも逃げ方の上手さも、あいつには敵わないと心底思った。


 通りまでくると、提灯に照らされた彼女たちの浴衣姿はよく見えた。莉子は白を基調とした生地の上に青い菊の花、そして点々と金魚の赤が差した浴衣を着ている。帯の鮮やかならも落ち着いた赤と綺麗に調和している。いくらか幼さを残しつつも、大人びて見える浴衣だ。

「どう?」

「……別に、似合ってるんじゃね」

 くるりと回って「ふふ、ありがとう!」と言う。大人びて見えても、振る舞いはやっぱり子供だ。

一方秋泉は紺紫に水仙の浴衣だ。鬼に金棒というか、中学生には見えない。高校生どころか、大学生にすら見える。サイドポニーに結った髪の隙間からちらちらとのぞくうなじに目が行く。

「なんかごめんね。美咲さん、地元に帰ってきて忙しいのに浴衣借りちゃって。しかも着付けもしてもらって。お礼言っといてね」

「いいんだよ。どうせこっちきても酒飲んでばっかなんだから」

 うわばみではあるが、さすが姉。普段はガサツなくせにこういったことは器用にやってのけるのだ。

「――その、変じゃないかな? 私はちょっと大人過ぎませんか? って言ったんだけど」

「確かに中学生に見えないかもな。夜渡と並べば、大学生みたいだ」

 背の高い夜渡と一緒だと、いよいよもって中学生じゃない。格好一つでここまで雰囲気が変わるとは。同い年としていろいろと複雑な思いを抱く。

「そういう光樹は……なんていうか、ぎりぎり中学生だな」

「ぎりぎりってどういう意味だ、こら!」

「まあ、一人だけTシャツにハーフパンツじゃ、ね」

「だ、大丈夫。わたしはそんなに浮いてないと思うよ! 夏っぽいと思うよ!」

 莉子がフォローにならないフォローをする。遠回しに夜渡と秋泉が思っていたであろうことを暗に指摘されて、俺はムキになって林立する屋台のほうへ、喧噪のほうへ走り出す。

「子供っぽくて悪かったな! ほら、まずだろ? とっとと軍資金の調達に行くぞ!」

 待ちなさいという言葉を背中に受けながら、毎年恒例となった宿敵のもとへ。

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八月三十二日、夏の花と蝉時雨 音田 創 @otoda_hajime

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