四限目

纐纈・ソフィア・雪音はあなたがキライ? 1

 二学期。

 それは誰もが憂鬱さを覚えながら登校を余儀なくされる日。

 無論、僕は全生徒の中で誰よりも憂鬱である自信があった。

 宿題が終わっていないから? それならどれだけ良かったことか。

 一体どんな顔をして虎尾と会えばいいのか、そう思うだけで胃がキリキリと痛みだしどうしようもなく家に引きこもりたい衝動に駆られる。

 ……まあ逢花に『私の兄ちゃんなら大丈夫』と叱咤された以上おいそれと家に帰ることも出来ないのが。

 どうせなら僕なんか脇目も振らず、虎尾が友達と楽しそうに話していれば、それはそれで安心するのだが……。


 だが、そんな不安はただの杞憂として呆気なく処理される。


「おーし、皆いるな? いつまでも夏休み気分でいるなよ? 先生なんか一人で海に行ったが誰にも声掛けられなかったんだからな? お? 泣くぞ?」


 相変わらずの生き遅れ自慢に安心感すら覚えるが、そんな神奈川の自虐すらまともに聞いていられない程、僕は複雑な心境を抱いてしまっていた。


 何故ならホームルームになっても西隣の席が空席のままだったのだから。


「私の中では筋肉質な男共にホテルに連れて行かれて朝までコースは覚悟していたんだが、中々現実は難しいものだな――」

「先生、自分の気持ちを理解する前に生徒と作者の気持ちをもっと理解して下さい」

「ふっ、阿古は相変わらず厳しいな……お前を委員長にして正解だった――っと、そうそう、言い忘れていたが虎尾は体調不良で休みだ」

「……え、体調不良……?」

「どうやら夏風邪みたいでな、二、三日で治るそうだがお前らくれぐれも手洗いうがいは忘れないように、お姉さんとの約束だぞッ☆」


「……………………………………………………………………………………」


 ウインクしながらのその妄言に時が止まったぐらいの静寂が流れるが、僕にとってそんなことはどうでもいい。

 そうか……虎尾は風邪で休みなのか……。

 ホッとしたような、そんな安堵に一瞬包まれるが、だからと言って何か解決した訳では全く無い。


 目先にあった問題が先延ばしになった、それだけの話。


       ◯


「夏風邪……ね」


 放課後。

 夏コミで買い漁った薄い本を読む前条朱雀がそう呟く。

 現代歴史文学研究会には現在三つの席があるが、一つは空席。

 このままこの席はずっと空いたままなのだろうか。


「虎尾のSNSはコミクラの後もずっと更新されていたから無事であるのに違いはないんだが……」

「顔を合わせたくない……のでしょうね、まあ流石に不登校になれば私達も行動しないといけないけれど、今は様子を見るしかないわね」


 心の整理がついていないのにけしかけるのは良くないもの、と呟く前条朱雀。

 澄ました顔でそう言ってはいるが薄い本を読みながら下ネタを発しないなどアイドルが総選挙で結婚発表するレベルの異常事態である。

 それだけ彼女もまた、虎尾を気にしているのだろう。


「……さて、そろそろ帰るとしようかしら、本当ならこんなまたとないアオハルシチュエーション、まーくんを犯す以外の選択肢はない筈なのだけれど」

「残念ながらそうなるとアオハルではない」

「……セックス?」

「えっ、何で」

「ああ、性春だったわね、ごめんなさい」

「『せ』しか合ってないんですが」


 どうやらシモのキレも相当良くないようだ、早急に帰って頂くとしよう。

 僕としても虎尾が休んでいる以上出来ることはない、本当はコミクラの売上(大した額ではないが完売はしたので)も渡したかったのだが……。


「校外学習までに進展があればいいのだけれど……それじゃあまたね」


 そう言い残すと彼女は先に現代歴史文学研究会を後にする。

 校外学習……か、確か十月の始めだった気がするけど。

 時が経つのは本当に早い――このまま虎尾と何も進展することなく、卒業を迎えるようなことがあったら一体どうなるのだろう。

 ……いや、どうもなりはしない、一人の人間との別れをほんの少し早く迎えるだけの話、そこを悲しむ必要などどこにもない。


 ――――そんな風に思っていた筈なのに。


       ◯


「ん? おやおや、そこにいるのはまーくんではありませんか」


 前条朱雀に遅れること数分後、部室を出ると嫌な声に引き止められる。


「國崎会長……ですか、今日は生徒会じゃないんですか」

「随分と冷たい反応だね、まーくんと呼ばれたのがそんな不快だったのかい?」

「まあ、冷やかしで言っているなら良い気はしないが」

「確かに前条朱雀の君への愛は並々ならぬものがあるからね、あまり茶化すと本当に彼女に殺されかねないな、くわばらくわばら」


