第3話 奔放なる享楽者(2)
――
「「乾杯!」」
夫婦と思しき大人の男女が、上機嫌にグラスを打ち鳴らす。
そのまま男性はビールを飲み干し、女性はカクテルを一口飲んだ。
テーブルの脇に控えていた女性店員は、そのタイミングを見計らってメニューを開き、二人の客に話しかける。
「メインのご注文はいかがされますか?」
「おっと、どうしようかなあ」
「本日は、鮮度の高い16年物なども入荷がございますよ」
「うーん……じゃあ、それで! ボーナスも入ったし、今日は奮発だ!」
「ちょっと」
「いいだろ? 今日くらいさ」
「仕方ないわね」
男性が意気込んで注文すると、女性も苦笑してそれを許した。たまの贅沢だ。
「かしこまりました」
女性店員は一礼し、厨房へ下がる。
ややあって、本日のメイン食材が皿に盛られて運ばれてきた。
それを見て、二人の客は目を輝かせる。
「おおっ、なんてサシの入り方! やっぱこれだよ」
「ほんと、綺麗な縞模様ね」
早速とばかり、男性が箸で皿から一枚目を持ち上げる。
実に見事な縞模様の……白と水色のトラディショナル・シマパンを。
「では、ごゆっくり」
「よーし、食べよう食べよう」
男性がシマパンを目の前の湯にくぐらせる。女性もそれに続いた。
白湯である。素材本来の味があるため、ダシはあまり使われない。
二人は器用に一口で、シマパンを食べた。
「「~~~~~~~~~~~っ!!」」
美味!!
薄い布地のなめらかな舌触り。噛むごとに口の中に広がる、芳醇な旨み。
まして、16年ものの新鮮な素材となれば青春の味だ。旬と言ってもいい。
決して安くはないが、やはり奮発して良かった!
こうして、夫婦の贅沢な時間が過ぎる。そこには笑顔が生まれる。
店内は平和な空気に満ちている。
だが、おお、
先述の通りこの店は表向き、合法である。仕入れにも違法性はなく、提供される料理の中毒成分は基準値以下に抑えられている。だから、取り締まられる事はない。
しかし、合法と言ってもパンツである。繰り返し口にし続ければ
「あっ、いらっしゃいませ!」
そして、また一人。女性客が案内され、薄暗いカウンター席に着いた。
彼女は店員を呼び、小声で注文する。
「……単品、18。もちろん生でね」
暗号による注文! 彼女は裏メニューを熟知しているのだ。
「かしこまりまし……あっ」
「どうかしたの?」
「いっ、いえ! その、18だと在庫が、私しかなくて……。今日のは地味で、売り物にはならないかと……」
店員は顔を赤らめた。その初々しい様子に女性客は満足げに微笑む。彼女は立ち上がり、長い指で店員の髪に触れた。
「あら……イイじゃない。是非、あなたのをお願いしたいわ」
「は……はい!」
店員は頬を上気させ返事した。なんという事か。この注文は、明らかに違法である!
パンツを脱ぐ際は、即座に洗濯する事が法律で義務付けられている。まして、捨てたり手放したりするのであれば、業者に焼却してもらうのが普通だ。そのまま捨てたりすれば野性化に繋がると信じられているためである。危険な
それを、よりにもよって、脱ぎたてを人に食べさせようなどと!
だが止める者はない。これが『合法店舗』の実態なのだ。
「ふふ、楽しみにしてるわ。ああ……あと、日本酒をお願い」
世界は、静かに蝕まれていく。
* * *
小春は空中のマイクロビキニを睨んだまま動かない。
否、動けないのだ。『奔放なる享楽者』マイクロビキニ――その強さの根幹は、あまりにも
斧による一撃は、速度はあるが大味である。回避された際のリスクは大きい。感情にまかせて突撃するほど、小春は愚かではない。溢れる殺意をその身にたくわえて、慎重に時を計る。
だが、敵は膠着を良しとしなかった。
前方、それも左右から同時に気配を感じ、小春は身構えた。マイクロビキニの配下にあたる通常パンツが数枚、小春の横を通過する。少女は振り返った。パンツは道路へ降りて行った。まだ市民の残る、市街へ――!
