前条朱雀はあなたがスキ 3
いやはや人間というのは不思議なもので、突然の恐怖に晒された時、全く身動きが取れない生き物である。
いや、ただ後ろから女子生徒に声をかけられただけでこんなことを言うのは失礼だが、僕の場合においてそれは通用しないのだから困った話だ。
しかしこうして前を向いたまま会話をしては完全に頭のおかしい奴でしかないので、僕は覚悟を決めるとゆっくりと正面から後ろへと振り返る。
……うん、分かってたけどね、前条朱雀じゃない理由がないものね。
つうかお花摘みが終わった虎尾が反対側から逃げていったのを僕は見逃さなかったからな、後で覚えとけよ。
「? どうかしました?」
「え、い、いや何も……」
ただでさえ他人と話すのにも緊張を覚えてしまうというのに、前条朱雀を前にするとその緊張が何倍にも膨れ上がってしまい、まともに声が出てこない。
当然ながら彼女の好感度指数は安定してオーバーヒートしたまま――というよりそれがデフォルトと言わんばかりに真っ赤っ赤であり、逃げ出そうものならパイルドライバーでもかまされるんじゃないかという気さえしてくる。
「そ、それで、何か僕に用でも……」
「ああいえその……実は教室が何処なのか分からなくなってしまって、ええと……確か同じクラスの方だと思ったのだけれど……」
ほほう、まずは軽いジャブで小手調べと言った所か。
どうやらあくまで僕という存在は一度も会ったことがないという体で進めていこうって魂胆か、まあ確かに僕も何一つとして前条瑞玄を知らんのだが。
「……教室は本棟二階の突き当りだよ、二年一組、それは流石に分かるだろ?」
あえて、という言い方も少し変だが愛想のない、お前は美人だからきっとクラス全員から脚光を浴びているかもしれないが、僕は全然興味なんかないんだからねっ! 的な態度で返事をする。
これで一パーセントでも好感度が落ちればと淡い期待を抱いたのだが――
「そう、ありがとう、親切なのね」
「…………お、おう?」
全然大したこと言ってないのに寧ろ若干好感度が上がっているんですけど。
あっれー? もしかしてこの子マゾだったのかなー?
この程度で振れ幅に影響が出るとなると落とした消しゴムを拾ってやった日には、吊り天井されながら愛を告白されそうな勢いである。
もし彼女の好感度が高いことを知らなかったらきっと今頃舞い上がって会話に花を咲かる所だったが、今は花より団子という気分ですらない。
だがそんな僕の思いもよそに彼女は話に花を満開にさせようとする。
「実は中学高校と私立の女子校だったから、共学の公立高校というのは少し新鮮味を覚えるのだけれど、こうして見ると案外普通なものなね」
「? そりゃまあ……ビーバップみたいな時代じゃないしな」
「てっきりお尻叩きながら白目剥いてダブルピースをするのが普通かと」
「偏見にも程があるわ」
「そう? 前の学校では下ネタ言いながら屁をこくぐらいは普通だったのだけれど」
「下品というか、女を捨ててるだろそれ」
「そういえば暑いからって半裸で授業を受けている子もいたわね」
「水龍敬ワールドかよ」
異性がいないと色んな面でルーズになると聞いたことはあるが、まさかここまで酷いとは、百合の園に憧れを抱く男子諸君は幻滅極まりないだろう。
まあ身近に虎尾とかいう欲塗れで人生を謳歌している奴がいたが、あいつでも流石にそこまでおっ広げにはしないと思う、多分。
「そういうことだから瑞玄のことも含めて色々クラスメイトにも囲まれて――疲れてしまったから校内を散策していたのだけれど、迷ってしまってたの」
「話の転換の強引さが凄まじいが、なるほどな……つうかやっぱり前条瑞玄はお前と双子の姉妹だったのか」
「そうね、小学校までは一緒だったのだけれど、それ以降はお互い別の学校で、ただ私は一時期寮に入っていたからあまり姉妹っていう感覚はないのだけれど」
「ふうん、それが何でまたお前はこの学校に――――」
と言ってしまったところで、どれだけ自分が呑気に前条朱雀の闇に触れようとしていたのかを理解し慌てて口を噤む。
しまった……虎尾並に自然味溢れるボケをかましてくるせいでついうっかり話を弾ませてしまった……彼女の好感指数は異様に高いというのになんたる失態……。
はっきり言って完全に顔が青ざめていた気がするが、それでも恐る恐る、恐怖を押し殺して前条朱雀を覗いてみると――
「よくある親の都合という奴よ、別に未練はないから構わないのだけれど」
と、意外にもあっさりした返答をするのであった。
無論現在進行形で好感度指数が百二十パーセントのままなのに変わりないが、正直更に赤さが増してついに襲われるのだと思っていただけに、かなり肩透かしを受けてしまった感じは否めない。
それどころか。
「あら、そろそろ次の授業が始まってしまうわね、教室の場所、教えてくれてありがとう雅継君、それじゃあまた」
と、言ってそそくさと戻っていってしまうのであった。
「…………? 何なんだあいつは」
◯
「ふー、全く、雅継殿よ、あれだけ鈍感主人公は受けないと私がシゲキックスを食べた後の口並に言ってきましたというのに」
「素直に口酸っぱく言ってきたと言え」
それから放課後、まっすぐ家帰るのを億劫に感じた僕は、またしても現代歴史文学研究会で虎尾と今日の出来事について話をしていた。
「いやー何故気づかないのですかな、私からすれば彼女は雅継殿との会話中にもうありとあらゆる所が濡れ濡れになっていたとしか思えませぬが」
