三限目

虎尾裕美はあなたがスキ? 1

「お、百日天下殿、今日はお早いご出勤で」


 あの体育大会から約一ヶ月。

 僕は何をしているのかと言えば、相変わらず現代歴史文学研究会に入り浸り、黙々と漫画や小説を読み耽る毎日を送っていた。


「……三葉ちゃんいいよな、あの子の口噛み酒が飲めるなら死んでもいいわ」

「随分とまあ唐突な性癖暴露を……いやはやしかし、てっきり雅継殿的には四葉ちゃん推しかと思っていましたが」

「誰がロリコンやねん」

「――それにしても、体育大会以降本当に何も変わりませんな」

「……何も変わらないならそれが一番だろう、それに百日も天下を収めちゃいねえよ、三日天下がいい所だ」


 あれだけの策を弄して得た結果に、それこそ最初の数日はヒーローとして慣れない扱いを受けたものだったが、所詮は一過性の盛り上がり、一週間もすればその熱は冷め、皆何事もなかったかのように期末テストへと本腰を入れていく。

 まあ、僕自身クラスの中心にいるのを望んで始めたことではないので、体育大会以前の扱いと何も変わらなくなったのは寧ろ幸いではあるのだが。


「ですがその半端なクズキャラのお陰で若干愛想を尽かされた訳ですが」

「滅多なメタ発言をするのは止めなさい、そしてその責任は僕にはない」


 僕はただ自分の居場所を守ろうとしただけの話だ、それ以上も以下でもない。

 これから起ころうとしていた不幸を未然に防いで何が悪いというのか。


「そういえば、前条瑞玄殿とはあれから進展はあったのですか」

「いや……特に変化はないな、つっても僕に話し掛けることは一切無くなったし、好感度指数も圧倒的に低いままだが、言いふらす真似はしてないようだ」

「もしかしたら、彼女もまた思う所はあるのかもしれませぬな」

「蒸し返されさえしなければどうでもいいことだがな、どちらかと言えば阿古龍花、あの女の方が僕としては脅威過ぎるぐらい脅威だよ……」

「ふむ……雅継殿の話を聞く限りでは彼女、まともな皮を被ったまともな女ではないのは間違い無さそうですが……」

「お前御意見番の癖にあの女の本性を全く知らなかったのか? 生徒会長とも知り合いだっていうのに……」

「いや別に御意見番などと言った覚えは一度もありませぬが……ふーむ、ですがこの高校における彼女というのは実に真面目且つ模範的で、黒い噂は一つも訊いておりませんでしたからなあ……」

「確かにあいつ自体が問題を起こしている訳では全くないからな、自分から口にしなければ一切公にならないのは事実といえば事実だ……」

「國崎会長殿から阿古氏と知り合いという話も聞いておりませんでしたし」


 だからこそ何故僕に己の歪な性格を披露したのかが分からない、いや違う、披露することで僕に新たに何かさせようと期待しているのか――


「いずれにせよ厄介な女に捕まったもんだよ、そういう意味ではやっぱり安寧を手にしたとはいえないな、どころか前より酷くなった気さする」

「いっそ彼女の嫌いな風紀を乱す真似をすれば諦めてくれるのでは?」

「授業中に私語をする相手もいない僕には非常に難度の高い話だな」

「そうですな……例えば授業中に全裸になって机の上に登り、尻を叩くとか」

「失うものがあまりに多過ぎません?」


 体育大会で可憐にヒーローとなった男が突然全裸で尻叩き出したらキャラの振り幅が突き抜け過ぎてて学級崩壊するわ。


「まー追々阿古龍花への対策もしていかないとな……あれ、そういえば前条朱雀はどうしたんだ? というか最近部室で見かけない気がするが」

「あれ、聞いておられないですか?」

「? 何がだよ?」

「朱雀殿は現在期末テストに追い込みをかけているのですよ、何でも定期テストで9.5割以上の総合点を取らないとご両親に藤ヶ丘高校を退学させられてしまうみたいでして、ここ一週間は授業が終われば真っ先に下校しておりまする」