市民を守るのが
「……っ、ツバキ、さんっ!」
我に返り、絞り出すように小春が叫んだ。この局面にあっても、初対面に等しい人間の名前を呼ぶのはやはり勇気がいる。特に、小春のような人間にとっては。
だが、ためらっている場合ではない。ルーキーの明日香だけで地上のパンツを捌ききるのは不可能だ。
しかし……混乱しきっているツバキは自らの胸と下半身を隠すのに精一杯で、名前を呼ばれてもまともに反応すらできなかった。
小春の声と、何かを訴える目線から即座に意図をくみ取ってみせたのは、明日香だった。
「――ええい、もうっ!」
気合いを入れるように叫んでから明日香はセーラー服の上着を脱ぎ、ツバキに投げつけた。幸い、中にキャミソールを着ていたため即座にブラが見えるといったような事はないが、衆目の中で脱ぐのは当然恥ずかしい。彼女の大きな乳房は薄手のキャミソールを押し上げ、そのせいでヘソまで見えてしまっている。
「それしかないから、さっさと隠して! 何とかして地上を片づけるッス!」
「…………っ、す、すまない」
「あと……さっきの扱いは後で謝ってもらうッスからね」
明日香は言葉と裏腹に笑い、ツバキはうつむき気味に理性を取り戻した。
その会話を背後に聞きながら、小春はやや安堵した。目線は即座に前に戻し、決して気を抜いてはいない。つもりだった。
敵の姿がない。
直後。少し離れた路地でパァン、という音がした。
「えっ……きゃああああああああああああ!?」
続いて悲鳴。逃げ遅れた市民……女子高生の制服が弾け飛んでいる。付近にはフラフラと挑発的に踊るマイクロビキニ!
小春は即座に反応して振り返る。だがその瞬間にはもう、敵の姿はそこにはない。
「あっ!」「いやぁ!」
小春を挟んで反対の路地からも甲高い悲鳴!
別の女子高生、さらにはOLのスーツまでも弾け飛ぶ。
その隣で、敵は細い布地の両端を腕組みのような形にし、満足げにウムウムと頷いている。
「…………っ! この……」
速すぎる。明日香やツバキも間に合わない。
小春の目に焦りの色が浮かぶ。
人間を弄ぶことを楽しむ『享楽者』は、そのための狡猾さを持っていた。一枚の布とは思えぬ高い知能を。
小春が高めていた集中と殺気は、市民を盾に取られた事で見事に散らされた。次は、どこに現れる? どこを守れば良い? 完全に翻弄されている。
小春は視線を左右に滑らせて警戒する。同時に、彼女の鼻がひくついた。
そう右。ほとんど真横に近い、視界の右端に、細い布地が映った。近い。
背筋を冷たいものが走る。注意を街中に向けさせておいての、至近距離!
反射的に飛び離れながら斧を振る。当たらない。
さらに敵は続けざまに攻撃を仕掛けてくる。
足元へ、滑るように布地が接近。ジャンプして回避。
そのまま敵は背後に回り、飛ぶ。死角から布地。
空中では身動きが取れない。鎖を電柱に投げ、巻き付ける。
鎖を引いて回避。戦法を考える暇すら与えられない。
屋根の上の立ち回りは止まる事なく続く。
このような素早いタイプの敵は、決着も一瞬でつけてくると誤解されがちだ。しかし回避に絶対の自信があるパンツを相手にする場合……持久戦に持ち込まれるのは思った以上にやっかいなのである。
敵は自在に飛行する。頭上から布地。鎖を振り回して防ぐ。
斧を振る。かわされる。真横、左から布地。飛び離れる。
マイクロビキニはピタリとついてきた。再度、左から布地。
「…………っ、はぁ…………ッ」
防戦一方だ。息が切れ始める。少女の髪から汗がほとばしる。
酸素が足りない。気力で集中を繋ぎとめる。とにかく回避だ。足元を見る。
すでに屋根の縁に追い詰められていた。足場がない!
みたび、左方向から布地。防ぐ手段がない。懐に潜り込まれる。
窮地を前に、時間の流れが鈍化する。小春は瞬間的に思考した。
彼女はピンチに理性を失わない。むしろ研ぎ澄ます。
昨日の田舎町での戦闘は、その思考時間が
パンツは近距離攻撃しか持たない。絶対に接近してくる。先ほどツバキが受けた攻撃を思い出す。肉薄される。つまり――小春は答えにたどり着いた。
マイクロビキニがセーラー服に触れた。そのまま撫でるように、高速で胴を一周。小春は一瞬、目を閉じて覚悟した。セーラー服がはじけ飛んだ。
小ぶりな胸が、上半身の柔肌が晒される。敵はそのまま下半身のスカートまでも毒牙にかけるべく二周目を回ろうとする。小春が鎖を引く。
鎖は急速に戻り――小春の胴体に巻き付いた。マイクロビキニを縫いとめる形で!
