纐纈・ソフィア・雪音はあなたがキライ? 4

「安い暗号ね」


 前条朱雀が吐き捨てるようにして言う。

 相変わらずご機嫌斜めなのかアンテナ体操をしながら薄い本を読む姿は異様でしかなかったが、それだけ今回の方針に怒りを感じているのだろう。

 はしたなさはK点超えだが、体操ズボンを履いているだけよしとする。


「ごめんなさい、本当は生パンを見せたかったのだけれど、履き忘れちゃって」

「そうか…………ちゃんとパンツは履けよ」

「ところでこの暗号には何の意図があるのかしら、理解不能なのだけれど」

「理解不能って……安い暗号ってことは分かったんじゃないのか?」

「それは勿論、寧ろ何故まーくんともあろう者が分からないのか私には分からないのだけれど」

「いや何となく分かる部分もあるんだが、暗号はあんまり得意じゃなくてな、分かるなら教えてくれよ、何て書いてあるんだ?」

「……最初の暗号はひらがな五十音を上に二つズラしているだけね、最後の↓↓がヒントなのでしょう、つまり下に二つ戻して完成する文字――浮かび上がるのは『まさつぐどのですか?』」

「なるほど……」

「そして二つ目は3301は察するにネットで話題になった『シケイダ3301』のことね、よってこの不規則なローマ字の並びはシーザー暗号、三つズラして出て来るのは『HOUKAGO OKUJO NI KITEKUDASAI』」

