第4話 練馬区某所第三小学校 前編

 第三小学校は、饅頭の海に浮かぶ孤島と化していた。この孤島には、逃げ遅れた子供たちが数多く取り残されている。最初こそ饅頭の増殖という不思議な光景・・・・・・に好奇心を爆発させ、笑顔すら見せていた子供たち。今や子供たちのほとんどは、泣き顔で溢れている。


 小学校はコンクリート製の3階建。押し寄せる饅頭に潰される可能性はある。だが問題はそこではない。膨れ上がった饅頭の塊は、すでに小学校の3階までを、饅頭で埋め尽くしてしまっているのだ。子供たちの居場所は、屋上以外にない。その屋上でさえ、怪物の魔の手は迫っている。


 自衛隊のヘリコプターは、取り残された児童の救出のため、この小学校と安全地帯を何度も行き来した。現在救出された児童の人数は、約500人。ではあとどれほどの児童が取り残されているのか? その答えは、約200人だ。


 饅頭は屋上のすぐそこまでやってきている。このままでは全児童の救出は間に合わない。多くの人間が諦めかけたその時、幸運が訪れた。平和台駅近辺で饅頭の拡大を阻止し続ける部隊から、この戦いを終わらせられる重要な情報が寄せられたのである。


 情報をもとに、自衛隊はとある作戦を立案、小学校へ1機のヘリコプターを差し向ける。児童救出のためのヘリコプターではなく、戦いを終わらせるためのヘリコプターを。


 200人もの子供たちと数人の教師たちが詰めかける小学校の屋上に、ヘリコプターが発する強い風が吹き付けた。子供たちの髪はなびき、饅頭が風にあおられ宙を舞う。合わせて、ヘリコプターのエンジン音が子供たちの耳をつんざく。だが数十秒前にも発生した饅頭の増殖に怯える子供たちは、この強風と騒音に慣れてしまい、むしろそれらに希望すら抱いていた。


 ヘリコプターからは、3人の自衛官が降りてくる。完全武装した彼らに、自らの救出を願っていた子供たちや教師たちは、今までと違う彼らに困惑した様子。しかし自衛官は気にせず、ある男の名を呼ぶ。


「芹沢二等陸尉! 芹沢二等陸尉はいるか!」


 芹沢二等陸尉。饅頭増殖の始まりの地に偶然居合わせた男。誰よりも早く、饅頭の弱点を見つけ、戦い続けた男。彼は彼を手伝う警官や主婦たちとともに、この小学校に逃げ込み、子供たちの救出を手助けしていた。


「ここにいます! なんでしょうか?」

「中央即応連隊の片岡だ。我々はこれより、饅頭増殖を止めるための作戦を開始する。君の力が必要だ」

「増殖を止められるのですか?」

「そうだ」


 村井率いる中隊から寄せられた、重要な情報。黄色い服にメガネをかけた少年が語った、饅頭の正体。少年は始まりの地である一軒家の家主、その一人息子であった。片岡と名乗った自衛官は芹沢に、その情報を伝える。


「饅頭の増殖は、少年が手に入れた特殊な溶液によって引き起こされたもののようだ。この饅頭の塊も、最初は1つの、ごく普通の饅頭だったらしい」


 少年は倍に増え続ける饅頭を食べきれず、怖くなり、学校にも行かず街を抜け出そうとした。しかし事の重大さに気づき、今では、どこでその特殊な溶液を手に入れたのかという問い以外の質問には素直に答えている。片岡はその答えの要点だけを、芹沢に伝えているのだ。


