纐纈・ソフィア・雪音はあなたがキライ? 32

「…………?」

「えっと、ど、どちら様かしら……?」


 まるで以前から部員の一人であったとでも言わんばかりの軽快な口調に僕と前条朱雀は訳が分からずその場で固まってしまう。

 随分と綺麗な女子生徒だけど……全く以て面識がないんだが……。


「あれ? どうしたの二人共狐につままれたみたいな顔しちゃってさ、まさか私のこと忘れちゃったとか?」

「え、あ、いや――」


 あまりのフランクさに明らかに忘れている僕が悪いと思い、必死に記憶を探り返していると、ふと冷静になって髪色が僅かにシルバーがかっているのに気づく。

 それにこの声質は――


「もしかして――纐纈……いや明音なのか?」

「お、正解! 流石にここまでイメチェンしちゃったら分かりづらかったかな?」

「分からない所か……ヘルシーショートに眼鏡まで外されてしまったら全く別人のように見えてしまうわ」

「えへへ、そう? じゃあこのイメチェンは成功ってことで!」


 確かにイメチェンという意味で言うなら雪音の時にあったあの陰鬱とした暗さは何処にも感じられない。

 華奢な体型は流石にどうにもならないが、それでも活発そうというか、決してインドアで過ごしているとは言えない風貌になっているのは間違いなかった。

 そう思っていると、驚いた様子を見せていた前条朱雀が、優しく微笑んだ表情を見せて明音の傍に近づいてく。


「成功も何も凄く似合ってるわ、その方が私は良いと思う」

「本当に? ありがとう、前条朱雀さん」

「でも、そういう格好をするっていうことは雪音はどう思っているんだ? ――というより、雪音とは話は出来ているのか?」

「出来ていないよ、あの時からずっと」

「それは――」


 雪音と明音は校外学習の日以降暫く学校を休んでいた。

 どうにか連絡を取ろうともしたが前に送られてきた暗号メールは数日で消滅するフリーメールだった為どうにもならず、また彼女達の知り合いだという人も全く以っていなかった為何も出来ない状態なのであった。

 藤ヶ丘厄神も完全に更新が停止しており、雪音を信仰する生徒達も混乱するという始末、死なれたりでもしたら本当に後味の悪い話なのでそこは一安心だったが。

 そうか――あれから雪音は一度も――


「正直に言えばね、私もどうすればいいのかわからなかったんだ、ずっと雪音に迷惑をかけないように、言う通りに生きてきたから、自分の目だけでこの世界を見るのが本当に怖くて――」

「明音さん……」

「雪音の代わりをしようとも思ったし、それこそ雪音が出てきてくれるまで学校に行くのは止めようとも思った……でもね、昔に戻るのは違うと思ったの」


 少し暗い口調で話していた明音が、精一杯の笑顔を見せて、そう言う。


「このままじゃいけないっていうのは私も思っていたことだから、雪音の意思には反するかもしれないけどさ、それでも前に踏み出さなかったら何も変わらないから」

「……そっか」


 雪音が選んだのとは違う道を、いやもしかしたら本当は雪音が見たかった景色をお前は一緒に見たいと、そう思っているんだな。

 きっとそれは簡単ではない道のりなのかもしれないっていうのに――

 でも、だとしても、進まなきゃいけないのら、やるしかないのだろう。


「……雪音が喜んでくれるといいな」

「そうだね、もしかしたらまた怒られちゃうかもしれないけど、雪音が幸せになれる場所を作りたいから、出来ることは全部しようと思ってる」

「雪音だけじゃないだろ、お前だって幸せになる権利はあるんだから」

「――うん、ありがとう……私、雅継くんと出会えて本当によかった」

「馬鹿言うな、僕は何もしてねえよ」


 ただ、これ以上僕の周りの人が犠牲になるのを防ぎたかったに過ぎない。

 口にはしないが決して雪音を許した訳じゃない、彼女のしたことはあまりに重過ぎるのだから、そこは許してはいけないのだ。

 でも彼女に、明音に罪はない。

 何より、僕は彼女に救われてもいるのだから、それを考えれば御礼を言うべきなのは僕の方とさえ言える。


「明音さん、何かあったらいつでも言ってね、私で良ければ協力するから」

「ありがとう前条朱雀さん――……それと、ごめんなさい、ラーメン屋の時に煽るようなことを言っちゃって……」

「煽る……? ああ、雅継くんのことね、大丈夫よ気にしていないから、どれだけ恋敵がいようと私は雅継くんと添い遂げられる確信があるし、何より雅継くんの傍にいられるだけで私は十分幸せだから」

