虎尾裕美はあなたがスキ? 15
堰を切ったかのように、雪崩の如く入り口から人が押し寄せ始める。
各々が楽しみにしているサークルへと我先にと並び、購入すると即座に次のサークルへと移る、これをひたすら繰り返す。
場内が人の波で溢れかえるのも当然というものである。
必然陶器美空の所にも多くの人が並び、あっと言う間に列が形成される。
それを売り子が次々と捌けさせて行き、陶器美空はファンと握手や簡単な会話を交わしていく、流石に慣れているのかその作業も凄まじく早い。
はっきり言って僕の出番などあるのかと言いたくなる手際の良さである。
「まあ……最初から僕の役目はこっちだったんだろう……」
そう言いながら目線を虎尾の方へと送る。
相変わらず茫然自失としており、立ち尽くすならぬ座り尽くした状態。
叶うなら一冊も売れないで、とでも思っているのだろう。
だがそんな思いとは裏腹に、残酷なまでに彼女は人を寄せ付けてしまう。
「虎尾さん! いつも応援してます! 是非一冊下さい!」
「え、あ……は、はいご、五百円になります……」
「ありがとうございます! 帰ってからじっくり読ませて貰いますね!」
「こ、こちらこそ……ありがとう……ございました……」
どうやら彼はレイヤーとしての虎尾の信者みたいだな……。
開始早々に購入者が出るとなると、想定以上に人は来そうか――
「とらっち遊びに来たよー!」
そうこうしている内に今度はコスプレ仲間と思しき女の子二人組が現れる。
普段なら他愛もない話に花を咲かすのだろうが虎尾の顔は益々曇ってしまう。
「あ、ああ……よく来ましたな、待ちくたびれましたぞ……?」
「いやいやなに言ってんの、新刊を買いたいサークルだらけの中で時間を割いて真っ先に来てやったんだから寧ろここは感謝する所でしょうが」
「ズブの素人が生意気に壁張ってるってんだから冷やかしに来てやったんだかんね~? クソみたいな作品だったら承知しねーぞ?」
「! ……は、ははは、い、いやはや面目……ない……」
「いやいやマジになってどーすんのよ、ここはイヤミか貴様ッッぐらいは言ってもらわないとこっちとしても困りますがな」
「それは使い所がおかしいでしょう、半端なパロは顰蹙を買うだけですから」
「…………」
そう言って笑い出す二人だったが、虎尾の表情は一向に晴れることはない。
いや、ここで晴れたら頭がおかしくなっているだけか……。
「んじゃまー一冊買わせて頂くとしますか」
「ま、ちらりと中身を拝見させて貰ってからにしますかのー」
「! それは駄目!!」
唐突な虎尾の叫び声に一瞬辺りが騒然とする。
「え……急にどうしたのよとらっち……」
「どうせ読むんだし、そんなに嫌がらなくても……」
「え……あ、い、いやいや! ち、違いますぞ! どうせなら楽しみは後にとって置いて欲しいという意味でありますよ、や、やだなあ……」
「なーるほど、それだけ自信があるっつーことね」
「そこまで言うなら帰ってからじっくり読ませて貰おうじゃありませんか」
「あ、あはは……ははは……」
虎尾の言葉に納得した訳ではないだろうが、二人は本を購入すると、虎尾に手を振りながらそのまま次のサークルへと向かって行くのだった。
「…………もう……無理……」
虎尾は消え入りそうな声で呟き、ジーンズをギュっと握りしめる。
……最早その場凌ぎにさえなっていない、自分の首を締め続けているだけだ。
たった数人であればどうにかなったかもしれない、だが彼女には知り合いやレイヤーのファンだけでなく、実況のファンだっているのだ。
そうなれば少部数とはいえ同人誌が完売するだけの人が来ることは覚悟しなければならない……それら全員を騙し切るなど絶対に不可能。
虎尾が、壊れてしまう。
◯
だがその後も客足が途絶えることはなかった。
虎尾も徐々に誤魔化しが効かなくなり始め、立ち読みをして中身に気づき、購入せずに帰っていく人もちらほらと見え始める。
下手に無名でないことの弊害が如実に現れてしまっていた。
「まずいな……このままだと……」
僕はそう言って虎尾に気づかれないようスマホからSNSを開く。
そしてやりたくはなかったが――虎尾関連の単語でエゴサーチを行う。
一抹の望みを賭けながらタイムラインを流し目で見ていくが――
「………………やっぱりもう手遅れか……」