「この饅頭は、最初の1つの分子構造をコピーし、再現する形でここまでの数に膨れ上がった。だが重要なのは、増殖には必ず最初の饅頭が必要だということだ」

「ということはまさか、最初の饅頭を破壊すれば増殖が止まると?」

「その通りだ」

「しかし、あの山の中では、最初の饅頭は潰され破壊されていると思われますが……」

「見ろ、饅頭は今さっきも増殖を行った。これは最初の饅頭が生きている証拠だ」


 屋上のすぐ側まで、饅頭は迫っている。これは紛れもない事実だ。芹沢は片岡の説明を受け入れ、別の質問を口にした。


「私は何をすれば良いのでしょうか?」

「7分後に、F―2戦闘機がLJDAMによる精密爆撃を行う。芹沢二等陸尉には始まりの地へのレーザー照射を行い、爆弾の誘導を行ってもらいたい」


 そう言う片岡に、芹沢は腕時計のタイマーを確認し、表情を厳しくする。


「7分後だと、次の増殖の直前ですね」

「ああ。おそらくだが、この学校は次の増殖で饅頭にのみ込まれる。時間はない」


 児童たちを怖がらせまいと、最悪の予想を小声で口にした片岡。芹沢もそれについては理解していた。


「この作戦が成功しなければ、ここにいる子供たちは全員、饅頭にやられる」

「了解しました。すぐに、作戦をはじめましょう」


 これは上からの命令なのだ。芹沢が作戦参加を断れるはずがない。だが、これが仮に命令ではなかったとしても、芹沢は作戦参加を受け入れたであろう。他に子供たちを救う方法はないのだ。


「ではヘリに乗れ。上空からレーザー照射を――」

「いえ、ヘリは児童の救出を。レーザー照射はここから行います」

「なんだと?」

「ヘリが来たにもかかわらず、彼らを救出しなければ、彼らはきっとパニック状態に陥ります。あくまで、今まで通りを貫き通すべきかと」


 芹沢の指摘に、片岡はまず辺りを見渡した。ヘリの周りに群がる児童たちは、自分たちがヘリに乗れぬことに不安を抱き、こちらを見つめている。


「ママ~」


 印象的な髪型の子供は、母親を恋しがり目に涙を浮かべていた。子供たちは恐怖のどん底に叩き落とされている。彼らの希望は自分たち、大人だ。そんな大人が救出活動を止めてしまえば、彼らの希望は消える。これは作戦のためなんだと説明したところで、子供たちには通じないであろう。


 学校は饅頭に囲まれている。あたり一面、全てが饅頭だ。甘い匂いに包まれる、怪物しかいない茶色いこの世界に、子供たちは取り残されている。片岡は決断した。


「分かった。ヘリは子供の救出を! レーザー照射器はこっちに持ってこい!」


 怯える子供たちを見て、迫る饅頭の塊を見て、片岡が芹沢の意見を聞かぬわけにいかない。片岡の咄嗟の指示により、ヘリには乗せられるだけの子供が乗せられる。代わりにレーザー照射器が降ろされ、芹沢たちのもとへと運び込まれた。


「始まりの地の場所は?」

「地図上ではここです。ここからだと——」


 始まりの地は、地図では狭い道が張り巡らされた、住宅街の一角にある。だが芹沢が指差した地図上のその場所が、実際にどこにあるのかを探すのは一苦労だ。もはやこの街には、狭い道も住宅街もありはしない。目の前に広がるのは、饅頭の海という異様な光景。頼れるのは、測量技術と芹沢の記憶だけ。


 饅頭の増殖までの時間は約6分。F―2戦闘機の到着までは約4分しかない。芹沢たちは急ぎ測量を開始、地図上の位置を現実世界に当てはめる。


 こうしている間に、ヘリコプターは児童たちを乗せて飛び立った。饅頭の到達していない場所を目指し、大空へと飛び立っていく迷彩色の機体。屋上に吹き付けていた風は収まり、大声を出さなければ話すことも許されなかったエンジン音は、徐々に遠ざかっていく。


 芹沢は測量作業をしながらも、ふと子供たちに目を向けた。子供たちは、友達を乗せたヘリコプターを見上げ、泣き顔を空に向けている。そんな彼らに、片岡らから事情を聞いた教師や主婦、警官たちが、少しでも安心感を抱いてもらおうと話しかけるが、目の前まで迫る饅頭に子供たちの不安は拭えない。饅頭の脅威に、子供たちの心は限界寸前なのである。

 

「場所を特定」


 片岡たちが見出した、始まりの地。そこは地面を埋め尽くした茶色い世界の中で、少しばかり高い丘となった饅頭がそびえる場所。数十メートルはあるであろうその丘を見て、片岡はすぐさま指示を下した。


「レーザー照射開始!」


 片岡の指示と同時に、四角い箱型のレーザー照射器から、1本のレーザーが丘に向けて放たれる。このレーザー自体に破壊能力はないが、空から投下される爆弾は、このレーザーに向けて一直線に落ちてくる。そういう意味では、饅頭にとって死を運ぶレーザーとも形容できるかもしれない。

 

 饅頭と人類の、雌雄を決するための作戦。その火蓋が今、切って落とされた。

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