虎尾裕美はあなたがスキ? 3

「お帰りなさいませお兄様」


 その言葉に後ろを振り向くと、緋浮美(ひふみ)が立っていた。


「おう、お前ももう帰りなのか?」

「はい、今週は部活動は休止期間ですので」

「ああ、そういや中学校もテスト期間なのか」

「鞄、お持ち致しましょうか?」

「いいよ、全く、相変わらずお前はメイドみたいな奴だな」

「そうでしょうか? 特段変だと思ったことはありませんが……」

「まあお前は尋常じゃなく規律に厳しい学校に通ってるからな……」


 緋浮美は二つ下の妹であり、県下一優秀なお嬢様学校に通う中学三年生である。

 毛先を全て切り揃えたミディアムヘアに、落ち着きしか感じられないその眼つきは真っ黒な制服に非常にマッチしており、兄バカでも何でもなく我が一族最高傑作と言ってもいいぐらいの非の打ち所のない妹に仕上がっている。

 高感度指数は九十パーセント、高いと思うかもしれないが、両親が僕に対して示す好感度も大体これぐらいなので、この性格を考えれば妥当ではあろう。

 とは言っても異常なまでの人を立てる振る舞いは正直行き過ぎだとも思うが、母親が元令嬢であることや、通っている学校がほぼ全員緋浮美のようなキャラ立ちをしていることを考えればこういう性格になるのも仕方がない。

 ただ一つ悪い男に引っかからないか、お兄ちゃんはそれだけが心配である。

 薄い本だと大体お淑やかキャラはビッチ化しちゃうからな……。

 そんなことに気を揉みながら、僕は玄関扉を開ける。


「ただいま……っと、親父はいいとして……母さんは帰り遅いんだっけか」

「本日は午後九時ぐらいになると仰っていました、ですが作り置きはしてあるとのことでしたので、夕食の準備は私が致します」

「いやいや、今日は僕が当番だった筈だろ、緋浮美は休んでていいから」

「そんな……お兄様が料理をしているというのに私が休んでいていい理由なんてあり得ません! 私が致します、何でしたらもう一品お兄様の好物を――」

「お前を見ているとあいつらの灰汁の強さに胸焼けがしてくるよ……」

「?」


 まあ、そうは言っても緋浮美の異常なまでの世話焼き症も大概ではあるのだが……あいつらからはそんな文字すら浮かんでこないのは流石にどうかと思う。

 大体下ネタに対してツッコミしてる記憶しかないしな。

 人の事を言えた義理じゃないが、変人過ぎてあいつらの将来が心配になるわ。


「そういえば……逢花(あいか)はまだ帰ってないのか」

「逢花はまだ部活動の最中かと、大会も近いようですし」

「あーそうか、推薦で強豪狙ってるんだっけ、あいつ」

「既に二校から打診は来ているらしいです、ただ今回の全国大会で上位入賞したら志望の高校から推薦があるかもしれないので意気込んでいるみたいですね」

「お前とは似ても似つかない性格だが、あいつもよく頑張ってるな――僕じゃ目指せなかった次元に足を踏み入れようとしているんだから」

「そんな――お兄様だってあの事が無ければ今頃……」

「いや、僕のメンタルじゃあれが無くても結果は一緒だ、大体水泳も好きで始めたんじゃないしな、どの道僕には辞めるしかなかったんだよ」

「お兄様……」

「……ま、飯を食う前からしみったれた話をしてもしょうがない、飯は楽しく明るく食べるもんだ、さっさと着替えて一緒に作るとしようぜ」

「……! はい!」


 ああ全く。

 優秀な妹と比べて吐き気がするぐらい無能な兄で本当に嫌になる。

 妹に気を使わせてしまったら、それはもう兄として失格だというのに。


       ◯


「あ、そういえば八月中頃ぐらいから、五日ほど帰ってこないから」


 僕は緋浮美と準備した夕飯を口にしながらそう告げる。


「は――――お、お兄様……まさか富士の樹海に……!」

「何でだよ、そこ行っちゃったら五日じゃ済まないだろ」

「ですが……樹海以外に一体何処に行かれるご予定があるというのですか」

「ええ……確かに学校以外で外に出ること滅多にないけどさ……」

「お兄様が自害なされたら私……もう生きていけません……」

「僕が遠出するのはお前にとって死と直結なのですか、そうですか」

「私に何か至らぬ点があったのでしたら、改善致しますので、どうか私を置いて先立たないで下さい……お世話も今よりずっと頑張りますから……」

「その言い方だと僕が老い先短いジジイみたいだから止めてくれます?」


 過保護な妹というのは悪くないのだが、緋浮美はこのままだと将来ギター片手に夢だけ一丁前に語る駄目男をせっせと笑顔で世話しそうなので、不安しかない。

 まあこの性格は逢花の奴も注意はしているらしいが……何故かこんな風な性格になったのは僕がそう教育したからだというあらぬ疑惑かけられているので兄妹関係は意外に複雑というのが実情だったりする。

