虎尾裕美はあなたがスキ? 5

「雅継殿! ついにこの日がやって来ましたな!」

「おう、そうだな」

「無事晴天に恵まれて何よりでありますな!」

「夜だけどな、まあ曇ってはいないが」


 夏休みを迎えてかれこれ数週間。

 長期休暇というのは恐ろしく時間が経つのが早いもので、気づけばあっという間にコミクラの時期を迎えてしまっていた。

 本音を言えばもっとダラダラと過ごしていたかったのだが、悲しいかな、内外問わぬ容赦ない圧迫が僕に休息を与えなかったというのが現実である。

 まあ安易な返答をしてしまった僕に責任があるのだから自分のケツは自分で拭かねばなるまい……その為に死滅させた脳細胞の量は計り知れないが。


「雅継殿? これから念願のコミクラへと出陣するというのに何故そんな浮かない顔をしておられるのですか、もしかしてアホなのですか?」

「行きたいとか言った覚えないんですけど、つうかさ、色々費用を出して貰えるって言うから多少なりとも期待していたんだが……夜行バスって……」

「え……? まさか正気で仰っておられるのですか……?」

「いや正気も何も至極素朴な感想なんだが」

「青春十八きっぷじゃないだけありがたいと思いなされよ!」

「青春を味わった記憶もないのに青春十八きっぷを使えと申すか」


 別に高待遇を求めていた訳じゃないが、虎尾のツイッターでの人気ぶりを見ればてっきりこう最低でも新幹線、最高でも飛行機ぐらいの移動手段を用意してくれているのかと思っていただけに少し肩透かしを食らった感じはある。

 ……つうか、よく見るとこいつ随分とラフな格好に加えてキャリーバッグ一個しか持ってきてないけど、そもそも虎尾も売り子で参加する予定なのか?


「そういやちゃんと話を聞いてなかったけど、お前ってそもそも知り合いのサークルの手伝いで参加する予定なのか? 僕はそうだと言ってたけど」

「え? 違いますぞ? 私は委託参加をさせて貰うのでありまする」

「……え? お前夏コミ応募してたのか……?」

「そうですが? まあ落選しましたのでこういう形にはなりましたが」

「なに、もしかしてコスプレ生写真集でも販売でもすんの」

「ははは、トップクラスともなればそれで十分黒字を計上出来ますでしょうがそれに付随して想像以上にお金がかかりますからなあ、全て自作でやってフォトショで誤魔化している私のクオリティでは完売も見込めるかどうか」

「それを言ったら同人誌だっていくらお前が有名とはいえ素人レベルじゃ赤字計上は免れられないと思うんだが……」

「それは御尤もでありますな、ではこちらをどうぞ」

「こちらをって…………同人誌? 内容は……全年齢向けの二次創作か、絵はそこそこ上手い……いや控えめに言っても実力が高いな」

「実はこれ私が書いたのであります」

「へーこれをお前が……って、冗談だろ……?」

「嘘を言ってもしょうがないでしょう、数日後にはこれを販売するのですから」

「いやそれはそうだが……お前ツイッターで絵が描けるなんて公表してなかったじゃないか、僕の前で書いてる姿なんもみたことないし……」

「身近な人に見せるのは恥ずかしかったといいますか……ここまでなるのにも相当時間がかかりましたから、ギリギリまで隠していたかったのです」


 相当な時間? 馬鹿いうな、それはもっと昔から絵を書いている奴の言葉だ。

 恐らくこいつの言い方だと精々一年ちょっとといった所、たったそれだけの期間でこのクオリティはどう考えても普通じゃない。

 しかも期間を考えれば間違いなくこれを描きながらテスト勉強もしている……。

 ……前条朱雀に負けず劣らず、こいつも尋常じゃない才能の持ち主だな……。

 ただこの絵柄……何処かで見たことあるような――


「あ、あんまりジロジロ見ないで下され……恥ずかしいでありますよ……」

「ああ、すまん……にしてもお前ってこういう王道な展開に興味あったんだな、てっきりBL以外は眼中にないかと思っていたが」

「失敬な、あくまで一ジャンルも好きだという話で他のジャンルも当然好きなのはありますよ……雅継殿がロリコンだけど巨乳好きみたいなものです」

「実に分かりやすい説明だが熱い風評被害は止めろ」

「ですがロリ巨乳は奇跡のハイブリッドだと寝言で」

「ははは、夢なら醒めてくれ」


 どうでもいいけど他にバスを待っている人もいるのに高校生がなんちゅう会話をしているんだ、補導されたら元も子もねえぞ。

 だが……虎尾の好感度指数を見れば明らかに普段より高くなっているのが分かるし、本当に楽しみで仕方ないのだろう。

 確かに関東に住みじゃない学生からしたらコミクラなんて、ましてや売る側でなんてそうそう参加出来るものじゃないからな。

 虎尾からすればまさに念願なのだ、気を悪くさせるのは僕も本望ではない。

 まあ……その為には苦心惨憺しなければならないのだが。


       ◯


 諸君に非常に残念なお知らせがある。

 本来ならばここで虎尾のあられもない寝顔や僕の肩に頭を預けるなどと言ったハートフルな描写する予定であったのだが、ちゃっかりと虎尾は四列シートではなく三列独立シートを予約(しかも仕切りカーテン付き)していた為、どうやら僕の地獄の寝苦しさを実況するしか出来そうにない。

