前条瑞玄はあなたがキライ 9
一発のピストル音が、グラウンドに鳴り響く。
僕はその中心で、息を切らしながら地面を凝視していた。
そして一息つくと、梅雨の時期とは思えない青空を見上げ、呟く。
「まあ……こんなものだな」
「いや最下位なんですけど」
「清々しいぐらいの最下位だったわね」
「最下位とか言うな、七位と言え」
「いやだからそれが世間一般では最下位と言うのですぞ」
「ラッキーセブンじゃないか、全くの無問題だろ」
「ええ……いくら何でもその理屈は無理があり過ぎませぬかね……」
「雅継くん、その並々ならぬこじつけ具合、私は好きよ」
「そうか、お前は褒めてるのか貶しているのかどっちだ」
そんな訳で。
僕は見事に障害物競走でドベを手にしていた。
「しかしあれですな、走力を問われるのは最初と最後の二十メートルだけですのに、ドジっ子ヒロインも卒倒するレベルの悲惨さでありましたな」
「何を言っているのかしら、麻袋の最初の一飛びでズッコケたり、網くぐりで引っ掛かって身動き取れなくなったり、飴食いで白粉を塗ったみたいになったり、キャタピラで尋常じゃない勢いでコースアウトしたりと、胸キュン要素があまりに多すぎて私はどうかしてしまいそうだったのだけれど」
「そのままどうかしていろ」
「しかもこの障害物競走は最後に借り物要素も加味されておりました故、もしやとは思っていたのですが――まさか本当に『友達』が出てきますとは」
「ああそうだな、お前らなら手を貸してくれるんじゃないかと一抹の期待でも持ってしまっていた僕が大馬鹿だったよ」
「ほら、私と雅継殿はビジネスフレンドみたいな所がありますし?」
「いくら僕でも大声上げて泣くぞ」
「私は雅継くんの恋人になりたいのよ、ここで友達として出て行ってしまったらそれは友達以上恋人未満を認めることになるわ、無理無理、超無理」
「それこそビジネスフレンドでいいと思うのは気のせいですかね」
要するに、どう足掻いても僕は上位に食い込むのは不可能だったのである。
こうなることを前条瑞玄が完全に予想していたかは定かではないが、僕に恥をかかせるという意味だけで言えば彼女の勝利と言わざるを得ないだろう。
……ふっ、まあ良い、無様の極みと言える状況になるのは分かりきっていたのだ、ここは素直に奴に拍手を送ってあげようではないか。
どうせ最後に勝利するのはこの僕なのだからな。
「して、現状はどうなっているのですかな?」
「僕が最下位になったことで一組との差は少し離れてしまったがそれは想定内だ、なんといっても次の男子スウェーデンリレーの最終走者には我がクラス自慢の陸上部がいるのだからな」
「乙顔(おとがお)氏でありますな、地方大会では二百メートルで優勝経験もある期待のエースでございまする、確かに彼なら一着をもぎ取ってくれるでしょう」
「本当ならそいつにも前条朱雀から交渉させたかったのだが……何とも腹の立つことに奴には恋人がいるというではないか」
「劇科の伊藤(いとう)氏ですな、何でも友人に連れられて見に行った陸上の県大会で一目惚れしたみたいで、今では誰もが知る熱々のカップルでございまする」
「お前のその御意見番並の情報はどっから入ってくるんだマジで」
下手すると僕の好感度を計る能力より有益な気がしてくるから恐ろしい。
というか、実際こいつのお陰でリスクを回避出来た部分もあるしな。
「何にしてもその伊藤とやらの為に乙顔は全身全霊を込めて走りぬくことだろう、一組もこれぞという程足の速い奴は揃っていないしな、願ったり叶ったりだ」
「ではこのまま行けば順調に僅差を保ったままになると?」
「ここからはより切迫させる為に一位二位の入れ替わりも頻繁にさせて行くがな、だが最高の舞台は着実に整っている、完全に僕の思い通りだ」
「ふふふ、有象無象の驚く顔が目に浮かぶわね」
「ふむ、では雅継殿、クラスの皆に白い目で見られに行きましょうか」
「あっ、急に体調悪くなってきたわー、ちょっと救護室行ってくるわー」
◯
それから乙顔は見事一着でゴールし、非リア充からそれはもう大層な皮肉を浴びたのだったが、相も変わらず呆気無いぐらいに競技は進行していった。
やはり僅差の入れ替わりが続く内容をおかしいと感じる者はいないのだろう、ましてやたかだか高校生の体育大会如きで試合が操作されているなどと、疑ってしまうような奴は阿古龍花を除いてまずいまい。
