纐纈・ソフィア・雪音はあなたがキライ? 31
教頭先生の挨拶を受け、無事校外学習が終わりを告げた。
家に帰るまでが校外学習というお決まりの台詞を神奈川から聞いた所で現地解散となると、各々が駅に向かって歩き始める。
僕はといえば、一連の出来事があまりに現実的とは思えず、生徒で溢れかえる駅からこっそり離れると、人気の少ない裏道へと入り、大きく伸びをする。
と、その瞬間。
「ぬぐおっ!」
死角から突然現れた前条に、見事なタックルを受けてしまう。
完全に気を抜いており、しかも無防備状態だったのであたかもラグビーみたく倒されてしまいそうになるが、何とか踏みとどまると両手で前条を受け止める。
「あ、危ねえ……流石に今のは死ぬ所だった……」
「まーくん――おかえりなさい」
そんな大胆さを見せながらも、前条はこれ以上無い優しい笑顔を僕に見せると、そう言うのだった。
ああ、そうか……良かった、また帰ってこれたんだ。
いつも彼女を心配させて、その度に自分の勝手で彼女を巻き込んで、本当に自分でも嫌になってしまうぐらい何度同じことを繰り返せば気が済むんだと、いい加減に地獄に落ちろと言いたくもなるが。
それでもまだ終わってはいないのだ、終わりはしなかった。
「纐纈さんの件、無事に終わったのね」
「本当の意味ではこれからなのかも知れないが、多分これ以上彼女と相反することも、新たな被害者が出ることもないと思う」
「そう――それならいいの、もしまーくんの身に何かがあったらその時は私が彼女の息の根を止めないといけなかったから」
「はは……それはゾッとしないな」
前条であれば本当にやり兼ねないというか、多分確実にやる気だったろうからそういう意味では僕で纐纈を止めることが出来て良かった……。
「そういえば……その肝心の纐纈さんを見かけなかったわね、問題が解決したと言うなら班に戻ってきていてもおかしくなかった筈だけれど」
「ん――いや、滞りなく解決したとは言い難いからな……もしかしたら体調不良とでも適当に言って先に帰ったのかもしれない」
「つまり今の彼女は雪音さん……ということでいいのかしら」
「それは無いと思う――というより僕の最終的な狙いは雪音の主導権を明音が奪うことだったからな」
雪音の歪みに歪んでしまったプライドを打ち砕く、なんて大層なことを言うつもりはないが、このまま彼女の表層にあるのが雪音のままだときっとまた何処かのタイミングで報復される可能性があった。
そうだとしても僕は彼女を許すと決めたのだから、明音が主導権を奪えなくとも雪音に付きまとうつもりではあったが、あれだけ乱高下を繰り返す好感度を見ればそうならないことは大体予想はついていた。
勿論、いつ雪音が明音から主導権を奪い返すとも言い切れないので、どの道僕は明音とも接点を持ち続ける訳なのだが――
「ともあれ、これで藤ヶ丘厄神が起こす負の連鎖は断ち切れたと言ってもいいだろう、もうこれで悩み苦しむ奴はいなくなる」
「とはいえ、姉さんは決して褒められたことをした訳ではないから、複雑な気持ちであるのは変わらないのだけれど……」
「このことを自分の口から言える筈もないし、寧ろ自分のしたことが失敗に終わったのだと分かれば下手なことはしなくなるんじゃないか? 何せ藤ヶ丘厄神を持ってしてもどうにもならなかったんだからな」
「そうね――なら暫くは私も、様子を見ることにするわ」
「そうしてくれると助かる――というかそれはいいんだけどさ……」
「あら? どうかしたのかしら?」
僕にピッタリとくっついて全く離れる様子のない前条を見て、かなり恥ずかしさを堪えながら口を開く。
「その――そろそろ離れてくれませんかね、流石に何ていうか……ね?」
「私を不安にさせた罪は重いのよ? 本当はこのまま押し倒してキスまでしたい所をぐっと抑えて抱きしめることで妥協しているのだから、これぐらいは許してくれないと割に合わないわ」
そう言って前条はより一層身体を寄せてガッチリと僕を抱きしめると、目を瞑ってスリスリと頬ずりまでしてくる。
ぐ、ぐう……気高い山々が僕を責め立てるし、頬ずりをされる度に甘く優しい良い匂いがしてくるし……久しぶりにこう好感度120%というものをガッツリと味わされている気がする……。
しかしいつまでもこうしている訳にも行かない……素直に帰らず仲良しグループだけで京都散策を続行している生徒もいるかもしれないので、どうにか引き剥がそうと試みていると。
「お取り込みの所申し訳ないね」
まるで図ったかのように櫻井が僕達の前に現れる。
明らかによろしくない状態なのに顔色を変えない櫻井も慣れたものなのだろうが、それ以上に誤魔化す気すらない前条は一体どういうつもりなのか。
というか、明らかに敵視したような目で櫻井を見ているので、まずいと思った僕は気恥ずかしさがありつつも前条の肩にそっと手をおいて宥めさせる。
「……うん、まあそうなるよね、結局の所俺も、我が身可愛さに藤ヶ丘厄神に平伏して、君達を傷つけてしまったのだから、弁解の余地はないよ」
「そうだろうとは思っていたが……推察するに自分の進路を人質に取られたと考えるのが妥当と言った所か」
「流石だね……あの時も言ったけど俺は医者の子供だから、男で長男ってこともあって医者になって後を継ぐのは至上命題みたいなものなんだよ」
「でも本当はスポーツマンとしての道を歩みたかった、違うか?」