「は、はは――中途半端なことは言うもんじゃないね……」


 前条朱雀のラブパワーに完全に引いてしまっている雪音だったが、これが彼女なのだから生半可な気持ちで挑んではコールド負けになるのは致し方ない。

 ――なんて、僕が言うのも変な話だが。

 そんな風に思っていると、パイプ椅子に座っていた雪音がゆっくりと起き上がり、んっと小さな声を上げて伸びをする。


「さて……と、そろそろ帰るとしようかな」

「え? 帰っちゃうのか? その……てっきり現代歴史研究会の部員になってくれるからここに来たのかと思ってたんだが」

「雅継くんがそう言ってくれたからね、それは凄く嬉しいことだったし、この場所から再スタートするのもいいかなとは思ったんだけど、きっと私は甘えちゃうと思うから」

「そ、それはそうかもしれないが……僕は――」

「大丈夫だよ、それに私みたいな妹でもやり直せるって所を見せてあげないと、雪音が出てきてくれないかもしれないから――だから雅継くんはその機会を与えてくれただけで本当に十分、本当に、それだけで十分」

「――――分かったよ、明音がそこまで言うなら、でも――」


 彼女の門出を悲しいものにさせてはなるまいと、僕はあまり得意ではない笑顔を不器用ながらに見せてみせると、こう言った。


「辛くなったら、いつでも戻ってきていいからな、そしたらお菓子でも食べながら漫画でも読んでゲームでもしてゆっくりしよう、僕達はいつでもいるから」


「うん……! ありがとう……!」

「廊下ですれ違ったらいつでも声をかけるわね、私が友達なら百人力だもの」

「ふふっ、心強い友達が二人も出来て嬉しいな……雅継くんと前条朱雀さんみたいな友達が一杯作れるよう、頑張らなくちゃね」

「ああ、ずっと、ずっと応援してるからな」

「本当にありがとう――じゃあ、また会おうね!」


 そう、彼女はこれ以上ないくらい明るい声を出すと、軽快な足取りで現代歴史文学研究会を後にするのだった。


「……行っちゃったわね、明音さん」

「雪音の本心はどうなのか未だに分からないが――ただ明音が自分の力で道を切り開くって言うのであれば、無理強いする訳にもいかないからな」

「でも彼女ならきっと大丈夫じゃないかしら、最初は苦労するかもしれないけれど、あれだけの持ち前の明るさと、優しい気持ちを持っているなら友達だって、それこそ二人の理解者だって現れると思う」

「僕もそう思うよ――何より僕たちは既にそうなんだからな」

「それもそうね――じゃあ私達もそろそろ愛を育むとしましょうか」

「いや何でそうなる――って近い! 主に顔が近い!」

「いいじゃない、減るものじゃないし――って、電話? こんな大事な時に誰かしら……お母さん? まーくんごめんなさい、ちょっと電話に出るから、先に服を脱いで待っておいてくれるかしら」

「母親からの電話を前によくそんなこと言えるな……いいから早く電話に出てやれ、脱ぎはしないが待っておくから」


 そう告げると前条朱雀はスマートフォンを片手に申し訳なさそうにしながら廊下へと出ていく。

 やれやれ……ともあれこれで、ようやく纐纈の件は終わったな……。

 と。


 溜息混じりに後ろを振り向いた瞬間、思わず悲鳴を上げそうになる。


 しかし前条朱雀に気づかれてはなるまいと、何とかそれをギリギリの所で押し留めると、僕はいつの間にか背後にいた人間をジロリと睨みつける。

 全く、油断ならないというか……何処までも不気味な人だなこの女は。


「いやはや、そんなに怖い顔をしないでくれ給えよまーくん」


「國崎……会長……」

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