「そうか、何いってんだこいつ。つーかお前あの時逃げただろ、幸い何の被害も無かったとはいえ、他に生徒もいなかったし大ピンチだったんだからな」
「何を言っておられるのやら……私は次の授業に遅れるなどという学生としてあるまじき人間像になりたくない一心で廊下を走り抜けただけの話ですぞ」
「廊下を走ってる時点で学生としてあるまじき人間像なんですけど」
そして授業中に催眠オナニーしてる奴にだけは言われたくない。
「つうか何が鈍感だよ、実際何も無かったんだし、会話も取り立てて不審な点はなかった、何より好感度指数に際立った変化も無かったんだぞ?」
「いやはや……ここまで来るとお主の愚鈍の悪さに頭痛が痛くなりますな」
「日本語がパニックだなおい」
「そもそも何故別れ際に雅継殿の名前を口にしたのか、その時点でおかしいと思わぬことが私としては既に疑問なのですよ」
「名前――そういえば……で、でもよ、別に名前を知る方法なんていくらでもあるだろ、名札を見て気付いたとか、授業で当てられた際に分かったとか」
「それなら苗字でありましょう普通は、しかも雅継殿のようなクラスで基本空気よりも薄い存在であるお主を苗字で呼ぶことですら異常だというのに、よもや名前で呼ぶなど最早異常を通り越して怪奇現象でありますぞ」
「とりあえず僕を産んだ両親に謝罪して貰おうか」
これだけごく自然に人を煽り、口調もちょっとおかしい奴が意外に快適な学生生活を送っていて、何故僕のようなごく自然に慎ましく生活をしている生徒が壁際に追いやられる事態にならねばならんのか。
理不尽、あまりにも理不尽である。
「とりあえず雅継殿はその意識高い系みたいな顔から辞めるべきですな」
「ほうそれはウザいこと極まりない顔だな、親に謝れ」
「なんにせよ朱雀殿はあくまで様子見という形で今回は身を引いたに他なりませぬ、何故ならクラスの人気者になること確定の転校生が見窄らしい無味無臭の男に声を掛ける、最初から歯車は狂っているのですから」
「少女漫画じゃ王道展開であることに違いないけどな」
「なのにラノベだとディスられる、何とも摩訶不思議ですな」
「冴えない男がハーレム形成って矛盾が凄いからな、少女漫画は基本両者ともぐうの音も出ない美男美女で統一されてるし」
「では何故百合ヲタは腐女子を嫌悪し、腐女子は百合ヲタを嫌悪するのですか」
「……男女に友情は存在するか並の愚問だよそれは」
「つまりこれからの正義の話をしようと言う訳ですな」
「話の飛躍が凄まじいな」
ていうか何の話してんだよこれ。
閑話休題。
「ああ、そう言えば私もあれから朱雀殿について色々と調べましたのですが、やはりあの美貌の持ち主、在学していた女子校でも人気が高く、しかも水泳部に所属しておりましてかなり良い成績を納めていたようですぞ」
「へえ、そういえばこの学校も意外にスポーツ系の部活は強いんだっけか、あいつは親の都合と言っていたが、もしかしたら電撃移籍的な感じなのかもしれんな」
「雅継殿の存在を排除すれば勿論それも考えられたのですが……実は彼女転校する前から水泳部を休みがちだったという話もあるようでして」
「今の水泳部ではこれ以上の成長は見込めないからやる気を失う、だからこの学校に来た、なんて話があっても別におかしくはないんじゃないか」
「はっ……フリーでもそんな話があった気がしますぞ」
「だがお前の腐女子トークに付き合う気はない」
「そんなー」
「どの道あの休み時間以降特に彼女から話しかけられることもなかったし、僕としてはこの半端な能力が故障していただけとしか思えんのだがな」
「まあ異能というのは万能ではないかもしれませぬが……」
「授業が終わったらいつの間にか姿を消していたしな、やっぱりバグなんだよ」
恐らく名前もたまたまどこかで見つけたんだろう、そう考えるのが妥当だ。
「ううーん……仮にそうだとしたら私としては肩透かしな感じがして面白味に欠けるのですが――でも正直雅継殿も想像しちゃったでしょ? 朱雀殿のエロエロボディに装備された競泳水着を」
「何を急に言い出すかと思えば……ただでさえ異様な雰囲気を漂わせる彼女に畏怖を抱いてた僕がそんな下賤な妄想をする筈がないだろ……」
「そう言いながら少し口角が上がっているのは気のせいですかね?」
「いやいやそんな妄想一切してないから、わがままボディを極限まで圧着させている競泳水着姿なんか微塵も妄想してないから」
「今時ムッツリスケベなどラッキースケベより流行っておりませぬぞ雅継殿~」
「おいおいやめろ――」
「失礼するわ」
「――ってい」
瞬間にして、部室内が氷結する。
「あ……朱雀……殿……?」
「ここが現代歴史文学研究会ね、ふうん、まるでネットカフェみたいだわ」
「は、さようで……」
当人の下世話な話をしていたせいもあってか、突然の来訪に虎尾の顔は完全に硬直し、最早AIロボット以下の会話力しか保てていない。
因みに当の僕はブルースクリーン。
とは言ってもさっき会話は聞かれてはいないだろうし、何とか適当に応対すればやり過ごせるのではないか、そう思っていたのだが――
次の一言で僕達二人は完全にショートを起こすこととなる。
「決めた、私入部するわ」
「…………え?」
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