最終話 練馬区某所第三小学校 後編

 饅頭の海に取り残された小学校。孤島と化したこの場所から、人類の存続を決定づけるレーザー光が放たれた。目標は始まりの地、すべての饅頭の母とも呼べる存在があるであろう、饅頭の山だ。


「片岡一等陸尉、念のため、学校近辺の饅頭を破壊しましょう」

「ああ、そっちは頼んだ」


 戦場では何が起こるかわからない。相手が饅頭となれば、なおさらだ。芹沢と2人の自衛官は、饅頭の破壊のために銃を放つ。


 2丁の小銃と1丁の拳銃が撃ち鳴らす乾いた銃声は、すでに恐怖のどん底にいた子供たちを驚かせてしまったようだ。低学年の子供たちは甲高い悲鳴をあげて、泣きわめく。しかし高学年の子供たちは、子供なりに現状を理解しているのだろう。彼らは届く範囲にある饅頭を手に取り、ぐちゃぐちゃに潰していく。皆、やるべきことは分かっていた。


 次の饅頭増殖でこの学校は確実に潰される。いくら饅頭を破壊しようと、それは変わらない。それでも、ほんのわずかな確率でも、次の饅頭増殖に耐えるため、皆が饅頭を破壊する。この学校に避難した人々は、戦わずして滅びはしない。


「そろそろか?」


 腕時計を覗いた芹沢は、そう呟いて空を見上げた。F―2の到着までは1分を切っている。


 耳をすますと、はるか彼方から聞こえてくるジェット音。数秒もすると、ジェット音は否応なく人々の鼓膜を震わせた。見上げた青空、雲の切れ目からは、けたたましい音とは対照的に、2機の小さなシルエットがその姿を見せる。


 全身を真っ青に染めた2機の戦闘機。航空自衛隊のF―2戦闘機だ。F―2の真っ青な迷彩色は、海の色と同化するためのもの。だが饅頭の海では、全く意味のない迷彩となってしまっている。


 爆音を轟かせ、高速で空を滑り続けるF―2に、子供たちは興味津々だ。しかし芹沢と片岡は、緊張した面持ちであった。彼らのレーザー照射がなければ、F―2の落とす爆弾は無誘導爆弾にしかならない。大切なのは、地上にいる彼らの誘導なのである。F―2は爆弾を運び、投下するのが仕事であり、目標に爆弾を当てさせ、全てを終わらせるのは、芹沢たちの仕事なのだ。


 日の丸が描かれた大きな翼。巨大な対艦ミサイルを4つ搭載できるその翼にぶら下がる、この惨状を終わらせるための2つの爆弾。


《こちらスザク1、爆弾投下》


 F―2のパイロットの宣言とともに、1発の爆弾が投下された。この爆弾は、ただ落ちていくのではない。先端に取り付けられたレーザーシーカーを通して、芹沢たちの行うレーザー照射地点に向けて自らを制御しながら、真っ逆さまに落ちていくのだ。


 大空に大音量を響かせながら、F―2は悠々と饅頭の海上空を飛びぬける。と同時に、レーザー照射に導かれ、始まりの地に落ちる黒い影。直後だった。始まりの地に巨大な火球が出来上がり、饅頭の山は饅頭の破片、餡を撒き散らしながら崩壊していく。爆音と衝撃波が学校にまで伝わったのは、それから数秒後のことであった。


「よし! 直撃だ!」


 突然のことに唖然とする子供たちの中で、芹沢は大声をあげて喜びを爆発させる。片岡もまた頬を緩ませ、双眼鏡で始まりの地を眺めた。皆、これで戦いは終わったのだと思っていた。


 片岡が双眼鏡越しに見る始まりの地。立ち上る灰色の煙が薄まると、片岡の表情からは笑みがなくなり、たちまち彼の表情を驚愕が支配した。


「まだ……饅頭の山は完全に崩れていない!」


 焦りの色を含んだ片岡の言葉に、芹沢もまた双眼鏡を使って始まりの地を確かめる。始まりの地には、先ほどよりは小さくなりながらも、未だ立派な饅頭の山があった。まるで人間を見下ろすかのように、堂々とした禿山が。


 最初の饅頭はまだ破壊されていない、と芹沢は直感した。腕時計に視線を移せば、そこでは次の饅頭増殖のタイムリミットが迫る。振り返れば、言葉も悲鳴もない、沈黙する子供たち。


「まだ諦めるには早いです。F―2に再度、爆弾投下の要請を。レーザー照射を続けましょう!」


 それ以外にできることはない。まだ絶望する時ではない。芹沢は自らを奮いたたせ、片岡も彼の言葉に咄嗟に反応、爆撃要請を再度行う。

 

 増殖までの時間は2分を切っていた。だが爆撃には十分な時間だ。芹沢たちはレーザー照射器を始まりの地に向け続け、上空ではF―2が旋回する。饅頭が動かぬ今に攻撃しなくて、いつ攻撃するのか。


《スザク1、爆弾投下》


 再び辺りを支配するF―2の轟音。再び投下される爆弾。始まりの地へレーザー照射を行う芹沢たち。固唾を飲んで見守る主婦や警官、教師、子供たち。


 このままならば、何かしらの邪魔が入らぬ限り、最初の饅頭は破壊できる。誰もがそう確信している。ところが饅頭は、増殖せずとも彼らの邪魔ができた。数の暴力という、単純かつ強力な攻撃手段によってだ。