「おお、言われてみると確かに……」

「最後に至っては正直暗号として解かなくとも分かる気がするけれど、要は『Iを足せ』ということ、『タイムリミットは本日17時まで』これで終わりね」

「よくこのメールを数十秒しか見てないのにそこまで分かったな……」

「幼い時ってこういう暗号みたいなのを解くのって楽しくなかった? 針の穴を縫うようにして回答に辿り着く、数学みたいで私は好きなのだけれど」

「僕は文系だからな、作者の気持ちを読み解くので精一杯だよ」


 まあ、友人の真理すら読み解けない奴が何を言っているんだという話だが。


「……つまりこの暗号は僕に今日の17時までに屋上に来いってことか――にしたって一体誰がこんなメールを……」


「果たし状にしては回りくど過ぎるわね、ラブレターにしてもエロが足りないし」

「何故そこでエロ」

「唯一気になるとしたら『雅継殿』この一点だけかしら、まーくんにこの呼名を使うのは今のところ一人しか――」

「まさか虎尾が……?」

「いえ、まだ分からないわ、あくまで常習的に雅継殿と呼んでいたのは彼女だけという話だから、それを知っている者なら誰が使っても不思議ではないし」

「やっぱり屋上に行ってみるしかないという訳か……」

「目的はさっぱり見えないけれどそれしかないわね、私も行くわ」

「え、お前も来るのか?」

「当たり前じゃない、もしまーくんに寄りつく汚らわしい蛆虫だったらどうするのよ? 私がワンパンでのして差し上げなきゃ」

「つよい」


 どうでもいいけど最近パワー系として拍車かかってませんかね。


       ◯


「……誰もいねーじゃん」


 時刻は16時50分頃。

 屋上へと辿り着いた僕達だったが、そこには誰もいなかった。

 と言っても屋上へと抜ける扉は施錠されているので、扉前の踊り場付近を見渡すぐらいしか出来ることはなかったのだが。


「……もう少し待ってみても良いけれど、遊ばれていただけかもしれないわね」

「それにしては無駄に手の込んだ悪戯にも思えるが」

「何処かで犯人が監視している可能性もあるけれど……どうせならここでディープキスでもして私の愛の強さでも見せつけようかしら」

「そういうプレイが起きそうな空間ではありますけども」

「今ならだいしゅきホールドも辞さない構えよ」

「辞して」

「MASAと繋がったままこんな階段上るなんて頭がフットーしそうだよおっっ」

「頭おかしいのかな?」

「要するにまーくんとならどんな恥辱プレイも興奮する所存ということよ」

「その覚悟今発表する必要ある?」


 まあこの状況で前条朱雀が暴走しない方がおかしな話ではあるのだが、最近の様相を見ていると本気で犯されてもおかしくない気がするから油断ならない。


「まあ、冗談はこれぐらいにしておいて……じゅるり」

「クレイジーサイコ処女」

「実は机の隙間にこんなものが挟まっていたのよね」

「ん? 何だそれ」


 古ぼけた机の隙間から用紙を引き抜いた彼女は、それを僕の前で広げてみせる。


「なになに……? 『どうやらあなたはまさつぐどのではないようですね、ざんねんながらここでおわかれです』何だこりゃ」


「完全に模倣犯ね、私が関与したのがバレた可能性もあるけれど、この様子だと時間を置いて新たな暗号が送られてくる可能性の方が高いかもしれないわ」

「つまり僕は試されてたのか? どういうつもりなんだよこいつは……」

「もしオペーレションMが一部の人間に知られてしまっていると仮定したら、誰かがまーくんに興味を持っている、そう考えるのも妥当ではあるけれど……」

「また随分と変な奴に目を付けられたもんだな……」

「とはいえこれ以上の手掛かりもなさそうね……もしまたメールが送られてきたらすぐに教えて貰えるかしら、こんな低俗な真似でまーくんの神聖な童貞を汚そうなんていい度胸をしているわ」

「童貞厨前条朱雀」

「――いずれにしても17時も過ぎてしまったし、そろそろ帰りましょうか」

「それもそうだな――って、しまった、部室にスマホを忘れてきたかも」

「あら、それなら一緒に――って、姉さんから電話……? 珍しいわね……」

「別に出てくれていいぞ? スマホを回収したら僕も帰るから」

「ごめんなさい、また後で連絡するから――あ、もしもし姉さん?」


 そう言うと前条朱雀はスマホを耳に当てながら足早に階段を降りていく。



「……………………」


 さて。

 僕は屋上へと繋がる扉を目をやると、ドアノブに手を掛けゆっくりと捻る。

 すると。


 本来なら開かない筈の扉が、鈍い音を立ててゆっくりと開いたではないか。


「……やっぱりな」


 前条朱雀には気づかれないよう、敢えて同調するフリをして誘導していたが、僕の読みはどうやら間違ってはいなかったらしい。

 確かにあの暗号の意味は本当に分かっていなかった、故に前条朱雀の手を借りたというのは紛れもない事実ではある。

 ――だが、だからこそ、気づいてしまったというべきなのか。


 もし彼女が僕と同じで捻くれ者なら、こうしていたに違いないという事実に。


「やっぱり、纐纈さんでしたか」


 背を向け、グラウンドを橙色に染める夕景を眺めていた纐纈はゆっくりと口を開く。


「…………どこから気づいていましたか?」

「初めから。國崎会長から話を聞いている筈の人間が顔は合わせない癖にメールを送ってくる時点で予想はつく、まさか暗号とは思わなかったけどな」

「そう……ですよね、非常に失礼なのは私も分かってはいました」

「ならどうしてこんな回りくどい真似を?」

「國崎さんを少し信用出来なくて……もし騙されているのだとしたら私は恥をかくだけですから……だからこんな方法を取らせて貰いました」

「奇遇だな、僕もあの会長はあまり好みじゃない」

「ただ、貴方がもし噂通りの人なら、きっとこの暗号の、その先まで気づくのではと思ったんです……その……試すような真似をしてごめんなさい」

「先……ね」


 確かに普通は考えない、『Iを+する』、その『I』をローマ数字の『Ⅰ』として考えれば、英語だけではなく日付と時間にも足せるようになるなんて。


 つまり今回の校外学習期間の時間で考えた時、9月13日の18時までか、14日の17時か18時までの三つのタイムリミットが完成する。

 こんなもの、相当に捻くれていないとこんな意地悪問題普通は作らない。

ただ、逆を言えば彼女は同じように捻くれている者であれば気付くと踏んでいた。

 ……どうやら國崎会長から相当深い所まで情報を得ていると見て間違いはなさそうか。


「…………では、貴方が雅継殿なんですね」

「……まあ、そういうことになるな」


「よかった……安心、しました」


 そう言って彼女は振り向き――


 ようやく僕に、素顔を見せる。


 ああ――やっぱり、想像した通りだった。


 彼女の丸眼鏡越しからでも分かる、他人を信用していないその眼差し。


 やっぱり彼女は僕に似ている。


 それこそあの頃の僕に、瓜二つなまでに。


「初め……まして、纐纈・ソフィア・雪音です」

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