第3話 練馬区地下鉄トンネル内

 村井率いる中隊は、戦い続けた。霞ヶ浦からの戦闘ヘリ、アパッチやコブラの到着により、饅頭の拡大を防ぐことに成功している。


 戦闘ヘリという強力な援軍は、村井の中隊に大きな余裕を作り出した。そこで村井は、桐谷曹長率いる班に新たな任務を与える。それは、地下鉄に取り残された市民がいないかの確認と、饅頭の増殖阻止。怪物の増殖は、地上だけで行われているのではないのだ。


 桐谷の率いる班には、里崎の姿もある。彼らは平和台駅から地下鉄の路線に入り、大量の弾丸、榴弾を運び、歩を進めた。この先に饅頭の塊が待ち構えているのだと思うと、里崎は気が気ではない。すでに3度の増殖を目にした彼は、すっかり饅頭に恐怖心を抱いている。自分が戦うことで、この恐怖心を多くの人が抱かずに済むという思いがなければ、今すぐにでも逃げ出していたことだろう。


 饅頭により電線が切られたのか、地下鉄の線路は暗闇に沈んでいる。隊員たちは89式小銃に備え付けられたフラッシュライトの明かりを頼りに、前へ進むしかない。


「なんにもねえぞ」

「饅頭の奴ら、トンネルに詰まって動けなくなってりゃ良いんだがな」

「どうせなら、饅頭には勝手に消えていってほしいよ。もうあの甘ったるい匂いは勘弁だ」

「まったくだな、里崎」


 暗闇の中を、恐怖を打ち消すため明るく話す隊員たちの会話。線路を歩いて数分、重い荷物のためゆっくりと進んでいるのもあるが、しかし未だに饅頭は姿を見せず、一般市民の姿も確認できない。あるのは、永遠に続くのではないかと思わせる線路のみ。


「次の増殖まで100秒。全員、武器を構えてここで待機」


 ひときわ低い声が、トンネルをメガホン代わりに響き渡る。桐谷曹長の指示だ。隊員たちは彼に従い、武器を構え、引き金に指をかけ、暗闇にその銃口を向ける。


「曹長……饅頭が増殖して、ここまで来たら、どうします?」

「その時はトンネルを崩して饅頭の増殖を足止めする。あとは一目散に逃げろ」

「了解」


 自分たちのところまで饅頭が襲ってくるのなら、それは生きている一般市民はもういないということだ。優先事項は人命救助から、饅頭増殖阻止になる。彼らは最初から、地下鉄における饅頭増殖の阻止は、トンネルを崩落させる以外にないと判断していた。桐谷の返答は、すでに決めていたことを繰り返しただけである。


 饅頭の増殖時間まで、約1分。里崎たちからすれば、長い1分である。地上で大暴れするあの怪物が、暗闇の向こうから襲ってくるかもしれぬのだ。緊張に冷や汗が里崎の背中を伝う。あまりの緊張感に、ついつい里崎の口が開いてしまった。


「おい、ハチヨンは大丈夫か?」

「大丈夫、心配すんな。全部吹き飛ばしてやる」

「ダメだと思ったら俺を撃ってくれ。饅頭にやられるよりマシだ」

「私語は慎めお前ら。黙って前だけ見てろ」


 緊張感を緩和させようとした会話であったが、隊員たちに緊張感を持たせておきたい桐谷は、厳しい口調で彼らを諌めた。ここは戦場。気の緩みが命取りとなる。


 増殖時間まで約30秒。暗闇の向こうから物音がした。早くも饅頭の増殖がはじまってしまったのか。人々が饅頭にのまれ、押しつぶされるあの光景を思い出した里崎は、引き金にかけた指を危うく動かしそうになる。


 物音は近づく。と同時に、里崎たちの鼓動は早くなる。闇の向こうから迫り来る恐怖に、彼らの精神はいつ暴発してもおかしくはない。


 フラッシュライトが照らし出す先に、ついに複数の物体が現れた。物体はまっすぐに、隊員たちのもとへ近づいてくる。彼らの恐怖と緊張感は、最高潮に達した。終始落ち着いていた桐谷も、震えだす手を押さえ、部下たちに指示を出そうと、乾ききった口で息を吸い込む。


「全員、撃ち方――」

「我々は味方だ! 饅頭ではない! 負傷した民間人もいる!」


 物体から発せられる、聞き慣れた人間の声。それに安心してか、隊員たちは冷静さを取り戻し、物体が数人の人間であることをようやく理解した。地下鉄に残され、救出に向かった自衛隊員共々饅頭に襲われ、それでも生き延びた人々が、里崎たちの目の前までたどり着いたのである。里崎たちは、今の今まで同胞に恐怖していたのだ。


 生き残った人々は、2人の自衛官と、その自衛官に背負われる1人の老婆。さらに4人の男女と、メガネをかけた1人の少年。桐谷は、もうすぐで彼らを撃ち殺そうとした自分を呪い、しかし、迫る危機を大声で叫んだ。


「急げ! 饅頭の増殖まですぐだ!」

「なに!? 全員急いで! 饅頭が襲ってくる!」


 桐谷の忠告に、生き残った人々は青ざめた顔をした。そして彼らは、まるで迫る悪魔から逃げ果せようとするかのように、必死の形相で走り出す。


 生き残った人々の焦り様から、里崎は嫌な予感がした。饅頭までの距離が離れていれば、彼らはあそこまで焦りはしないだろう。彼らの焦りは、饅頭がすぐそこにあるからこその焦りなのではないか。そんな予感が、里崎の精神をえぐる。