 街を丸ごとのみ込んだ饅頭は、多くの建物を潰し崩壊させる力を持っている。無論、その力は小学校をも襲い、ついにその一部を破壊することに成功した。


 床を破られ、数本の柱を折られた小学校は、全体を大きく振動させ傾く。屋上にいた人々は皆、予期せぬことに体を転ばせ、子供たちは恐怖に駆られ恐慌した。転んだのは人間だけではない。レーザー照射機もまた、地面に横たわり、あらぬ方向にレーザーを照射してしまっている。


 片岡は咄嗟にレーザー照射器を元の位置に戻したが、時すでに遅し。始まりの地から大きく離れた場所で、壮大な火球が饅頭を焦がし尽くしていた。爆弾は目標地点に弾着せず。その現実が、轟く爆音と衝撃波を空虚なものへと変えていった。


 腕時計のタイマーは、カウント0まで30秒を切っている。つまり、あと30秒で饅頭は増殖し、この小学校はのみ込まれるのだ。芹沢は無線機に叫んだ。


「今すぐ標的に向けて爆弾を落とせ! レーザー照射の準備はできている!」


 絶望に包まれた屋上で、芹沢は絶望していなかった。彼にとって、30秒という時間は十分な時間であった。どこまでも前向きで、勝利だけを目指す彼の言葉。これにF―2パイロットも鼓舞されたようである。


 芹沢の言葉のすぐ後に、空を飛ぶF―2の1機が宙返りした。美しい弧を描き、天高く持ち上げられた機首は、あっという間に饅頭渦巻く地上へと振り下ろされる。


《スザク2、爆弾投下!》


 操縦桿を目一杯に引き上げ、機体を水平飛行に戻すかたわら、F―2から1発の爆弾が投下される。増殖までの時間はあと10秒。芹沢たちや子供たちにとっては、自分たちの命をつなぐ最後の攻撃。これだけは外せない。


 レーザー照射器をがっちりと支える片岡。何があってもレーザー照射器をこの場から動かすまいと、彼は重石になった。


 増殖まで8秒。主婦は張り裂けそうな胸を手で押さえ、警官は唇を噛み、教師たちは子供たちに寄り添う。子供たちは、誰もが諦めと恐怖、希望の感情を抱きながら、沈黙していた。


 増殖まで5秒。F―2のエンジン音が幾ばくか遠のき、静まり返る屋上。自分たちが死ぬか饅頭が死ぬか。究極の時間を、芹沢は待ち続ける。


 増殖まで2秒。芹沢の視界に強烈な光が差し込む。真っ赤な炎と黒い煙、そして饅頭の破片と餡を纏った、巨大な火球。静かな饅頭の海を照らし出す、勝利の火球。


 爆音が届き、衝撃波に揺らされた屋上。芹沢は腕時計を覗き込んだ。タイマーには0しか表示されておらず、繰り返される機械音がカウントの終わりを告げている。饅頭に動きはなかった。


「終わった……終わったぞ……」


 喜びよりも安心感に浸る芹沢は、もはや大声で叫ぶことはしない。彼は地面に座り込み、立ち上る勝利の狼煙を眺めるだけで、満足であった。片岡も同じく、大きく息を吐いて胸を撫で下ろす。人類は饅頭に勝利したのだ。


「やったー! 勝った勝ったー!」

「おお~心の友よ~!」


 一方で、子供たちは元気だ。数秒前までの恐怖に怯える姿は何処へやら。迫る饅頭から解放され、有り余る体力の全てを喜びに費やす。この光景が見られただけでも、芹沢は十分であった。


 作戦は成功、饅頭は怪物から本来の食べ物の姿に戻り、人類は勝利した。人類は全てをのみ込む異様な饅頭から、犠牲とともに己の生存権を守り通したのだ。だからこそ、今、子供たちは笑みを浮かべ、大人たちは安息することができる。芹沢たちの強い意志が、人類の強い意志が、再び世界に平穏をもたらしたのである。


 歓声に包まれる中、ヘリコプターの音が近づいてくるのに芹沢は気づいた。子供たちの救出部隊が近づいているのであろう。芹沢は晴れやかな気持ちで、近づくヘリコプターを出迎えた。


 小学校に到着したヘリコプター。しかしそこから降りてきたのは、救出部隊ではなく武装した自衛官たち。芹沢と片岡が何事かと思い、彼に質問する前に、自衛官は口を開く。


「中隊長の村井だ。片岡一等陸尉、芹沢二等陸尉、緊急事態だ。東京都内で熱い茶が氾濫、猛烈な勢いで街を沈めている。君たちには、この茶を止める任務についてもらう」


 頭を鈍器で殴られたような感覚が、芹沢を襲った。熱い茶の氾濫という、にわかには信じられぬ現象。増殖する饅頭と戦った彼らは、その現象を受け入れざるをえない。饅頭という怪物を倒した直後に、茶という新たな怪物が現れてしまったのだ。


 しかし、芹沢も片岡も絶望はしない。ヘリに乗る村井も、その後ろに控える里崎も、諦めはしない。彼らは饅頭から人類の生存権を守り通したのだ。敵が茶になろうと、やるべきことは同じ。


「了解しました! 氾濫する茶など、ここに溢れる饅頭のお供にしてみせます!」


 何があっても、立ち向かう。そんな彼らの背中を、彼らに助けられ、協力してきた者たちが見送る。

 

「芹沢さん、皆さん、頑張ってください」

「こっちは警察の俺たちに任せろ」

「おじさんたち、頑張って!」


 心強い声援、子供たちの応援に、芹沢たちは勇気づけられ、ヘリに乗り込み、再び戦場へと向かう。恐怖の饅頭を倒した彼らは、戦い続ける。この世界に生きる人々の、未来のために。

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饅頭本当に怖い ぷっつぷ @T-shirasaka

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