五限目

龍田ひかりはあなたがスキ? 01

 十二月。

 それは一年の終わりを告げる月であり、そして学生の身分としては冬休みという至極の休み期間に入る月でもある。

 今年はとても秋とは思えない暖かな気候もあり、暖冬なんて予想もされてはいたが、キッチリ寒くなる辺り、やはり冬というのは恐ろしいものだ。

 つまり、それはあの一件からもう二ヶ月が経つことを意味していた。

 風のうわさによれば、明音は最初こそ人の変わりように周囲から困惑されていたらしいが、持ち前の明るさに周囲が受け入れ始めるようになり、最近では徐々に友達も増えつつあるとのことであった。

 流石は明音と言った所なのかもしれないが、雪音を想って懸命に前に進んでいるというのであれば全く以て感服すべき行動力である。

 それに比べて僕と来たら……虎尾と仲直りすると國崎会長に息巻いておきながら、この時期を迎えてしまったのだから情けない話である。

 しかし師走とはいえ焦るのは決して良いことではない、たが時間は伸びれば伸びるほど良くないし……何とか年内には……。


「…………」

「どうしたのかしら……? 何だかまーくんの体調がすぐれないように見えるわ……そうだ、お熱を計ってみましょう、うんそれは凄く大事なことよ」

「ん? どうしたぜんじょ――――ぐおおっ!?」


 いつの間にか僕の隣に座っていた前条朱雀はおもむろに立ち上がると、いきなり両手で僕の頭を掴み、ぐいっと顔を寄せてくる。

 最早キスさえ辞さない距離感に声が出せないでいると、彼女はそのまま顔を近づけ――自分のおでこを僕のおでこへピッタリくっ付けたではないか。


「え、えっと……あの……こ、これは……?」

「……まーくんの体温が直に伝わって来て、何だかドキドキするわね」

「さては熱計る気ないなこいつ」

「ああっ……何だか凄く熱くなってきたわ……これはきっと高熱よ」

「いや、どう見ても発熱してるのはぜ――」

「急に寒くなってきっと身体がついて行けないのね……大丈夫よ、今私が口から病原菌を吸い出して上げるから、んー――」

「えっ、ちょ! ちょっと待て!」


 この勢いだと確実にキスをされると思った僕は、慌てて前条朱雀の頬をぷにっと掴んで自分の顔から引き離す。

 当の前条は本気で病原菌を吸い出すつもりだったのか、何故キスをさせて貰えないのか分からないといった表情を浮かべながら僕の顔を見つめてくる。

 最近……というより纐纈の一件があって以来薄々感じていたが、前条のスキンシップがやけに過剰になっている気がするんだよな……。

 確かにあの出来事は僕にとっても前条にとっても不安を残す形にはなってしまったのは事実、だからこそ焦っているのかもしれないが……。

 僕としても彼女の好感度が途切れることなく半永久的に120%なのを良いことに、なあなあになっていたことは否定出来ないし、言い訳は出来ないけど……。

 だからこそのあの発言だったんだが、どうやら彼女も大分待ちきれない気持ちになってしまっているようであった。


「――――ん? というかお前の頬熱くないか、よく見ると顔も赤いし」

「は? 何を言っているのかしら、発情しているだけよ」

「それはいつものことだろ……いやどう考えたって風邪を引いてるのは僕じゃなくて前条じゃないか、確か体温計があった筈だから今探して――ぬおっ!?」


 話を逸らす意味でも、前条の体温を計る為に現代歴史文学研究会の端に置いてあった救急箱を取ろうと立ち上がった僕だったが。

 前条に背を向けた瞬間、いきなり後ろから羽交い締めにされてしまう。


「ふ、不覚――!」

「ふ、ふふふ……もう逃げられないわよ……わたしのらぶらぶだいちゅきぱわーでまーきゅんをほねぬきにしてやるんだからぁ!」

「お、お前もしかして熱でぼーっとして――ぐ……ぐぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」

「えいっ! えいっ! えーいっ!」


 完全に理性を失ってしまった前条は焦る僕など気にもせず、抱きついたままぐいぐいとご自慢のお胸を背中に押し当ててくる。

 しかもその勢いで僕の服に顔面まで押し当て深呼吸をし始めるではないか。

 あ……や、やばい……これはやばい、押し当てられてるだけでもかなりのダメージを受けるというのに、背中で強烈な息遣いを感じるというのは……く、くうう……の、脳みそがおかしくなる……。


