虎尾裕美はあなたがスキ? 20

「…………」


 誰かの呼ぶ声で目を覚ますが、僕は布団に潜ったまま返事をしない。

 五月蝿いな、静かにしろよ、僕は起きたくないんだ。


「二日も眠りこけといてまだ眠いなんて言わせねーからな、返事をしろ」

「…………」


 何とも口の悪い奴である、こんな子に育てた覚えはないんだがな。

 こうなったら根の張り合いだと言わんばかりより一層布団で身体を丸めると今度は頭部にずっしりとした重みがのしかかる。


「今日はお前が朝食の当番だろ、家族のルールぐらいはちゃんと守れ」

「……今日は緋浮美が当番の筈だろ、あとお兄ちゃんの頭を踏むな」

「緋浮美は今日朝練があるからお前と交代しただろ、忘れてんじゃねえよ」

「……お兄ちゃんは今傷心中なの、キスで起こしてくれないとやだ」

「気持ちわりいな……いいからさっさと起きろこの野郎」


 身体が容赦なく振られ、布団という名の殻が無残に破られそうになる。

 だが僕も男だ、簡単に負けてたまるかと必死になって布団にしがみつき、引き剥がされまいと激しい抵抗を試みる。

 お兄ちゃんを甘く見るなよ……!


「はあ……はあ……みっともないにも程があるだろ……」

「暴力ヒロインには屈しない、これがお兄ちゃんの矜持だ」

「妹をヒロインとか言うな、お前がそういうこと言うから蹴るんだよ」

「お兄ちゃんは妹に甘えられたいの、あとお前とか言わないで……」


 逢花のサンドバックAI雅継は自我が芽生え、今こそ叛逆の時なのである。

 そうやって布団の中で籠城を続けていると、逢花は僕を玉転がしのようにするのを辞め、本気の蹴りをかまし僕はそのまま壁に叩きつけられる。


「あふんっ」

「…………何があったか知らないけどさ、流石に二日も眠りっぱなしは良くないって、完全に引きこもりだよ」

「……………………」

「緋浮美があまりに心配で今日の練習は休むって言い出したんだからな――妹を心配させない、それが兄ちゃんのモットーじゃなかったの」

「…………うん」

「あと、ご飯を食べる時は皆で楽しく、これも兄ちゃんが言い出したこと」

「ごめん…………」

「母さんと父さんが殆ど家にいないから、私達のことを想って言ってくれたんだって嬉しかったんだけどなー、なのに今日は一人で朝食か……」

「……うぐぐ」


 三度の飯より妹を愛している僕がこんなことを言われては最早死ねと言われているのと同義……し、しかし……。


「――ご飯、私が作ったから、冷めない内に食べよ、手握ったげるから」

「…………はい」


 しかし、愛すべき逢花が作ったご飯食べないという選択肢は僕にはない。

 結果的に僕は逢花に手を引かれリビングへと向かうのだった。


       ◯


 食卓に並ぶのはご飯、味噌汁、焼き魚、きんぴらごぼうにサラダ。

 逢花は朝は和食を好んでおり、当番の時は大体こういうメニューになる。

 反して緋浮美は朝からキレッキレに僕の好物を並べてくるので、気持ちは嬉しいのだが着実にデブに拍車がかかっている。

 だが、気が重いのか、そんな和食でも食が喉を通らない。


「いつも私に蹴られて起こされたら喜んでる兄ちゃんなのに、何があったらそんなに落ち込むようなことがあるんだよ」

「……いや、別に落ち込んではないけど……」

「生き血吸い尽くされたみたいな顔で言われても説得力ねーよ、兄ちゃんより人生経験の浅い私で良いなら、話ぐらい聞くけど?」

「……………………」


 妹に迷惑をかけるような真似は兄としてしたくはないのだが、こうやって心配をさせてしまっている時点で既に手遅れ……か。

 少し悩んだがこのままでは折角逢花作った朝食も碌に食べられそうになかったので、喉の通りを良くする意味でも、話してみることにした。


「例えば……なんだけどさ、お前なら目の前に困っている人がいたらどうする?」

「困ってる? 重い荷物背負って階段を上るお婆ちゃんとか?」

「ベタな割に意外に見かけない展開だが……まあそんなもんだ」

「んーそうだな、お婆ちゃんごと肩車して目的地まで運ぶかな」

「優しいのか鬼畜なのかはっきりして」

「いずれにしても助けてあげるのが普通じゃないの? まあ見て見ぬ振りしてしまう人もいるだろうけど、私は出来ないかな」

「逢花が僕の妹で光栄だよ……ならそこでお婆ちゃんを助けたとしよう、そしたらこう言われるんだ『余計なお世話だよ、私は一人で上れたのに』と」

「ふんふん、いらぬおせっかいだったのね」

「逢花なら、そう言われたらどう対応する?」

「んー? あーそうでしたか、すいませんで終わりかな」

「えらいあっさりとした返答だな……僕には到底真似出来ねえよ」

「兄ちゃんって臆病な癖に世話焼きな所あったりするからねえ、でも今後出会うかも分からない他人に言われても特に気にらなくない?」

「そう言われるとそうなんだが……なら状況を変えて……それが逢花にとって知り合いだったとしたらどうする?」


