二限目

前条瑞玄はあなたがキライ 1

「私はお前がキライだ」


 彼女は一点の曇りもない目で、はっきりとそう言った。

 その言葉は口にするまでもなく予想していたことであり、寧ろようやくその言葉を僕に放ったかと、安堵すら覚えるぐらいであった。

 好感度指数はマイナス七十パーセント、このままいけば彼女に思いっきりビンタされてもおかしくはない。

 まあそれは僕にとってはご褒美になるので好都合なのだが、しかしこうもはっきりと言われると流石に心が揺らがない訳にもいかない。

 そりゃ、揺らがないのなら今頃僕はもっと真っ当な人生を送っているに違いないからな、こんな世界からあぶれる生き方をせざるを得ないのは、要するに心が弱く、偏屈であることの何よりの証明なのだから。


 故に僕はまず、乱れる呼吸を落ち着かせることから、始めることにした。


      ◯


「体育大会?」


 虎尾が発したその言葉を、僕はそのまま聞き返してしまう。


「そうですが? それがどうかいたしましたか雅継殿?」

「いや、体育大会は十月だろ、まだ五月にもなっていないのに随分と気が早いもんだな、あんなイベントにウッキウキになれる要素なんてないだろ」

「うむ、確かにブルマ着用を義務付けている学校はありませぬからな」

「そうなんだよな……って、そういう話をしてんじゃねえんだよ」

「雅継くんの希望なら明日の体育から履いてきて上げてもいいけれど」

「嬉しいが僕の性癖をどんどん公にしていくスタイルはやめろ」


 というか端から見たら確実に僕が前条朱雀を脅して履かせてるという感じにしかならないから、異常性癖の犯罪者にしか見えなくなるから。


「そうじゃなくて……何でこんな時期に体育大会の話をするんだよってことだよ」

「おやおや……基本エロい妄想しかしてない私でも先生の話ぐらいはちゃんと聞いているというのに……一体雅継殿はナニをしているんですかねえ」

「何言ってるの、私を視姦しながらオナニーに決まってるじゃない」

「お前の自意識過剰もそこまで来ると手に負えんな」


 そしてはっきりと言うなはっきりと。

 いや、そういう意味じゃなくて、本当にやってないからね?

 虎尾と会話するだけでも大概労力を要するというのに、前条朱雀の出現によって最近その労力が二倍になってるんですけど、何なのこの部活、セクハラ横行し過ぎなんですけど。

 そんな僕の気持ちを他所に前条朱雀は漫画を一ページめくると、こう言った。


「単純に今年の体育大会が六月開催になった、それだけの話よ、私からすれば雅継君の汗塗れ体操服を嗅げること以外になんの価値もないイベントね」

「おい、僕の卑猥発言を平気で上回るようなことを言うな」


 そうか、今年から六月開催だったのか、確かに最近は時期を早める学校も増えてきていると聞いていたが、まさかその波が我が校にも来るとは。


「ま、いずれにしても僕にはあまり関係のない話だな、あんなものは所詮体育会系が自慢の脚力と力量を自慢するだけの披露宴でしかない、僕のような文化系一族にはこれ以上ない恥さらしの場だ」

「いやはや随分と他人事ですなあ、最低でも一つは競技に参加しなければならないのですから、雅継殿も傍観していることは出来ない筈ですが」

「必須参加の団体競技だけ出ていれば無問題だろ、綱引きと、後は騎馬戦か」

「後はクラス別対抗の応援ダンスもありますな、まあこれに関しては毎年劇科のクオリティの高いダンスが注目されるだけで、私達はおまけみたいなものですが」

「劇科? 何かしらそれ」

「歌唱演劇科の略称だよ、普通の公立高校じゃ珍しい学科だし、転校生のお前が知らないのも仕方のない話だが」

「地域柄もあって特殊ではありますが、未来のスター候補を見に遠方から足を運ぶ方も多いのですぞ、文化祭の演劇も体育館が埋まる程の人気を博しておりまする」

「ふうん、自由な校風といい、随分面白味のある学校なのね」

「それが目当てでこの学校を選ぶ生徒も多いですからなあ、勉学に励まなければ入れない学校ではある分、魅力に溢れているのは藤ヶ丘高校の長所ではあります」


 まあ運だけで入学出来た僕のような奴には毎日が地獄だけどな。


「因みにそんな自由な校風にちなんで、今年の体育大会から新たに四種目競技が追加されたようですぞ」

「何だそれは、教師よりも高い権力を持ち合わせた生徒会の仕業か」

「提案したのは生徒会ですのでその言い方は間違ってはおりませぬが……、ちゃんと教師陣の了承も得て、生徒へのアンケートも行った上で正式にきまったものですから、横暴と言うわけではありませぬぞ?」