びちびちとマイクロビキニが跳ねる。形勢は逆転した。小春は凍りつくような眼で、自らの肌に張り付く相手を見下ろした。
この『享楽者』には、己の窮地を理解するだけの知能がある。鎖から必死に逃れようと暴れるさまは、まるで「いやだ。まだ死にたくない。もっと、もっと遊びたい」と訴えているかのようであった。
それが小春には不快だった。
人間とパンツの戦いは、互いが互いを一撃で仕留める事のできる無慈悲な殺し合いだ。まともに戦えば、こちらが劣っていた。彼女の視線は戦いを遊んだ者に対する、侮蔑の視線だった。
小春は斧の柄で、胸元で暴れるマイクロビキニの股間部を正確に突いた。アザくらいは残るだろうが、必要経費だ。
その一撃で、己の快楽のために人々を脱がせ続けてきた厄災――『奔放なる享楽者』は、ぐったりと活動を停止した。
* * *
――数週間前、北の地にて。
PNTラボ第七研究所、実験棟。この最先端の科学施設で、人類による最先端のパンツ研究は、新たな事実を明らかにしようとしていた。
「……演算終了。腕力、獰猛さ、すべて想定値以上です! 先生、これは……」
「うむ……やはり間違いない。個々のパンツの特性は、先天的に備わっているものではない。むしろ周囲の影響を強く受ける。そして、その特性を――」
「人に感染させる事で、
「そうだ。あの個体は、それを証明した」
女性科学者とその助手は、目の前の大型ディスプレイの映像を見る。地下室の様子を映す、監視カメラの映像を。
そこには、檻の中をのっそりと動き回る、一枚のパンツの姿があった。
白い布地に……可愛らしい、クマのプリント。
これは元から描かれていたものではない。研究者らによって、人為的に印刷されたものである。このパンツは「熊である」と、外部から定義したのだ。
すると、この個体は日を追うごとに飛行速度と高度が低下したが、代わりに、与えた丸太をへし折るほどの怪力を獲得した。パンツが、熊に、近づいたのである。
「攻撃的な動物として扱えば、より攻撃的になる。おそらくは……逆もまた然り」
「先生、流石です……! これは、パンツ史に残る革命でッ――!?」
ゴ ゴ ン
助手は、賞賛の言葉を最後まで口にできなかった。異様な地響きが彼女らの研究室を襲っていた。大型ディスプレイの映像にノイズが走る。断続的に挟まる砂嵐の向こうに……女性科学者は緊急事態を見た。
地下室の檻。一枚の布を閉じ込めるには過剰にも思える鉄格子。本物の熊でも通れないであろう5センチ間隔の重々しい鉄の棒、それが……ひしゃげて曲がっている!
ゴ ゴ ン
再度、衝撃。二本目の鉄の棒が曲がる。熊パンツは破壊された二本の鉄格子の間を悠々と通り……檻の外へ!
悪夢としか言いようがなかった。厚さ1ミリにも満たない薄布が! 5センチ間隔の鉄格子を! こんなにも容易く突破するなんて!
ドゴン! ゴ……ゴゴ……ゴゴゴゴゴゴ!!
「せ、先生ーーーーーーッ!」
「ま、まずい。総員退避せよ! 退避を……!?」
破壊音が近づいてくる。彼女らのいる地上階の研究室へ、容赦なく。
進撃は、圧倒的に早かった。女性科学者がエマージェンシー発動のボタンを叩き押すのと、隣室の壁が崩落し、目の前に熊パンツが現れたのは同時だった。
「ひっ、いいいいいいいいーーーーーーーーーーー!」
「バ、バカな……今日の双子座は一位だったのに! こんな目に遭うなんて! こんな、こんな……!」
助手が恐怖のあまりへたり込んで失禁する。女性科学者は涙を流して絶叫する。そう、まるで……
目の前に、本物の熊が現れたかのように!!
第七研究所の壊滅は、表向きには報じられなかった。
ただし
そしてそのニュースを聞き、目を光らせる者があった。
業界で三指に入る実力者。小学生かと見紛う幼い肢体。あどけない顔で、期待に舌をなめずるその
『熊狩り』の
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