虎尾裕美はあなたがスキ? 14

 コミクラを何度か経験しているものであれば誰しもが一度は味わったことがあるのではないのだろうか。

 表紙は実に文句のない仕上がりになっているというのにいざ息子を膨らませながら開いてみると、ガッカリと言わざるを得ないラフの嵐。

 無論その場で立ち読みをしていればそのような失敗もないのだが、あれだけの多くの人が往来し、時間も無い中、中身を見せて貰ってから買うというのも中々どうして難しいのが現実であろう。

 ただここ最近のSNSが普及する時代においてはそのような行為は即刻バッシングの対象となり易い、素直に新刊を落とす方が傷は浅く済むのだ。

 故に、彼女の行為は実に愚かだという外にない。


 彼女が、意図的にそれをしたのであればの話だが。


「虎尾……いくら何でもこれは……」

「ち、違います! 雅継殿だってサンプル本を見たでしょう!?」

「あ……それも……そうだな……」


 だが目の間にあるのは誰がどう見ても粗雑な本が大量にダンボールに詰められているのみ、そこに何一つ偽りはない。

 それに虎尾が見せてくれたのはあくまで自分で作ったサンプル、ここにあるのは印刷所に任せて作ったものなのだからそれとこれでは意味が違う。

 けれどこの様子だと、虎尾が意図したものではない……そうなると――


「ま、雅継殿……私どうしたら……」

「そ、そんなこと僕に言われても……」

「とらっち? どうかしたん?」


 明らかに狼狽えた虎尾の姿を見て、陶器美空が僕らのそばへとやってくる。

 無理もない、この状況で慌てている奴がいるとすれば見本誌提出で修正指示が出たサークルぐらいだろう、それぐらい緊急事態ではある。


「陶器てんてー……私の、私の本が……」

「本が? 別に何もおかしな所はないと思うんやけど」

「よく見てくだされ! ラフ画! ラフ画ですよ!? 私はちゃんと完成させた上で提出した筈ですのに、それが何でこんなことに……」

「え? これ完成させてあったん? 私がとらっちから貰ったのはラフ画やったから、てっきり時間がなくてこれを提出したんかと思っててんけど」

「……よくそんな台詞平然と言えるな……」

「そ、そんな筈は……私は確かに完成した原稿を陶器てんてーに……」

「そう言われてもね……ちゃんと確認しなかった私も悪いけども……」

「な、何かの間違いであります、もう一度見てみればちゃんと――」

「流石に今から確認しようがないよ、申し訳ないけど」

「で、ですが……」

「おい虎尾、その辺にしとけ」

「ま、雅継殿……」


 そう言って僕を見つめる虎尾の顔は完全に青褪めており、もう訳が分からないとでも言いたげに、動揺しきってしまっていた。

 無理もない、いくら虎尾が才能に満ち溢れていたとしても、この舞台に立つまでに入念な準備をして来たに違いないのだ。

 失敗しないように何度も、何度も。

 だのに、それがたった一回のミスで脆くも崩れ去ってしまったのだから。


「いやそれは虚構だ……」


 見ろあの陶器美空の顔を、この緊急事態であそこまで平然とした顔が普通出来るか? いくら自分の問題でないにしても、その表情はあまりに他人事過ぎる。

 少なくとも、一緒に参加する同士に向ける顔ではない、それだけは言える。


「虎尾、取り敢えず準備を続けよう……いつまでもこうしてる訳にもいかないし……陶器てんてーは作業に戻って下さい、こっちで何とかしますから」

「そう? まあこっちももうすぐ準備は終わるから、何かあったらまたいつでも声掛けてくれてもええから」


 すると陶器美空はあっさり引き返し、自身のメンバーと準備を続ける。

 ……今はこうするしかない、ここで虎尾が喚いても状況が変わる訳でもないのだ、寧ろ大勢のサークル、陶器美空の知り合いがいる中で不平不満を述べるなど『自分は馬鹿でーす、アヘ顔ダブルピース』と言っているようなもの。

