虎尾裕美はあなたがスキ? 8
「オエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!!!!」
一体僕は何をしているのかというと、主に吐いていた。
今時ゲロを吐くヒロインは珍しくもないが、こうも醜く哀れにトイレで吐き散らかしている男が描写されていても誰も得しないだろう。
だが仕方あるまい、これは無様にも乗せられた僕への相応の罰なのだ。
「それにしても……」
あの長時間に渡る拘束は半端じゃねえな……明朝から延々と似たような顔と服装をした連中同士で延々と開始まで待機させらるとは……。
トイレに行こうにも順番待ちが半端じゃないし、そりゃウンコを漏らす奴がいてもやむ無しの行列である、いや僕は漏らしてないけど。
「うぇ……まだ初日だからそこまで無理する必要はないが……正直この人がゴミような状況に飛び込んでいく気力は微塵も残ってねえな……」
まあ虎尾的には初日こそ本気を出す日なので早々に僕を置いて消えていったのだが、つうかこれなら僕が一緒にいる必要全く無いんですけど。
噂の兄貴は一般で参加しちゃいけないレベルの大名行列が完成しているらしいし、生半可な気持ちで行くもんじゃないなコミクラってのは……。
はっきり言ってまだ気分は全然優れていないが、いつまでもトイレにいるのも他の人に迷惑なので、顔を洗うと覚束ない足取りで出ていく。
すると。
トイレ近くの壁に持たれて同人誌を読み耽っている女がいるではないか。
「あ、雅継殿やん」
「陶器てんてー……じゃないですか、あと雅継殿は名前ではないので」
「じゃあ継殿?」
「江戸時代にいそうな将軍ですけども」
どうでもいいけど随分とフランクな反応だな……いや陶器美空の方が年上なのだから当然なのだが、そんな昨夜意気投合することがあっただろうか……。
記憶がないだけに嫌な予感が頭をよぎる、ここは探りを入れてみるか……。
「あの、昨日はありがとうございました、夕食までご馳走にまでなって」
「いいよいいよ、最終日はこちらがお世話になるんやし、それに私も楽しかったしねえ、いやー雅継殿みたいな面白い人、中々いないよ」
「面白い……? もしかして……失礼なこととかしませんでした?」
「いいや? まあ随分とダークな面は垣間見えたけど、それ以外は何も」
だめじゃねえか。
「その……差し支えなければ……どんなことを」
「クラスのリア充の横暴を阻止してやったとか何とか」
「ジーザス」
ダークどころか真っ黒じゃないか、深淵にある漆黒レベルだよ。
饒舌に痛いことを口にするとか一番やっちゃいけないのを僕って奴は……。
あまりに残念過ぎる己の一面に頭を抱えてしまっていると、陶器美空は買ったばかりの同人誌(十八禁女性向け)一ページめくり、少し笑ってこう言う。
「……でも私は雅継殿が羨ましいわ、そんなこと普通出来へんよ」
「いや出来ないって、僕はただ――」
「だって、普通は一人やもん、少なくとも私はそうやった」
「私は……?」
「ふ――暗い、だけでね、机や制服に悪戯されたり、何もしてへんのに小突かれたり、それ見て笑われたりするんよ――数えだしたらキリがない程に」
「え――陶器さんが……? まさかそんな――」
「昔は今より太ってたし、地味な格好した物静かなオタクやったからね、友達がおらんかった訳ちゃうけど、皆被害者なりたないから離れていったわ」
「………………」
「だから仕返しなんかよう出来へん、しても負けるだけやし、仮に上手く言ってもどんなそれこそ十倍返しされる、相談? 親に自分の恥を晒すなんて無理、なら教師に? あいつらが何を解決してくれんの? 学校の異常を揉み消す癖に」
彼女は同人誌から目を逸らさずそう語り続ける。
まるで鏡に映った自分に愚痴をこぼすかのようにして。
「だから孤独に生きる二年間はとんでもなく辛かった、何百回死のうと思って何千回殺してやろうと思ったことか」
この見た目からではにわかには信じ難い、創作でもしているのかと思いたくなるが、やけに低い好感度や、どこか僕に近い雰囲気を見ていれば合点がいく。
恐らく彼女は、人を信用していない。
「だから……地元を飛び出して東京へ行ったんですか?」
「大学は地元から離れてたからそういうことでもなかったんやけど、一人なのは同じだし、情報を得る方法もなくて単位も結構危なかったし、ただ――」
「ただ……?」