 無論せめてもの抵抗にこっそりカーテンの隙間から寝顔を覗いてみたのだが。

 そこにいたのはBL本片手に白目を剥きながら爆睡する虎尾の姿だったので、何というか、うん、そっとカーテンを閉めるしかないよね。


 そんなこんなで地元の駅前から夜行バスに揺られること約七時間半。

 無事バスタ新宿に到着した僕ら一行は、うーんと一伸びし、欠伸をする。


「いやー着きましたな雅継殿! 東京初上陸でありますぞ!」

「元気だなお前は……よくあんな劣悪環境で爆睡出来るもんだ」

「何を言っておられるのですか、ヤることをやってから目を瞑れば即落ちで御座いましょう? 雅継殿もてっきりヤっているかと思っていたのですが」

「やらねーし完全に公然猥褻だからそれ」


 ほんとこいついつか捕まるぞ……いやもういっそ捕まれ。


「はあ……で? この後の予定はどうなっているんだ?」

「お世話になるサークル殿は修羅場を超えて少しお休みしているのでお昼過ぎから打ち合わせ予定なのですが――雅継殿はあくまで売り子、それも裏方の作業ですから最悪当日に落ち合う形でも問題ないでしょうな」

「そうなると僕は今日一日暇を持て余すことになるのか……」

「午前中は時間がありますし、どうせでしたら今から秋葉に寄ってサイゼリアに興じるというのも一つの手ではありますが」

「サイゼに行くだけなら何処でもいい気がするが……まあ観光も兼ねて行くのもアリっちゃア――――っとすまん、急にウンコ行きたくなってきた」

「え、急にスカハラとか止めて頂けまぬか」

「せめてセクハラと言え、そしてセクハラではなく人間として当然の生理現象だから、アイドルはウンコする生き物だから」

「雅継殿、女の子の前で平然とウンコ発言は引かれますぞ」

「なんで口を開けば下ネタしか言わんお前にそれを言われなきゃならんのだ……いいからちょっと待っててくれ、すぐに戻るから」


 そう言うと僕は小走りで個室トイレへと駆け込む。

 ――そして、先程からずっと震えっぱなしのスマートフォンをポケットから取り出し、ようやくそれを左耳へと当てると――声を発する。


「もしもし……前条朱雀……か?」

「おはようまーくん、昨日はよく眠れたかしら?」

「え、ああ……まあちょっと寝不足気味かな」

「奇遇ね、私も昨日は心臓の鼓動が止まらなくて全く眠れなかったわ」

「止まったら死ぬからそれで大丈夫だと思うぞ」

「……ごめんなさい、本当はまーくんと一緒に東京まで行きたかったのだけれど、帰省のせいでまーくんを置いていくような真似をしてしまって……」

「いや、どうせ東京で会うんだし別に気にしてないよ」

「家に帰るまでが遠足なら家を出てからがデートなのだと、私はそう思うわ」

「対義語っぽいけど多分違うからなそれ」

「因みに今から東京に向かう予定なのかしら?」

「おう……そう……だな、お昼過ぎには……着くと思う」

「そう、お昼過ぎからなら私も時間が空いているから、どうせなら前哨戦として秋葉原でデートというのも、ナイスアイデアだと思うのだけれど」

「き……奇遇だな……僕もそう思ってた所だよ……」

「そう? 嬉しい、そしたらまた着いたら連絡を頂戴、じゃあねまーくん」

「ではまた……」


 そうやって通話を切ると、僕は深い、深い溜息をつく。


「一切二人にバレることなく虎尾のサークルを手伝いながら、前条朱雀とデートをする、本当にそんなことが可能なのか……?」


 はっきり言って正直に二人にバラした方がまだ楽な気がしないでもない、だがお互いの状況を汲み取ると安易に口に出来ないのもまた事実。

 大体二人は仲が良いのだ、仮にここを乗り切っても、後々バレてしまえばやり遂げたことは全て水の泡と化すなんて可能性も十三分にあり得る。

 そもそも既にバレている可能性だってない訳じゃないというのに――

 いや慌てるな、全ての状況を把握しつつ、最善の手を打ち続ける、今の僕に出来るのはこれしかないのだ、それ以外に打開する方法はない。


 虚構だろうが偽りだろうが、知らぬが仏、やるしかあるまい――



「その前に……まずはウンコをしないとな」

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