 完全に僕を性犯罪者予備軍と思ってやがるからなあいつは……確かに仮に捕まったら即刻マスコミの餌になりそうな趣味がないと言えば嘘になるけども……。


「因みに差し支えなければですが、どちらに行かれるのでしょうか?」

「ああ東京だよ、コミクラ――コミッククラシックっていうイベントがあるんだ」

「こみっく……? それはお兄様が本棚の裏に隠してあるいかがわしい本と何か関係があるのでしょうか?」

「おやおや、鋭い上に何で僕の同人誌の隠し場所を知ってるんですかね」


 親に見つかるならまだ納得出来なくもないが、何故よりにもよって妹に見つかってしまっているのだ僕よ……。

 いや、家の掃除も当番に分けてやっているのは事実だが、一応自分の部屋は自分で掃除するっていうルールだった筈なんだけどなー、あれれー?


「ふ、ふふふ……全く困った妹だぜ……」

「お兄様……? また私に至らぬ点が……」

「そうだな……至らぬ点だらけだが、まず第一にそれを知っていて何故達観した親レベルに平然としているのか教えて欲しい貰うとしようか……」

「そんなつもりはなかったのですが……殿方でしたらそれぐらい普通でしょうし……それに私のご友人がその……男性同士で愛を育む本を……持っていらしたので……」

「いとおかし」


 まさか腐の連鎖が我が一族にも及んでいようとはな……なんたる腐食率よ。

 つうかその言い方だと僕がそういう本を集めてる人になっちゃうからね? 学校で絶対そういうこと言っちゃ駄目だからね?

 お淑やかで真面目な性格な割に意外に許容範囲が広いというか……異様なまでに何でも受け入れてしまう所が緋浮美の恐ろしい所である。

 ほんとうにおにいちゃんはあなたのことがしんぱいでなりません。


「ま、まあ今回はそういう部分に携わる訳じゃないんだがな……実は知り合いがそのイベントに参加するんだが、ちょっと人手が足りてないみたいでな、裏方の手伝いって形で行かなきゃいけなくなったんだよ」

「そうだったのですか……あの……その、お知り合いというのは……?」

「ん? ああ同じ高校の奴だよ、コスプレ好きな奴でな、その関係で――」

「こすぷれ……失礼ですがそれは男の人なのですか?」

「え、いや女だけど」


「はぁ!? 女!?」


「えっ」

 突如緋浮美が今まで上げたことのない甲高い声を上げたので、僕はビックリして肉じゃがに進んでいた箸を止めてしまう。


「ひ、緋浮美……? 急にどうしたんだよ……」

「い、いいいい今、おおおお女と、そう仰ったのですか……?」

「そうだけど、なんか問題でもあったか……?」

「いえ、それはその…………そんな……お兄様に女性のお知り合いがいただなんて……お兄様に限ってそれはないと、有り得ないと思っていましたのに……一体何処の馬の骨が……私がちゃんとお兄様の面倒を見ていなかったから……ああお兄様……お兄様……お兄様……お兄様……お兄様……お兄様……お兄様……」

「あのー……緋浮美さん? おーい……」


 駄目だ、完全に自己暗示モードに入ってやがる。

 実は緋浮美は昔から突然独り言をブツブツと言い出す癖がある、まあこれに関しては今に始まったことではないのだが、こうなると中々戻ってこなくなる。

 高感度指数も激しく上下する為、呟いている内容に関してはあまり聞かないようにしているのだが……どうにも寒気が止まらないのは気の所為だろうか。

 暫く放置していればいつもの調子に戻るのだが、夕食の最中だしな……。


「……ん?」


 そうやって緋浮美をどう引き戻そうかと考えていると、さっきからポケットに入っていたスマホがやたらと震え続けていることに気付く。

 精々バイブ音がするとしたら虎尾からの今季のアニメ評論ぐらいでしか連絡は来ないのだが……やけにしつこく鳴り続いているな。


 そうやって少し不審さを覚えながらもポケットからスマホを取り出す。

 すると。

 見知らぬ番号からゆうに数十件はあろう量の着信履歴があるではないか。


「え……何これ……」


 基本見知らぬ着信は基本スルーなのだが、このコール量は明らかに尋常ではない。

 それこそ今取らなければ後々良からぬことが起きそうな、そんな威圧感。

 本音としては即刻着信拒否したかったが、鳴り止む気配のないバイブ音に恐れをなした僕は席を外すと、恐る恐る通話ボタンをタップし……スマホを耳に当てる。


「も、もしもし……」


「あら残念、次留守電になったら雅継くんの家に押しかけようと思ったのに」

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