 そう言う彼女は何処か楽しそうであり、笑みまで浮かんでいる。

 暴走した前条朱雀など誰も止められない気がするが、國崎会長であればどんな手を使ってでも彼女を追い詰めそうな気がするから恐ろしい。

 それだけの不気味さが、彼女にはあるのだ。


「ジョークはこれぐらいにして少しお話をしようか雅継殿、何でも裕美とコミクラで色々とあったらしいね、非常に僕は憂いているよ」

「……やっぱり知ってたのか、寧ろ知らない方が怖いぐらいだが」

「僕を全知全能の神とでも思っているのかい? だが今回に関しても裕美からは何も聞いていないよ」

「ならどうして知っているんだよ」


「いつもなら嬉々として君の話をする裕美がコミクラ以降全く話題に触れない、おまけにSNSでよく上げていた絵も殆どアップしなくなった、それだけ見れば異変があったぐらい馬鹿でも分かる」


「……成る程、相変わらず人の行動をつぶさに観察しているだけはある」

「褒めているのかい? ならもう一つ踏み込んでみようか、恐らく君は裕美が嵌められているのを助けようとしたのだろう、だが見事に返り討ちに遭った、相手はそうだな……陶器美空と言った所か」

「そこまで分かっているならわざわざ僕と話す必要もないだろ、大体その様子だとこうなる事態を分かっていたんじゃないのか?」

「鋭いね、言う通りその可能性を危惧して君を裕美の傍にいさせようとした事実があるのは否定しないよ、だが相手が悪かった」

「相手が悪いも何も、一端の高校生の知り合いと、尊敬するプロ作家を天秤にかければどちらを取るかなんて明白だろ、無謀にも程がある」

「君と裕美を不幸にさせてしまったことについては謝罪するよ、でもまだ全てが終わった訳じゃない、裕美は今葛藤しているのさ」

「葛藤……だって?」

「雅継殿をキライになったのなら無視すればいいだけの話だし普通に登校もする、それをしないということは君にした行為に後ろめたさがあるんだよ」

「……そうとは思えないけどな」

「いずれその時が来れば分かる、それに僕も反省はしているからね、君と裕美の仲を修復出来るよう最善の努力をさせて欲しいのだが、構わないかな?」

「……別に、好きにすればいいですけど」


 どうにかして欲しいという思いがあるのは嘘ではない。

 ただ、彼女に借りを作るような真似はしたくはなかった。

 何故なら案の定、彼女は突拍子もない提案を僕にしてきたのだから。


「そう言ってくれると嬉しいよ――それと言っては何なのだけど、君に一つお願いがあるのだが、聞いてもらってはくれないかな?」

「……生徒会に入って欲しいなら断りますよ」

「心配しなくとも今はその気はないよ、実は一人気にかけて欲しい子がいてね」

「……僕は夜回り先生じゃないんだが」

「いや、君のような人間だからこそ状況を打開出来るかもしれないんだ」

「褒めてるんだか貶されてるんだか」


 そんな風に嘲てみせても、國崎は躊躇なく話を推し進める。


「その子は学校で孤立していてね、僕も救ってあげたいのだが、僕だとやり過ぎて根本的な解決にならないかもしれなくてね」

「生徒会権限でその生徒と仲良くしろとか言いそうだしな」

「ははは、それが出来れば今頃世界統一を果たせているさ」

「言っとくがわざわざその生徒がいるクラスまで行って声を掛けて仲良くしろなんて棒高跳びレベルのハードルの高さは無理だからな」

「そんな少女漫画の心身共にイケメン主人公みたいな真似はさせないさ、それにもっと簡単に近づく方法はある」

「登校時にパンを咥えて角でぶつかれとでも?」

「申し訳ないがその子は君のような遅刻の常習犯ではなくてね」

「まさかそんな根本から否定されるとは」

「実はね、自然に関係性を持ち、且つ交流を図れる方法があるんだよ」

「自然に……まさか校外学習か? でも校外学習はあくまでクラス単位の話だろ、別クラスなら殆ど接する機会はないと思うんだが」


 それとも僕が班からあぶれてぼっちになるのを見込んでとも言うのだろうか。

 まあ前条朱雀のクラスでの人気具合と、虎尾との関係を考えれば割りとぼっちになる可能性は高いので否定出来ないのが悔しい所ではあるが。


「ふふふ、実は今生徒会で教師陣に提案していることがあってね……これが通ればその子を君に充てがうのも不可能でないんだよ、だからこそのお願いなのさ」

「提案している……?」


「アオハルを謳歌する者ばかりが得をする学園なんて、つまらないだろう?」


       ◯


「納得がいきません」

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