 ああ、言われてみるとそういえば、一年の終わり頃にそんな用紙を配られていたような……適当に可の方に丸をして提出していた気がするが。

「で、その新たに加わった種目は何なんだよ」


「障害物競走、パン食い競走、百メートル自由形、五十×四メドレーリレーですな」


「…………ん? 後半二つって、水泳競技じゃないのか?」

「そうでありますが?」

「前半二つは分からないでもないが、体育祭に水泳競技を加えるのかよ……随分と大胆なことをおっ始めたもんだな」

「まあ跳躍競技、投擲競技といったものも候補にありましたがスペース的にも時間的にも現実的では無いので認められませんでしたからなあ、球技に関しては別で球技大会がありますし、結果的にそうなったとしか言えませぬな」

「どうでもいいけど随分とお前学校の行事に詳しいな、学校のことなんざ僕よりも興味が無い奴だと思っていたが」

「失礼な、三度の飯よりBLが好きな私ではありますが学校のスケジュールぐらいちゃんと把握しておりますよ――というのは建前で、実は生徒会に友がおりましてな、何かとそういう話を聞いたりするのですよ」

「へえ、意外に交友関係が広いんだな」

「そりゃオンリーロンリーグローリーな雅継殿とは違いますから」

「馬鹿言うな、僕は望まずしてぼっちになってる訳じゃねえんだよ、いいか、人間っていう生き物はな――」

「あ、そういう受け入りはいいんで、この部室にいる時点で説得力ないんで」

「ぐぬぬ」

「大丈夫よ雅継君、辛くなったら私のおっぱい揉んでいいから」

「凄いぜ、弱みに漬け込まれるってこういうことなんだな」


 いや別に悲しくなんてなってないけどな、前条朱雀の愛に絆されてちょっと本当に好きになりそうにとかなってないけどな、いやおっぱいは揉みたいけど。


「にしても、三大イベントの一つがいつの間にか目の前まで迫っていたとはな――うん? そういえば前条朱雀は水泳競技での参加は検討していないのか、お前以前は水泳部所属だったんだろ?」

「打診されればするかもしれないけれど、自分から参加しようという意思は全くないわね、別にチームに貢献してやろうとか、目立ってやろうとか、そういう気持ちはまるでないし、寧ろ可能なら参加したくはないわ」

「クラスメイトにそういう話はしていないのか?」

「自分の経歴を自慢気に話したって余計に囃し立てられるだけでしょ、そういうのってあまり好きではないから、だからこの部室にいる方が教室にいるよりずっと気楽だし――何より雅継君と会話出来るから」

「お、おう……それはどうも……」

「教室じゃ殆ど気配を消しているような態度で、虎尾さんとさえまるで会話しようとしないし、近寄りたくても近寄れないから、私はここの方が好き」

「そうか、僕は――――」

「? 何か言ったかしら?」

「いや、何でも――やっぱり水泳部に入るつもりはないんだな」

「そうね、別に今は水泳をしたい気分でもないし」

「ふうん……」


 ……こんなこと、真面目に言った所で何の意味もない、いやそんな台詞、口にするだけで僕という人間のみっともなさが露呈するだけだ。

 一体彼女が僕の何処を好きになったのかは知らないが、精々わずかに垣間見えた僕の見栄が、偶発的に、奇跡的に異様なまでに輝いて彼女に映ってしまって、それが彼女を突き動かしてしまっているのだろう。

 ならばせめて、僕はその灯火を吹き消さないよう努力ぐらいしてやらなければ、彼女に失礼というものである。


「まあ、水泳競技には参加しないにしても、徒競走ぐらいは参加するかもしれないけどね、足の速さは体力測定で露呈しちゃっているから」

「因みに私はケツから数えた方が早いレベルの遅さですので、玉入れと玉転がしにエントリーするつもりでありますぞ」

「ケツにタマだなんて……なら私は雅継君のアナ掘りでもしようかしら」

「こらこら朱雀殿、それを掘るのは入道山君の役目ですぞ」

「あらやだ私ったら」

「急転直下で下ネタに持っていくの辞めて貰えます?」


       ◯


「なん……だと……」


 僕は黒板に書かれたその名前に、愕然とした。

 いや、一つはまだ分からないでもない、百メートル自由形に前条朱雀、彼女の有名具合が彼女自身が思っている以上に知れ渡っていたとするならば、有無を言わさず彼女を推薦するのは致し方なしとも言える。

 だが、もう一つはどう考えてもおかしい。

 特にこれといった結果を残していない筈の人間が、体育の授業でも去年の体育大会でも、これ以上ないぐらい地味な結果を残してきた筈の僕が。


 何故、障害物競走と、百メートル自由形にエントリーされているというのか。


 だが、その異変に気付くのに然程時間はかからなかった。

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