「ふうん……自他共に認める天才なのに授業だけ聞いていればいいって話でもないのか……それにしても随分と厳しい親御さんだな」

「恐らく雅継殿に会いたいが為に反対を押し切って転校したのではありまぬか? 朱雀殿は色々と雅継殿のことを知っているみたいですし」

「……だとしたら色々申し訳なくなってくるが、何でそこまで僕に拘るかね……」

「そこまでは私にも分かりませぬが……」


 買い被り過ぎというか、都合の良いように見過ぎと言うか――そうは言っても数少ない接点として前条朱雀は僕の水泳時代を知っているみたいだが……。

 だが、あそこにあったのは控えめに言っても地獄のみ、あの頃そこにいた僕が彼女に何かをしたとは到底思えないが――


「……ま、頑張っているのだとしたら、流石にちょっとは応援に行ってやらんと悪いな、あいつには今回の件で迷惑をかけてしまったし」


「――――ねえねえ、そんなことより雅継殿~」


「……何だ急に気持ち悪い声を出しやがって、僕が美人局に引っ掛かるほど女性経験が豊富な男に見えると思ったら大間違いだぞ」

「いや、普通美人局はモテない男をターゲットにして近寄る気がしますが」

「……用がないなら僕はそろそろ帰るからな」

「ああっ、え、えへへ冗談でございますよ……」

「何なんだこいつ……」


 明らかにいつもと様子が違う虎尾の態度にただただ不気味さを覚える。

 決して付き合いが長い訳ではないのでこいつがどういう性格なのかはっきり分からないが、珍しくこいつの好感度指数が安定していない所を見ると明らかに精神的動揺があるのに違い無さそうではある。


「じ、実は雅継殿に折り入ってお願い事がございまして……」

「金を貸して欲しい以外なら聞いてやらんこともないが」

「雅継殿より儲けのある私がそんなしょうもないことをお願いするとお思いで」

「あー! テスト勉強しないといけないし帰ろっかなー!」

「ああああ! 違うんですよぅ……今のもジョークですよ、ジョーク……」


 こんな挙動不審な虎尾の姿は見たことがないので正直見ていて面白いというか、何ならちょっと可愛いまであるので女の子という生物は恐ろしい。

 やっぱりヒロインというものは可愛いが必要最低条件だな……僕の周りにいる奴はどいつもこいつも変態を軸にした変人が多過ぎる。

 ……まああんまり意地悪に引き伸ばしても逆に何をされるか分かったものじゃないので、そろそろ話ぐらいは聞いてやるとしよう。


「それで、お願い事ってのは何なんだよ」

「えへへへ……ではまずこれを見て頂けますか……?」


 そう言うと虎尾は冊子を取り出し僕に見せてくる。


「ん……? これは……コミクラのカタログじゃないか」

「そうなのです! これが毎年夏と冬に行われる日本最大規模の同人即売会、コミッククラシックの第八十回目のカタログなので御座います!」

「言われなくともそれは分かってるが……まさかとは思うが自分が行けないからって僕に薄い本を買ってこいとか巫山戯たことを言ってるんじゃないだろうな」

「いくら何でもそれは捻くれ過ぎでございますよ……とは言っても行って欲しいというのは紛れも無い事実では御座いますが……」

「あのな……学生のご身分でそんな高額な旅行いける筈ねえだろ……お前は可能かもしれんが僕には不可能だ、悪いが一人で行ってくれ、骨は拾ってやる」

「確かにある意味で死地へと赴く兵士の気分ではありますが……いやいやそうではなくて――実は雅継殿にとっても悪く無い話があるのですよ……」

「悪く無い話だって……?」

「そうなんですよ……実は――――」


       ◯


「はあ……全くあの女は何を言っているんだ」


 部室を後にした僕は歩きながら思わずそうボヤいてしまう。

 いや決して悪い話ではないのだが、だからと言ってそれに対して負わなきゃいけない責務がいくら何でも重過ぎるだろ……。

 大体僕はただでさえ今回の体育大会で疲弊しきっている、出来ることなら夏休みは一歩も外に出ること無く駄目人間の極みでいたいのだ。


「そう、全てのしがらみから解放される夏休みを簡単に無駄にしてなるものか……ただでさえ期末テストで憂鬱だってのに」


 虎尾には悪いが僕は絶対に行かないからな、人混みに潰されるなど以ての外――



「やあやあ、そこにいるのは雅継殿かな?」

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