櫻井は一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐにいつもの澄ました顔に戻ると諦めたような笑いを見せて口を開く。
「その通りさ、決して自慢出来るほどの実力はあった訳じゃないけど、それでも可能性がある以上諦めたくはなかった、実際サッカーで有名な大学からも推薦があったしね、でも――」
「藤ヶ丘厄神に――いや、纐纈にその事実を親にバラすと脅されたのか」
「俄には信じられない話だったけど、実際俺の周りでも被害にあった子はいたからね……、最悪絶縁覚悟で卒業と同時に一人で生活しようと思っていたから、どんな手を使ってくるか分からない藤ヶ丘厄神経由でバレることだけは避けたかった」
藤ヶ丘高校がスポーツに強いというのは今更言う話でもないが、櫻井がサッカー部の中で突出した才能を持っており、大学のスカウト、一部のプロのスカウトすらも彼を調査していたというのは有名な話であった。
だからこそ彼の口から『親が決めた方針は一人で生きられない俺達には変えられはしない』なんて随分と達観した物言いをしたことに違和感を覚えずにはいられなかったが……皮肉なもんだな。
「だとしてもあなたが雅継くんにしたことは許されることではないわ」
「おい、前条――」
「……そうだね、例えそれが事実なのだとしても、俺のしたことは他者を傷つけるだけの無意味なことであったのは否定のしようがない、だから――」
「え? お、おい――!」
櫻井は少し躊躇った表情を見せたが、それでもアスファルトの上に両膝をつくと、そのまま平伏し、頭を地面につけるのだった。
「こんなことで許して貰えるとは思えない――ただそれでも謝罪はさせてくれないか、本当に、本当に申し訳なかった」
「……止めろよ、色々あったにせよ、お前だって被害者なんだし」
「そうね、じゃあここは思いっきり頭でも蹴飛ばしてやろうかしら」
「ま、待て待て! 別に僕は怒っている訳じゃないんだ、それに前条のことが事実なのだとしても、何も難しい話じゃないだろ」
「難しいことじゃないって……雅継くん、それはいくら何でも――」
「僕が前条の足を引っ張ってしまうなら、引っ張らないようにすればいいだけの話じゃないか、それで前条が悩まないで済むなら、僕は喜んでするよ」
「ま、雅継くん――――!」
「……君はとんでもないことを言うんだね、何処にも根拠なんてないというのに、どうしてそんな簡単に――」
「やり方なんていくらでもあるさ、それよりも一つの事実に縛られて何も出来なくなる方がよっぽどリスクがある、そうは思わないか?」
「それは……いや、違うな、本当はそれでも無理なのかもしれない、でも普通じゃ考えられないことまで成し遂げられてしまう君なら本当に出来てしまうのかも――冗談半分で言ったつもりだったけど、やっぱり雅継くんに会えて良かった」
「? 何を言って――」
「ありがとう、そしてお幸せに、また学校で会ったら気軽に声をかけてよ、僕に出来ることなら協力もするからさ、それじゃ」
「あ、お、おい――」
話も早々に櫻井はゆっくりと起き上がりそう言うと、何とも意味深な発言と共にその場を去ってしまうのであった。
何というか、随分とあっさりとした幕引きだったな……。
まぁ、あいつがそれで納得したならそれで構いはしないんだが。
「さあ雅継くん、邪魔者もいなくなったことだし早速指輪のサイズを決めましょう」
「何でそうなる」
「まぁそれは冗談だけれど、でも――無事に終わって本当に良かった」
「……そうだな、本当に、これ以上無い最悪の京都観光だったが」
それでも、どんな形であれ、終わったのだから良しとしよう。
色々とやらなければやらないことも増えてしまったが、それが明るい方向に向いているのであればやるしかない。
いい加減ウンザリしそうになるが、それでも。
そうは言っても、今は疲労が凄まじいことになってしまっているので、早く風呂に入って眠りたい……、何なら逢花の膝枕で半日は眠りたい所だ――
◯
それから日が経ち、僕達の班は校外学習で調べてきたことを元に発表を行った。
前条瑞玄は相変わらずあっけらかんとした様子ではあったが、やはり藤ヶ丘厄神が失敗に終わったことが気になるのか、必要以上に僕と絡むことはなかった。
功刀は心なしか明るくなった気がしたが、それでもまだ前条朱雀とうまく話すことが出来ないのか、どこかオドオドしていた所もあったが、いずれその時が来れば闘うことは決っているのだから良しとしよう。
そして入道山には散々迷惑をかけてしまったので今度僕の奢りで遊ぶことになっているのが、僕の方が楽しみで仕方ないのは気のせいだろうか。
煙草はまあ……うん、割愛ということで。
他にも伊藤や鯰江と、色々と人と関わることの多い出来事ではあったが、いずれも前には進んではいるので特に問題はない、今はそれで良いのだ。
そんなこんなで前条朱雀と櫻井を主導とした僕達の班は良いとも悪いとも言えない結果で無事終了、まああんなことがあればまともな結果にならないことは目に見えていたので特に語ることもないだろう。
これで名実ともに、校外学習は無事終了したのである。
残念ながら、この場に纐纈が現れることは一度もなかったが。
◯
それから約数日後。
相変わらず虎尾のいない現代歴史文学研究会に、僕と前条朱雀は足を運び、扉を開けると。
「お、やっほー! 雅継くんと前条朱雀さん」
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