そこには既に、多くの批判、批評、悪口、皮肉、中傷が並んでいるのだった。
『虎尾とら、あれはいくら何でも酷い、作家を舐めている』
『今時ラフで上げるって馬鹿としか思えないんだが』
『表紙詐欺ここに極まれり、お前ら絶対買いに行くなよ』
『つうか陶器先生に失礼だと思わんのかね、委託までしてこの出来とか』
『陶器先生が可哀想だな、何か絵も似てるし、とんだ風評被害だろ』
『もしかして表紙も間に合わず陶器先生に書いて貰ったんじゃね』
『壁にいる価値無し、さっさと俺と代われ』
『レイヤーなのに背伸びするからこうなるんだよ、分不相応って奴だな』
『ラフで壁に入れるなんて媚の売り方だけは壁クラスなんだろうな』
『失望しました、とらにゃんのファンやめます』
あまりに好き勝手な言い分に腹が立ちそうになるが、背景を知らない人からすれば陶器美空に媚を売って本を出した素人と思われても仕方がないというもの。
きっと僕だって、事情を知らなければ容赦なく叩いていたに違いない。
だが僕が本当に危惧していたのはこれではないのだ……。
『つか虎尾とらの作品、内容がひノで先生の新作と被ってないか?』
『私も思った、これってもしかしなくてもパクりじゃ……』
『でもひノで先生の新作は昨日販売されたばっかりだぞ? 偶然だろ?』
『よく見ろ、絵はひノで先生だが、シナリオは陶器先生だよ』
『ほんとだ、ひノで先生新刊と一緒にコラボ本も出してたのか……』
『じゃあつまりこれは……』
『もうパクった以外に考えられないだろ、虎尾とらヤバいぞこれ』
『陶器先生気づいてるのか? 正気の沙汰じゃねえわ』
『初コミクラでここまで周囲の顔に泥塗れる奴もそうそういねえよ』
『実況で毒舌吐く暇あったらまず自分を見直せよな恥知らず』
最も恐れていた事態を目の当たりし、僕は堪らずスマホの電源を落とす。
前条朱雀から見せられた時点で既に分かっていたことではあるが……、やはりその影響は確実に広まってしまっていた。
でも、あんまり過ぎるだろ……虎尾が何をしたっていうんだよ。
他の作家まで利用して、自分の側に置いてまでして徹底的に潰すなんて真似、まともな神経であれば到底出来る所業じゃない。
それでも彼女の、陶器美空の過去が、そうさせるとでもいうのか……?
「ふ、ふふふ……」
やはりSNSの余波なのか、明らかに虎尾の元を訪れる人もいなくなり始めた頃、ふいに虎尾が変な笑い声を上げる。
「と、虎尾……?」
「いやはや……本当に全く、雅継殿にはとんだ迷惑をかけてしまいましたな」
「いや……別に僕は何も――」
「かけてしまいましたよ、私の思いつきで東京まで連れてきて、好き勝手に振り回して、その結果がこれです、これを迷惑と呼ばずしてなんと言いますか」
「…………そんなことは」
「罰、なのでしょうな、自分は何でも出来ると思い込んで、驕っていたばかりに天罰を受けてしまったのです、頭を冷やせとそう言われているのですよ」
「…………」
「いやー、実に良い経験をさせて貰いました、はは、本当に――――」
虎尾、それは違う、お前は僕なんかよりずっと才能があって、そしてそれを遺憾なく発揮していい権利があるんだ、それは罪なんかじゃない。
……いつの時代も出る杭は打たれるそれだけの話。
――ただ、これは我慢のしようがない、少なくとも僕ならとっくに――
それでも尚。
彼女は震えた、啜るような声を絞り出すと、最後にこう告げるのだった。
「本当に……ごめんなさい……」
その刹那。
僕は動き出す決意を、固めていた。
分かった、もう良いよ、どうにでもなってしまえ。
誰かの為に行動するなんて、そんなことはあまりに無駄で、愚行であるだなんて分かっている、そんなことは分かりきっている。
でも、もう無理だ、虎尾の為とかそうではなく、この光景を延々と見せられていることがもう僕には耐えられないのだ。
ドッキリ番組で芸人が怒られている姿を見るだけで心が不安になるチキンな僕に、この状況は精神上あまりに悪過ぎる。
だからもう終わりにしよう、こんな茶番はもう終わりにしないといけない。
「虎尾、今から僕が言うことを、実践出来るか」
「ま……雅継殿……?」
「お前はまだ、こんな所で壊れちゃいけない」
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