魚を食べて死ぬ男
春野くもつ
本編
生魚を食べ過ぎたのがいけなかったのかと俺は思う、俺は思い出している、俺が巡り魚を食した全ての水の流れが脳裏に去来する。峨々たる峰の隙間を縫うように流れる高低差の激しい急流で、滝に手を伸ばした時に手首の骨を折りながら偶然捕まえた大岩魚のことを、またその下の伏流水、地中の鍾乳洞の中にしか存在できない、両目の退化した消化器官までもが透明な魚を捕まえあぐねていた時に、静かに現れた盲いた老人が感覚を研ぎ澄ましてその魚を何匹も捕まえていたこと。老人は視覚を除いたすべての感覚を用いて魚を捕らえようとしていた、例えば人差し指を付けただけで洞窟を流れる水の方向と傾斜、温度を把握することが出来たし、魚の泳いだ時に生じる波紋を通して魚の大まかな位置をインプットしていた、あの老人を尊敬して俺は漁師と呼んだ。魚を捕る人だから漁師だ。俺は老人のなまりの強い言葉を思い出す。
「良いか、魚は湖で演奏するのだ」
だから魚の名は現地語で「音楽」というのだ、と彼は言った。
老人は幾つかの歌を唄って見せた。それは洞窟に追いやられた悲しい盲目の一族の歌だった。それらは鍾乳洞のいちばん大きな鍾乳管から一滴が滴るまでの間隔で歌い終わるようになっており、昔は歌の上手さを競い合ったというが、老人が一族の最後の一人なのだった。普段はホライモリを食しているが、客人が来たので「音楽」を取ったのだ、と老人は言った。その割には彼は一人で「音楽」を食べきってしまったのだが。
その老人は数日後に足を滑らせて川に溺れ、鍾乳洞の太古の水を湛える湖で溺死し、死体は自然と魚の餌となった。生前に教えてもらったのだが、餌となる食物が全くといっていいほどない鍾乳洞の最深部近くに「音楽」が今まで生き永らえていたのは、何千年もの昔からその盲いた人間の一族が生き延びる為に、その鍾乳洞の比較的浅い部分に住む一族に友好的な蝙蝠の糞を集めて湖に撒いていたからだという。老人は蝙蝠と交信できるほど高周波数の音を感じ取り、そして発信することが出来ていたらしいが(それを俺が感知することはついになかった)、俺の侵入により蝙蝠が老人に裏切られたと勘違いして攻撃し、それをよけようとして足を滑らせたということだった、いうことだったのかもしれない、俺はそう推理している。
つまり俺が間接的には死に関わっていて、それでも俺は老人を釣り針にひっかけて老人の指を餌にして「音楽」を釣って頭からそれを食したのだが、それがまずかったのだろうか。「音楽」は非常に美味だった。今まで食べてきたどの魚よりも旨く、食べると身体が踊りだしそうになるくらいだから「音楽」と名づけられた説もありそうだなと思う。しかし、やはり蝙蝠の糞ばかり食べている魚だったからか、それとも今まで生魚ばかり食べていたのが祟ったのか、俺は横川吸虫と肝吸虫と肺吸虫と顎口虫と、それに加えておそらく「音楽」だけに寄生する虫を一斉にその身に宿すことになった。これは老人の呪いなのか。老人はこれを知っていたのだろうか。いや生魚を食べまくった呪いなのかもしれない。洞窟で寄生虫に身体を蝕まれながら俺は考えている。時々、天井を這うようにして蝙蝠がやってくるが、俺の血を一切吸おうとしない、きっと俺が寄生虫にやられているのを知っているんだろう、俺の血は既に汚れきっているから、そういえば今までも数多の生魚を食べてきたが寄生虫に罹らなかったこと(あるいは罹っても症状があらわれなかったこと)自体が奇跡と言えたのかもしれない。
肺にいくつもの穴が開く。気胸の症状が出る、呼吸するたびに激しく肺が痛む。顎口虫に至っては俺の全ての臓器を食い尽くすつもりらしい、眼球の裏、つまり眼窩の辺りでひたすら痒くて眼球を穿り返したい衝動に駆られる、もう右目は何も見えない、だってほじくってしまったから、左目も光を感じるだけだ、半分は虫に覆われてしまっている、口を開けると糸蚯蚓のような寄生虫が溢れ出てきそうになる、脳が虫に侵されていないことが唯一の救いで、こうやって思考を保っていられる。カタルの症状も出始めている。嗅覚は失われた。もう俺は間違いなくここで死を迎える訳だが、こうして全身を寄生虫に蝕まれ、視覚を失い、臓器を侵され、そこで俺に残されているあらゆる感覚が鋭くなっていくことに気付いた。眼が見えなくともいつ蝙蝠がこちらにいるかが分かった。「音楽」が跳ねる音で大きさと太さが分かった。異音を感じた。そして、何より、確かに聞こえる、心地よい水の音が聴こえるのだ、あのいちばん大きな鍾乳管から、俺が死と隣り合わせの同居生活を続けていても発狂せず安らかに横たわっているのはこの水の音のおかげといってもよかった、鍾乳管と石柱を伝う水が地面に滴り、そして固い地面を穿つ音は悠久の歴史を想起させた、脳裏にはこの鍾乳洞の始まりとそして終わりさえ駆け巡っている、そして寄生虫は俺の体内を巡る、巡る、全ての器官を食い荒らす、心臓と脳と耳が残される、水の滴る音、たん、た、たん、だんだんその音の感覚は長くなる、しかし時間の感覚というものが既に俺の身体からぬけ去っていた、次の音までは幾年も掛かっていたのかもしれない、たん、から次のたん、までに千年を要したかもしれない、誰も観測していないから分からない、観測している者が確認できないから分からない、もしかすると「音楽」は俺をじぃっと見ているのかもしれない。水の流れる音、さあ、さあ、さあ、リズムを刻んでいる、これが俺の中に時間を刻もうとする、しかし水は気まぐれで二度と同じようには流れない、さあの次はささ、ささあだったり、さあ、ざざ、さあだったりするから。だから俺には時が流れない。心臓の鼓動は寄生虫によって阻まれ、奇怪な異音としての形でしか俺までは届かない。俺は異音を取り除くことは出来ない。だから。俺は流転しない。俺は流転できない。だからたぶん死んでいる。
そして俺は思うのか? まだ脳は残っているか、それはどうしたって確かめられない、生魚を食べ過ぎたのがいけなかったのかと思う、俺は生きているか、それはどうしたって確かめられない、心臓が刻む時間、これも確かめられない、たん、たん、音がしている、俺は聴いている、少なくとも老人の数えた時間はきっとこれだったろう、気付く、時間が流れないので数えて流そうとする、するとリズムが生まれる、俺は数えようとする、俺は流そうとする、流れに身を任そうとする、たん、という音がして、俺は数える、これが、1だ。
俺の声帯は既に寄生虫に食い荒らされているが、しかしそれでも声に出したつもりで数える。1、2、3、4、5、リズムがある、俺はこのまま身を任せる、俺は流れる。流転できる。たん。たん。たたたん。ぴちゃ。俺はそうして時の流れを思い出す、数字ではない時の流れ。俺は次のたんを待つ。俺はたぶん死んでいる、次のたん、を数える日を待つ。
魚の跳ねる音。
魚を食べて死ぬ男 春野くもつ @haruno_kumotsu
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