 そもそも陶器美空は限りなく黒に近い灰色ではあるが黒にはなっていない、下手な行動は全て彼女に取って有利にしかならない。


 ――まあもっと最悪なのは、虎尾自身がそれを理解してないことなのだが。

 いや、仮に理解していても、彼女は理解しようとしないだろう。


「……虎尾、起こってしまったことはしょうがない、初めてのコミクラなんだし失敗なんざあって然るべきだろ、悔やむのは全部終わってからにしようぜ」

「……………………」


 僕の当たり障りない言葉で彼女はようやく手を動かし始めたが――

 その顔に、コミクラを楽しんでいた彼女は何処にもいなかった。


       ◯


「美空さん今日は宜しくお願いします~」


 あらかた準備が終わったのか、各サークルが続々と挨拶回りにやってくる。

 基本的には両サイドのサークルに新刊片手に挨拶をするのが恒例だが、彼女ぐらいのレベルになると離れた場所からも沢山の作家がやって来る。

 やはりプロで壁サークルともなると集まる人間も桁違いなのだろう。


「あ! もしかして虎尾とらさんですか?」


 そんな光景を眺めているとあるサークルの作家さんが虎尾に声を掛ける。


「え? あ……はい、そうですけど……」

「初めまして、私浅田明兎(あさだ みんと)って言います、ヴィックドロップスって名義でサークルをやっているんですけど――」

「おいおいマジか……」


 浅田明兎って言ったらゲームやオリアニのキャラデザもする有名所じゃねえか……こんな人が普通にいるなんてコミクラって本当に御伽の国なんだな……。

 だが、そんな大人気作家を前にしても虎尾の反応は何処か覚束ない。


「も、勿論知っておりますぞ……、いやはや私のようなトーシロが委託とはいえ壁で販売をさせて頂くなんてお恥ずかしい限りであります……」

「そんなことありませんよ、虎尾さんはレイヤーとしても有名ですし、ましてやこの画力、数年もすれば個人で壁の仲間入り出来ると思いますけどね」

「あはは……勿体なきお言葉……」

「あ、良かったら新刊交換しませんか? 今後の虎尾さんの活躍も期待して交換して貰えたら嬉しかったり、なんて」

「う……あ…………こ、こちらこそ! あ、あはは、浅田明兎殿に交換して頂けたるだなんて光栄光栄、恐縮の極みでありますな~」

「大袈裟ですよ、はい――では私はこれで、お互いコミクラを楽しみましょうね」

「はは……どうもどうも……………………はあ……」


 そう言って虎尾は深い溜め息をつく。

 ……こんなもの、ただひたすらに公開処刑をされているようなものだ、学校で先生をお母さんと呼び間違えて恥をかくのが可愛く思えるぐらいの地獄。

 大体……陶器美空は何故ここまでする必要があるんだ? 新人潰しにしたっていくら何でも手が込みすぎている……。

 それにいくら虎尾に才能があるのだとしても、他にも近づいてきた人間はごまんといた筈、中には虎尾より鬱陶しい奴はいくらでも――

 それとも気に食わない端くれは片っ端から潰してきたとでも……?


 そんな様相を繰り広げている間にも着々と時間は過ぎていき、慌ただしかった会場の雰囲気も徐々に色めき立ち始める。

 そして。


『只今より、コミッククラシック80、三日目を開催致します』


 無情な合図と共に、割れんばかりの拍手が場内を包み込むのであった。

 普通であれば、緊張するか、大いに興奮するかのいずれかだが。

 僕の隣りに座っていた少女は、微動だにすること無く。

 ただ一点、積まれた処女作だけを見つめたまま。

 彼女はぽつりと、こう呟く。


「…………雅継殿……」

「…………何だよ」


「私、ここから消えてなくなりたい……」


 その言葉は他人事だというのに、酷く僕の胸を締め付けるのだった。


「……くそったれ」

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