「ぜ、前条……もう、か、勘弁してくれ……」

「やだ、まーきゅんの匂いをじぇんぶあたしうつすまではなれないもん」

「何言って……わ、分かった! 何でも言うこと一つ聞くからここはそれで手を打ってくれないか? な?」

「むぅ~? なんでも……?」

「うっ……」


 し、しまった……この状況から解放されたいと思うあまり一層どツボに嵌まるような言葉を……。

 まさか付き合って欲しいとか言って……い、いや言われたら嬉しいけどそこは何というかもっとちゃんとした形でと言いますか……。

 びーすともーど前条の思うがままになってしまっていた僕は、今度は彼女にその身を180度ぐるりと回され、向き合った状態にされてしまう。

 どう見ても酒に酔ったようにしか見えない赤く染まった頬と座った目に、身体が強張ってしまっていると、前条は掠れそうな低い声でこう言うのだった。


「……じゃあ、あたしのこと『あやり』って言って」


「……え? そ、そう言えばいいのか……?」

「そう! もしくは『あやちゃん』か『あやりん』でも可」

「わ、分かった……、そ、それでいいんだな……?」

「あ! 待って!」

「な、なに!?」

「……やっぱり『あやりは可愛いなぁ』って頭なでながら言って」

「ぬっ!?」


 な、何だそれは……そんなの僕の愛すべき妹達にしかやったことないぞ……。

 それにあれはあくまで妹だからこそ出来る所業であって、いくら僕のことを好きでいてくれてるからといってそれを前条にするのは……。


「……出来ないならまーきゅんの上唇噛み切ってホルマリン漬けにしゅるから」

「愛の歪み」


 ま、まあ流石にそれはないにしてもこのままじゃ埒が明かないし……それで満足してくれるのであればここはやるしかあるまい……。

 緊張で汗ばむ手を何度も握っては開いてを繰り返し、ふっと軽く息を吐くと、僕は意を決してその手を前条の頭頂部へと持っていく。


「い、いくぞ……」

「ん……」


 そして目を瞑って待っている前条の髪の毛の上に、ぽんと手を置いた。

 たったそれだけだというのに前条の使っているシャンプーの香りが花粉の如く部室内に広がり、それがまた脳を刺激し目眩を起こしそうになったが、何とか気をそのままにそっと頭を何度か撫でると。

 僕はこう言った。


「あ、朱雀は凄く可愛いなぁ……」


「! まーくんも凄く格好いいよ! 大好き!」


「ぐうっ!?」

 ハートに矢が刺さるとは、まさにこのことなのか。

 あまりの衝撃、加えて絶大な威力に腰から砕け落ちそうになる。

 い、いや……前条朱雀がどれだけ綺麗で、藤ヶ丘高校において誰よりも美しい存在であるのは今更口にするまでもないのは分かっている。

 ましてやクールな出で立ちながら常日頃から僕に自分の愛を見せつけてくるのはこの上なく嬉しい話であり、心に刺さるものはあったのだが――

 こ、この可愛さは次元が違う……まるでバリスタで射抜かれたかのようなそんな破壊力……ギャ、ギャップ萌えとはまさにこのことか……。

 一ミリも崩すことのない極上の笑顔に最早何も言うことない……彼女は、前条朱雀は可愛いのだ、これを否定する術など存在しない。

 完敗だ……そう、思っていると。

 ――よく見るとさっきの言葉から前条が一切動いていないことに気づく。

 まさか……と思い彼女の肩を掴むと軽く揺すり、声を掛ける。


「ぜ、前条……? お、おい、まさか……!」

「――――ぐー……」


 ですよね。


       ◯


「うーん……まー……くん……」

 流石に一人で前条を保健室へは連れていけなかったので、保健の先生と協力して笑顔のまま眠っている彼女を何とかベッドへ運び込む。

 体温を計ってみると38度を超える高熱だった為、学校から親御さんの方へ連絡が行き、迎えに来てくれるという話となった。

 出来れば目が覚めるまでは傍にいてあげたかったが、インフルエンザの可能性もあるということで早々に追い出されそうになった僕は、せめてにと置き手紙だけ彼女の手に握らせ、保健室を後にするのだった。


「それにしても……なんと言えばいいのやら……」


 前条朱雀は基本的に感情を表に出す性格ではない。

 それでも僕に対しては割と喜怒哀楽を見せている方なのだが、あそこまで感情を全面に押し出す姿を見るのは初めてのことだった。

 勿論風邪をひいて意識が朦朧していたのが原因ではあるのだけども……セーブが外れるとあんな感じになっちゃうとはな――

 正直このまま家に帰ってしまうと前条のことで頭が一杯になって、冷静でいられる自信がない……。

 まだ陽も落ちていないし、明日は休み……ここは一つあそこに寄って気持ちを落ち着かせるとしよう。


「お見舞い……行ってやらないとな」

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