「焦燥感が生まれたのは事実、虐げられて生きてきて、大学に行っても孤独、多分このまま社会人になったらまた同じ目に遭うのは口にするまでもない、そうなったらもう――次こそ命を投げ出すしかない」
人の往来や話し声が止めどなく溢れかえっているというのに、彼女の声はやけに耳によく通る、やはり似ているからなのか? それとも――
「どうせ死ぬなら全てを投げ売ってからの方がいい、だから私は退路を絶って下手糞でも好きだった絵を延々描き続けて、無謀なバイトも無心でやって、ボロいアパートでカスみたいな生活して――そしてここに辿り着いた」
そこで、ようやく彼女は同人誌を閉じると、僕を見てこう言うのだった。
「せやから、あいつらには感謝はしてるんよ? 私に消えない憎悪と嫉妬を植え付けてくれたお陰で、今ここにいられるんだから」
ああ、やっぱり予想通りだった。
まさかこんなにも早く素顔を見せてくれるとは思ってもみなかったが、どうやら昨日の出来事が彼女の中に火を付けてしまったらしい。
それだけのことを僕が言ったとはどうにも思えないが……まあいい。
「……どうして僕にそれを話したんですか、会って間もない僕に」
「……作家ってさ、意外にリアルが充実してる人が多いんだよね、私みたいな人間の話なんて聞いたこと無い、いや言わないだけかもしれないけど」
「? まあ……汚点みたいなものですからね、こういうのは」
「そう、嫌過ぎて誰も口外せえへんの、どころか言ったらまた同じ目に遭うかもしれない、離れていくかもしれない、だから怖くて言えない、でもそれが当たり前、だから何も分からない、でも雅継殿はそれを明かしてくれた」
「明かすつもりは無かったんですけども……」
「いくら正常やない状態言うても最後の防衛ラインは保つもんやからね、それでも言ってのけるっていうのは並大抵のことやないよ」
「そう言われても全然嬉しくはないですが……」
「でも私は嬉しかった、ああようやく会えたって、私以外にもおったんやって、それでいて……羨ましくもあった」
「羨ましい……?」
「相手を打ちのめして、それに手を貸してくれる仲間がいて、そんなん一番理想的な形やで? たかが学生で普通出来へんで?」
「いや……僕はただ――」
「自分の為に、やろ? 何もおかしあらへん、ただ大事にせなアカンよ」
「大事に? 何を」
「仲間を、自分がどれだけ幸せか理解しとかないと、いつか後悔するで」
「仲間? はは、陶器さんも面白いことを言うんですね」
「ま、自覚はないやろね、いや自覚したくないと言うべきなんか、でも手遅れになると外面だけ取り繕って、中身が腐り落ちた、私みたいになるよ」
「外見も大したことありませんから、今更ですけどね」
「その様子じゃ、行き着く先は同じかな、それでもいいけど」
すると彼女はスマホの画面を見ると、ゆっくりと立ち上がる。
「あの、虎尾には……あなたの話は……してないんですか?」
「あの子は私と同じやないし、何より恵まれすぎているからね、話す必要もないし、もっと言えば話したくもないっていうのが本音かな」
「そう……ですか……」
「じゃあ私はそろそろ行くけど、同志と分担して買い集めてたからそろそろ合流しなくちゃいけないからさ、最終日は宜しくお願いね」
「ええ……それは勿論」
「あ、そういえばとらさんとはぐれたんだろうけど、この時間なら多分コスプレエリアにいるんじゃないかな、あの子コスプレ関係も知り合い多いみたいだし」
そう言い残すと彼女は人混みに飲まれるようにして、消えていくのだった。
「ああ……」
僕は人の見えない天井を仰ぐ。
ヤバいな、思った以上に彼女はヤバい。
このままだと最悪、僕は彼女を相手にしなきゃならんのか?
はっきり言って前条瑞玄とは訳が違うぞ、それに今回は僕自身の問題も片付いていないというのに、こんな状況ではとてもじゃないが……。
無論何事もなく終わるのがベストだが……どうにも……。
「……今悩んでも仕方ない、取り敢えず虎尾の所に向かうとするか……」
◯
そうして僕は、無事コスプレエリアへと辿り着いたのだったのだが。
何処を探しても虎尾の姿は見つからず、諦めてホテルに戻ろうかと思った。
その時。
やけに大勢のカメコに囲まれたレイヤーが目に入った僕は。
もしかしたら虎尾がいるのではかと近づいてみたのだが。
そこにいたのは。
アナスタシアの格好をした、前条朱雀と。
新田美波の格好をした、前条瑞玄の姿だった。
「……ハラショー……」
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