 死から逃れようと走る生き残り。彼らを死なせまいと、銃を構えた桐谷率いる班。


 程なくして、暗闇の向こうから再び物音が近づいてきた。里崎たちが聞いた、先ほどの音とはまったく違う、大きな重い音。這いずり回る怪物のようなその音が、トンネルに響き渡り、何重にもなって里崎たちを包み込む。桁違いの恐怖は生き残った人々のトラウマを呼び起こしたのか、女性は悲鳴をあげる。


 待ち構える里崎の鼻を、甘い匂いがくすぐった。本来ならば、腹を減らせるうまい匂い。だがトンネルは振動し、フラッシュライトの先の暗闇は、迫り来る饅頭にあっという間に支配された。今やこの甘い匂いは、精神を削り出す死の匂いでしかない。


 狭い場所での饅頭の増殖は、想像をはるかに超えた勢いを饅頭の塊に与えていた。地下鉄のトンネルを埋め尽くし、前へ前へと流れる饅頭は、雪崩というよりは濁流に近い。あれに巻き込まれれば、人間が溺れ死ぬのは目に見えている。生き残った命を、自分たちの命を守るため、桐谷が吠えた。


「全員撃て! 撃て! 生き残り組に当てんじゃねえぞ!」


 桐谷の大声の次には、里崎たちの持つ銃の発砲音が響き渡った。雷管の発火で発射薬が引火し、銃弾が銃口を飛び出すたびに、一瞬の明かりがトンネルを照らす。連続する一連の動きによって、暗闇に光が点滅。その度に銃弾が饅頭を破壊しようと、衝撃波を纏い風を切った。


 殺到する銃弾に破壊され、饅頭は粉々に砕け散る。しかしそれは表面だけの話だ。一切の感情、容赦も持たない饅頭の塊は、残骸をものみ込み増殖を続け、確実に生き残った人々、里崎たちのもとへと近づいてくる。


 里崎たちは恐怖に襲われながら、なおも諦めることはない。饅頭の増殖に破壊が追いつかずとも、その濁流を少しでも遅らせ、増殖後の短く強烈な勢いだけでも凌げば、彼らの勝ちだ。ゆえに彼らは、握った銃を撃ち続ける。生き残った人々への被害を考え無反動砲を撃てない隊員も、拳銃を手に取り応戦。放てるだけの銃弾全てを撃ち込む。里崎たちにできるのは、それだけだ。


 濁流の勢いは確実に削がれている。里崎たちの攻撃が、饅頭の塊を苦しめている。この間も、生き残った人々は必死の形相のまま、悪魔から逃れようと走る。


 生き残りの人々の中でも、足の速い人は里崎の横を走り抜け、安全な場所までたどり着いた。だが老婆を背負った自衛官は、そうはいかない。彼がどれだけ必死に走ろうと、饅頭は彼との距離を徐々に詰めていく。


「もう私を置いて行きなさい。年寄りは死んでも、若い人が死ぬのは――」

「我々の任務は皆さんを守ることです! 誰も置いてはいきません!」


 何があろうと、人々を守る。老婆を背負った自衛官の、自衛官としての決意だ。そして里崎たちは、そんな彼らを守るため、引き金を引き続ける。


「誰も死なせるな! 撃て撃て撃て! 撃ちまくれ!」

「クソ饅頭野郎! いいから饅頭らしく大人しくしてやがれ!」

「てめえの餡は何色だ!」


 容赦のない怪物に、彼らも容赦などしない。里崎たちの放つ銃弾は、人々の命を奪った饅頭に対する怒りが含まれている。これ以上に命を奪わせないという、強い意志が込められている。彼らの強い思いが、饅頭の勢いを殺している。


 生き残るため、命を救うため、一歩、また一歩と進み続ける、老婆を背負った自衛官。だが増殖を続けるだけの饅頭の魔の手が、2人に近づく。老婆を背負う自衛官の足元を、饅頭が覆い隠しはじめたのだ。饅頭は自衛官の足に絡みつき、瞬く間に彼の膝までをのみ込む。


「もう少しで饅頭の勢いが止まる! ともかく撃て!」

 

 状況は絶望へと向かっているが、里崎たちはその状況に甘んじはしない。なんとかこの状況を打破しようと、銃弾の雨を饅頭に浴びせかける。


 老婆を背負った自衛官は、腰まで饅頭に浸かり、ついに身動きが取れなくなった。このままでは老婆1人の命すら救えない。再び目の前で、一般市民と仲間の死を許してしまう。それだけは御免だと、里崎は引き金を引き続けた。


 身動きの取れない自衛官と老婆を、饅頭の塊は情け容赦なくのみ込もうとしたその瞬間であった。トンネルの振動はピタリと止み、這いずり回る怪物の音は聞こえなくなる。銃弾が食い込み、破壊され地面に落ちた饅頭の欠片はそのまま。饅頭は動きを止め、沈黙した。


「止まった……のか?」

「饅頭の勢いが止まったんだ! 助かったぞ!」

「今だ! 彼らを助け出せ!」


 必死の攻撃が繫ぎ止めた命。絶望を跳ね除けた里崎たちは喜びを爆発させ、今や体の半分が饅頭に埋まってしまった自衛官と、彼が背負う老婆を助け出す。


「ありがとう、本当にありがとう」


 涙を浮かべ、感謝の言葉を何度も口にする老婆に、隊員たちは自分たちが守ったものの大切さを噛みしめる。ところが助け出された自衛官は、里崎たちに対し、神妙な顔つきで口を開いた。


「実は、君たちに伝えないとならないことがある」

「なんでしょうか?」

「あのメガネの少年が、化け物の正体を知っているらしい」


 あまりに意外な言葉に、里崎たちは開いた口が閉まらない。だがしかし、黄色い服にメガネをかけた少年が、人類が饅頭に勝ち、存続するための鍵であることを、少年が口にした情報で彼らは確信することになる。

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