「助けるのが当たり前だから断るって言う」


「何このパーフェクト妹」

 格好良すぎんだろ、前世ナイチンゲールかよ。


「つうかさ、それって要するに兄ちゃんのことだろ?」

「ドキッ」

「口で図星を表現する人を初めてみたよ……」

「い、いや僕というか……僕であって僕じゃないと言うか……」

「正直に言わないと緋浮美の血清入りチョコ食べさせるよ」

「はい、言います、言いますからそれは勘弁して下さい」


 というか何でそのこと知ってんだよ、そして人のチョコを脅しに使うな。

 ……だがこうなっては仕方ない、僕は言葉を選びながら話しを続ける。


「……正直に言うとさ、お兄ちゃんもよく分からないんだ、その人を想ってしたと言えば幾分か救われていたのかもしれないけど、そうじゃなかった」

「じゃあ何の為に兄ちゃんはその人を助けてあげようと思ったの?」

「自己満足……だったんだ、人として程度の低い奴を懲らしめれば気分がスっとする、そんなことに楽しみを見出していたんだよ僕は」


 正義の味方になろうとは微塵にも思ってはいなかった。

 でもその先にいたのは程度の低い人間(僕)だった。


「ふーん、でも兄ちゃんって自分の為ならまだしも、誰かが困っているという理由ならそんな下賤なことで悦に浸るような人間じゃないと思うけどな」

「随分と買ってくれるな……そんなに褒めても何も出ないぞ?」


「違う、私の兄ちゃんはそんな人じゃないと確信してるから言ってるの」


「え」

「兄ちゃんはさ、いつも自分の為にって無理やり正当化して傷つこうとするけど良くないよ、いや傷ついてもいいけど傷ついた分誰かが救われてるって思ってくれないと割に合わない、それは事実なんだからさ」

「い、いやだから現にそれが余計なお世話であってだな――」

「そんなのその人が咄嗟に感情的に言ってしまっただけかもしれないじゃん、本当にその人が辛い思いをしていたなら、そんなの思ってる筈ないよ」

「し……しかしだな妹よ……」

「兄ちゃん、本当は何で助けようと思ったの? 我慢出来なかったからじゃないの? その子が苦しんでいる姿にさ」

「そ、それは……」

「なら兄ちゃんのしたことは間違ってないよ、友達だもん当たり前でしょ? 何で兄ちゃんが悩む必要があるの?」

「友達……僕の――」

「それが間違っているなんて、言われたとしても兄ちゃんが苦しむ必要なんてない、きっとその子だって本当は――――兄ちゃん?」

「え?」


「兄ちゃん、泣いてるの?」


「……は? そんな訳ないだろ、何言って――」

 そう言われて頬を触ると、止めどなく水が流れていることに気づく。

 え、嘘だろ、泣いているのか? この僕が?

 だがいくら拭ってもその水は全く引く様子がない、どころか終いにはテーブルの上にまでポタポタと零れてしまっているではないか。


「ち、違うんだ逢花、これはそういうことじゃなくて……」


 どんなに言い訳をしても涙は一向に収まってくれない。

 何だよこれ、どうなってるんだよ。


「はぁ……兄ちゃん、頭出して」

「えっ、何、もしかしてぶん殴られるの」

「何でそうなるんだよ、いいから早く頭出して」


 そう言われて出す阿呆が何処にいるんだと言いたい所だが。

 愛すべき妹の愛の鐵槌だというのであれば喜んで受け入れるしかあるまい。

 そう思いながら恐る恐る頭を逢花の元へ差し出す――

 すると。


 ぽんと一つ、頭の上に掌が置かれ。


「よしよし、兄ちゃんは友達を守りたかったんだよな」


 何度も何度も、頭を撫でられてしまった。

 あ、ヤバい、これ冗談抜きで泣いてしまう奴だ。

 いや既に泣いているのだがこのままだと感情が溢れ出てしまう。


「大丈夫、兄ちゃんは悪くない、大切な友達守ろうとしたんだから兄ちゃんは偉いよ」

「あ、逢花……僕は――」


 自覚をしないよう必死だった。

 それを自覚してしまったらもう、戻れないような気がしたから。

 だが、これは逃れようのない事実として受け止めるしかない。


 僕にとって、虎尾裕美は友達だったんだ。


 だからこんなにも、縁が切れた現実を受け入れられない。

 ああ――本当に僕は馬鹿だ、どうしようもないぐらい馬鹿だ。

 何度同じ誤ちを、繰り返せば済むんだ。


「よしよし、泣いていいんだよ、誰にも言ったりしないから」


 でも今は、逢花のよしよし攻撃に抗うことが出来なかった。

 兄が妹に撫でられながら慰められるなど、哀れでしかないというのに。

 不思議と悪い気がしなかったのは、弱みに付け込まれたからなのか。

 悔しいが、そんな妹のお姉ちゃん属性を垣間見た、夏の朝であった。



「……お兄ちゃんが女だったら絶対逢花を好きになってるわ」

「…………いや、そこは男でいいだろ」

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