事実こうして何の疑われもなく、競技は最終局面と入ったのだから。
『只今より、最終プログラム、競泳を開始します、出場する生徒は更衣室で水着に着替え、プールサイドにお集まり下さい』
そのアナウンスと共にぞろぞろと生徒がプールの方へと集まっていく、大画面モニターでもあればその場から動くこと無く確認出来るだろうが、所詮公立高校なのでそこはご愛嬌というもの。
あっという間にプールの周囲は生徒で埋め尽くされ、教師によって慌てて規制線が敷かれ、まるでボクシングの試合会場の様相となる。
「こりゃ凄いな、まるで一大イベントみたいになってるじゃねえか」
「陸上競技みたいにすぐに結果が見えないし、仕方ないんじゃないかしら」
「前条朱雀――――って」
いつの間にか僕の横に立っていた彼女に目をやると、何ということでしょう、そこにはスクール水着モードの悩殺ボディ前条朱雀がいるではありませんか。
「どうかしら、本当は夕焼けに染まる放課後の教室で雅継くんだけに見せたかったのだけれど……流石に勃起しちゃいそう?」
「馬鹿言うな――と言いたい所だが、流石に平静を保つのは難しそうだな」
「ふふっ――良かった、嬉しい」
例えるなら艦隊ゲームに出てくる潜水艦娘の水着をビッグセブンに着せたような感じと言ったら分かりやすいだろうか、それぐらいの前衛的な姿に僕のみならず、少なくとも男子生徒は完全に釘付けになっているに違いない。
このままでは競泳に参加する男共は無駄な抵抗を背負ってタイムが落ちてしまい兼ねない、これには流石ス◯ード社もお手上げである。
「さて、リレーが終わったらいよいよ僕達の出番か――なあ、前条朱雀」
「? 何かしら改まって」
「こんな私利私欲の為にお前の利用するような真似をして、悪かったな」
「……何を言っているのかしら、私はただ、あのままにしておいたら雅継くんが不幸になるのは目に見えている、それはあまりに耐えられないから当然のことをしたまでの話よ、姉さんにお灸を据える意味でも、寧ろ私が感謝したいぐらい」
「いや……でもお前は僕のことが……す……好きだっていうのに、他の生徒の気を引かせるような真似をさせてしまった、それはお世辞にも良い事とは――」
「言ったでしょ、私は、私の意図に反していても、無自覚に人を引き寄せてしまう人間なの、だからそれを自発的に行った所で何も大差はないわ」
「それは……少し違う気もしなくもないが」
「いいえ、全く同じことよ。だから私にとって歪みが生じてはいけないのは雅継くんへの気持ちだけ、それさえ理解していれば何一つとして問題はない」
「何一つ――」
「そう、何一つ、だから雅継くんは安心して計画を遂行させて頂戴」
「……そう言われると、少し救われた気がしないでもないな」
「これで雅継くんを救えたなら、私冥利に尽きるわね」
……ああ。
本当に、全く、救われたと思わないとやってられない。
「終わったらちゃんと、塩素の染みこんだ私のスク水嗅がせて上げるから」
「最後ので全部台無しだ畜生め」
◯
声援と歓声が交錯する中、一人の少女がプールへと身体を沈める。
「…………」
決して彼女以外の生徒を馬鹿にしているつもりはないが、しかし控えめに言ってもその存在感は歴然としたものがあり、最早コースに並んだだけで勝負がきまってしまったかのような、それ程までの差が生まれてしまっていた。
「わあ……凄い、誰あの子――」
「ほら確か三組の前条さんの――」
「あの子が――――」
「格好いい――」
「高校生であれって、規格外だろ」
「まさに美人を具現化したって感じだな」
「噂になると前の学校じゃ競泳で全国経験があるとか――」
「嘘だろ? それならリレーも出場すれば良かったのに」
「でもこれで一位なら、三組の優勝は確定なんだろ?」
「え? あ、そっか一組はさっきのリレーで四位だっけか」
「まあでもあんな美女に決められるなら諦めもつくよね」
「あー折角均衡したいい勝負だったのに、これで決まりかー」
「前条さん頑張ってー!」
そんな風にして前条朱雀を評する言葉が行き交っていると、教師が頃合いを見計らったのか、右手を上に高く上げる。
そして。
「位置について、よーい…………」
スターターピストルの音がけたたましく、鳴り響いた。
「……ごめん――――前条朱雀」
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